11月の学び
はじめに
責任者:
秋も深まり、すっかり日足が短くなりましたが、お変わりなくお過ごしでしょうか。今年も早いもので残り2か月になりました。去年より今年の方がメシヤ様に近づくことが出来たと思えるように、今回も「文明の創造」より学んで参りたく思います。どうぞよろしくお願い致します。
「メシヤ講座no.158浜松(平成26年3月分)」より抜粋:
<今月の御教え>
『人形医学』
「文明の創造、科学篇」昭和27(1952)年
私は、今迄現代医学に於ける、凡ゆる誤謬の点を指摘して来たが、茲で最も重要なる点は、人間をして人形扱いにしている事である。
というのは医学には種々の科目がある。内科、外科、脳神経科、泌尿器科、皮膚科、婦人科、小児科、眼科、耳鼻咽喉科、歯科というように、それぞれ専門部門に分れている。又右の科目中、内科にしても結核、胃腸病、心臓病等、夫々専門的に分れている。
そうかと思うと、基礎医学と称し、学問的研究にのみ一生涯没頭している人もある。彼のモルモットや二十日鼠を相手に、毎日顕微鏡と首ッ引きで余念がない。世間よくモルモット博士などと言われているのは誰も知る処で、其他臨床専門で、読んで字の如く、直接病人の脈を年中とっている人もある。又予防医学といって主に伝染病予防をはじめ、社会衛生、個人衛生等に専念している人もある。
次に療法に於ても色々の種類がある。薬剤の服用注射は固より、手術、電気、マッサージの外、光線療法、物理療法、精神療法等々があるかと思えば、皇漢医術あり、各種の民間療法あり、禁厭(まじない)、祈祷宗教による事もある。ザット数えただけでも右の通りであるから、実に複雑多岐種類の多い事驚く程である。此様になった原因は、全く本当に治るものがなかったからで、若し真に治る療法があったとしたら、それ一つで解決がついている筈である。
そうして医学の最も間違っている点は、人体を人形と同様に見る事である。というのは抑々人体なるものは、一個の綜合体であって四肢五体バラバラのものを、繋ぎ合せて作られたものではない。従って一部分に病気が発るという事は、其部分だけではなく、各部分に関連があるのである。例えば手足が悪いという事は、手足だけが悪いのではなく、手足以外の他の部分即ち甲の部分に原因があり、それが乙に移り、又丙に表われるというように何処迄も連繋している。
仮に歯が弱いという事は、全身が弱いからで、全身が弱いまま歯だけ丈夫にする事は絶対不可能である。女性の結核患者が病気が進むと、必ず無月経となるが、之も結核による貧血の為であり、腸が弱い人は必ず胃が弱く、胃の弱い人は肺が弱く、肺の弱い人は心臓が弱いというようにどこ迄も相互関係である。
一番判り易い例は仮に人間を一国家としてみても判る。其国家の政府の政策が悪ければ、国民全般が悪影響を受けると同様、人体の中央政府である心臓が悪いとしたら、身体全部が悪くなる。国家が不景気、金詰り、物資不足などというのは人体なれば栄養不足で貧血状態という訳である。そうして単なる痛みと難も、それが頭脳を刺戟し、心臓に影響するから、胃にも影響し、食欲不振となり、腸が弱り、便秘、疲労等、全身的に影響を及ぼすのである。又肺炎に罹るや、若し肺のみの病気とすれば、肺だけの熱で、他に影響はない筈だが、実際は其熱の為全身的に苦痛が及ぶにみても明かである。
次に数種の実例をかいてみよう。
(一)二十歳位の女性右の歯が非常に痛むので浄霊した処、間もなく痛みは止まったが、翌日又痛いと言って来た。普通の歯の痛みなら一回で治る筈だが、まだ治らないのは他に原因があると思って、歯のすぐ下部から順次下方へ向って押してみると、胸部に固結があり痛いというので、其固結を溶かすと直に治ったが、翌日又来てまだ痛いという。私は不思議に思って、尚下部へ向って段々押してゆくと、盲腸部が非常に痛いというので、そこを浄霊した処、それですっかり治ったので、訊いてみると、以前盲腸を手術したという。それで判った事は、其時の消毒薬が固結し、浄化が起ってそれが胸部を通って歯茎から排泄しようとした其痛みであった。之にみても歯痛の原因が盲腸部であったという事は、実に想像もつかないのである。
(二)二十幾歳の男子結核三期で咳と痰が非常に出るので、いつもの通り頭、首、肩等を浄霊したが、余り効果がないのでよく査べた処、意外にも両股、鼠蹊部にグリグリがあって、そこが可成の発熱があり、押すと非常に痛いという、ハハアー之だなと思って、其処を浄霊した処、一ケ月位で全治したのである。その時私は「君の肺は股に付いていたんだね」と言って笑ったのである。
処がそれに就て面白い事があった。有名な某医学博士に此話をした処、首を傾げているので「じゃー試しに貴方の股を診てあげましょう」と言って仰臥させ、押した処小さいグリグリがあり、微熱もあるので浄霊するや忽ち咳と痰が出たので、唖然として不思議の一語より出なかった。其医博は今でも某大学の教授をしている。
(三)中年の男子胆石病で苦しんでいたので右背面腎臓を見ると、大きな固結があるので之だなと思って、数回に亘って溶した処、それで治って了った。
