10-1、眼科

(1)目の浄霊に関連して

「御教え集」21号、昭和28(1953)年5月15日発行

それから、ついでに話しますが、目が悪いのは、左と右の延髄の真中の後頭部の所ですから、目の悪い人はそこを中心にやればいいです。これは実にはっきりしてます。目の急所は後頭部のちょっと下の所に必ず固まりがあります。そういう人は目が悪いのです。近眼もそうです。それから右の目の場合は左に固まりがあります。これは交換神経が頭を中心に交叉してますから、逆になるわけです。

「御教え集」24号、昭和28(1953)年8月15日発行

近眼、トラホームという目の病気は、後頭部に必ず固まりがありますから、これを溶かせば盲目でも必ず見えるようになります。茲に固っているのはやっぱり肩から来ます。茲に固まりがあって、こういうように肩から来ます。そういうように固っている人で、目の見えない人は随分あります。そういう人はまず目の後、と言った処で中心がありますから、その交錯した中心の固まりをとれば必ず見えて来ます。ただそれを溶かすには相当かかります。これは出来るだけ力を抜いて中心を狙ってやると、幾分ずつ溶けて来るから見えて来ます。だから盲目を治すのも別に難かしいことはありません。

「御教え集」32号、昭和29(1954)年4月15日発行

二重橋事件で目が見えなくなった山田けい子という十一になる子供に関し、写真なども出して、大変な医学の功名のように報じてますが、あれは何でもないのです。どうも医学だと屁みたいなことでも大変なことなように有難がるし、こっちの方のどんな素晴しいことでもテンデ見向きもしないという馬鹿馬鹿しい世の中です。あれは、頭を打ったので内出血して、出血が目の裏に固ったものです。ですからウッチャラかしておくと、一、二年たつと膿になり、目脂になって出てしまうのです。浄霊なら訳はないです。医学ではそれが出来ないから脳に穴をあけて血の固まりを取り出したというのだから、別に大した理由はないので簡単なものです。清水健太郎という博士で、その方の権威としてあるのですが、これは最初やったのはポルトガルのモニーという教授です。それが最初脳に穴をあけて、そういう手術をしたのですが、それを日本で真似をしたわけです。つまり今の文明――(大体科学ですが)というものは、ごく幼稚なものなのです。

「御教え集」32号、昭和29(1954)年4月15日発行

あれは頭を打ったので内出血になって、その血が視神経の側に固ったわけです。だからこれはウッチャラかしておけば、膿になって、一年か精々二年ぐらいの間に目ヤニになって出てしまって、それですっかり治るのです。眼球は別になんでもないのです。ただそれだけのものです。それを脳や頭蓋骨に穴をあけて出血の固まりを取ったのですが、そんな手数をかける必要は何もないのです。浄霊なら上から出血を溶かしてしまいますから、これはずっと早く、一週間か十日で治ってしまうものです。ウッチャラかしておいても、子供だから早いので一年とみればよいです。

「御教え集」32号、昭和29(1954)年4月15日発行

それで手術ですから、消毒薬を沢山使いましたから、その悩みが今に出ます。それは、頭に消毒薬が染みて、それが毒になって、今に必ず頭痛があります。

 

(2)眼球注射について

「御教え集」6号、昭和27(1952)年2月25日発行

「眼球注射」というのは悪いんですよ。目の玉に直接入れるのは悪いんですからね。

眼球注射と言うものは、段々目ヤニになって出ますからね。その代り何年か経って出るんですがね。

 

(3)星眼の原因について

(御教え)

「私の長女(三十六歳)は十歳の時耳が悪くなり、二十一歳の頃中耳炎に罹り切開手術を受け、その後耳がだんだんに遠くなりました。そして二十三歳で嫁ぎ間もなく男子を死産致しました。三十歳の頃左の眼に星が入りあらゆる医者に診て貰いましたが、一向に良くならず、遂に右の眼も同様に見えなくなり、日夜不安の日を送っておりましたが、九月頃より段々と視力も減退してまいりました。御伺い申し上げます。」

『左の眼に星が入る――浄化星とは眼に「おでき」が出来るのである。それを治療したために止められて、もう一方の眼から出ようとするので両眼見えなくなっている。それで見えなくなったのは薬毒の浄化で、元の(発病時)薬毒がとれた事を示しているのである。』

(御教え)

「未入信の婦人、眼の浄化(星眼)を戴きました。背に赤い二、三十の斑点が出来ておりました。一回の御浄霊でその斑点はなくなりましたが、黒眼が半分以上白くなって段々見えなくなりました。御伺い申し上げます。」

『大抵霊的ではありません。眼の白くなったのは薬により段々拡がり、ある程度拡がると後で目脂等により出ます。眼病は人の目をくらます等のことをすると罪穢が溜るのですが、浄化を起すのです。』

 

(4)薮睨みの霊的、体的な原因

(御教え)

「薮睨みは霊的でしょうか。また幼児の間なら全快致しましょうか。」

『これは治ります。霊的と体的と両方ありますよ。霊的の場合は眩しくて正視出来ないんですね。眩しいというのは地獄にいた時の苦しみが未だ眼に残っているんです。前世において人の目をくらますとか、ごまかすとか、あるいは盲だったとかね。それがまだすっかり浄化されないうちに、この世に生まれて来たんですね。それから体的にはね、眼の筋が吊れているんですよ。毒の固まりがその筋を圧迫しているんです。ですから浄霊によってどちらも治りますよ。』

 

(5)乱視の原因について

(御教え)

「四十一歳の男子。二十五歳の頃から軽度の乱視になり段々度が進みます。乱視の原因、浄霊個所を御教示下さい。」

『乱視は茲ですよ。この延髄の所に固まりがあって、それが眼を圧迫して――人によって毒が動揺することがあるんですが、そのために血の流通が妨げられて、眼に行く血の量がむらになるんですから、ここの延髄の所をとれば何でもなく治りますよ。』

 

(6)数年前から視力が鈍り始め、現在全く見えなくなってしまった老人

(御教え)

「六十七歳の男子。数年前より視力が鈍り始め、今では全く見えなくなっております。朝、眼の覚めた時には掌の筋まで見えるのですが、すぐにボーッとなって全く見えなくなります。治るもので御座いましょうか。」

