研鑽資料no.96(2022年10月)

10月に向けての学び

はじめに

責任者:

(9月19日現在)大型で猛烈な台風14号が九州各地で被害を残しながら日本を北上しております。この台風の接近に伴って、風に煽られ転倒されたり、住宅の窓ガラスが割れて怪我をされたりする方が増えているということです。被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

それでは、今回も引き続き「文明の創造」より学びを続けて参りたく思います。よろしくお願いいたします。

 

「メシヤ講座no.132三重(平成24年1月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『病気とは何ぞや 寒冒』

「文明の創造、科学篇」昭和27年

本文は『文明の創造』83ページに記載されています。

愈々(いよいよ)之から病気に就ついての解説であるが、現代医学の解釈は、人体を単なる物質と見做みなして、唯物療法を進歩させて来た医学は、どの点に最も欠陥があるかを、順を逐(お)うてかいてみるが、それに就ついては先(ま)づ、実際の病気を取上げて説明してみるのが、最も判り易いからそういふ事にする。

先(ま)づ、人間として、何人も経験しない者のない病としては寒冒であらう。処が寒冒の原因は医学では今以もって不明とされてをり、近来僅(わず)かに発見されたのが、ヴィールスによる空気伝染とか、アレルギー性によるとか言はれてゐる位で、吾等からみれば問題とするには足りない稚説(ちせつ)である。此の説も近き将来無意味とされる事は間違ひあるまい。

抑々(そもそも)、人間は先天的に種々なる毒素を保有してゐる事は、医学でも認めてゐる。例へば天然痘、痲疹、百日咳等は元より未知の毒素も色々あるであらう。処でそれら毒素は自然生理作用が発生し、外部へ排泄されやうとする、これを吾等の方では浄化作用と言ふ。そうして毒素は、最初一旦人体の各局部に集溜する。其(そ)の場合神経を使ふ処程多く集まる、人間が最も神経を使ふ処は、言ふまでもなく、上半身特に頭脳に近い程そうである。人間が目が醒(さ)めてゐる間手足は休む事はあっても、頭脳を始め、目、 耳、鼻、口等は一瞬の休みもない。としたら毒素集溜の場合もそうであって、肩、 頸(くび)、淋巴腺、延髄、耳下腺附近は固(もと)より、頭脳が主となってゐる。此(こ)の様に各部に集溜した毒素は、時日を経るに従って、漸次(ぜんじ)固結する。それが或限度に達するや、排除作用が発生する。ここに自然の恩恵を見るのである。何となれば固結の為ため、血行が悪くなり、肩や 頸(くび)が凝り、頭痛、頭重、視力減退、耳の鈍聴、鼻詰まり、嗅覚の鈍化、歯槽膿漏、歯牙の劣弱、息切れ、手足の弛緩、腰痛、浮腫等々により、活動力が減殺されるからで、それが為(た)め人間本来の使命が行はれない事になる。それで造物主は病気といふ結構な、浄化作用を作られたのである。

右の如く、毒素排除作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用であり、 健康上最も必要なもので、神の恩恵中最大なものといふべきである。故に若(も)し人類から、病気を取除いたとしたら、人間は漸次(ぜんじ)弱って、遂には滅亡に到るかも知れないのである。処が私は、病なき世界を造るといふのであるから矛盾するやうに思うであらうが、これは根本的に異ってゐる。といふのは人間が無毒になれば、浄化作用の必要がなくなるから、共に病気もなくなるのは判り切った話である。此この意味に於て私は、 之から出来るだけ解り易く徹底的に説いてみよう。

話は戻るが、固結毒素の排除作用を、私は浄化作用と名付けたが、先(ま)づ初め寒冒に罹(かか)るや発熱が先駆となる。自然は固結毒素の排除を容易ならしめんが為(た)め、熱で溶解させ液体化させる。此(こ)の液毒は速すみやかに肺に侵入するが、此(こ)の作用は実に神秘であって、例へば吾等が浄霊(之は療病法の名称)によって、固結毒素を溶解するや、間髪を入れず肺臓内に侵入する。其(そ)の場合筋肉でも骨でも透過して了(しま)ふのである。何より身体各局所にある固結毒素(以下毒結と称す)が、普通一、二個所位なら軽い症状で済むが、局所を増す毎(ごと)に重くなる、最初軽いと思った寒冒が漸次(ぜんじ)重くなるのは、その意味である。