(四)脱肛や痔核で苦しんでいる人の股をみると、必ずグリグリがある、それを溶かすと治るので、原因は股にある事を知ったのである。処が痔出血や赤痢の原因は、頭部の毒血が溶解下降する為であるから、何よりも頭部を浄霊すれば治ると共に、出血後は頭部が軽快になるのでよく判る。
(五)頭痛、頭重や精神集注力が乏しい人は、左右何れかの頚部淋巴腺又は延髄部に必ずグリグリがあって、そこに発熱がある。それを溶かすと直に治る。
(六)眼の悪い人は、延髄部を主に頚部から肩にかけて固結があり、又前頭部に必ず発熱がある。そこを浄霊すると軽い眼ならそれで治る。私は手術をしない眼ならば、大抵は治るというが、今日迄盲目を幾人となく全治さしたからである。近眼及び乱視など延髄部の固結を溶かせば、百発百中治る。
(七)盲腸炎は、右側腎臓部に必ず固結がありそこを浄霊すれば治る。又胃でも腸でも、原因は背部にあるから、そこを浄霊するだけでよく治る。胃痙攣など激痛の際、前方から浄霊しても痛みは全部取れないが、背部を浄霊すれば全治するのである。
(八)最も面白いのは瘭疸である。患部だけ浄霊しても全部痛みは除れないが、頚部をみると必ず固結があるから、そこを浄霊すると実によく治る。
以上によってみても判る如く、病なるものは表面に表われた症状であって、其因が意外な処にあるものである。それを知らない医学は、症状さえ治せば病気は治るものと解釈しているので、真の医術ではないのである。それは全く人間は綜合体であるという事の認識がないからである。何よりも病気によって療法が異い、薬の種類も数多いという事は、よくそれを物語っている。本当に治る医学とすれば、一つの方法で万病を治し得る筈である。
元来病気とは曩に説いた如く一種類となった毒素が各局部に固結するので、言わば病気の種類とは固結場所の種類である。それが分るとしたら療法も一つとなり、進歩の必要もない事になる。何故なれば進歩とは不完全なものを完全にしようとする過程であるからである。此一事だけにみても、現代医学は如何に根本に未知であるかが判るであろう。此意味に於て、今迄進歩と思って来たのは、実は外面だけのそれであって、肝腎な病気は治らず、一つ所を往ったり来たりしていたに過ぎないのである。
はじめに
楳木先生:
本日は最初に、まず御尊影をお取替えをさせていただいたことを、皆さん方にお知らせしたいと思います。
御尊影のどこが変わったかというと、左目に光が少し入っているということと、手の甲が今まで黒くぼかしておりましたけれども、鮮明に出ております。
これは、12月23日にお話しさせていただいたように、メシヤ様は神様の座に在られる御方なのですが、人類を救済するために、人の・・・現身(うつそみ)の姿を持って地上に降りてこられて、人類がおおよそ経験するであろう苦労を御自らなめられて、そして、我々に人を救う力と人を救う方法を授けてくださいました。
ですから、この御尊影を拝する時に、昔から「左目は天界を御見つめになられて、右目は地上界を御見つめになられていた」というふうに、教会長の方々はおっしゃっておりましたけれども、御顔はそういう感じで拝させていただいて、そして、手などを見た時に少し疥癬(かいせん)の痕等がありますので、その際は使命がある者ほど苦労を負うのだ、ということです。
ですから、時には「私、何でこれだけ苦労するのだろうか」とか「我が家では私ばかりこんな目に遭う」とかいうようなことを、思いがちのときがありますが、しかし、そういう人は“使命があるからこそ苦労があるんだ”というふうに、この御尊影を拝するごとに持っていただいて、自分も苦労しているのだと思えば、それだけ使命があるんだというふうに受け止めて、このメシヤ様の御前に額づいていただければ、御尊影に真向かう上で非常にいい心構えではないかなと思います。最初にそうしたことをお願いをさせていただいて、いつものようにメシヤ講座に入りたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は神様の座に在られる御方なのだが、人類を救済するために、現身(うつそみ)の姿を持って地上に降りてこられ、人類がおおよそ経験するであろう苦労を御自らなめられて、そして、我々に人を救う力と人を救う方法を授けてくださったのだということ。
◎メシヤ様の御尊影のお顔を拝する時には、「メシヤ様の左目は天界を御見つめになられて、右目は地上界を御見つめになられていた」というふうに思いながら拝するのだということ。
◎メシヤ様の手を拝する時には、(少し疥癬(かいせん)の痕等が御有りなので)「使命がある者ほど苦労を負うのだ」と思いながら拝するのだということ。
>もし自分が苦労をしている場合は、「使命があるからこそ、自分も苦労しているのだ」というふうに受け止めて、メシヤ様の御前に額づくことができれば、御尊影に真向かう上で非常にいい心構えになるのだということ。
「メシヤ講座no.158浜松(平成26年3月分)」より抜粋つづき:
『病気の種類とは固結場所の種類である』
楳木先生:
それでは、本日は『人形医学』というタイトルで御論文を拝読いたしました。
最後のまとめのところに、(書籍「文明の創造」)258ページの3行目に 『元来、病気とは曩(さき)に説いた如く一種類となった毒素が各局部に固結するので、言わば病気の種類とは固結場所の種類である』 ということでありますので、病気というものの概念をこのように捉えておいていただきたいと思います。毒素が各局部に固結するので、いわば病気の種類とは固結場所の種類であるというふうに受け止めていくことが最も大事ですので、肚に入れておいていただきたいと思います。
そして、そういうことを心に留めておいて、もう一度この内容に触れていきたいのですが、いろいろな種類を、実例を書いていただいております。
254ページを開けてもらいますと、20歳位の女性の右の歯が非常に痛むので浄霊したところ、間もなく痛みが止まったが、翌日また痛いと言ってきて、普通の痛みなら1回で治るはずだが治らないのは他に原因があるとみて、歯の下部から順次下降に向って押してみると、胸部に固結があり、痛いというので、その固結を溶かすとすぐに治ったが、また翌日きて痛いと言うので、 よくよく調べてみるとこの人は盲腸を手術した経験があったのだと。そのときの消毒が原因であったということでありますので、歯が痛いということの原因もそのように、首肩だけではなくて、その下のところに、女性で言えば胸に、いわば固結が溜まりやすいので、こういうところに溜まるか、さらにはその原因は盲腸の手術であったということでありますので、相手の今までの病気の種類とかどういう手術をしたか、ということを聞いておくことが、スッと治らない場合には、そういうことも聞いておく必要があるということであります。
それから、先月も学ばせていただいていたように、飲んだ薬だけではなくて、食べ物に入っている添加物とか、野菜に使用された農薬や化学肥料、こうしたものも考慮しておかなくてはいけません。それからお住いはどういうお住いに住んでいるのか。
いわゆる新建材を使っているような、そういう建物に住んでいないか、車はどういう車に乗っているか、乗っている場合には乗り方に気をつけているかということも配慮しながら浄霊をしていかないと、なかなか御守護をいただきにくい場合もあります。今回のまず(一)というところは非常に大事なところですので、記憶にとどめておいていただきたいと思います。
それから2番目の方は20幾歳かの男性で、この人は結核の3期で咳と痰が出て、咳と痰の場合は、頭、首、肩を浄霊すればだいたいよくなるのですが、これもあまり効果がよくなかったので調べてみると、鼠蹊部にグリグリがあったということですので、鼠蹊部にグリグリがある場合は、それが溶けると咳と痰になるという可能性もありますので、やはり人の股はなかなか触りづらいので、相手に自分で「押さえてみてちょうだい」というふうにして探ってもらうというようなことをしながら浄霊するということが、こういう場合は大事だなと思います。
それから3番目の事例の中では、胆石というのは右背面腎臓をみると大きな固結があるので、それを数回したところ良くなったということでありますから、胆石と聞いた場合には、右の腎臓、背部、うしろの背中を浄霊してあげれば良いということですね。そういうふうに心得ておいていただきたいと思います。
そして、4番目に脱肛や痔核というものが出てきます。脱肛や痔核は、これもまた、股のグリグリということです。しかし一方で同じ痔でも、痔出血の場合には頭部の、頭の毒素が溶解、下降するためであるから、やはり頭部をよく浄霊しないといけないということであります。ですから痔の方へ浄霊をさせてもらう場合には頭をよく浄霊させていただくのと、股にグリグリはないかということを聞きながら、ある場合にはそこを浄霊してあげると、結果は早いのではないかな、と思います。
それから6番目には、目の悪い人は、延髄部を主に頸部から肩にかけて固結があるということです。それからもう一つ、前頭部に必ず発熱があるので、そうしたところを浄霊すれば、軽い目ならそれで治るということです。メシヤ様は手術をしない目ならたいていは治るということですので、そういう方を浄霊する場合にも手術をしたり、薬を飲んでいたりしないかどうかを聞いて浄霊をしていただきたいと思います。
若い人の近視や乱視も延髄部の固結を溶かせば、百発百中だということですので、そうしたところをよく浄霊してあげれば良いと思います。
7番目に盲腸炎は右側腎臓部にということですので、だいたい胆石ででてくるか、盲腸炎ででてくるかということです。右側腎臓部に固結がある場合。私たちは常時、浄霊をいただいているのでそこまで重たい病気にならなくても、腎臓周辺の固結はだいたい御守護いただけるということです。
それから胃痙攣とか、胃が痛いというような場合は、胃が痛いというとどうしても痛いところを浄霊をしてしまいがちですが、この場合は背中を浄霊したほうが早く御守護いただくということでありますので、腹痛のときにも背中側をよく浄霊してあげていただきたいと思います。
