研鑽資料no.108(2023年4月)

4月に向けての学び

はじめに

責任者:

桜のつぼみも膨らんで春の訪れを告げております。そして、ようやく3月13日からマスクの着用は個人の判断が基本となり、コロナ禍以前の日常生活が戻りつつあります。又、3月22日に行われた「ワールドベースボールクラシック(2023WBC)」では、侍ジャパンが14年振り3度目の優勝をするという明るいニュースもありました。そのような中、皆様にはその後お変わりなくお過ごしでしょうか。

さて、それでは「文明の創造」より学びを続けて参りたく思います。よろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.144浜松(平成25年1月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『胃病』

「文明の創造、科学篇」 昭和27(1952)年

ここで肺臓の解説をするのが順序であるが、これは最初に充分に書いたから略して、胃に移る事にしたのである。病気の原因がほとんど薬毒である事は、今まで説いた通りであるが、特に胃に関した病気程それが顕著であって、ことごとく薬で作られるといってもいいのである。

それを今詳しくかいてみるが、誰しもたまたま食べすぎとか、食もたれとか、胸焼けがする事がよくある。すると放っておけば治るものを、何でも薬さえ服めばいいと思い、早速胃の薬を服んでしまう。しかし一時はよくなるから、それで済んだと思っていると、何ぞ知らんこの一服の薬が、将来命取りの因となる事さえあるのだから問題である。つまり一服の薬が病の種を蒔く訳である。というのは暫く経つと、再び胃の具合が必ず悪くなるもので、そこでまた薬を服むという具合に、いつしかそれが癖になってしまう。この点麻薬中毒と同様であって、終いには薬がなくてはおられない事になるが、こうなるともう駄目だ。立派な胃薬中毒患者である。そこで医者に診て貰うとまず胃弱、消化不良、胃加答児(カタル)、胃酸過多症などと診断され、こういう物を食ってはいけないとか、この薬を服まなければいけない。こういう養生をしなさいなどと言われるので、その通り実行するが一時はちょっとよいようでも、決して治りはしないばかりか、むしろ悪化の傾向さえたどる事になる。痛み、嘔気、胸焼、食欲減退など種々の症状が次々発るので、仕方がないから薬を服む、と一時良くなるので、薬で治るものと思い込み、益々薬が離せなくなる。ところが初め効いた薬が段々効かなくなるもので、それからそれへと種々な薬を変えるが、変えた時だけはちょっと良いので、それに頼っているとまた駄目になってしまうという訳で、言わば胃薬中毒患者になるのである。そんな事をしている内、とうとう口から血を吐くようになる。サアー大変と医師に診て貰うと、これは立派な胃潰瘍で、充分養生しないと取り返しのつかない事になりますよ、まず固形物を食べないで、絶対流動食にして安静にする事等々、万事重症患者扱いにされてしまう。

右は、最初からのありふれた経路をかいたのであるが、実はこういう人は今日すくなくないのである。そこで初めからの事をよく考えてみると、初め胃の具合が悪かった時、放っておけば直に治ってしまったものを、何しろ医学迷信に陥っている現代人は、薬を服まないと治らない、放っておくと段々悪くなると心配し、一刻も早く医師に罹ったり、売薬などを用いたりする。そんな訳で全く薬によって重症胃病を作り上げてしまう訳である。何と恐るべくしてまた愚かな話ではないか。ところがそれはこうである。大体胃の薬というものは、もちろん消化促進剤であり、消化剤は必ず重曹が土台となっている。衆知のごとく重曹は物を柔らかくする力があるので、煮物などによく使われるがその理屈で常に消化薬を服むとすると、食物ばかりではない、胃壁をも段々柔らかにしてしまう。そうなった時たまたま固形物などを食うと、ブヨブヨになった胃壁の粘膜に触れるから疵がつく、その疵から血液が漏れるのである。吐血の際鮮血色は新しい血で、破れた局所が大きい程多量に流出するのである。ところが人により珈琲色の液体や、それに黒い粒が見える事もあるが、これは古くなって変色した血で、粒とは血の固まりである。またよく大便に黒い血の固まりが交る事があるが、これは古い血で疵口から出た血液が胃底に溜り、固まったものが溶けて出たものである。しかしこの珈琲色の古血を吐く場合、非常に量の多いもので、一度に一升から二升くらい、毎日のように吐く患者さえあるが、こうなっても吾々の方では割合治りいいものとしている。しかしこの病気は医学の方では仲々治り難いとされているが、全く原因が薬であってみれば、お医者としたら具合が悪いに違いない。何しろ薬を廃めなければ治らない病気であるからで、従ってこの病気は薬を廃めて気長にすれば、必ずと言いたい程治るもので、その方法は最初血液を少しでも見る内は流動食にし、見えなくなるに従い、漸次普通食にすればいいのである。次に他の胃に関した病をかいてみよう。