右の如く、液毒は迅速に肺臓内に侵入し、稀薄な場合は痰(たん)となって即時排泄されるが、濃度の場合は一時停滞し、咳といふポンプ作用を待って、間もなく気管を通じて外部へ排泄される。咳の後には必ず痰(たん)が出るにみても明かであり、嚏(くさめ)の後に鼻汁が出るのも同様の理である。又頭痛、咽喉(のど)の痛み、中耳炎、淋巴腺炎、手足の関節や、鼠蹊腺(そけいせん)等の痛みは何(いずれ)も其(その)部にあった毒結が溶解し、出口を求めやうとして動き始める。それが神経を刺戟(しげき)するからである。そうして液毒には濃い薄いが出来る。濃いのは喀痰(かくたん)、鼻汁、下痢等になるが、極(ご)く薄いのは水様(みずよう)となり、盗汗(ねあせ)や尿によって排泄される。此(こ)の様に浄化作用なるものは、最も自然に合理的に行はれるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。一体造物主即ち神は、人間を造っておきながら、 病気などといふ人間を苦しめ、活動を阻害するやうなものを与へられる筈(はず)はなく、常に健康であらねばならないのに拘はらず、人間が誤った考へで毒素を作り、貯溜させるので、止むなく排除の必要が発おこる。それが病気であるとすれば、寒冒の場合も何等の療法もせず、自然に放任しておけば完全に浄化が行はれるから順調に治り、健康は増すのである。此(こ)の理によって人間は出来るだけ風邪を引くやうにすべきで、そうすれば結核などといふ忌(いまわ)しい病は跡を絶つのである。

処がどうした事か、何時(いつ)の頃からか不思議にも、右の清浄作用を逆解して了(しま)った、 そこで発病するや極力浄化を停めやうとする。何しろ浄化の苦痛を悪化の苦痛と間違へたのだから堪らない。其その為ため熱を恐れて下げやうとする。解熱すれば毒結の溶解が停止されるから咳嗽(せき)を初め凡あらゆる症状が軽減する。恰度ちょうど病気が治るやうに見えるのである。判り易く言えば、折角溶け始めた毒結を元通り固(かた)めやうとする。其その固(かた)め方法が医療なのである。氷冷、湿布、薬剤、注射等すべてはそれであって、全部固(かた)まると同時に症状が消失するので、之で治ったと思って喜ぶが、何ぞ知らん、実は折角掃除をしやうとする其(そ)の手を抑(おさ)へつけるやうなもので、之は事実が証明してゐる。よく風邪が拗(こじ)れるといふが、之は人体の方は浄化しようとするとそれを止めやうとする為、つまり浄化と非浄化との摩擦となるから長引くのである。一旦風邪が治っても、暫(しばら)くすると必ず再発するのを見ても分るであらう。故に結果から言えば、医療とは病気を治す方法ではなく、治さないで延期させる方法といふ事である。従而(したがって)本当に治るといふ事は、毒素を外部へ排泄させ、体内が清浄となって、病気の原因が皆無となる事である。だから真の医術とは浄化が発(おこ)った際、固結毒素をより速く溶解させ、より多く体外へ排泄させる事で、それ以外真の療法はないのである。

右の理に対し一つの譬(たと)へをかいてみよう。即ち借金をしてゐる場合である。段々利息も溜り、期限が来て返済を迫られるので、一時に払ふのは辛いから、外から利子の金を借りて一時凌(いちじしのぎ)をする。すると又期限が来たので又借金して一時免(いちじのが)れをするといふ工合で、元金の外に利子も段々増へ、請求も厳しくなるが益々返金が出来なくなる。そこで貸主は承知せず、差押へ、又は破産の訴へをするが、返済が出来ないので破産する。つまり寒冒も之と同様で、最初の返済期が来た時、苦しくとも払って了(し)まえばそれで済むものを、辛いから借金を増しても一時免(いちじのが)れをする。それが薬を主とした医療である。従って引延ばす毎に薬毒が殖え、遂に一時に請求をされる事となる、之が肺炎である。処が貸主も相手の支払能力を考慮し、緩慢(かんまん)な請求をする、之が結核と思えばいいのである。