それから8番目に最も面白いと書かれていますが、瘭疽ですけれど、瘭疽はだいたい指が主ですが、瘭疽になった人は患部だけを浄霊しても痛みはとれないけれど、頸部を見ると必ず固結があるからそこを浄霊すると実によく治るということですね。
これは私も高校3年生のときに瘭疽をやりましたので、この教えどおりだということを体験しました。ちょうど3年生の卒業前の春、1月だったと思うのですが、右手の、今、こうやって並べると右の親指の方が短いのです。この右親指が瘭疽になったのですが、この親指がこのくらいの大きさまで腫れました。パンパンに腫れて、ちょうど爪の上のところが開いて、そこから膿が出始めたのですが、洗面器を置いて右親指を浄霊してもあまり膿の出が悪いのですね。しかし、この教えのとおり、首を浄霊するとドッドッと出て、首を浄霊すると出るのですが、患部を浄霊してもあまり出ません。首をずっと浄霊して、だいたい洗面器半分くらい血膿が出てだいたい元通りになりました。
なるほど瘭疽というものは、首のあたりの固結が原因であるということが御教えどおりだということがよくわかりました。
しかし、同時に、その当時の指導者は爪の上が破れたので包帯をしておけば良いよということでしていたのですが、そのために指が少し元に戻りませんでした。そしてあとあと、高校を卒業してから救世専門学院に行って、そこで非常に経験のある元支部長にお話をしたところ、それは「いつもよく洗って浄霊をしていけば元に戻ったけれど、グルグル包帯を巻いていたのでは元には戻らない」と。ということはお世話する人間の無知や無経験、経験のない人間は多くの人を救っていくことが出来難い部分があるので、やはりしっかり学びを深めて、そして経験を積んでいかないといけないな、とそのとき強く思わされましたので、専従生活の中でも特に心得ていったところであります。
そうしたことがありましたので、ここでメシヤ様は8つの事例をあげて、私たちに御説明してくださいましたけれど、これから大勢の方を救うときにはそうしたことを基本に置いて、そして、相手の方に「過去どんな病気をして、どんな薬を飲んできましたか」、あるいは「どういう手術をしたことがありますか」ということをお聞きしながら。浄霊をしっかりしていただきたいと思います。 それと先月学ばせていただきました、『薬毒の種々相』と今回のところは、メシヤ様が実例をいろいろあげてくださっていますから、繰り返し、繰り返し拝読をしながら頭の中に入れておいていただきたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎『病気の種類とは固結場所の種類である』のだというふうに、病気の概念は捉えておくのだということ。
>毒素が各局部に固結するので、いわば病気の種類とは固結場所の種類であるというふうに受け止めていくことが最も大事なので、そのように肚に入れておくのだということ。
◎浄霊を取り次ぐ時に、
>スッと治らない場合には、相手の今までの病気の種類とかどういう手術をしたか(どういう薬を服用したか等)ということも聞いておく必要があるのだということ。
≫又、服用した薬だけではなくて、食品添加物や野菜に使用された農薬や化学肥料、住居に使用してある新素材や新車に使用してある接着剤等から発生する化学物質などにも配慮しながら浄霊を取り次いでいかなければ御守護をいただきにくい場合もあるのだということ。
◎「咳と痰が出る場合」は、頭、首、肩を浄霊すればだいたいよくなるのだということ。
>頭、首、肩を浄霊してみてあまり効果がよくなかった場合は鼠蹊部にグリグリがあるかどうかを(鼠蹊部にグリグリがある場合は、それが溶けると咳と痰になるという可能性もあるので)調べてみると良いのだということ。
≫その場合、人の股は触りづらいので、その相手に自分でグリグリガあるかどうかを探ってもらうというようなことをしながら浄霊するということが、大事なのだということ。
◎「胆石」だと聞いた場合には、右の腎臓、背部、うしろの背中を浄霊してあげれば良いという風に心得ておくのだということ。
◎「脱肛や痔核」も股のグリグリへ浄霊するのだということ。
>「痔出血」の場合には頭の毒素が溶解、下降するためであるから、頭部をよく浄霊しないといけないのだということ。
≫痔の方へ浄霊を取り次ぐ場合には、頭をよく浄霊させていただくということと、股にグリグリはないかということを聞きながら、もしグリグリがある場合にはそこを浄霊してあげると、早く結果が出るのだということ。
◎「目の悪い人」は、延髄部を主に頸部から肩にかけて固結があり、前頭部に必ず発熱があるので、延髄部、頸部から肩にかけて、前頭部を浄霊すれば、軽い目なら治るのだということ。
>メシヤ様は手術をしない目ならたいていは治ると仰っているので、そういう方を浄霊する場合は、手術をしたり、薬を飲んでいたりしないかどうかを聞いて浄霊をするのだということ。