最も多くあるのは胃アトニー(胃酸過多症)という症状で、これは文字通り酸の多い病であるが、酸とはもちろん薬の変化した物であるから、薬を廃めれば順調に治るのである。次は胃痛で、この酷いのが胃痙攣である。これは激しい痛みで堪えられない程である。医療はモヒ(モルヒネ)性薬剤を用いるが、これは一時的麻痺によって、苦痛を抑えるだけであるから、日ならずしてまた発る。という訳で癖になり易いもので、この病の原因ももちろん薬毒であるが、その経路をかいてみよう。

まず、薬を服むと一旦胃に入るや、さきに述べたごとく、薬は処理されないので、胃に停滞する。人間は仰臥するから薬は胃を透過して下降し背部に固まる。それが浄化によって溶け胃に還元するが、その時は最早毒素に変化しているから、胃はそれを外部へ排泄しようとする。その刺戟が激痛であるから、胃痙攣の起った場合、何にもしないで一度我慢して、痛いのを通り越してしまえば下痢となって毒素は出てしまうので根本的に治るが、毒素が出切るまでには何回も発るが、これは致し方ない。しかしその次発った時は、必ず前より軽く済み、次はまた軽くなりついに全治するのである。

次に胃癌であるが、これには凝似と真症とあるが、実際上凝似の方がズッと多いものである。そうして真症の胃癌は霊的であり、宗教的になるから、ここでは凝似胃癌のみについて説明するが、もちろんこれは薬毒が原因で、前述のごとく一旦背部に固結し、胃に還元した際、医療は排泄を止める結果再び固結する。これは普通の固結よりも悪性である。なぜなれば毒素に変化したものが、再び固まるからで、これがすなわち癌である。しかしこれは薬の性質によるので、どの薬もそうであるとは言えない。これも放任しておいても長くは掛るが必ず治るものである。。

 

楳木先生:

それでは『文明の創造』をご準備ください。今日は(「文明の創造」の)153ページです。(後略)」

楳木先生:

それから、今日、拝読したところの、メシヤ様が御指摘されているのは、病というのはだいたい薬が作っているけれども、胃病だけは『悉く薬で作られる』ということでありますので、この点をよくよく我々は肚に置いて繰り返し拝読をさせていただきたいと思います。」

 

現代人の問題点

楳木先生:

ただしかし、メシヤ様は胃の病気の場合は、『放っておけば治る』、痛みがおきた場合には『痛みを一度我慢して排泄が終われば根本的に治る』とおっしゃっていますが、現代人が今ぶつかっている一番の問題点の中では痛みに耐えられない人が増えているということですね。女性なんかも最大の喜びである出産についても今、無痛分娩をする人がずいぶん増えています。ということは生まれるときから無痛で生まれ落ちる子供が増えているということなので、痛みに耐えられない人が非常に増えているということですね。これが大きな原因であります。

それからもう一つは携帯電話などが普及して、今、携帯電話市場はほぼ無料化に進んでおります。ということは全員が携帯電話を持つ時代に、今、移行しています。携帯電話を持つ時代に移行すると、みんな電話をしたらちょっと出ないと、あるいは、すぐかかってこないとイライラします。固定電話ばかりのときには、“今留守なのだ”と諦められるけれども、今は“どこに行っているの”、“何やっているの”、“何故すぐに出ないのか”というように、すぐに出てくれないと、あるいはすぐに返事がないとイライラするというような精神状態に現代人はだんだんさせられているために、待つということができない人が増えています。