 

(前略)

デカルトの二元論を出発点とする、現代医学の解釈をメシヤ様は御指摘なされた

楳木先生:

まず最初に一行目、『愈々(いよいよ)之から病気に就(つい)ての解説であるが、現代医学の解釈は、人体を単なる物質と見做(みな)して、唯物療法を進歩させて来た医学は、』 というように書かれてありますので、この現代医学の解釈をメシヤ様は御指摘されております。

皆さんは学生時代にデカルトを学んだと思いますけども、デカルトの二元論を覚えていますか。現代医学の出発点はだいたいデカルトの二元論からきています。肉体と精神を二つの実体に分けて、その物質面だけをズーッと発展させてきたのが現代の医学なのです。」

 

【ウィキペディア最終更新 2011年11月16日 (水) 16:37 より抜粋

二元論:実体二元論(じったいにげんろん、英:Substance dualism)とは、心身問題に関する形而上学的な立場のひとつで、この世界にはモノとココロという本質的に異なる独立した二つの実体がある、という考え方。ここで言う実体とは他の何にも依らずそれだけで独立して存在しうるものの事を言い、つまりは脳が無くとも心はある、という立場を表す。ただ実体二元論という一つのはっきりとした理論があるわけではなく、一般に次の二つの特徴を併せ持つような考え方が実体二元論と呼ばれる。

この世界には、肉体や物質といった物理的実体とは別に、魂や霊魂、自我や精神、また時に意識、などと呼ばれる能動性を持った心的実体がある。そして心的な機能の一部(例えば思考や判断など)は物質とは別のこの心的実体が担っている

代表的な実体二元論として17世紀のフランスの哲学者ルネ・デカルトの唱えた理論「我思う、ゆえに我あり」がある。デカルトは、空間的広がりを持つ思考できない延長実体(いわゆる物質、ラ:res extensa)と、思考することができる空間的広がりを持たない思惟実体(いわゆる心、ラ:res cogitance)の二つの実体があるとし、これらが互いに独立して存在しうるものとした。この考えはデカルト二元論(Cartesiandualism)と呼ばれ、実体二元論の代表的理論として取り扱われている。】

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎現代医学の、‶人体を単なる物質と見做した解釈を”メシヤ様は御指摘されているのだということ。

○現代医学の出発点はだいたいデカルトの二元論からきているのだということ。

◎現代の医学は、肉体と精神を二つの実体に分けて、その物質面だけをズーッと発展させてきたものなのだということ。

 

「メシヤ講座no.132三重(平成24年1月分)」より抜粋つづき:

主神様の御意図により御浄化の形が決まる

楳木先生:

それで、メシヤ様はそういう考え方が問題なのだ、ということをおっしゃっておられるので、そして、愈々(いよいよ)『具体的にその問題点をあげてみよう。』ということで『近来僅(わず)かに発見されたのが、ヴィールス による空気伝染とか、アレルギー性によるとか言はれてゐる位で、吾等からみれば問題とするには足りない稚説(ちせつ)である。』とこういうふうにおしゃっておられます。

じゃあ、これが稚拙であるかどうかということを考えた時に、みなさん方は、年末に風邪の御浄化をいただきましたね。

それで風邪をひいた方がここへ来た時に、感染するのだったら全員にうつるはずなのですがそうではありませんね。必要な人にはうつるけども必要でない人にはうつりません。この違いがなにかということに関しては、医学的には明解な答えはありません。

それからもう一方ではインフルエンザの型がありますね。香港A型とか、このインフルエンザの型について医学的な説明を読んだことがありますか。

今年はなぜこの“香港A型”になるのかとか。毎年型が違いますね。そしてなぜ型の違うのが流行(はや)るのでしょうか。そういう説明聞いたことありませんか。」

受講者:

ないですね。周期があるのでしょうか。

楳木先生:

なんの周期かな。いい感じですけどね。」

受講者:

罹(かか)った人が免疫ができるので、それに関係あるのではありませんか。

楳木先生:

御教えにはないのですが、実証できていない仮説からいくと“太陽からきている”と。太陽風に乗ってきている、と。それは太陽の黒点の周期に関わるのだ、と。

そのような仮説があって、そうなってくると、太陽というのは主神様の・・・黒点が主神様の代表なので主神様の御意図によって“今年はこの形で地球全体を浄(きよ)めよう”と、なされているということが推測できるのではないかと思います。」

受講者:

スペイン風邪が大流行するのはスペインを浄めようとされていると・・

楳木先生:

そうそう、そのスペインの独特の何かね・・曇りを発生させてしまった可能性があるので、それが浄化として発生してくる、と・・・これがね、仮説としてというのと関連してですね、おととい“カーネーション”の次にやっている番組を見ましたか。“あさイチ”の“宇宙の渚スペシャル”という番組です。」

受講者:

ちょっとだけ見ました。オーロラの。

楳木先生:

それで、オーロラを宇宙から見たらどう見えるかって言ってましたか。人工衛星から見たらオーロラはどういうふうに見えるかな。地球からだとレースのカーテンみたいに見えるね。それで上から宇宙からだとどうなるかな。上から見るとリング状に見えるのです。では、なぜリング状に見えるのでしょうか。地球の北と南は磁力が加わりますよね。磁力を絵に描くとリンゴみたいになります。

太陽からいろんなものが太陽風に乗ってくるのですけども、磁力によってフワッと分かれていくので、我々に有害なものは無くなるので命が保たれているのです。

しかし、一部分、北と南からスーッと入ってくるでしょう。この入ってくる時に、地球の大気とぶつかった時にオーロラができるのです。全体に磁力が働いているので上から見るとリング状に見えるのです。」

【テレビ番組から補足:オーロラがなぜリング状になっているのかを渡部潤一氏が解説。太陽からやってくる電子が地球が発する磁石のバリアーの隙間から入って現れる。隙間は磁石の軸(北極・南極)となるあたりにあり、大気とぶつかって発生し、全体的にリング状になる。】

楳木先生:

すると、太陽から来たものが、いくぶんか北極と南極から入ってくる可能性があることをオーロラは我々に教えてくれているのです。私は見ていて、そういうことで“太陽からきたものは北と南から入ってくる物質というものがあるのだ”と、いうことを感じたのです。

そうするとね、先ほどの仮説もあながちウソではないのだと思いますね。北が広いからそこから広がっていく可能性もあるなあと思いますね。南からきたのは赤道に向かってズーッと広がっていくということが推測できるなあと思います。

しかし、我々は浄化作用のことを勉強してきているから、主神様の御意図によって今年の浄化の形態が決まるということは推測できますね。

“今年はこういう形で肉体が浄(きよ)められていくんだ”と、大体推測できますね。これがもっと科学的実証ができるようになると良いと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は、肉体と精神を二つの実体に分けて、その物質面だけをズーッと発展させてきた医学の考え方が問題なのだ、と仰っているのだということ。

◎年末などに風邪の浄化をいただいたりするが、風邪は必要な人にはうつるけれども必要でない人にはうつらないのだということ。

・前記の違いがなにかということに関しては、医学的に明解な答えはないのだということ。

◎私達は、浄化作用のことを勉強してきているので、主神様の御意図によって今年の浄化の形態が決まるということは推測できるのだということ。

・“今年はこういう形で肉体が浄められていくんだ”と大体推測できるのだということ。

 

「メシヤ講座no.132三重(平成24年1月分)」より抜粋つづき:

夫(奥様)の毒素が集溜する場所をいつも意識しておくべきこと

楳木先生:

それから次の箇所、『そうして毒素は、最初一旦人体の各局部に集溜する。其(その)場合神経を使ふ処程多く集まる、人間が最も神経を使ふ処は、言ふまでもなく、上半身特に頭脳に近い程そうである。』 ここを拝読した時に大切なことは自分の夫の(今日は御婦人方が中心なので)毒素が集溜する場所をいつも意識しておかないといけない、ということです。

〇〇家をみると去年業務内容が変わって、えらい神経を使ってくるから円形脱毛症もできてしまう。

そうすると一番使っているのが厄介な鬱(うつ)病の人がいると、それは社則によって守られている部分があるので、どうしても理詰で対応してもどうにもならないから“困ったものだ”と済ませざるを得なくなる。これは後頭部に一番毒素が溜まってくるのですね。