>若い人の近視や乱視も延髄部の固結を溶かせば、百発百中だとメシヤ様は仰っているので、そうしたところをよく浄霊してあげれば良いのだということ。
◎「盲腸炎」は右側腎臓部に固結があるので、そこを浄霊すれば治るのだということ。
>右側腎臓部の固結は、だいたい胆石ででてくるか、盲腸炎ででてくるのだということ。
≫右側腎臓部に固結がある場合に、私たちは常時、浄霊をいただいているのでそこまで(胆石や盲腸炎などの)重たい病気にならず、腎臓周辺の固結はだいたい御守護いただけるのだということ。
>胃痙攣や腹痛は、どうしても痛いところに浄霊をしてしまいがちだが、この場合は背中を浄霊したほうが早く御守護をいただけるのだということ。
◎「瘭疽」はだいたい指が主だが、瘭疽になった人は患部だけを浄霊しても痛みはとれないけれど、頸部を見ると必ず固結があるからそこを浄霊すると実によく治るのだということ。
◎お世話する人間の無知や無経験は、多くの人を救っていくことが出来難い部分があるので、私達はしっかり学びを深め経験も積んでいかないといけないのだということ。
>これから大勢の方を救うときには、上記のようなことを基本に置き、相手の病歴などを尋ねながらしっかりと浄霊を御取次していくのだということ。
◎前回学んだ『薬毒の種々相』と今回の『人形医学』は、メシヤ様が色々と実例をあげて下さっているので繰り返し、繰り返し拝読をしながら頭の中に入れておくのだということ。
「メシヤ講座no.158浜松(平成26年3月分)」より抜粋つづき:
「薬剤師は薬を飲まない」を読んで
楳木先生:
それから先月紹介した本はもう手配してくれましたか?」
参加者:
もう読みました。
楳木先生:
どんなところが良かったですか?」
参加者:
お薬って面白いなと思ったのですが、痛み止めはどこが痛くても同じ薬だということ。それとか、お薬は口から入るから血液で体中に回るから恐ろしいということです。
楳木先生:
なるほどね。ほかには。」
参加者:
お薬はプラスチックと同じ成分からできているということです。プラスチックは口に入れないのに、薬になっているものは何も気にしないで飲んでいると。薬そのものにますます恐怖を感じました。
楳木先生:
なるほど。」
参加者:
それから、その方はたくさんの薬を飲んでいたのですが、体操によってその方の肩こりがよくなったということで、治すところまでいったというのは素晴らしいことだと思いました。
楳木先生:
(前略)
昨日、三重支部から座談会に書き込んでくれた内容の中には、赤十字社が献血を呼びかけますが、献血を呼びかけると必ず薬を飲んでいないかどうかということを確認されるということです。風邪薬でも飲んだ人は献血できないとか。ということは薬を飲んだ人は血液の中に飲んだ薬がいつもどれだけ入っているかということがその一言だけでわかると思います。それなのに、献血のときには薬に対して注意するのに、日ごろは薬を飲ませようと医療界はしているのですから非常に矛盾した内容であるということを昨日書き込んでくれていますので、参考にしておいていただきたいと思います。
一番わかりやすいのは、血圧が上がるというのは歳をとったら血管の弾力がなくなり、固くなるので血液を全身に送ることができなくなるので血圧が上がる。これが本来の人間の体なのだと。これを血圧の降下剤を飲んでしまうと、全身に血液が届かなくなるために、いろいろなところに支障がでてくると。そのことすらわからない医者たちが日本にはたくさんいるということです。これが現代医療の中の最大の問題点だということを、こういう本を読みながら世の中の間違いというものを見つめていただければ大変ありがたいと思いますので、最初にそうしたことを確認させていただいていつものように質疑応答に入りたいと思いますので宜しくお願いします。」
参加者:
私も友人や姉たちに力説しました。薬を飲んではだめと。
楳木先生:
だから“良いな”と思ったところやその人に合っているところをこの本から抜き出して、「こんなことが書いてあるから読んでおいて」とか大事なところだけコピーをとって渡すと非常に良いのではないかと思いますね。」
参加者:
「もう歳だから、何年も生きるわけではないから」とすぐ言いますね。
楳木代表:
意外とそのように諦めている人もいますが、でもやはり最期が大事なので。いざというときが。だから歳をとってもうそんなに生きるじゃないという人は、死ぬときは肝腎なので、やはり良い死に方をするためには薬ができるだけ入っていない方が良いのでね。しかも焼いたあとが大事だから。焼いたあと薬を飲んだ人の骨はきたないので、きれいな骨になるためには薬を飲んでないほうが良いのでね。これは火葬場の人に聞けばわかります。火葬場の熟練火葬場士というのは、この人がどういう病気で亡くなったかというのを骨を見ただけで当てるからね。変な話になったけれど。火葬場の話までなってしまったけれど、やはり薬から縁を切って生きることができれば良いなと思います。
