研鑽資料no.131(2024年4月)

4月に向けての学び

はじめに

責任者:

早いもので桜の花咲く頃となりました。皆様におかれましては、お元気にお過ごしのことと思います。

今週(3月17日~23日迄)は春のお彼岸です。お墓参りをするなど、各ご家庭でお彼岸の慰霊祭に取り組んでいらっしゃることと思います。「お彼岸」についてメシヤ様はどのように御教え下さっていただろうかという想いで御教えを探しておりましたら、『伊都能売の身魂(御教えへ)』という私達信徒にとってとても重要な御教えに行きあたりました。メシヤ様はきっとこの御教えの拝読を促されているのだと思いました。このお彼岸の時に『伊都能売の身魂』の中で御教えくださっていることが肚に落ちているのかどうかを確認しながら4月を迎えさせていただこうと思います。さてそれでは引き続き、「文明の創造」より学んで参りたく思います。

 

「メシヤ講座no.167浜松(平成26年12月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『仏滅と五六七の世』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

其(そ)の後釈尊は素晴らしい予言をされた。それは今より数えて五十六億七千万年後仏滅の世となり、次いで彌勒菩薩下生され、彌勒の世を造り給う。彌勒の世というのは、居ながらにして千里の先まで身を運ばれ、居ながらにして千里の先の声を聴き、居ながらにして千里の先から欲するものが得られるというので、其の頃としては想像もつかない夢の世界である。処(ところ)が現在の世界は最早右の予言通りになって来てゐるではないか。としたら物質的には已(すで)に彌勒の世となっているのである。処(ところ)で今まで仏者が迷ったのは、此(この)五十六億七千万年という数字であった。然(しか)しこれは一寸考えただけでも直ぐ判るはずである。何となれば如何に釈尊と雖(いえど)も現実的に、五十六億七千万年などといふ、途方もない先の世の中を予言される訳ないからである。それ程先の世の中を予言したとて、何の役にも立たないではないか。言う迄もなく、それ迄に地球はどうなるか、テンデ見当もつかないであろう。之(これ)は全く五、六、七という数字を知らせんが為である。というのは彌勒の世とは、私のいふ五六七の世界であって、此の五六七を解釈すれば、五は日であり、六は月であり、七は地の意味になるからで、即ち順序正しい世界という事である。之に就(つい)て一層深い意味をかいてみよう。

今迄夜の世界というのは、日が天に昇っていなかった時の事である。勿論霊界の事象ではあるが、之を小さく地球にたとえてみればよく分る。夜は月が上天にあって照らしていたが、段々地球を一周して、西の涯から下って地球の蔭に隠れる。すると太陽が東から昇って、中天に輝くとすれば、これが昼間の世界である。そうなれば天は火であり、中界は水素の世界で水であり、地は依然として地であるから、これが五六七の順序である。右を一言にしていえば、昼の世界とは、今迄見えなかった日が、中天に輝く姿で、それが五六七の世である。

又釈尊は或(ある)日弟子から、仏教の真髄を訊かれた事があった。世尊は「左様一言にしていえば真如(しんにょ)である」と仰せられた。真如とは無論真如の月の事で、其時既に仏法は月の教えである事を示されたのである。そうして真如という文字は、真の如しとかくのであるから、真ではない訳で、此点もよく考えなくてはならない。それから仏典では、実相真如と言われてゐるが、之は逆である。何となれば実相とは、真実という意味で、即ち昼の世界である。真如は夜の世界であるから順序からいって真如が先で実相世界は次に生まれるのである。今一つ同じような事がある。それは経文には三千大千世界とあるが、之も逆であるから、私の善言讃詞の中には大千三千世界と直してある。というのは三千世界とは、神幽現の三界であるに対し、これを纏(まと)めて一つにすれば大千世界となる。大とは一人とかくのであって主神御一方が主宰され給ふ意味である。