それで業務内容が変わって積算とか物凄くしないといけないので、前頭部もよく使うのです。酷使していますね。体重が減るくらい酷使しているわけだからね。その部分に相当毒素が集溜してくる。ということがありますので、夜寝ている場合に浄霊をしてあげる場合は、その部分は絶対欠かせないということです。信仰心のない夫の場合だとすぐ目を覚まして「もういい」とかいう家庭が昨日は多かったですけども・・・(笑い)」

受講者:

(笑い・・)

受講者:

私の方が先に寝てしまいます。それから、主人は自己浄霊してますので・・(笑い)

楳木先生:

でも、なお且(か)つね、眠ってても夜イライラして唸(うな)っている場合があるから。その時は良く浄霊してあげないとね。

それから今の経済情勢がこういう経済情勢です。それから昨年はですね、東日本大震災があって日本全体が大変な状況になったために、その影響を受けて、それぞれの職場で大変な課題がまた上乗せされています。その課題の中で仕事をしていると、悩むことが新たに加わってきているのと、仕事の内容でどこを一番使うかということですね。

例えば水道の配管とかすると、腕を一番使います。それから繋(つな)ぐ時に目を相当使います。それで目を使うということは目の後ろの後頭部のところに毒素が集溜しやすくなるのです。

だから、職種とか会社の中での配置されている部署によって、毒素が集溜される場所がそれぞれ違うので、そのことはよく仕事の内容を御主人からリサーチしてね、夜浄霊をしてあげてください。

それがね、主婦の場合大事なことです。要するに御主人がいつまでも元気で働いてくれるためには。という浄霊を夜しておかないといけないということです。そういう意味で、ここは参考になる箇所ですのでよくチェックを入れておいて下さい。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

○夫(妻、子供)の毒素が集溜する場所をいつも意識しておくべきなのだということ。

・‶家族皆が、元気でいる為に”という想いで、夜浄霊をして上げるのだということ。

 

「メシヤ講座no.132三重(平成24年1月分)」より抜粋つづき:

浄化作用は自然の恩恵

楳木先生:

それからですね、2ページめにうつっていただきますと、『漸次(ぜんじ)固結する。それが或(ある)限度に達するや、排除作用が発生する。ここに自然の恩恵を見るのである。』

ですから、浄化作用は自然の恩恵なんだということです。自然の恩恵というところにチェックを入れておいていただいて、それから、その次にいろいろな症状がでます。症状が書かれているのですけども、この症状によって、『活動力が減殺されるからで、それが為(ため)人間本来の使命が行はれない事になる。それで造物主は病気といふ結構な、浄化作用を作られたのである。』

浄化作用は人間本来の使命を行うために起きる

楳木先生:

ここの場合ですね 『人間本来の使命が行はれない事になる。』ということは、浄化作用は人間本来の使命を行うために起きているのだということです。『人間本来の使命』というところに強くチェックを入れておいていただきたいと思います。

病気こそ神の恩恵中最大なものである

楳木先生:

そして次に、『右の如く、毒素排除作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用であり、健康上最も必要なもので、神の恩恵中最大なものといふべきである。』 と、だから私達は御守護いただきたいということで神様に御願いをしたりしていますけども、神様からいただく恩恵中最大なものが浄化作用だということです。

ですから、我々は神様から恩恵をいただいているのですけども、この恩恵の最大なものが浄化作用だということを、よくよく頭に入れておいていただきたいと思います。いいですか、もう一回言います。『神の恩恵中最大なものといふべきである。』ということですからね。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎浄化作用は、‶自然の恩恵なんだ”ということ。

・浄化作用は、‶人間本来の使命を行うために起きているのだ”ということ。

◎私達は、‶神様からいただく恩恵中最大なものが浄化作用”なのだということを、よくよく頭に入れておかなければならないのだということ。

 

「メシヤ講座no.132三重(平成24年1月分)」より抜粋つづき:

神秘浄霊力! 骨でも筋肉でも毒素は透過する

楳木先生:

『此(この)液毒は速(すみや)かに肺に侵入するが、此(この)作用は実に神秘であって、例へば吾等が浄霊(之は療病法の名称)によって、固結毒素を溶解するや、間髪を入れず 肺臓内に侵入する。其(その)場合筋肉でも骨でも透過して了(しま)ふのである。』