『この人の眼は綺麗でしょう? これはね、眼の裏に毒が段々溜ったんですよ。簡単に治るものですがね。眼薬をつけているでしょうから一寸時間がかかるけれど治るには治ります。大体頭をよくやるんですね。殊にこういう所をね。(御手で天帝、眉毛の上、脳天、後頭部を御示しになられる)目ヤニは出てるんでしょう? 出てれば治りますよ。御浄霊もよく奥へ通るような気持でやるんですね。』

 

(7)眩暈の原因について

(御教え)

「私は作業中眼が眩み、暫く横になっていると治ります。何故でしょうか。」

『これは首の廻りに毒があるんですね。特に右側の延髄がひどいから、そこをよく御浄霊すれば治りますよ。それから額に毒がある人はこれがまた「目まい」の原因になることがあります。これは額に手を当ててみれば熱があるから判ります。ここが冷たくなれば大丈夫です。』

 

(8)目薬を用いて、眼を悪くした人

「御教え集」2号、昭和26(1951)年10月25日発行

「私は昭和二十年十二月入信させて戴きました。入信前には胃が悪く胃散その他の薬を飲みました。八年前には子宮が悪く、医者に十日ばかり通い注射もしました。十二、三年前に目薬をよく致しました。入信後は年に四、五回胃痙攣の浄化を戴き、痔の出血の浄化を一年位戴きました。今年の二月頃より目の浄化を戴き、症状は両上瞼に次々と目バチコが出まして、下瞼は腫れて眼球は赤くなっております。片方は殆んど目が開かない状態にあります。現在毎日御浄霊を戴いておりますが、今だに目の浄化が続き、近頃は体も痩せて来ました。御浄霊の個所御垂示賜わりたく御願い申し上げます。」

『胃が悪いのは医者のためです。それから子宮が悪く注射した――これも祟ってます。目薬――目の悪いのはこのためです。胃痙攣と言うのは胃散が残っているんです。つまり眼病と言うんですね。目は一体に長くかかりますがね。痩せて来たのは、微熱があるからです。胃の薬は背中に固ってますからね。背中を浄霊すれば良い。痩せたんだから、食欲も減ったわけですね。背中の浄霊と――目薬を入れて、人間は仰けになって寝るからね。そこで薬がこっち(後頭部)に固まる。ですから、目の後を浄霊する。これは目もチャンと治ります。目ヤニが出ないかね。目ヤニが出れば良いです。』

 

(9)幼年時貧目と診断され、平常は近眼で黒眼に雲がかかり、目星が出たり物が二つに見えたりする娘

「地上天国」17号、昭和25年10月15日発行

「本年二十一歳になります女の信者。幼年の頃より目が悪く医師の診断を受けました処、貧目と言われ。十八年間種々の治療を致しましたが遂に治らず、本人の目は平常は近眼で黒眼に雲がかかり、物が二つに見えることもあります。時々目星のようなものが出来たり曇りがひどくかかって見えなくなったり致します。このような時には目脂が多量に出て堪え難い程の痛みが御座います。入信後一カ年半程御浄霊を戴いておりますが、同じ状態を続けております。」

『この目は頭脳内及び首肩の毒素が浄化作用によって、目に集中するのであるから、頭脳を第一に浄霊すれば必ず治る。目脂及び痛みがあるのは治る作用である。但し薬毒を沢山入れてあるから相当長くかかる。目脂、涙、痛み等は全部薬毒の排泄のためである。』

 

(10)生後毒下しを用い、下痢が止まると同時に眼が悪くなり、その後手術をした青年

「御教え集」8号、昭和27(1952)年4月20日発行

「二十六年十月入信の二十一歳の青年。生まれて二カ月目に頭にオデキが出来、毒下しを飲みましたところ、一カ年程下痢が続き、止まると同時に目が悪くなり、お大師様に御伺い致しますと、胎毒と衰弱のためで膿底翳との事で御座いました。五歳、六歳、七歳の時に両眼共手術を致しました。現在遠くの大きな物は見えますが、近くの小さい物は見えません。御浄霊はどこを致しましたら宜しいでしょうか。」

『底翳と言うのは、みんな膿なんだからね。毒下しだね。この毒が――下痢と言うのは、その毒下しの毒ですね。余程強いものですね。これが止まると同時に――と言うんだから、毒が目に来たんですね。その時分本を読むか、何か目を使ったんです。これは作った病気だ。大した手術じゃないんですよ。これも無論良くなるんですがね。これは治らないことはないですね。気長にやれば治りますよ。大した手術してないからね。浄霊は、一番肝腎なのは、後頭部の真中ですね。目はここが元なんですからね。これは何の目でもそうですね。近眼でも乱視でもね。後頭部から下った真中の所ですね。ここが、一寸丸位の所が目の一番の急所なんです。あとは、目の外からやって、ここ(後頭部)と――それが急所ですからね。あとは頸の廻り、肩と――無論固まりがありますからそこを浄霊する。それで治りますよ。』

 

(11)打撲した眼が、医療の結果失明状態になった中年の男

「御教え集」6号、昭和27(1952)年2月25日発行

「四十三歳の男子。六歳の頃右眼に打撲傷をし、約一カ年翳んでおりましたことが御座います。二十六年十一月二十五日夜籾摺の時、俄かに目が翳み、目薬をさしても思わしくなく、町の眼科医の診察では視神経と言われ、二、三日通い、はっきりしないので岡崎市立病院へ行き、左眼黒底翳、右眼白底翳と言われ、十日程通い、毎日両眼に眼球注射しましたが、何の変化もなく、名古屋大学病院で診断の結果、網膜炎と言われ、入院を奨められ、岡崎市立病院へ入院し、毎日眼球注射及び油薬を腕、胸、股に摺込みました。手術して牛の脳を股に入れよと言われましたが、手術直前に御道を知り、早速退院致しました。この時は両眼に三十四本の眼球注射をうち、両眼共に失明状態となり、十二月に妻と共に入信させて戴き、御浄霊を戴くようになってより、寝汗が出、気分も大変軽くなりました。両眼には余り変化がありませんが、多少充血し、一間程近づけば、黒くボーッと見え、言葉を聞いて、人と思う位の状態で御座います。」

「今後いかように進ませて戴きましたら宜しいでしょうか。また御浄霊の個所を御教えの程御願い申し上げます。」

『視神経障害とか、視神経麻痺とか言うんですがね。視神経と言うのは――病名じゃないですね。網膜炎の底翳は大変な間違いですね。網膜炎は眼球の外面ですからね。底翳と言うのは、裏面ですからね。医者の診断はそんなものです。分らないと言えば良いんですが、分らないと言うと値打が下ると思うんですね。あれが困る。要するに不正直なんですね。人間の命を預かる者が正直でないと言うのはなはだ困るんですね。』