次に釈尊は斯ういう事ももう曰(い)はれた。此世は厭離穢土(おんりえど)であり、火宅(かたく)であり、苦の娑婆(しゃば)でもある。又生病老死の四苦があるとも云(い)はれ、諸行無常、諸悪滅法などとも言はれたので、どれもこれも世を果敢(はか)なんだ言葉である。又一切空とか空々寂々(くうくうじゃくじゃく)とか、無だとも言はれた。そこで右の意味を総括してみると、どうせ此世は苦の娑婆(しゃば)だから、苦は脱(のが)れられない。人間は生まれながらにして、苦しみを背負ってゐるのだ。いくら藻掻(もが)いたとて仕方がないから覚るのが肝腎だ。つまり諦(あきらめ)である。人間が如何(いか)に大きな望みを抱いたとて無駄であり、一寸先も分らぬ闇の世であるから、安心など出来よう筈(はず)がない。そうして此世は仮の娑婆だから、いくら骨折って造ったものでも結局は無になり、空になって了(しま)ふので、何事も永遠性はない。だから一切の欲望は結局一時的煩悩にしか過ぎないのだから、諦める事だ。諦め切って了へば、真の安心立命を得られるのだと説かれたのであって、これが仏教の真髄であるとしたら全く夜の世界の姿をよく物語ってゐる。此意味に於て万事は昼の世界迄の運命でしかない事を、遺憾なく示されてゐる。従って人間は実相世界が来るまで待つより仕方ない事で、それが今日迄の賢明な考え方であったのである。

 

『文明の創造』について

楳木先生:

この『文明の創造』のことについては、先月浜松支部でお話をしたことに加えて、三重支部のメシヤ講座で話したことを、このメシヤ講座・特選集で取り上げております。

『文明の創造』を初めて世に出したと言われている〇〇〇〇先生は諸事情により『禁断の木の実は薬だ』を削除せざるを得なかったようです。それから先月学んだところで『お釈迦様が見真実に達したあと説いた教えこそ真実である』ということで『法華経がその真実のお経である』という部分も削除せざるを得なかったようです。

この『文明の創造』はそれらをすべて載せて2年半前に発刊することができたので、初めて『文明の創造』というものが世に出たということになるかと思います。

そういう意味で先月拝読したところは非常に重要なところでもありますし、それで、各支部でお話しした全部の支部でアップしているところの中から部分的に皆さん方に普遍化したいところをダイジェスト版にまとめさせていただいたので、今回のメシヤ講座・特選集(「メシヤ講座・特選集no.166(平成26年11月分)」へ)だけは繰り返し繰り返し確認していただければ大変有難いと思います。

さて、そうして今回仏教の更にお釈迦様が説かれた一番深いところをまとめていただいております。

ですから今回またさらに深い意味で大事なところになっていきますけれども、ここは私が順を追って説明するというよりも、皆さんがずっと『文明の創造』を拝読して勉強してきて、それから今年1年間ずっと過ごさせていただく中で感じたことを基に考えていくのが一番良いのではないかと思います。」

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ教より発刊された書籍「文明の創造」は諸事情により削除されていた部分をすべて載せて発刊された初めての『文明の創造』なのだということ(初めて「文明の創造」が世に出たのだということになるのだということ)。

◎前回学んだ御教え『霊界に於ける昼夜の転換(御教えへ)』は大変重要なところなので「メシヤ講座・特選集no.166(平成26年11月分)」にダイジェスト版として纏めてあるのでそれを繰り返し拝読し確認しておくのだということ。

◎今回の御教えは、お釈迦様が説かれた仏教の一番深いところを纏められているので、また更に深い意味で大事なところになるのだということ。

>今回の御教えは、楳木先生に御説明いただくよりも、私達が繰り返し『文明の創造』を拝読し勉強してきた中で感じたことを基に考えていくのが一番良いのだということ。

 

「メシヤ講座no.167浜松(平成26年12月分)」より抜粋つづき:

12月23日について

楳木先生:

それからあと1週間もありませんが、23日はメシヤ様御降臨祭を執り行わせていただきます。この12月23日というのは、今まで何度もご説明させていただいていますように、太古の昔は正月でありました。元日でありました。12月23日には。これは…。静岡県にはストーンサークルはあるのかね?ストーンサークルは聞いたことない?」

参加者:

聞いたことありません。

楳木先生:

大分県では国東半島の山の上にあります。それであのあたりに仏教の遺跡がずっとあるのではないのかなと思われます。それだけ聖なる場所であったと。ここよりももうちょっと高台にあるのかもしれないけれどね。ストーンサークルというのは各地にあります。