ここのですね、浄霊をすると、筋肉でも骨でも溶けた毒素は透過していくということですね。これは常識では全く考えられない作用だというわけです。普通人間の体というのは、細胞壁を浸透圧によってズーッと通っていくのは通っていくのですけども、骨を通過させるということはなかなかできないのですね。

しかし、神様の光である浄霊をいただいた場合は骨でも筋肉でも毒素は透過してしまう。溶けた毒素は。だから浄霊をいただくと短時日に下痢をしたり、もどしたりして御守護いただくということですね。細かい理屈なしに浄霊をいただくと御守護いただいている秘訣です、これは。ですから骨でも液化した毒素は透過してしまうということです。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎浄霊をすると、溶けた毒素は筋肉でも骨でも透過していくのだということ。

・この作用は、常識では全く考えられない作用なのだということ。

◎浄霊をいただくと(溶けた毒素は筋肉でも骨でも透過していくので)短時日に下痢をしたり、もどしたりして御守護いただくのだということ。

 

「メシヤ講座no.132三重(平成24年1月分)」より抜粋つづき:

『自然に合理的に』が問題解決の判断基準

楳木先生:

それでは次に3ページに、『此(この)様に浄化作用なるものは、最も自然に合理的に行はれるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。』 というふうに書かれております。この浄化作用というのは造物主が我々に下されている恩恵中最大なものなので、この最も自然に行われるということと合理的に行われるということが、実は主神様の御意図でありますし、主神様の行われ方が自然であって合理的であるということです。

ですから、我々は問題解決をするとか、今これは私はやる時期か悩む時がありますよね。その時はいつも『自然に合理的に』ということをキーワードにして判断の基準にしておいていただきたいと思います。

昔メシヤ様の御精神ということでお話したことがありますね、メシヤ様の御精神というのはまず“直ぐやる”ということ。これは“即時性”ということでお話しました。

それから神様というのは何でも理屈が通らないと駄目なんだと。理屈が通らないとうまくいきませんよということをおしゃっておられます。これは“合理性”ということです(御教え『黴菌は有難いもの』、御教え『相応の理と其他の事』へ)。

ですから“即時性”と“合理性”とそれから最後は“利他愛”だ、と。この3つがメシヤ様の御精神として集約されることだという話を何年か前にしたことがあると思いますけども、それを元にさらに今日この浄化作用ということを考えていくと『最も自然に合理的に行はれる』ということが一番大事だということです。

だから我々が問題解決していくときにも“これが自然な流れだ”というふうに物事をみていけるだろうかということが、“うまくいくのかいかないのか”ということになってきます。

それからもう一つは“理屈にあって進んでいるか”ということです。“合理的に進んでいるか”ということが大事なことだということですので、この点はですね、私達がいろいろ判断をする時、あるいは問題解決をする時に非常に役立つお言葉なので、この箇所もよくよく線を入れておいて、そして、問題解決の判断の基準にしておいていただきたいと思います。

 

【『即時性、合理性、利他愛』について

メシヤ講座・特選集no.68(平成18年9月分)」より抜粋:

『精神』を求め、実行に移す

Q 「精神」の重要性を痛感させられます。以前「明主様(メシヤ様)のご精神を現代に求める」という先生のご本で、〝なるほど〝と思わされました。

A 御神業に取り組ませていただこうと思えば思うほど、「メシヤ様のご精神を現代に求める」という姿勢が不可欠なのです。

ご精神は、何時もお話いたしますように「利他愛」、「合理性」、「即時性」です。「利他愛」は説明の必要はありませんね。

「合理性」は、『神様というのは、理屈に合えば愛ですが、合わなければどうにもなりませんよ』というお言葉で判らせていただけます。質疑応答の随所に「理屈に合う」ことの重要性を滲(にじ)ませておられることからも、物事の判断基準を「合理性」に置かれていたことが拝察できます。

「即時性」は、〝今日、ただ今、やるべきことをすぐやる〝というご姿勢をメシヤ様は一貫されていたことから拝察できます。メシヤ様は、青年期に小間物屋を開業された時、毎日お店の掃除から一日の業務をスタートされていました。そして、教祖となられてからも、深夜の終業時の「火の始末」はご自身でされていました。