『股に摺り込み――これは水銀軟膏ですね。黴毒の疑いがある。これも、別に難かしいのじゃないんですよ。これは、最初打撲症を受けましてね。この時内出血してあった、それが固まったんです。そこで、一旦見えるに差支えなかったんですね。それが、浄化が起って内出血が溶けて、眼の裏に溜った訳ですね。それで見えなくなった。こんなのは、放ったらかして置けば、もう治っているんですよ。お医者に行って、一生懸命に悪くして貰ったんですね。悪くされたんですね。』

『ですから、これは底翳には違いないです――裏に溜っているんだからね。併し、普通の底翳とは違う。内出血が溶けたものですからね。だからこれは、放って置けば段々出て来て、目ヤニになって治ったんですが、良い塩梅にお医者さんに悪くされたんですね。眼球注射と言うのは悪いんですよ。大体、常識で考えても分るんですよ。目の玉に直接入れるのは悪いんですからね。ですから、目の玉に注射して、治るのは一人もありませんよ。実に、医学と言う代物は困ったものです。』

『それから油と言う―― 水銀なんかをこするが、これは大したことはないが、勿論、良くはないですね。気長にやれば治りますが、眼球注射と言うものは、段々目ヤニになって出ますからね。その代り何年か経って出るんですがね。こういうのは、僅かずつ治って来ます。黒くボーッと見えると言うのは、幾らか効き目があったんですね。気長に、今言ったようにやると、段々少しずつでも見えると、希望が出て来ますからね。まあー結構でしたけれどもね。』

 

(12)眼がかすみ、底翳と診断された老婆

(御教え)

「六十九歳の女。昭和二十一年頃から眼がかすみ始め、医師は底翳と申し、暫く前より御浄霊をしておりますが未だ別に変りはありません。いかがでしょうか。」

『目薬ってのは固めますからね。一滴さしても固まるんです。この道の信者以外なら先ず普通目薬を使いますからね。眼の固った奴はなかなか溶けないんです。医学では目玉をくり抜いて裏をはがしてからまた入れて、医学の驚異的進歩って言いますがね。』

『御浄霊は前からでなしに後から眼を狙っやることが大切です。そして眼ヤニや涙が出だしたらしめたもんですよ。それから眼の上が肝腎ですね。毒素は眼の後、延髄の所から前に来て眉毛の上に出て、それから眼に下るんですからね。眼の上は肝腎です。やってみて眼の上が触って熱くなればしめたもんです。』

 

(13)白内障(白底翳)の老人

(御教え)

「私の父ですが、本年七十五歳、昭和二十三年一月に軽い脳溢血を、本年二月持病の心臓の浄化を尊いおかげにて、日々元気にさせて戴き有難く感謝致しておりました。処が五月末頃より眼がかすむと言い始めましてだんだんと見えなくなり、現在では人の顔もはっきりと見えなくなってしまいました。瞳は大きくなり、白いように思われます。朝夕御浄霊をさせて戴いてますが、痛みはなく、変化は、五日ばかり以前よりカスミが出て参りました。前に眼を患ったことはないと申してます。いかように御浄霊致しましたら宜しゅう御座いましょうか。また霊的な関係がありましょうか。右御伺いさせて戴きます。」

『さあ、霊的がないこともないけれどもね。頸筋のここ(延髄から頸部淋巴腺にかけて)に固まりがあるんです。それが溶けて頭へ来て、これ(前頭部)から眼に下るんですよ。白内障ですね。白内障ってのは、黒眼に膿が溜まるんです。その元はこっち(延髄付近)ですからね。この辺をよく浄霊するといいんです。治らないことはないけれど割と長くかかりますね。少しでも涙や目脂が出れば、それだけずつ減って行くんですからね。まあ気長にやるんですね。するといくらかずつよくなる訳です。』

 

(14)次第に視力が弱り、青底翳と診断された人

「地上天国 44号、昭和28(1953)年1月25日発行

「昭和二十三年七月、神経痛を色々と御守護戴き入信さして戴いた者で御座いますが、二十七年五月頃より左眼が次第に不明となり、八月頃には右眼も薄く見える程度になって参りました。家人にも知らさず支部に参り、時々御浄霊御願いしてましたが、十一月三日頃物につまずき主人にも話したところ(主人共四名入信)一応医師の診察を奨められ、そのままに医診を受けました。医師は、血液検査の結果「青底翳」で視力〇・二と言われましたが、そのまま御浄霊を御願い致しております。最近では一間離れましても人の顔さえ判然と致しません。御浄霊は眼の後及び後頭部、延髄を主とし一日支部にて二回帰宅後家人にも御浄霊して戴き、その都度涙のように二、三滴は出ますが目脂までは出ません。私はサフラン、中将湯の飲薬も相当やり、又死産の時手術し、腎盂炎で出血多量のため母体保護のためと申し、人工流産させたことがあります。なお今日にても月経がある程の毒血の持主であります。」

「御浄霊戴いておりましてこのように見えなくなって参りましたのは、内部の毒血が浄化して参り、外部に出て来るための一時的失明で、今後も続けて参りました時、必ず治るもので御座いましょうか。浄霊者は力をぬくことに留意致しておりますが、他に原因が御座いましょうか。御伺い申し上げます。」

『この人は後頭部から延髄付近にかけて固まりがあるから、それを溶かせば必ず治る。併し大分性質の悪い薬毒のため、溶けにくいから気長にやりなさい。いずれは涙か目脂が出るようになれば、少しずつよくなっていく。』

 

(15)青底翳の手術後、視力が衰えた青年

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「二十六歳の青年、九月二十五日に入信。十二歳の時から近視でしたが、二十五年十月終り頃から両眼が少し翳みかけました。二十六年一月医師にかかり、診察の結果「青底翳」とのこと、一月二十四日に手術を受けた結果、全然視力が衰え、現在では右眼の左下の所がキラキラ光って、物を見るのに苦痛で、字なども読めません。また後頭部も常に痛んでおります。浄霊の個所は眼球を直接させて戴いて宜しいでしょうか。またどこをさせて戴きますと宜しいでしょうか。またこれは長引きますのでしょうか。」