ストーンサークルというものは何かというと、放射状に石を並べて、長い石と細長い石を放射状に並べて中央に1本石を立てています。これは何故立てているのかというと、太陽の光が中央の石に当たってどの角度に影がでてくるのか、その影の長さと方向を見ながら、それで暦としていたわけです。夏になると太陽が上の方にいきますから影が短くなり、冬になると長くなってきます。それから太陽が日の出と同時にどこを指しているのか、どこから始まるのかということで暦を判断していたわけです。そういうところから言うと12月22日が大晦日で12月23日が元日になるということは、これは当たり前のことであるかと思われます。

日本の中には様々な暦があります。今、我々が使っているのは西暦と天皇陛下の即位に関わる元号というものがあります。それから紀元節をスタートとする暦と仏教の方で使っている仏歴と、縄文時代から使っている稽歴というものがあります。

そういうものを含めて暦というものを判断したとき西暦でいう12月23日が新年であるというふうに言えるということは明らかであります。ですから私達が12月23日を迎えるということは、メシヤ様の御降臨祭であると同時に平成27年がスタートする年であるというふうに考えて、日を送って、箱根の方に参拝できる方も、できない方も、23日の迎え方というのはこれから大切にしていただければ有難いと思います。

そういう意味で、謂れの中の一つとしてイエス・キリストの誕生日は12月25日だと誰でも知っているけれどあれは真実ではないというふうに言われています。本当、厩で産まれたわけなので、記録が残っているわけがないのです。で、弟子たちは12月23日にしようとしたそうですが、12月25日になってしまったというふうに言う人もいます。それでイブが24日になっているのです。本当はイブを22日にしたかったというような話も残っているくらい、12月23日は非常に重要な日であるかと思います。また古典を見ていくと、一陽来復という言葉が良く言われるように、12月23日は非常に大事な日であるということです。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎日本にある様々な暦を含めて、暦というものを判断したときに西暦でいう12月23日(メシヤ様が御降臨なさった日)が新年であると言えるということは明らかなのだということ。

>12月23日は、メシヤ様の御降臨祭であると同時に新しい年がスタートする日であるというふうに大切な日なのだと考えその日を迎えていくのだということ。

≫古典では一陽来復という言葉が良く使われるように、12月23日は非常に大事な日なのだということ。

「メシヤ講座no.167浜松(平成26年12月分)」より抜粋つづき:

12月23日を迎える姿勢

楳木先生:

それだけに私達は23日を迎える、その迎え方を整理しておきたいと思います。

ですから私の説明はこれで終わり、あとは皆さん方から今年1年こんな年だった、だから来年はこのようにしたいというようなことを…。

誰にも前もって言っていないので、支部の責任者として出席してもらっている△△さんにも前もって言っていないけれど、今、当てるわけなので、今年はこういう年だったので、来年はこういう年にさせていただきたいということをメシヤ様に奉告を、ご参拝をしたいということを、あと1週間もないから大体整理しているでしょう。

(中略)

参加者:

自分勝手に易きに流れてしまったので、来年からは自分の意志をしっかりもって、参拝するときにもしっかりするように努力します。

楳木先生:

その流れてしまった理由は?」

参加者:

環境が変わってしまったので、2人で住んでいたときには参拝の時間も決めて参拝することができていました。神様主体といつも教えてもらっているので、そのようにしなくてはいけないのですが、朝は神床を掃除して参拝させていただくことができるのですが、夕方はガタガタしてしまい時間もまちまちになってしまいました。ですから来年は自分の意志をしっかりもって、孫に惑わされないように努力します。

楳木先生:

どのように努力していくのかと…」

参加者:

どうしても孫の帰りの時間だったり、遊びに行った後お迎えに行ったり、おやつが欲しいとかなんとかで孫を優先してしまうのです。

楳木先生:

だからお孫さんを優先するというよりも、一緒に住むようになって環境が変わったので生活のリズムも変わるのです。ですからそれに応じた時間帯を決めていったら良い。」

参加者:

夜の参拝は早くしたいのですが、3時ごろでもさせていただこうかと思うのですが。

楳木先生:

3時はちょっと早いけど、4時ではダメかな?」

参加者:

4時ごろになるともうガタガタです。

楳木先生:

かえって7時とかは?」

参加者:

7時だとご飯を食べています。

楳木先生:

それは難しいね。」

参加者:

2人で住んでいた時には、5時から参拝をさせていただいていたのですが、それが、今、ものすごくぶれてしまっているので。

楳木先生:

それかお孫さんは参拝してはいけないということになっているの?」

参加者:

なっていませんが、宿題見たりなんだりしていると。

楳木先生:

そこはメリハリをつけられる時間で。夕拝を3時というのは早いので。北海道は4時くらいになると暗くなるので夕拝を4時にすることもあるけれど、この浜松の明るいところで3時に夕拝させていただきますというのはちょっと早すぎるから。5時を前後するというのは良いと思います。5時から7時くらいとか8時くらいの間で。

参加者:

そのくらいにさせていただいて。

楳木先生:

そのように具体的に考えていかないと、自分の意志を通すといっても家族がいることなので、その辺の時間の決め方を少し考え直して、23日を迎えてください。22日迄にだいたい来年はこのようにやっていこうというように決めて…。

福島の方でまだメシヤ教に入会したての70代の奥さんがいるけれど、その人はメシヤ教に初めて触れてメシヤ様の教えに触れることができるようになったので、『神格をいただく道』の中の、今、2年目なので、『何事にも極端に走らず』というのを1年目に実践して、今年は自分よりまず人のためというところを実践して、だいたいできるようになったから今度3つ目を22日までに決めてもらって、23日にメシヤ様に奉告してくださいというような話をしたので、具体的にぶれないようにというのを、家族との関係とを合わせて、この時間にしようということを決めてやってください。」

参加者:

そのようにさせていただきます。ありがとうございました。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎私達の心構えとして12月23日(御降臨祭)は、その一年を振り返り、例えば日々の参拝等の出来ていなかったことがあればそれはなぜ出来なかったのかということを考え整理し、どのようにすると出来るようになるのかを具体的に考えて迎えるのだということ。

 

「メシヤ講座no.167浜松(平成26年12月分)」より抜粋つづき:

カリウムについて

参加者:

私、カリウムが多いって言われたんですけど、何かみんなより。だから果物だめ、生野菜だめ、塩分からいろいろ言われて、このままにしとくと心臓がいつパッと止まるかもしれんて言われたけど、カリウムって何処をやればいいですかね?

楳木先生:

それはね、やっぱりカリウムというのは吸収するところの肝臓、小腸を良く浄霊して。肝臓。

参加者:

ああ、ここ。みんなにやってもらうと凄くくるって言うんですよ、そこら辺が。

楳木先生:

だからそういうところを良く浄霊して、それで食べちゃいかんって言ってもね、食べんといかんよ、野菜を。」

参加者:

食べるもの無いんですよ、今。本当に無くて。

楳木先生:

いやだから、それは医者の言うことだから。」

参加者:

ああ、そうですか。

楳木先生:

医者は数字を見て言うわけだから、そんなのを気にするとね。さっきの石原結實という医者の一番いいところは「私は病気は治せませんよ」と。「病気を治すのはあなた達の体です」と言っている。自分で自分を治すという、この姿勢が一番素晴らしいところで、今の医者は薬を処方して数字を合わせて治った気持ちにしているだけなので。治ってはないわけなので、そんな医者の言う事を聞いていたらいかん。食べるものをきちんと食べていかないと。

問題は今までの働き過ぎが問題なので。食べるものの問題じゃないわけなので。わーっと茹でているものとか油が飛ぶ中にずーっと居たから肝臓が疲れて、そしてカリウムが増えて心臓に影響を与えただけの話だから。そういう仕事を辞めれば自然と治っていくわけなので。医者はそういうことを見ないから。どういう生活をしたためにこういう問題が起きたということを考えないから、ただただ数値を抑えよう抑えようといって薬を出してくるわけ。

この薬を出すために今は国の税金を上げないといけない状態になっているわけ。あれは医者が全部使っているから消費税上げるようになっているわけなので、医者が薬をできるだけ止めよう止めようということになれば消費税を上げる必要ないわけなのです。医者が上げていると思っとかないといけないと。全部そういうことに使うわけ。

そして薬を飲むから認知症の人が増えるので介護のお金が必要になってくるわけ。そのために消費税を上げないといけない事態を迎えているのは、医者のやり方が間違っているから消費税を上げないといけない。

そういう世の中になっているんだという認識を持っておかないと。医者の話を聞いたために自分の体を傷つけられてしまったわけなので。私が言うのは○○さん全体の生活を見て言ってるわけなので。