それから今、酵素のサプリメントまであるでしょう。新聞とかで1面に出ています。最近、酵素というものが大事だということがわかりはじめたけれども、それまでサプリメントを作ってしまうので、この世の中は恐ろしいなと思います。
酵素は大事だけれどサプリメントで摂ってしまうと腸が動かなくなってしまうので、人間の体は非常にバランスが崩れてしまいます。
そのほか確認していただきたいことがありましたら、何でも聞いていただきたいと思います。」
体の弱い人は
参加者:
私の父ですが胃や腸が悪いと言っていて、肺や心臓も弱いとずっと言っていて、御教えに『腸が弱い人は必ず胃が弱く、胃の弱い人は肺が弱く、肺の弱い人は心臓が弱い』とありましたが、本当にその通りだったのだなと思いました。
楳木先生:
だからそのような弱い人がどのようにしたら良いかということですね。どうしても薬に頼ってしまうと、どんどん次から次へと悪くなっていくので、この人が立ち直ったように、自分に合った、この人はデューク更家に弟子入りしたわけですが、様々な方法があるので、自分に合った健康法というのを身につけていくようにしていけば。あのような歩き方をしても良いし、この前教えた四股を踏んでも良いし、股割りでも良いので、自分に一番合った体操というか、そういうものを身につけていっていただくと、健康を確保できるのではないかと思います。」
責任者:
「「薬剤師は薬を飲まない」を読んで」と「体の弱い人は」についての質疑応答は、重要だと思われる御教示が多くありましたので、各々でその確認をお願い致します。
「メシヤ講座no.158浜松(平成26年3月分)」より抜粋つづき:
花粉症について
楳木先生:
○○さんのマスクは風邪?」
参加者:
花粉症です。
楳木先生:
去年より・・・。」
参加者:
浄霊が足りないので・・・。
楳木先生:
(笑い)ご主人に押さえてもらうだけでも違うよ。後ろから首の後ろの耳の下のところを持ってもらってグリグリってやってもらうだけでも花粉症が治っていきます。もうちょっと大きく包んで・・・。」
参加者:
首が太いから・・・。」
楳木先生:
届かないようなら片方ずつでも良いから。そこに痛いところがピンポイントであるから。耳の下を浄霊すれば良いのでこれは自分でできるから。よく浄霊してください。そこは飛び上がるほどに痛いよ。」
参加者:
押さえるということはそのピンポイントで場所がわかるということでわかるということですか?
楳木先生:
そうそう。その痛いところを浄霊すれば良い。やはりそこをしっかり浄霊している人は年々よくなっています。前の年より楽に、また前の年より楽にというように。」
(後略)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎「花粉症」の場合は、
>首の後ろの耳の下のところを持ってグリグリって揉むだけでも治っていくのだということ。
≫耳の下の(飛び上がるほどに)痛いところをしっかりと浄霊している人は、年々よくなっていくのだということ。
「メシヤ講座no.158浜松(平成26年3月分)」より抜粋つづき:
ウォシュレットについて
参加者:
私、おしりを洗うとき、お水でシュッとかかるとここが痛くなるのですが・・・。
お水が当たった瞬間に痛くなるのです。
楳木先生:
それは水の勢いが強すぎる。」
参加者:
強です。
楳木先生:
強でしょ。強すぎるから直腸まで水が入ってしまうのです。」
参加者:
そんなに急に入るのかね?シュッとやった瞬間に痛くなるけれど。
楳木先生:
瞬間に入っていってしまうから。ヒュッと入っていくから。」
参加者:
曲がっているのでは。
楳木先生:
直腸は曲がっていないよ。直腸にはスッと入っていくから。」
参加者:
何か悪い病気かなと思って。すごい痛いから。弱くすれば良いですか?
楳木先生:
水は水道水でしょ。水道水にはいろいろ入っているから。消毒液が。だからあまり強めに当てないように。」
参加者:
あまりに痛いのでやめているのですが。
楳木先生:
それはやらないほうが良い。あれはできるだけ使わないほうがいいのでね。直腸のところを見てごらん。(小学館の図鑑 人間の直腸のページ参照) もう肛門と直結しているのだから。」
(中略)
だから、ピューっと入っていって、その上に大腸がね、こちらから大腸がこうあるから、こっちの大腸が直腸に繋がっているから。しかし、痛いというところはその水に反応しているわけなので、その痛いところをよく浄霊してください、そこはね。絶えず浄霊しといて。(後略)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎ウォシュレットで使用する水道水には、消毒液などの色々なものが入っているので(出来るだけ使わない方が良いが)、使う場合は(直腸に入らないように)強めに当てないようにするのだということ。
「メシヤ講座no.158浜松(平成26年3月分)」より抜粋つづき:
元津御蔵(もとつみくら)とは
参加者:
元津御蔵(もとつみくら)というのは、どういうことですか?