『手術を受けたら視力がありそうなものですがね。どういう手術をしたのですか。普通は眼球を抜いて裏の膿を取るんですがね。』

「眼の膿を取ったので御座います。一時見えましたが、直ぐ見えなくなりました。」

『直ぐに膿が溜ったんだ。これは治りますよ。眼の裏に溜まる毒を溶かして溜まらないようにすれば良いんです。やっぱり後頭部――眼の裏ですね。そこをやって ――毒と言うのは、後の方から頸筋を通って前頭部から下って来るんです(頭の上を通り)どこに一番毒があるかと言うと、一番熱い所があるからそこを多くやる。眼と言うのは、前から奥の方を狙ってやるんですね。結構ですよ。気長にやれば、きっと治りますよ。別に難かしいところはない。これは最初近眼だったんでしょう。』

「左様で御座います」

『近眼だから後頭部に毒がある人だね。毒ですね。』

「一度位の手術では治り方に差支えありませんでしょうか。」

『手術にもよるんですよ。眼の裏の膿を取るのは別に差支えない。これは取っても直ぐ溜るんです。お医者さんは実に単純なんです。そこだけの膿を取れば良いと思うが、後続部隊があるからね。この考え方だけでも、実に単純な――馬鹿々々しいものですよ。ですから、盲腸を取った人がやっぱり後で盲腸が痛む人がありますよ。と言うのは、盲腸にくせが溜るくせがつくんです。ですから、後で盲腸部に溜るんですね。それですから、医学の方では、少し位「そこひ」で見えなくなっても、もっと見えなくなるまで打擲らかして置いてくれ。と言います。こう言うのがあります。六十位の時に診て貰った処が、もっと溜り切った処で手術した方が良いと言うんです。というのは、あと溜る率が少ないんですね。それで十年位経ってから行った処が、あなたは年を取り過ぎていて手術は無理だ、と言ったそうです。実際、悲喜劇ですね。』

 

16、トラホームにかかり、医療の結果視力を弱らせた母娘

「地上天国」40号、昭和27年9月25日発行

「(一)愚妻(五十四歳)事三十六歳頃眼病(トラホーム)にかかり、約十年間程色々と医療薬物を用い、ただ今では左眼が失明しております。その間肺炎、心臓脚気等を病みました。(二)三女は五年程前より母と同じような眼病にて、右眼が段々と悪化して、今では薄く見えるのみです。御浄霊は家族または協力者方にも御願い致しております。いかが致しましたら宜しいか御教示御願い申し上げます。」

『右御家内の眼は、薬毒のため失明したのであるから、気長に浄霊すれば必ず治る。急所は後頭部下方に固まりがあるから、そこを浄霊すればいい、次女の腸結核は誤まれる医療のため、三女の眼は母親の遺伝と薬毒故、これも気長に浄霊すれば必ず治る。』

 

17、三歳の頃、底翳になった少年

「光」20号、昭和24(1949)年7月30日発行

「本年(昭和二十四年)十六歳の男子。三歳の頃から「黒ぞこひ」になったと申しております。右は先天的でしょうか。もし先天的なればいかなる因縁で御座いましょうか。」

『三歳だとすれば先天性とも言える。とにかく浄霊をして見ることである。本当の「そこひ」なら治る。ただ薬が多く入っていると手間どる。』

 

18、盲の病理及び正面だけとか、横だけしか見えない人について

(御教え)

「正面五寸程にいきますと見えなくなりますのは――。」

『瞳の中に毒があるんです。目の玉の前か後にあるんです。目はここ(後頭部)ですよ。真中の所ね。すべてそうです。盲は茲に毒があるから、これを取ればどんな盲でも見えて来る。それから正面だけ見えて横の見えない人があるし、横が見えて正面が見えない人もあるし、それは目の玉の毒によってそうなるんだからね。』

 

19、脳膜炎のあと、眼を正面に向けると、正面の下から微かに物の形が見える程度の子供

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「十三歳の男子。二十六年一月から脳膜炎の浄化を戴き、ずっと浄霊をさせて戴いております。現在は手の疥癬の浄化を戴いております。頭は普通のようですが、眼を正面に向けると何も見えず、正面の下側から微かに物の形が見える程度です。目仏が、普通の倍位大きくなっております。別に曇りの症状は見えません。続けて浄霊させて戴きますと治るものでしょうか。眼を直接しても宜しいでしょうか。どこをさせて戴きますと宜しいでしょうか。」

『無論眼も直接しなければならないがね。眼を直接浄霊して、奥の方に通るようにする。それから、裏の方に脳膜炎の毒が――下側から微かに――だから、下の方でなく、上の方に毒が残っている訳ですね。そして固っているんだから、気長にやれば治ります。眼を直接浄霊しても良いし、大体後頭部ですね。眼と後頭部ですね。頭全体になるが、そうすると良い。』

 

20、メチールによる失明の原因

「御垂示録」12号、昭和27(1952)年8月25日発行

「六年前にメチールで盲になった者の御浄霊の急所はどこで御座いましょうか。」

『目をやれば良い。メチールで、最初に目が見えなくなるが、打擲らかして置けば良いのです。メチールの毒が目の上に固っているので、打擲らかして置けば溶けて出てしまうのが、目薬をさしたりするので固ってしまうのです。目の後と目をやればきっと治ります。だからああいった中毒症のものは必ず治るものです。死んではしようがないが、生命あるものは必ず治るものです。それを医者に行って目薬をさしたら駄目です。』

 

21、網膜剥離手術をうけ、失明した婦人

「地上天国 44号、昭和28(1953)年1月25日発行

「信者(四十四歳、職業助産婦)昭和二十五年七月入信、七歳頃「はやり目」にて医療を受けましたところ、右眼に星が出来、次第に近眼となり、十三歳頃より眼鏡を掛け、段々度が進み、三十七歳頃非常に眼が痛みましたので医師の診察を受けましたところ、「網膜剥離」と言われ手術致しました。その後間もなく右眼は失明し、なお黒目が左に片寄ってしまい、二十七年頃より左眼の視力が急に衰弱、明暗の判る程度となり、八、九月頃頭痛と共に全身浄化を戴き、その頃は御浄霊致しますと急に見えたり致しましたが、十一月初め頃より一向に変化なく、ただ今では殆んど失明状態となりました。両眼共外見は失明しているようには見えません。なお御浄霊致しますと眼球がグルグルと廻り、パチッパチッと音がします。最近金色または青色の角の生えた龍のような物が昼夜の別なく、また瞼を開けても閉じても見え、安眠出来ず頭が痺れたように感じると申します。」