だからあの仕事のやり過ぎが一番の問題なので、野菜食べないと今度逆にこっち(頭)がやられてしまう。カリウムはいっぱい入ってくるのを食べなくなると控えてくるけど、今度は鉄分が入ってこなくなる。あるいは鉱物が入ってこなくなる。そうすると神経の伝達ができなくなってくるので。

神経の伝達というのは、神経の中の電気を伝っていくのは鉱物を伝わっていくので、この鉱物が減ってくると神経が途絶えがちになって認知症になっていくので。これ死ぬより恐ろしいことなんでね。だからあんまり言いなりにならないように。

検査とかしてもらうのはいいけれども、体を治すのは自分が治さないといけないので、薬に頼ったり、それから血液の中の数値にあまり左右されないようにやってってください。

それだけ聞いとけばいいですか?カリウムのことだけで。」

参加者:

はい。そうです。

(中略)

楳木先生:

そしたらね、十分浄霊、自己浄霊してください。

参加者:

はい。やってます。やってくれるしね。

楳木先生:

これは自己浄霊が一番大事ですから。やってもらうのは後ろ側、手が届かないところをやってもらって手が届くとこは自分で、もう時間さえあればね、浄霊して。心臓を浄霊するのと、心臓はもうちょっと上だから。」

参加者:

あ、ここら辺ですか?

楳木先生:

もうちょっと上。」

参加者:

もっと上?

楳木先生:

上から斜め下をすると心臓に当たる・・・」

参加者:

あ、こっちからね。

楳木先生:

うん。そういう感じでした方がいいです。それから肝臓は右のあばらの一番下から斜め上に、こういう角度で。もうちょっと近づけて。前の方から。うん。そういう角度でします。これが、時間がある時はずーっとしておいて。その代わりその時、テレビを見たりしないように。

参加者:

ああ、もうそれ一心にね。

楳木先生:

『文明の創造』を読むのはいいけれど。御教えを拝読しつつするのはいいけどね。テレビを見たり他の新聞とかそういうを見たりしながらするのではなくて、集中して浄霊してください。

参加者:

はい。わかりました。ありがとうございました。(後略)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎医者からカリウムが多いと言われた場合、カリウムを吸収するところの肝臓、小腸を良く浄霊し、それに伴い野菜を食べてはいけないと言われても、野菜は食べなければならないのだということ。

>医者は数字(検査値)を見て色々言うわけなので、野菜や果物を食べないようになどと言われても気にすることはないのだということ。

◎病気は自分で自分を治すという姿勢が一番素晴らしいのだということ。

>今の医者は薬を処方して数字を合わせて患者の病気が治ったような気持ちにしているだけで(治ってはいないので)、私達は食べるものはきちんと食べて病気は自分で治すという姿勢でいかないといけないのだということ。

◎野菜を食べなくなるとカリウムは控えられるが、今度は鉄分(鉱物)が入ってこなくなり神経の伝達ができなくなってくるのだということ。

>神経の伝達というのは、体内にある鉱物によって神経の中の電気を伝っていくので、この鉱物が減ってくると神経が途絶えがちになって認知症になっていくので(医者の言いなりにならないように)注意しなければならないのだということ。

≫医者に検査をしてもらうのはいいけれども、体は自分で治さないといけないのだということを忘れず、薬に頼ったり、血液の中の数値にあまり左右されたりしないようにするのだということ。

◎自己浄霊をする場合は(例えば「文明の創造」などの)御教えを拝読しつつするのは良いが)、テレビを見たり新聞を読んだりしながらするのではなく集中して浄霊をするのだということ。

 

 

編集後記

責任者:

今回改めて『仏滅と五六七の世』を拝読し、今私達が住んでいる世界の事を御教えいただいているのだと強く感じております。更に、世の中を見回すと色々な事(例えば自民党の裏金問題等)が明るみに出て来ていますが、これは主神様が順序正しい世界を創るために、今の世の中の仕組みを大きく変えようとなさっている事の中の一つなのだと思いました。又、今回の学びでは、12月23日(御降臨祭)の迎え方ということで御教示いただいておりますが、一日祭の迎え方もこれに準ずると思いますので、毎月の一日祭では前月の日々を振り返り出来ていないところに気がついたら、その都度修正をしていかなくてはならないのだと改めて思いました。お彼岸とはいえまだ寒い日がございます。 どうぞご自愛くださいませ。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.167浜松支部 2014(平成26年12月分)

 

 

印刷はこちらからどうぞ