日本人には、「精神」というものを重く受け止めることができない癖のようなものがあります。

たとえば、今「親王殿下ご誕生」の祝賀に沸いております。大変清々しい気分にしていただいております。しかし、今になっても「後世のため」との理由で、「皇室典範」の改正を真顔で訴える専門家や評論家がいます。この改正というものは、「法の精神」からすると大変な問題を孕んでいるのです。

新宮様はご誕生と共に皇位継承第三位になられました。それに対して女系天皇を認めるなどとする改正論は、この第三位を剥奪する論議なのです。個人の権利を剥奪する論議というものは「法の精神」に著しく悖(もと)ることなのです。

そのことを真顔で論ずる人がいて、それに賛同する人がいるのですから、驚かされます。

話は戻りますが、「メシヤ様のご精神」を重く受け止めてこなかったために、関連(岡田茂吉教祖を仰ぐ)教団は迷走しているのです。この迷走は、夜の時代の「摩り替え」とも通ずるところがあります。ちょっとした嘘も、人から指摘されて嘘の上塗りをしてゆけば、最初は小さいものでも時間の経過と共に大きなズレとなってしまいます。

「迷走の歴史」とも見えてしまう原因は、「メシヤ様のご精神」を求める姿勢の希薄さにあると思われます。当然、メシヤ様の願われる信仰姿勢にはなり得ていません。

昭和二十五年のご法難もそうした姿勢に端を発したことは言うまでもありません。しかも前回お話いたしましたように、メシヤ様という存在に対して、その御神業を阻止しようとする働きがあり続けています。それは関連教団にも覆いかぶさっており、そのために各教団の志を曇らせ、御神業指針を鈍らせています。

私達は「メシヤ様のご精神」を現代に求め続けると共に、「メシヤ様のご悲願達成」を祈りつつ実践に努め、しかも「曲(まが)の障(さや)り」を防いでゆかねばならない、と強く思います。

 

メシヤ講座・特選集no.80(平成19年9月分)」より抜粋:

メシヤ様のご精神を1.利他愛、2.合理性、3.即時性、の三点から説明したことがあります。

神様という存在について『理屈に合えば愛ですが、合わなければどうにもなりません』とお述べになって、合理性を生活の中に取り入れるように強く求められました。

これは米国人的な要素を引き合いに出されたところが多分にあるのですが、ご昇天が五十年も早まったために、以後は占領政策が形を変えて日本へ浸透してしまいました。巷間”自己責任”が取り沙汰されていますが、それは、ともすると自分中心の心を作り、自分中心の在り方を当然とする風潮を生じさせます。

また、即時性は「瞬時」という言葉で現代に根付いていますが、情報を得る場合や仕事上の対応の仕方に偏っています。自らの日常生活に定着する形ではないために、自分中心のあり方が加速度的に進み、家族の繋がりを弱くすると共に、両性の境界を弱くしています。

それらが今日の時代苦を形をもって現われる、人々の抱える問題の根っ子にあります。ここが私達が救いの手を掛け、御光を当ててゆくポイントなのです。

「世界救世(メシヤ)教」復興事業推進とは、以上のような宗教に関する二つの観点から取り組むことであると共に、時代苦の根っ子にメシヤ様の御光を当ててゆく取り組みなのです。】

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎浄化作用というものは、造物主が我々に下されている恩恵中最大なものなのだということ。

・その浄化作用が最も自然に行われるということと、合理的に行われるということが、実は主神様の御意図なのだということ。

◎主神様の行われ方が(は)自然であって合理的であるのだということ。

・私達は、例えば問題解決をするときなどに、「今、これを私はやる時期なのか?」と悩む時がありますが、そのような時は常に『自然に合理的に』ということをキーワードにして、その判断の基準にしておくのだということ。