ですから、痛みに耐えられない人が増えているということと、時期を待つということができない人が増えているために、メシヤ様の、今日『胃病』に対する対応の仕方(御教え『胃疾患』へ)としては、現代人はそのとおりにできにくい世の中になっているということが一つあります。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎「病というのはだいたい薬が作っているけれども、胃病だけは『ことごとく薬で作られる』」とメシヤ様は御指摘されているので、私達はこの点をよくよく肚に置いて繰り返し拝読をするのだということ。

◎メシヤ様は、

>胃の病気の場合は、『放っておけば治る』と仰っているのだということ。

>痛みがおきた場合には『痛みを一度我慢して(毒素の)排泄が終われば根本的に治る』と仰っているのだということ。

◎(メシヤ様の仰っている)上記のことに対して今、現代人がぶつかっている一番の問題点(仰っているように出来難い理由)は、「痛みに耐えられない人が増えている」からなのだということ。

・「痛みに耐えられない人が増えている」その大きな原因は、無痛分娩で出産をする人がずいぶん増えているからなのだということ。(無痛で生まれ落ちる子供が増えているということは、痛みに耐えられない人が増えているということなのだということ。)

・もう一つの問題点は、「時期を待つということができない人が増えている」からなのだということ。

・「時期を待つことができない人が増えている」原因は、携帯電話の普及によって、すぐに電話に出てくれなかったり、すぐに返事がなかったりすると、イライラするというような精神状態にさせられているからなのだということ。

 

「メシヤ講座no.144浜松(平成25年1月分)」より抜粋:

生活環境の変化

楳木先生:

それからもう一つは、この時に御指摘された薬については、現代はもっと薬が増えているということと、生活環境が非常に悪化しております。

化学物質が非常に増えているために、飲み薬だけではなくて、様々な問題が我々の前には立ちはだかっております。

例えば、住環境で言えば家の中で、25年くらい前から、35年前くらいにできた家であれば安全ですが、それ以降にできた家の中で、化学物質を多量に使っている建材を使うとか、クロスとかを貼っていると、そこから化学物質が絶えず出ているということになってきます。で、クロスも柔らかい糊を使ったクロスは比較的安全ですが、「絶対このクロスは剥がれませんよ」というような、そういうクロスを使っている家の場合は化学物質が常時発散されているということになります。

それから新車を購入すると、新車にも化学物質が非常に使われています。最近では座席に天然素材をつかった、そうしたものを中に入れて化学物質をできるだけ吸収したり、あるいは発散しないようにしたりする新車作りをしているメーカーもありますが、しかし、やはりコストを下げるために、化学物質をかなり使っているので、新車を購入した場合にはそうしたことに配慮しておかなければいけない状況が今はあります。

そのために薬だけではなく、化学物質が現代人に覆いかぶさっている状況に今、あります。

それから最近の社会模様としては、非常に辛い場面がいっぱいでてきます。それは田舎の方で、コンビニで年配の、お年寄りの方々が買い物をして、袋を提げて帰っていく状況を見ていくと、添加物だらけの食品を買って帰って、家であんなものを食べているのかと考えただけでもお気の毒な状況が全国各地で見られています。

そうしたことが我々の生活の中にどっぷりと入ってきているために、昭和27年にメシヤ様が御書きになった時代よりも、もっと現状は悪化しているということです。ですから、私たちの知り合いや親戚の中にもこうしたことを教えてあげないといけない方々がたくさんにらっしゃるので、今日、拝読した『胃病』というところを毎日拝読しつつ、現代社会というものを見つめながら、あの人にもこの情報を教えてあげようということを考えながら、日を送っていただければ大変ありがたいと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎御論文の中で御指摘されている薬について、