『これは最初痛んだ時放っておけば眼脂が出て治るものを医師にかかったため、手術をしたり、その薬毒のためとで、言わば医学の被害者である。併し色々変化があるのは非常によいので、気長に浄霊すれば治る筈だが、ただどういう手術か分らないから、手術によっては全部治るかどうかは分らないが、不自由ないまでには治る筈である。』

 

22、脳膜炎のあと失明した幼児

(御教え)

「生後十カ月の幼児。生まれて間もなく高熱を出し体が硬直し、約八日間一度も乳を飲まなかった事があります。以後体は普通に発育しましたが視力が全然なく笑う事もしません。(御浄霊により眼は綺麗にはなって来ております。以前の高熱は恐らく脳膜炎かと存ぜられます。)御救いを戴けましょうか。」

『これは治るでしょう。やはり脳膜炎ですね。気長にやれば治りますよ。頭に触ると熱い所がある筈です。それが毒の固まりですから、それが溶ければ治ります。赤ん坊は殊に治りが早いですからね。』

 

23、種痘後失明した幼児

(御教え)

「生後七カ月の女児。生まれました時、目に白い雲がかかっておりましたが、種痘後目がつぶれ赤い寒天のような物が出ました。驚いて医師に診せましたところ、目の玉をぬくより外方法がないと言われ、御浄霊をお願いに参りました。御浄霊一週間で赤い寒天様の物は出なくなり、白い雲は薄くなりました。その後十五日になりますが、別段変化が御座いません。果して治るもので御座いましょうか。お伺い申し上げます。」

『治るでしょう。種痘の薬毒が目に来たのでしょう。』

 

24、ジフテリヤ注射の後、失明した幼児

(御教え)

「本年満二歳の子供で御座いますが、昭和二十三年十月種痘並びにジフテリヤの注射を致しまして、一カ月後より全身水疱瘡様のものが出来、注射にて一時止まりましたが、その後再三吹出ものが出来、医療を施しておりましたところ、昭和二十四年十二月二十五日右眼失明に気付き、医師の診察を受けましたところ、一名猫目と言うソコヒとの診断、手術以外の療法はないとのことにて、八方医師の診察を受けましたが、同様で御座いました。昭和二十五年一月十日より御浄霊を戴き、その後目玉が金色より白色に変化、最近はその白さもうすく時々黒色が見えるようになっておりましたところ、急に二十五年十二月三十日頃より左眼も失明致しました。左眼球には一見異常ないようです。いかなるためで御座いましょうか。」

『ジフテリヤの注射は非常に毒が多い。失明も多分そのためでしょう。治るには治るが長くかかる。後頭部をよく浄霊しなさい。大きくなるまでには治るから心配いらない。』

 

25、眼が次第に見えなくなり、急に危篤状態となった後、失明し、頭髪が抜け変り、夢で赤蛇を見た婦人

「御教え集」8号、昭和27(1952)年4月20日発行

「二十八歳の女。頭痛や頸、肩が凝り、顔は常に赤く、怒り易い性格で御座います。昭和二十五年十月頃より、苦痛もなく眼が次第に見えなくなり、二十三日急に発熱し、耳下腺、延髄、後頭部が非常に苦しく、首が自然に前後に振れ、頭の中がゴンゴン音がして、話声は聞き取れず、脈搏は欠滞し危篤状態で御座いました。その後は眼は赤く腫れ上り、涙が多量に出るようになり、幾日か続きました。御守護戴き熱は下りましたが、両眼は失明致しました。十二月六日髪を手入れしておりますと、一本残らず、抜けてしまいました。その後一カ月間は一日三、四回着物を着替える程度の発汗があり、下熱致しましてより、白い毛が生えて参り、御浄霊を戴きまして次第に黒髪に変り、元通りにさせて戴きました。眼は瞳孔が白くなっており視力は全く御座いませんが、黒い水玉のごときものが上ったり下ったり致しております。後頭部は重苦しく、御浄霊を戴きますと、眼が痛み涙が出て参ります。また時々下痢も致します。御浄霊の個所御垂示御願い申し上げます。」

『黒髪に――これは良いな。これは毒ですよ。薬毒が頭に固っているんです。それで毛が抜けて――その毒が固っているんですから、これは治りますよ。黒い水玉――これは目の悪い人は必ずそういうことはある。後頭部――頸と頭ですね。涙――こう言うのは必ず治りますよ。それで、目でも白くなっている目がありますがね。ああいうのは、きっと治るものです。あれは膿が固っているんだからね。だから安心して根気よく浄霊をやりなさい。浄霊の急所は頭だからね。頭の中にうんと毒があるんです。それから頚、肩ですね。その辺もありますからね。それを浄霊して、それで良いです。二十八の婦人ですね。早く――急いで治さないと、結婚も出来ないことになっちゃう。』

 

23、飲酒後、頭、肩に激痛があり、眼球が化膿したようになって視力のなくなった人

(御教え)

「二月頃より左の眼がかすむようになりました。四月初め三日間飲酒致しました処、急に頭肩に激痛を覚えまして、眼球が化膿したようになり、全然視力がなくなりました。御浄霊を続けて戴いておりますが、現在では頭肩の激痛は止まりましたが、視力の方は全然なく、わずかに明暗が分る状態が半月程続いております。一日も早く御守護戴きたく、御浄霊の急所を御教えの程御願い申し上げます。」

『これは治ります。なんでもない、頭の毒血が溶けて眼へ出ようとしている。急所は目と頭と、肩、眼は普通より長くかかるから気長にやる。そのうちに目ヤニが出てよくなるんだから気長にやる事。』

 

27、妊娠中、下熱注射により失明、眼前に影像の見える婦人

(御教え)

「本年二十九歳の婦人。八年前妊娠中発熱のため下熱注射を一本致しましたところ失明し、昨年九月入信当時は本人の眼前に、真黒い顔の影像が現われては消えして、半年間位続き、その後段々影像は白い顔となりましたが、目の廻りだけは真黒で御座います。その後目の周囲まで白く変りましたが、片方の目は星が入っているように見え、現在ではその片眼だけが時に現われ暫くすると青い糸のようなものが現われると、その片眼も消えてなくなって行きます。未だ本人の眼は変化は御座いませんが、眼に映る影像はいかなるもので御座いましょうか。また御浄霊によりこの失明をよくして戴けましょうか。御伺い申し上げます。」