◎メシヤ様の御精神としては、‶即時性”と‶合理性”と‶利他愛”に集約されるのだということ。

・メシヤ様の御精神というのは、まず“直ぐやる”ということ(即時性)。

・神様というのは何でも理屈が通らないと駄目なんだということ(合理性)。

・メシヤ様の御精神の最後は“利他愛”なのだということ。

◎前記を元に更に浄化作用ということを考えていくと、『(浄化作用は)最も自然に合理的に行はれる』ということが一番大事なのだということ。

◎私達が問題を解決していく時に‶「これが自然な流れだ」というふうに物事をみていけるだろうか”ということが、「うまくいくのかいかないのか」ということになってくるのだということ。

・それからもう一つは「理屈にあって進んでいるのか(“合理的に進んでいるか”)」ということが大事なことなのだということ。

・『最も自然に合理的に行はれる』というお言葉は、私達がいろいろ判断をする時、あるいは問題解決をする時に非常に役立つお言葉なので、(問題解決をする時の)判断の基準にしておくのだということ。

 

「メシヤ講座no.132三重(平成24年1月分)」より抜粋つづき:

『誤った考へ』とは薬毒であり想念面でもある

楳木先生:

それから次の箇所ですが、『人間が誤った考へで毒素を作り』というところがあります。この『誤った考へで毒素を作り』というところが、薬毒でもあるし想念面でもあるわけですね。

自然に放任しておけば完全に浄化が行はれる

楳木先生:

さらに下へいくと、『寒冒の場合も何等の療法もせず、自然に放任しておけば完全に浄化が行はれるから順調に治り、健康は増すのである。』 とあります。

自然に放任するということが、今までですね風邪は3日、インフルエンザは1週間といわれたところです。放任した場合ですね。これが浄霊をいただくともっと短くなります。

インフルエンザでも3日くらいで良くなるわけなのですけども、浄霊しないでも放任しておけば完全に浄化が行われるから順調に治っていくんだと。この点は非常に大事なところでありますので、チェックを入れておいていただきたいと思います。

現代人の陥(おちい)っている最大の錯覚(さっかく)とは

楳木先生:

それからさらに下へいくと、『恰度(ちょうど)病気が治るやうに見えるのである。判り易く言えば、折角溶け始めた毒結を元通り固(かた)めやうとする。其(その)固(かた)め方法が医療なのである。』とあります。

この『恰度(ちょうど)病気が治るやうに見える』というのが現代人の陥(おちい)っている最大の錯覚(さっかく)です。病気が治ったように症状的に見えるから治ったように思いこむというのが、現代人の陥(おちい)っている最大の錯覚(さっかく)現象ですね。

(中略)

それで最後に借金を事例にして医療の問題点を御指摘してくださっておりますので、これを一般の方々に説明する時には、説明しやすくなると思います。

以上のことを今日拝読させていただいた中から最初に確認させていただいて、いつものように質疑応答にうつりたいと思います。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎人間は、誤った考へ(薬毒でもあるし、想念面でもある)で毒素を作っているのだということ。

◎風邪は3日、インフルエンザは1週間程度、自然に放任しておけば完全に浄化が行われるから順調に治っていくのだということ(浄霊をいただくともっと短くなる)。

◎病気が治ったように(症状的に)見えるから治ったように思いこむというのが、現代人の陥っている最大の錯覚現象なのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の学びで私達は、「浄化作用は、‶自然の恩恵”であり、‶人間本来の使命を行うために起きている”のだ」ということ、そして「浄化作用は、‶神様からいただく恩恵中最大なものなのだ」ということを、しっかりと頭に入れておかなければならないということを御教示いただきました。

又、メシヤ様のご精神(「利他愛」、「合理性」、「即時性」)を現代に求め「実行する(していく)」という点に於いて、私達はメシヤ様を信仰しているのだけれども、メシヤ様のご精神を現代に求め「実行する(していく)」という気持ちがともすれば希薄になる時があるのだという重要な気付きをいただきました。そしてそうならないように、「メシヤ様の願われる信仰姿勢」というものを再度ここで復習させていただいたのだと思います。

台風14号は、温帯低気圧に変わりましたが、未だ強風が吹いている所もあると思います。影響が及ぶ地域にお住いの皆様には、十分気を付けてお過ごしください。有り難うございました。

 

追記:

天国の福音書(重要御論文の再録)」を少しずつアップさせていただいております。私達が必要とする重要な御教えばかりだと思いますので、拝読されて下さい。

 

※責任者より

 

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.132三重(平成24年1月分)

 

 

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