楳木先生:
元津御蔵(もとつみくら)だよ。例えば慰霊祭をしたとき・・・慰霊祭に参加したことないかね?
参加者:
慰霊祭?
楳木先生:
布教所で慰霊祭を行うときに。
参加者:
・・・。
楳木先生:
慰霊祭を行うときには、合同で慰霊祭をするときには、一つの神籬(ひもろぎ)に・・・。
参加者:
ひもろぎって何ですか?
楳木先生:
先祖が憑かるところ。まあ大きいお位牌と思ったらいいけど、そこへいろんな家庭の先祖を呼ぶわけ。これを招魂(しょうこん)というわけね。で、来て、お供え物を上げて、みんなでお参りをしたあと、もう終わったので帰ってくださいというときに、還魂(かんこん)というのを次に行うわけ。」
参加者:
かんこん?
楳木先生:
還(かえ)る。魂が還るという字を書く。で、還魂をするときに「元津御蔵に還りましませ」というふうに唱えるわけ。そうすると元津御蔵というのは元々の・・・仏壇の場所とか、あるいは霊界の配置の場所というふうに思えばいい。」
参加者
霊界の・・・。自分のいるべきところに・・・。
楳木先生:
元々のところに帰っていくということ。まあそれをあの・・・いわゆる宗教用語でいくと元津御蔵という。」
参加者:
わかりました。
楳木先生:
慰霊祭を呼ぶだけ呼んどいても帰ってもらわないと困るから、帰るときの方が大事なのです。慰霊祭というのは呼ぶのは呼ぶけど、さっきの座布団と一緒で、気持ちがいいと帰らないわけ。そうするとそこへ霊界人が留まってしまうと問題が起きるから、帰ってもらわないと。」
参加者:
その帰った場所の方が苦しいところの霊が沢山いるわけですよね。
楳木先生:
うん、そう。だから「元津御蔵に還りましませ」というふうにして、帰してしまわんといかんわけ。慰霊祭で一番難しいのは、その先祖を帰すということ。しかし呼ぶことばっかりみんな真剣にやるわけです、祭事をやる人は。そうするとその教会なり支部なりに、いつも先祖がいるということになってきます、呼んだ霊が。そうすると夜寝ていると、なーんか重たくなったりとか、あちこち音がしたりとか。」
(中略)
参加者:
じゃ、お盆とかって、迎え火とかしますよね。やっぱりそのときも送りかえすときのほうが大事ってことですか?
楳木先生
それはもう霊界の決まり事で帰らんといけないから。」
参加者:
帰りは、帰らなきゃいけないから、それはもう仕方なく帰る?
楳木先生:
そうそう。
参加者:
でも慰霊の場合は、そうやって慰霊をするために呼んでいるがために、居心地が良くなったら帰れなくなっちゃう?
楳木先生:
うん。だから救いを求めて来た人が憑かった場合も、やっぱり気持ちがいいからずーっといたいわけ。しかし、そのうち光をいただくと浄まっていくので、ああ自分はここにいつも留まっちゃいかんなーと自覚するので、スーッと帰るわけ。これがメシヤ様と繋がったところの一番の素晴らしさ。浄霊で浄まって元津御蔵へ帰るので全然執着が残らない。
しかし、祈祷(きとう)してしまうと、祓(はら)っていくと、無理やり帰されるから腹立ってくるから、今度はその人じゃなくて祓った方に怨んでくるわけ。だから祈祷師は不幸になっていく。だから昔の祈祷師は最期が悪かったわけ。」
参加者:
そういう人達のいろんな恨みを買って・・・。
楳木先生:
恨みを買っているから。全部救って帰せばいいんだけど、無理やり帰しているから怨んで。せっかく頼ってきているのに何でお前帰すんだということで怨んでくるからね。だからよくない。 その点、メシヤ様の浄霊というのは無理やりじゃないから。浄めて、そして本人が救われて帰っていくわけだから、感謝していくわけ。恨みじゃなくて感謝をしていくわけだからね。だから素晴らしいと。だから我々はメシヤ様と繋がっているということはどれだけ幸せなことかと。そして特別な地位を持たなくても、家族同士で浄霊できるわけだから、こんな素晴らしい、救いはないわけ。それでさっきみたいに理屈がよくわかるでしょ?座布団に座っていると働かないのと。痛いところに座らせられると痛いから、外に回っていた方が楽だから。動き回った方が楽なので、良くお金を運びに行ってくるわけ。」
(祭典の前に家の大黒様と布袋様に座布団を買って座ってもらっているという参加者の話に楳木代表より大黒様と布袋様には働いてもらうために木の台に座ってもらった方が良いとご指導をいただきました)
(後略)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎「元津御蔵」というのは何なのかというと、元々の・・・仏壇の場所とか、あるいは霊界の配置の場所というふうに思えばいいのだということ。
>教会や支部での慰霊祭で一番難しいのは、祭事する人がお呼びした先祖をもとの居場所に帰すことなのだということ。