『これは薬毒です。治ります。眼は毒がよく固まり時間がかかる。影像は目が見えなくなったので、見えるようになったのでしょう。』

 

28、右眼を手術して失明、左眼は強度の近眼の男児

「御教え集」5号、昭和27(1952)年1月15日発行

「五歳の男子。生まれつき両眼大きく、医師より「生長するに従って視力が減退する」と言われ、生後八カ月の時、右眼を手術致し、その後右眼は全然視力なく、黒玉が白くなっております。左眼は相当に大きく出ており、視力は強度の近眼位で御座います。御浄霊の個所を御教示下さいませ。」

『大きくというのは、どういうように大きいのかな――目が大きいということはないんだから、瞼が大きいのかな。黒玉が白く――これは、お医者が拵えたんだからね。手術しなければ、なんでもないんだがね。手術した後白くなっていると言うのは、かなり薬毒が――消毒薬ですね。消毒薬が溜って、それが固って白くしたんだから――これは治りますがね。これは眼に――眼球の裏の方に毒があるんですよ。それが圧迫しているんです。押されているんですね。気長にやれば治ります。溶けて来ますからね。元はこっち(延髄)ですからね。それをよく溶かしていくと、目ヤニになって出ますから。それで段々治っていきます。ただ、色んなことをやっただけ治りが悪いんですね。今まで、何にもしてなかったらなんでもないんですがね。未だ五歳だから――年が行かないから――治り良いから、今言ったように気長にやれば良いです。浄霊は目の奥の方と、こっち(延髄)ですからそれを狙ってやれば治ります。それから、頚の廻りにも、毒の固まりがありますから、そこを良く探してやれば良いですね。よく、人が良いと言うことは残らずやったと言うことは、お蔭話に書いてありますがね。人が、良いと言ったことは、アベコベなんだからね。』

 

29、眼病であらゆる療法をして、失明一歩前になった中年の男

「御教え集」1号、昭和26(1951)年9月20日発行

「藤枝安治(五十歳)と申す信者、眼病にてあらゆる療法を施して失明の一歩前に御縁があって本教に入信いたしました。とてもひどい目で御座いましたが、御浄霊後一週間で白目と黒目がやや区別がつくようになりました。左の目の黒玉の上は無数の星にて瞳も解らず、白玉が上に黒玉が中へ離れたようになっておりました。右の目は全くラムネの玉のように飛び出して黒玉の上は筋子(食用の鮭の子)をのせたようになっておりました。左の目だけでもお救い願えればと毎日御浄霊を二カ月許り続けさして戴きましたが、本人の申出で一カ月許り御浄霊を休みました処が、また御願いすると申しますので隔日位に御浄霊を続けました。段々と目ヤニと涙が出るようになり、半年許り後には星もなくなりやや見えて参りました。」

「その中、藤枝氏の長男も入信するように話が出来ておりましたが延び延びになっている中に、商売上で詐欺にあい「夫婦共入信しているのに詐欺にあうとは」と不平を申しますのでお話をいたしましたら、自己の曇りである事を理解したらしい様子でした。最近長女が入信いたしました(長男は未だで御座います)その長男が去る八月七日突然に熱が出て苦しみ、九日に御浄霊をさして戴きました。御浄霊後三十分程いたしますと余計に熱が高くなりました。冷さないようによく注意と説明をして帰りました。翌十日は私事都合で行けませんでしたから代りの者に御浄霊に伺わしました。その時の状態は右の目が腫れ上り結膜が眼玉より離れたように見え、目をつむるとその膜がしわになってまぶたの間に出て来ます。頭は割れるように痛み延髄がはっておりました。善言讃詞を奏げさして戴き御浄霊さして戴きましたが、頭の痛みは薄らぐ様子もなかったようです。」

「十一日早朝私事伺いまして、祝詞を奏上させて戴き御浄霊を続け、御霊紙を少し戴かせまして、一時間許り御浄霊を続けましたが、(前頭部、頚筋、後頭部、肩を重に御浄霊さして戴きました)目が痛い、頭が痛いと申し、熱は下る様子もありません。その中、両手が固くこわばり、一貫目程のものが腹の上に乗っているようだと申しますので、何か霊の作用と思いまして、祝詞と善言讃詞を奏げさして戴き、御讃歌(三尊の彌陀)も捧げさして戴き、五分程御浄霊さして戴く中に楽になりました。そうした事を二回繰返しまして、その日は一旦帰り翌十二日早朝伺って御浄霊をさして戴きましたが、熱は殆ど下りません。その時家の人が「猫の目と同じだ」と申しましたので、その理由を聞きましたところ、迷い猫が来たので半月許り飼っておりました、(主人は反対でした)そこにはケニーと呼ぶ犬がおり、その猫がケニーのために右の目を傷つけられ、ふさがっていたとの事ですその猫を長男が可哀想だけれどと云いながらどこかの別荘で飼って貰えと捨てたそうです。その他にも以前ケニーが二匹の猫を咬殺したそうです。その死体はどうなったか分らないと申します。」

「猫を捨てた翌日から気の弱い長男は突然発病したのであります。こんな事を聞きましたので、台所の隅へ無縁さんに飯と水をお供えするように、また、捨てた猫にあやまり、殺された猫を祭ってあげるように致しました。(右藤枝氏は御神体は未だ御奉斎さして戴いておりません)」

「十三日早朝より御浄霊に行きましたが熱は下らず、食事は一切受けつけません。余り本人が苦しみますので万一を思い医者に見せましたところ、医者は不思議想に見て首をひねっておりました。それでも何か注射をして帰って行きました。」

「私は気が気でなく中教会へ走り、会長先生にお話をいたし、中教会の大光明如来様に特にお願をして戴きました。会長先生は今日は手が離せないが、明日(十四日)早朝一度行ってあげようと申されました。そして、これから私に行くように申されましたので、急ぎ行きましたところこの世を去っておりました。丁度会長先生と共に中教会の大光明如来様にお願いしていた頃に死去したらしいです。」

「以上の様な事情で御座いますが、1、私のとりました方法にどこ処か間違った点は御座居ませんでしようか。2、先祖あるいは猫の因縁で御座いましようか。3、なお、主人もまだまだ長くかかるので御座いましようか。4、長男の死亡で大分家の人が曇つておりますが、この際よく説明してあげて、得心すれば御神体の御奉斎を勧めてもよいもので御座いましようか。何卒御教示の程御願い申上げます。」