>現代は、(その時代と比べると)もっと薬が増えているのだということ。

>現代は(薬が増えているだけではなく)、化学物質が増えているために生活環境が非常に悪化しているのだ(化学物質が現代人に覆いかぶさっている状況なのだ)ということ。

・(例えば)家の中で(25年くらい前から、35年前くらいにできた家であれば安全であるが)、化学物質を多量に使っている建材を使うとか、クロスとかを貼ってあったりすると、そこから化学物質が絶えず出ているのだということ。

・新車も、車を作る際のコストを下げるために多量の化学物質が使ってあるので、新車を購入した場合には化学物質を吸収しないように配慮しておかなければならないような状況なのだということ。

・お年寄りが、コンビニで添加物だらけの食品を買って食べているという状況が全国各地で見られるのだということ。

◎メシヤ様がこの御論文をお書きになられた時代よりも、(前記のように化学物質が増えているので)私達を取り巻く現状は悪化しているのだということ。

◎この現代社会というものを見つめながら、『胃病』というところを拝読させていただくのだということ。

 

「メシヤ講座no.144浜松(平成25年1月分)」より抜粋:

ストレス社会

楳木先生:

それから、もう一つの面は敗戦後の日本でありまして、教育界はだんだんとアメリカの政策によって、民主主義というものを教え始めたために、民主主義は一体何かというときに、その背景にはキリスト教という宗教があって、そして神の下に人々は平等であるという考え方を抜きにして、人間は平等なのだと。そして民主主義は今までのことを180度変えることが民主主義なのだという、間違った民主主義を根付かせたために、今、道徳心が非常に荒廃しております。

しかし、新年になって大河ドラマで、非常に良いドラマが始まりましたね。八重の桜。みんな観ましたか?あれは是非観てください。あれは会津藩で、現在までずっと続いている教育があったでしょ。何人かの子供たちでいつも唱和していたね。そのとき最後に何て言って閉めていましたか?「ならぬことはなりませぬ。」「ならぬことはなりませぬ」という教育が今、各家庭ではされていないということですね。

だから今会津だけは日教組が入り込めていないのです。日教組がならぬことはなりませぬという教育を変えていったわけです。

そうすると例えば○○くんに「これをやってはダメよ!」と言って「なんで~」と言うと説明をしなくてはいけないと親は思い込むから、親は「これはこうなの。だからこうなの。」と。「だってそんなのどうでもいいじゃん」と子供が言い、親が「どうでもよくないよ。こういうことなんだよ」と。そうすると「ぼくは大丈夫だからいいじゃん」と言い、「ぼくが大丈夫だったらいいけどね」ということで、お座なりな教育になっていきます。「あんたが何と言おうとダメなことはダメなんだ」ということを教えていっていないために、日本人の道徳心がどんどん薄れている原因は、親が子供に説明しないといけないと勝手に思い込んでいることなのです。これが日教組の教育の根幹にあります。そして日本の倫理感や道徳心を無くしていっているわけです。これが、日本が崩壊に向かわされている最大の理由です。

しかし、会津だけは、小学生のころから、あの教育のことについてみんなで唱和している、学校の授業でも唱和させて、最後は「ならぬことはなりませぬ」というふうにして、やってはいけないことはこの世の中にはあるのだ、それには理由とかは関係ないのだと。「これだけは絶対やってはいけないのだ」ということが存在するということを教える教育が続いているということです。

しかし大半の日本人はそういう教育を受けていないために、どうしても道徳心がなくなってきているという点があります。これが恐ろしいということですね。

そのために逆に日本人は今、大変なストレスを抱える生活を余儀なくされています。(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎現代人が今ぶつかっている問題点のもう一つの面は、

>敗戦後の日本の教育界がアメリカの政策によって民主主義というものを教え始め、(民主主義の背景にある神の下に人々は平等であるという考え方を抜きにして、人間は平等なのだと。そして今までのことを180度変えることが民主主義なのだと)間違った民主主義を根付かせたために、道徳心が非常に荒廃しているからなのだということ。