◎救いを求めて来た人が憑かった場合、(気持ちがいいから)ずーっとその場にいたいという執着があるのだということ。
>祈祷して救いを求めて来た霊を祓(はら)っていくと、その霊は無理やり帰されるということに立腹し、祈祷した人を怨むのだということ。
≫祈祷師は祓った霊に怨まれることによって、不幸になっていく(だから昔の祈祷師は最期が悪かった)のだということ。
>前記の霊に比べ、メシヤ様と繋がっている祖霊は、浄霊で浄まって(救われたことに)感謝しながら元津御蔵へ帰るので全く(ここにいたいという)執着が残らない、だから素晴らしいのだと。
◎大黒様と布袋様に働いてもらうためには、座布団ではなく木の台に座ってもらった方が良いのだということ。
「メシヤ講座no.158浜松(平成26年3月分)」より抜粋つづき:
交通事故に遭ったお子さんには
参加者:
私の友達のお孫さんが交通事故ではねられて頭を打ったらしいんです。良くなってきているそうですが、まだ真っ直ぐ歩けずヨタヨタしているとのことでした。それから癲癇(てんかん)が起こるかもしれないからと薬を飲んでいるようです。どのようにお話させていただいたらいいでしょうか?
楳木先生:
はねられたあと、頭の手術はしていますか?」
参加者:
してないようです。傷ぐらいだということでした。
楳木先生:
外の傷ぐらい?」
参加者:
はい。
楳木先生:
じゃあもう打撲が中心だということですね。」
参加者:
そのようです。
楳木先生:
そういう場合はね、治りますので。」
参加者:
ああ、そうなんですか。
楳木先生:
そういう場合は治りますので、頭を良く浄霊すると良くなっていきますので。その時に大事なことは、我々の脳というのはノーベル賞受賞者も10分の1ぐらいしか使わずに死んでいくので、おおよそ残りの10分の9が補充していくわけですね、働きを。1箇所打ってですね、もう中がうっ血して脳の細胞が死んでいても他のところが補充していくわけです。で、この補充する期間が、きちんと平衡がとれなかったりするために真っ直ぐ歩けなかったり、どうしても・・・脳梗塞を患った人とかいうのは、真っ直ぐ歩いていてもどっかにぶつかったりするでしょ?それといま同じような症状になっているわけなので、その打ったところを良く浄霊していくと、その人の場合、子供の場合は治りが早い。それで癲癇の薬はぜひ飲まないように、浄霊だけでやっていったらいいですよと。」
(中略)
参加者:
いつまでも薬飲んでいても、お気の毒ですし。
楳木先生:
癲癇の薬飲むと癲癇になるので。」
参加者:
ああ、そうなんですか。
楳木先生:
うん。その薬に脳が依存していくのでね、だからどうしても癲癇症状というのが出やすくなっていくのでね。だから癲癇を作るようなものだよというふうに、何とかその人にね、わかってもらうとありがたいなあと思うのでね。じゃあ時間になりましたので、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。」
参加者一同:
ありがとうございました。
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎子供が交通事故で車にはねられて頭を打った場合、手術をしていなければ(打撲が中心であるので)その打った所を良く浄霊していくと治ってくる(子供の場合は治りが早い)のだということ。
>癲癇(てんかん)が起こるかもしれないからと服用している薬は、服用しないようにして浄霊だけでやっていくといいのだということ。
≫癲癇の薬を飲むと、(その薬に脳が依存し癲癇症状というのが出やすくなってくるので)癲癇になるのだということ。
編集後記
責任者:
今回は、先ず最初に病気の概念を、『病気の種類とは固結場所の種類である』と捉えるのだということを御教えいただきました。この捉え方は、「そうだったんだ!」と大変納得のいく捉え方だと思いました。そして、メシヤ様の御教えを学んでいる私達が(浄霊をお取次ぎする際に)無知や無経験では、多くの人を救うことは難しいので、私達はしっかり学びを深め経験も積んでいかないといけないのだということを御教示いただきました。前回の御教え『薬毒の種々相』と、今回の『人形医学』は、メシヤ様が色々な実例をあげて下さっております。頭の中に入るように、拝読を繰り返しながらコツコツと学びを深めていこうと思いました。寒さも厳しくなってくる頃ですので、ご自愛くださいませ。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。
「メシヤ講座no.158浜松支部 2014(平成26年3月分)」