『これは、眼病にてあらゆる療法を施したからいけなかつた。何んにもしなかつたら治っていた。失明の一歩手前まで色んな療法でやったんですね。みんな薬毒ですよ。目がひどくなると瞳がはずれますからね。後から押されるんです。薬毒を入れると、薬毒が染み込んで頭に行き、それが溶けて目に来て、後に行き、それが押して出ようとする。玉を押して来れば良いが、そうではない。無論玉もそうですが、クルリと廻って瞳を押して来る。私もそんな人をやった事があるが、瞳がぶら下って来て落ちますよ。目が膿で一杯です。浄霊していると、その中に瞳が段々ひっ込んで元通りになる。目の玉がはずれるなんて想像がつかなかったですね。その軽いものですね。白玉が上に黒玉が中へ離れるんです。これは毒が沢山そこに固まった状態ですね。ですからこれは気長に浄霊して、段々目ヤニが沢山出て来ますがね。そうすると治ります。必ず治るんです。これは最初は一寸したのですそれが薬で作ったんですね。実に恐ろしい。半年許り後には星もなくなり――こう云う具合に治って来るんです。詐欺――これは入信が後れたためにこうなったんですね。併し詐欺にあったと云う事は浄化ですからね。物質の浄化で本当は結構なんです。この人は、未だ曇りがあるために、ある程度取れなかつたら信仰に入れない。そこで祖霊が詐欺にあわせて物質に損害をあわせて、曇りを取ろうとした。だから、本当云えば結構なんです。色々損したりするのは霊的に云うとそう云う意味ですからね。それが判ればむしろ感謝したい位のものです。』

『八月七日突然に熱が出て苦しみ――余計に熱が高くなりました――これは、浄霊者の霊的関係ですね。霊力が弱いと熱が出て、強いと出た熱は下る。弱いとここまで(山形の頂上迄をお示しになる)で、熱を下げる力がない。強いとここまで(山形の頂上を通り下までお示しになる)下げる。ですから力を入れるとこうなります。力を入れない――そうすると熱が非常に冷め易い。目が痛い、頭が痛い――ここ(頚部)をやらなければ。』

『やっぱり猫も関係ありますね。猫が関係あっても、こつちが面白半分で猫を殺してないなら――それ程でなければ、恨みと云うのは一時的なものです。やはり、これは毒が沢山あるんです。薬毒がね。その中、両手が固くこわばり――これは、きっと猫が来たんですね。犬は縛って置けば良いんだ。鎖でつないだ方が良いですね。これはやっぱり猫の霊ですね。』

『この世を去っておりました――ははあ、注射にやられたんだな。』

『それから、やっぱりこう云う家は光明如来様を早く奉斎しなければいけないんですが、そうかと云って無理にしてはいけないし。こう云うのは難かしいです。メグリが多いから、それだけ恵みを戴けないんですね。これは別に死ぬ状態ではない。注射のためでしようね。昔と違って今は浄化が強いから――逆効果が強いから――先には何ともなかったのが、今日は非常に危険な状態になるんですね。こう云うのはあんまり無理に勧めないで、先方が聞きたいようなら話をしてやる。後は出来るだけ、「栄光」や「地上天国」を読ませるようにする。「栄光」一部でも、すっかり読めば、大抵の人は良くなる。そうして急らず気長にやった方が良いですね。それで、こう云う不幸があった後には幾らか迷いが出てますから。そこで、本人に霊界から、そう云った――祖先やなんかが働いた挙句――そう云ったメグリがあって――邪魔があつたと云う結果になった。だから先方が快よく話を聞くようならしてやって、そうして一日も早く光明如来様をお祭りさせる。そう云うような迷いがあったり、色々具合が悪いようだったら御神書を読ませる。そうして後は神様にお任せしておく。』

 

30、眼球を打撲し充血、それを手術した後、頭痛が激しくなった子供

「御教え集」8号、昭和27(1952)年4月20日発行

「五歳の子供。昭和二十六年四月、右眼球を打撲し、黒瞳全部が真赤に充血、四カ月間の医療、二回の手術で見離され、同年九月より御浄霊を戴き、最近頭痛が激しく、眼は腫上り食事は気儘にパン、お菓子の程度のみで御座います。原因及び御浄霊の個所を御垂示御願い申し上げます。」

 

『見離され――これが困るんですね。これは打擲らかして置けば、綺麗に治ったんです。内出血したんですが、放って置けば二、三年で治ったんです。これで、治らないようにしたんです。見離されるようにしたんです。自分でして見離したんです。お医者さんも悪気があったんじゃないが――治そうとしてやったんだがね。最近――これは結構だ。原因は今言った通りですね。浄霊は眼です。それで医者が手術したりする時に、特に手術する時には消毒薬を使いますから、その消毒薬が頭に来て、その浄化で頭が痛むんです。結構ですよ。そんなに腫れて痛むんですから、今に眼から膿が出ますから、そうすると、チャンと治ります。もう一息です。ですから、浄霊の個所は眼です。それから前頭部ですね。これは医学による被害者だからね。だから、原因は医療――こう思っていれば良いですね。』

 

31、アブに眼の縁をさされ、慢性脈絡膜炎と診断された娘

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「本年(昭和二十六年)二十歳の女。三年程前アブに眼の縁をさされ、五、六時間殆んど失明状態でしたが、放任しているうちに段々良くなり、一週間後の視力は、左眼で直線の物を見ると曲って見え、小さな黒点がいつも眼の前をチラチラしております。発病一週間後と三年間経た現在と殆んど変りありません。但し時々見にくくなったり、またはっきり見える時も御座いました。発病十五日後医者に行き、点眼薬を二、三日施した位で医療は加えておりません。今年(二十六年)八月頃に至り、若干眼に痛みを感じ、隅々充血したり見にくくなったりしたため、眼科専門病院へ行き診察を受けた結果、慢性脈絡膜炎と診断され、放任して置いても、手当をしても失明の虞れありと言われたそうであります。この原因はアブの毒のためで御座いましょうか。」