>日本人の道徳心がどんどん薄れている原因は、親が子供に(してはならない事に対する理由を)説明しないといけないと勝手に思い込んでいることなのだということ。

>日本(人)が倫理感や道徳心を無くしていっていることが、日本が崩壊に向かわされている最大の理由なのだということ。

◎「これだけは絶対やってはいけないのだ」ということが存在するということを教える教育を大半の日本人は受けていないために道徳心がなくなってきており、そのために日本人は今、大変なストレスを抱える生活を余儀なくされているのだということ。

 

「メシヤ講座no.144浜松(平成25年1月分)」より抜粋:

ストレスと胃

楳木先生:

余談が過ぎましたが、何の話をしてきたかというと、それほどストレスを抱える世の中になっているために、薬がすべて原因であるわけだけど、ストレスを抱えているために、胃をおかしくする人も増えているわけであります。

それはどうしてかというとここに『胃酸過多症』というのが出ていますね。

我々は物を食べたとき、胃の中はどうなりますか?胃は。胃はどうして消化しますか?胃酸がでるよね。胃酸が出て、消化をします。

で、この胃酸が出たときには、胃の壁に酸が当たったときには胃潰瘍や胃炎になっていきます。そのために胃はどのようになるか?テレビとかで観たことがあるでしょ。胃は食べ物が口に入って胃酸が出てくる前に、胃の中で何が起きているか?テレビで胃の中を写してやっている場面を観たことがありませんか?

胃酸が出てくると胃の壁まで溶かしてしまうから、その前に胃の壁を守る膜ができます。テレビとかで胃カメラを据えて、物を入れていくと中に最初に泡みたいなものが出てきて、膜がぶわーっと出てくるでしょ。その膜ができたあとに胃酸がスッとできてきますので、胃酸が膜の外に出ないので、壁が守られるということですね。

だから戻した(嘔吐)ときにどうなる?すごく戻したときに。苦いような。でそれを重ねていると、食道はどうなりますか?ヒリヒリしたようになりませんか?

これは、胃酸が溶かして出てくるから、だから食道がヒリヒリします。これは守る膜が出てこないで、急に胃酸共々戻してしまうので、食道がじりじりと焼けてしまうのです。だからあとで何かを飲み込もうとすると、なんとなくヒリヒリしばらくします。治るまで。これは胃酸が溶かしてしまっているからです。こういうことを考えていくと、胃というものは素晴らしいことを、いつも我々が何か食べる毎にしているのです。最初に胃を守るために酵素が出てきて、胃酸が出てくる。こういうことを繰り返しているのです。しかしここに先ほどのストレスを抱えてくると、胃を守る酵素が出にくいという症状が起きてきます。

そのために胃酸が出たときに少し焼いてしまうので、胃がおかしいということになってくるのです。だからストレスを抱えると何故問題かというとこの胃を守る酵素が完全にスッと出てこないで、部分的に出ないところが起きるために胃を悪くしてしまうということがあります。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎病気の原因は全て薬なのだが、(前述のように)ストレスを抱える世の中になっているために、『胃酸過多症』のように胃を悪くする人が増えているのだということ。

 

「メシヤ講座no.144浜松(平成25年1月分)」より抜粋:

酵素の役割

楳木先生:

それから眠れない人がいますよね。これも分かりやすい。わたしなんかもう枕に頭を置いてヒツジなんか数える暇もないくらい寝やすいけれど、眠れない人は100匹数えても、200匹数えても寝られない人がいます。これは眠り酵素が出ないのです。眠り酵素が出にくいのです。そのためにひどい人になると、入眠剤、睡眠薬を服まないと眠れないのです。この睡眠薬の成分は何かというと、限りなく眠り酵素に近い成分を化学的に精製するから、それを飲むと比較的眠れるということです。

しかし、こちらのほうは異物で入ってくるために後遺症が残るのです。自分が作り出した眠り酵素は、自分が作り出したものなので、自分で分解して排泄することができるので、何の違和感も残らないということです。

この、実は酵素というのが人間にとっては大事ですね。便秘の人は便のすべり酵素が出ないために、詰まってしまうのです。それと水の調整ができないために、便の中の水分が抜けてしまうということが一つは起きてきますね。また逆に腎臓の調子が悪いと水分の調整ができないために軟便ということになってきます。だから様々なことが人間の酵素が我々の体を守ってくれているわけです。

だからそのことを称して、酵素みたいなサプリメントが、ものすごく流行っていますね。何とか酵素というのが。あれは全く意味がないのですが、実は人間の体はこの酵素によって円滑に進むようにできているのだと。しかし、精神的なストレスを抱えてくると、この酵素が出にくいために様々な支障が起きてくるということです。

これが、メシヤ様が御書きになられた昭和27年と現代の大きな差でありますので、私たちはこの今日からまた『胃病』というところを毎日拝読しつつ、世の中というのは大変変化してきているということを考えながら、どういう生活をさせていただいたら良いのかということを考えていっていただければ、大変有難いと思いますので、最初にそういったことをお願いしておきたいと思います。

それではいつものように質疑応答に入りたいと思います。(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様がこの御論文をお書きになられた時代と現代の大きな差は、人間の体は様々な(自分が作り出した)酵素によってスムーズに機能するようになっているのだが、精神的なストレスを抱えてくると、この酵素が出にくいために様々な支障が起きてくるのだということ。

>(以上の事柄を踏まえて)この御論文を拝読しながら、どうすれば私達は、私達の健康を保てる生活が出来るのかを考えて生活していくのだということ。

 

「メシヤ講座no.144浜松(平成25年1月分)」より抜粋:

ストレスで胃を壊している人へは

参加者:

先ほどのストレスを抱えている人についてですが、メシヤ様に御縁をいただいていない人に接するときにはどうしたら良いでしょうか?ストレスを抱えて胃を壊している人が、たくさんいると思うのですが。

楳木先生:

そのストレスのために胃を壊している人は胃の薬と安定剤関係を必ず服んでいるので、そういうことを知ったうえで、少しずつ健康にしてあげるためには、症状をよく聞いてあげないといけませんね。医者からどういう処方を受けているかという問題があるのでね。だから胃は簡単に治るよとかいうことではなくて、今、どういう薬を服んでいるかを聞いていかないといけない。

分かりやすいのは、今のいわゆるブロイラーというニワトリをケージで飼っているニワトリが何故危ないかという話は、飼料が危ないという大まかな話でしかないけれど、鶏というのは本来羽ばたいていかないといけないのに、こんな狭いところに閉じ込めるとストレスを抱えて死んでしまうのです。かごにぶつけて、ぶつけて、そして自分で死んでしまいます。

だから安定剤を飲ませます。安定剤を飲ませるから胃が壊れるので、胃薬が入っています。それと、コストを下げるために成長ホルモンが入っています。だからその鶏ばかりを食べていると、よく女の子にヒゲが生えてきたりするという話が昔ありましたね。その点、今、気をつけているので、ヒゲを生やす女の子は減ってきているけれど、ホルモンのバランスが壊れてきます。そういう鶏を飼うときには、最低3つくらいは薬をやっているということですので、これを我々の体に当てはめていくと、ストレスを抱えていると胃が痛む、胃薬を飲む、この胃薬というのはステロイド系の薬であると。痛みを抑えるために胃薬を飲んでいると、それと同時に消化剤も飲もうとするので、消化剤も飲んでいきます。そうすると胃のほうではもう働かなくていいんだという勘違いをするために、胃はますます退化していきます。こういう現象が起きてくるので、非常に、メシヤ様はここで『次から次へと薬をのむ人は今日少なくない』とおっしゃっていますが、今は、現代人はもっとひどい状態になっているので、どういう症状で、どういうふうに医者から処方されて薬を飲んでいるかということを聞いて、慎重に対応していかないと、「薬をやめてすぐに浄霊をいただけばいいよ」ということでは済まない状況なので、よく聞きながら「今良い方法があるから少しずつ気長に治していったほうがいいよ」というアドバイスをしていかないと。そういうことが起きてくるね。