『これは何でもないですよ。これはアブに刺された時内出血したのが、外に出きらないで、目の中に入って固まるんです。殆んど変りがないと言うのは、固ってしまったんですね。二、三日目薬をやったので余計固めたんですね。八月頃に至り――と言うのは、固ったものが外に出ようとして、それで痛んだ。充血したと言うのは、毒血が溶けて出ようとして、白目の方まで溶けたものが、拡ったんです。慢性脈絡膜炎――これは出鱈目です。失明のおそれ――随分悪いこと言いますね。失明なんて絶対ありはしない。そんなことで失明しては堪らない。アブに刺された位で失明なんて、常識で考えてもないです。うっちゃらかして置くと良い。アブの毒じゃない。内出血です。必ず治ります。浄霊すれば、血の固まりが溶けて出ますから何でもない。折角出かかったのを医者に行って――点眼薬なんかやったからです。そう長くかかりせん。失明なんて絶対にないから、安心してやれば良い。医者は分らないんだからね。良い加減な自己判断でやるんだから困るんですね。』

 

32、眼のまわりが黒くなる婦人

「御垂示録」11号、昭和27(1952)年7月15日発行

「三十九歳の婦人で御座いますが、春から夏にかけて両眼の廻りが黒くなりますが、どういう訳で御座いましょうか。」

『よくありますよ。それは毒血があるんです。』

「御浄霊はどこを――。」

『やっぱりそこの所をやれば良い。』

「目の廻りと延髄で――。」

『それは黒い所だけで良いのです。それだけの毒血がそこに寄って来るんです。』

 

33、眼の先に豆粒のような黒い玉が見える中年の男

「御垂示録」19号、昭和28(1953)年4月15日発行

「四十一歳の男。約十年前に入信しており、その前に蓄膿で手術し、その前より目の先に小さい豆粒のような玉が両方に一つずつ黒い玉になって見えており、お道にはいり三年ほど続いておりましたが、最近は二、三寸くらいの蛇になって見えるそうで御座います。手術の時の強い注射などの関係で現在鼻茸が出ております。これは霊的で御座いましょうか。」

『目の見え方によります。目の玉にちょっと斑点のような物があって、それで始終見える場合は、目の玉は何ともなくて、ただ単純に――。』

「目の玉には何にもありませんようです。」

『併しそれは分りません。両方の目ですね。おそらく両方の目の奥です。手術をした時に薬毒が両方の目の奥に固っているのです。蛇ははっきりしていないのでしょう。蛇といっても決って見えるものではありません。いろいろに変化します。』

 

34、目の玉に、イボ様のものが出来て痛む人

「御教え集」2号、昭和26(1951)年10月25日発行

「昭和二十三年九月頃より目が悪く、それより御浄霊を戴いておりますが、目の玉に「イボ」ようなものが出来て時々痛みます。御浄霊は毎日戴いておりますが、未だ良く目が見えません。いかにしたら宜しいものでしょうか。」

『目が悪いと言うのは、良いんですがね。これは最初医者にかかったんですか。薬が入れてあると治りが悪いのですがね。それでなければ目なんか必ず治る病気ですがね。時々痛いと言うのは結構ですね。これはここ(延髄)と前頭部と後頭部ですね。そうすると治る筈ですがね。薬が入っていても治りますがね。目ばかりやっているんじゃないですか。目が悪くても、目ばかりやっていては治りません。前頭部、後頭部――元は茲ですからね。ここをやると良い。病気と言うのは、現われた所は舞台ですから、楽屋の所をやると良い。楽屋に気をつけて見つけるんです。不断から教えてあるからそれを守ってやる。』

 

35、眼薬を用いていた処、瞼附近及び睫が白くなってきた人

「御教え集」3号、昭和26(1951)年11月25日発行

「未入信者(二十六歳)で御座いますが、二十六年一月頃より両眼共結膜炎となり、眼科医にかかり、目薬を毎日やっておりました処、四月頃になって両眼瞼附近が共に少しずつ白色(一見白ナマズ様な色)を帯びて来ると共に、睫も次第に白くなって参り、現在はそれが益々拡って参り、未婚者で御座いますので非常に心配し医療を受けてから九カ月にして、はじめて御浄霊させて戴きました。第一回目で、涙様になって少し浄化して参りました。本人の眼の後、肩腎臓部等には相当固結があります。薬毒だけによるもので御座いましょうか。また相当時日を要するもので御座いましょうか。」

『薬毒だけですね。外に何もありません。最初の結膜炎と言うのは打擲らかして置くと、治るに定っている。頭の毒が目から出ようとして目が赤くなる。血目と言うんですね。それが目ヤニになって出て治っちゃう。それを態々治らないようにお医者さんにして貰った。』

『白ナマズと言うのは、薬が睫に滲み込んでなったんですから、薬毒が無くなるに従って元のように黒くなります。心配ありません。涙と目ヤニが出るのは結構ですから、出る度に喜んで良いですね。相当時日はかかるけれども、長くはありません。原因は結膜炎の時に頭の毒が来た――薬で止めてその薬毒が来ただけだから、やっているうちに両方とも治ります。完全に治りますから、何でもありません。でも良かったですね。知らないと、どんな盲になったか分らない。』

 

36、眼が痛み、物が二重に見える老婆

(御教え)

「六十一歳の未入信の婦人。本年七月十六日午後九時頃より、左眼が痛み始め翌朝より物が二重に見え出し約一カ月病院に通いました。十月十八日より御浄霊を戴きに来られ、最近では痛みはなくしていただきましたが、二重に見えるのが変り御座いません。二十五年前トラホーム、逆さまつげで四年間苦しみ手術をしたそうです。御浄霊により二重に見えるのがよくして戴けますでしょうか。」

『治りますよ。痛みは昔使った薬毒。毒の浄化で瞳孔が開き加減で二重に見える。後頭部をよく浄霊する。』

 

37、逆睫の原因 

(御教え)

「逆睫毛は抜いても抜いても生えるのはなぜでしょうか。」

『逆睫毛は先祖が神仏に無礼をした罪、自分が前世で神仏に無礼をした罪の結果です。眼は日月即ち神を現しています。信仰を続け、浄霊をすれば軈て癒えます。』

(御教え)

「親子で逆睫毛(さかまつげ)の人がありますが、これは御浄霊で治りましょうか。」

『これは前の世の罪で、神様に御無礼したんですね。目は神ですからね。だから毛が目を突くんですよ。その罪のためですね。浄霊すると治りますよ。』

 

38、一重瞼と二重瞼に就いて

(御教え)

「一重瞼と二重瞼はいかなる関係があるので御座いましょうか、御伺い申し上げます。」

『関係はない。瞼の堅いのと軟らかいの相違である。』