だからこのメシヤ様の御書きになった『胃病』というのは、大変我々には現代人にとって必要なことを御書きになられている。そして昭和27年当時に対する考え方なので、平成25年ではもっとひどい状態になっているということをわかった上でそういう方々にいろいろアドバイスをしてあげないといけないということです。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様はこの御論文で『次から次へと薬をのむ人は今日少なくない』と仰られているが、現代人はもっとひどい状態になっているので、ストレスを抱えて胃を壊している人を少しずつ健康にしてあげるためには、

>(‶ストレスを抱えて胃を壊している人は、胃の薬と安定剤関係を必ず服んでいるのだ”ということを知ったうえで)どういう症状で、医者からどういう薬を処方されて服んでいるかということを聞き、慎重に対応していくのだということ。

>現代はメシヤ様の時代のように「薬をやめてすぐに浄霊をいただけばいいよ」ということでは済まない状況なので、相手の症状をよく聞きながら「今良い方法があるから少しずつ気長に治していったほうがいいよ」というアドバイスをしていくのだということ。

 

「メシヤ講座no.144浜松(平成25年1月分)」より抜粋:

御守護報告

参加者:

メシヤ教にお世話になる前からあることをしていたのですが、大阪支部の〇〇さんに「物に頼る」「占いに頼る」ということの場合、「神様を信じないことになる」という非常に厳しいお言葉があり、全く病気が治らないどころか悪化するとご指摘をいただき、自分達がとても大きな間違いをしていたことがわかり、申し訳ない気持ちで夜寝てから涙があふれてきました。そこで早速、御降臨祭の少し前に浜松支部の御神前で息子と二人でメシヤ様に改めてお詫びさせていただきました。すると、その日帰宅して息子が家族から浄霊をいただいたところ、脳天からあごの辺りへじわじわと流れる感じで凄いねって言ったんです。それを聞いた時とても嬉しくて。私も夜休んでから痛い所を自己浄霊させていただいたところ、御光が脇腹から膝や足先へ自然に通っていく感じがしました。浄霊力伝授を受けた時はその意味がよくわからなかったのですが、それから1年半も経って今更ながら御光はもの凄いものだと感動しました。「自分自身の気持ちの持ち方も大事だね」って、息子とそんな話しをしたんです。

御降臨祭の朝にこちらでもう一度お詫びを申し上げて「自分達はこうしていきます」ということも添えてご挨拶をさせていただいたんですが、涙があふれてきて声を出して泣きそうになってしまいました。天津祝詞と善言讃詞奏上の時には頭に穏やかな光をいただいているような暖かさを感じ、御浄霊を頂いた時には脳天が急にパッと電気が点くように熱くなったりと、自分がこれだけいけないことをしていたのにメシヤ様の愛情をこうして実際にいただけたことに感動で胸がいっぱいになりました。皆さんがお帰りになった後も体中が暖かく、頭の中が空になったように軽くなりました。

これからはメシヤ様にしっかりとおすがりしていくということ、少しでも自分が成長していけるように学ばせていただくこと、自分の心構えが大事ということなど、息子とそんな話をしまして、23日に参拝させていただいたことがとても嬉しく感動しましたのでご報告させていただきます。ありがとうございました。

楳木先生:

わかりました。それは良かったですね。やっぱりメシヤ様は最後に、御浄霊と共に想念がこれからは大事になってくるということですので、想念の一番の基本中の基本がメシヤ様に如何に繋がっていくかということと、メシヤ様の御心通りに生活をさせていただくかということが大きな基本になってきますので、今お感じになったことを根底においてこれから生活をしていただきたいと思います。

参加者:

少しでも自分を変えようと、このままではいけないと思いました。想念ということはよくお伺いしていましたが、気持ちの持ち方で変わってくるんだ、自分自身がしっかりしなければいけないと思いました。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は『御浄霊と共に想念がこれからは大事になってくる』と仰っているので、

>この想念についての基本中の基本がメシヤ様に如何に繋がっていくかということなのだということ。>又、メシヤ様の御心通りに生活をさせていただくかということが大きな基本になってくるのだということ。

 

「メシヤ講座no.144浜松(平成25年1月分)」より抜粋:

参拝への心がまえ

楳木先生:

それと皆さん方に共通してお伝えしておきたいことは、23日からもそうですけど、今日から5分前にご着座していただいてご整列していただくことをこれからお願いするということになりました。

これは、メシヤ様が御自身の時計を5分進めておいて、5分前から絶えず準備をされていたということですので、主神様に真向かう人間が、5分前からきちんとここへ座って祭典を迎える姿勢を持たなければ、とても主神様に手を合わせるという、そういう姿勢にはならないので5分前からということに切り替えました。

去年までは3分前からそういう想念作りをするという練習をしてきましたけども、これはあくまで昨年の12月23日までの準備期間だったんだということです。12月23日からは『本筋の御神業』に切り替えるということですので、主神様に真向かうためには5分前から準備をするという姿勢を持っていただくために、司会者の方から5分前に「ご着席、ご整列してご準備ください」ということを発してもらうようにいたしました。

それから3分前に今日読み上げてもらったのは、非常に敬語が二重に聞こえる二重敬語のような表現になっておりますけれども、御降臨祭よりもさらに敬語が重なった形で発しております。これは最高最貴の御存在に対する姿勢を示すために二重敬語的に聞こえる、そういう重々しい、時には堅苦しく感じるような文言ですけども、どこまでも主神様に真向かっていく、そういう姿勢作りをするためにこういう二重敬語的な表現にしてありますので、そこのところをよくよく受け止めてですね、この祭典に向かう姿勢作りをこれから一層させていただきたいというふうに思います。

それから、御降臨祭の時にもお話ししましたように「仁慈(メシヤ)の御手に帰一され」という風に文言を改めましたので、この仁愛と書いて「仁愛(みろく)の御手に帰一され」という表現は、この”みろく”は大本教からきている部分があります。大本教の教典の中とか、それからお歌の中にもこの御文字をもって”みろく”と読まされているところが多く出てきます。

それから次の「仁慈(じんじ)」、この仁慈ということも仁慈の神とかいう表現を使って、仁慈というのも非常に大切な文言であります。それから「仁愛(みろく)」の前に「一天四海観音の」という風に言って観音の後にまた「救世主(メシヤ)」という神様が続くのはどうかというような、そういう質問も来る途中多くあったんですけども、これは最初に、「敬しく惟るに 世尊観世音菩薩此土に天降らせ給ひ 光明如来と現じ 応身弥勒と化し 救世主(メシヤ)とならせ」という、これを凝縮したものだというふうに考えていただきたいと思います。そこをもう一度「一天四海観音の」、それから続けて「応身弥勒と化し」というようなことまで入れていくと、二重に表現を使ってしまうことになって祝詞としての格調が非常に下がるので「観音の 救世主(メシヤ)の御手に帰一され」というこの言葉の中に「応身弥勒と化し」という言葉などが全部詰まっているというふうにお考えになって、これから善言讃詞を奏上する時にはそういうお気持ちで奏上しいただければ大変ありがたいと思います。

いま○○さんが報告してくれたことに基づいて、今後も祭典に望む姿勢を、より我々の想念を高めていくということと、祝詞を奏上する際に心得ておいていきたいことを最後にお話をさせていただいて、大体時間が…あと何分間ある?(後文割愛)」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎参拝する時の心構えとして、

>祭典5分前に着座し整列するのだということ。

>「どこまでも主神様(最高最貴の御存在)に真向かっていくのだ」というような、祭典に臨む姿勢作りをするのだということ。

※責任者より

祝詞を奏上する際の心得も御教示いただいております。大変重要なことだと思いますのでご確認ください。

 

編集後記

責任者:

今回は御教え『胃病』を基にした御教示によって、メシヤ様の時代と現代に生きる私達を取り巻く状況の違いをはっきりと認識することが出来たのではないでしょうか。又そうであるならば、‶私達はどのようにすれば自分達の健康を保てる生活が出来るのだろうか”、ということを考えて工夫しながら生活をしていかなければならないのだと強く思わせていただきました。

花冷えの季節です。どうかご自愛くださいませ。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.144浜松(平成25年1月分)

 

 

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