『科学と迷信』

抑々、私の創成した此日本医術なるものは機械や薬剤等の如き物質を一切用いずただ手指の技術を以て凡有る疾患を治癒するのである。手指の技術とは、実は人間特有の霊気を、手指に集注放射させるのであって、即ち霊を以て霊を治すという原理から出発しているのである。従而、非物質である処の霊の作用であるから、人間の眼にも見えず、手にも触れないので、現代人の如く唯物的先入観念に支配されている以上、非科学的に思われ易いのである。然し乍ら一度施術するや、実に驚くべき治病力を発揮するので、初めて見た眼には、其不可思議に驚歎せざるを得ないのである。然るに其根本原理を知るに於て馴かの不思議もなく科学的解説を為し得るのである。

真の科学とは、勿論真理の具現であり、真理の具現とは、些かの迷信も先入観念も潜在意識も混ずる事を許されない――事実そのものでなければならない。此意味に於て、私の治病法こそは実際に病気が治るのである。根本的に全く再発の憂のないまでに治るのである以上、私は科学であるというのである。

然るに、西洋医学の療法に於ては、其理論と形式に於て、実に治癒するが如くみゆるに拘わらず、病気は更に治癒しない。又西洋医学の衛生や健康法は、洵に巧妙精緻を極めているが、それを実行すると難も健康は増進しないのである。見よ、文化民族の体位は低下し、衰亡の運命を示唆しているではないか。人類が医学に要望するその期待と、余りに隔絶している事である。此意味に於て西洋医学は現代に 於ける一種の迷信と謂えない事はなかろう。

現代人は、口を開けば迷信の恐るべき事を言う。そうして、迷信は宗教や伝統の中にのみあるように思っているが、何ぞ知らん、最も進歩せりと思っている科学の部面に於ても迷信の在る事を知らねばならないのである。それは、真実ならざるものを真実と思惟し、何世紀にも亙って、漸次的に人間の常識とまでになって了つた事実である。

そうして、世間よく、信ずるから治るというが、それは観念の援助によって効果を強めるという訳である。然るに、私の医術に限ってそんな事は微塵もない。治療を受ける病者が柳かも信じなくても可い。否大いに疑いつつ施術を受けても、其効果は同一である。之に就て好適例を書いてみよう。

之は、有名な元国務大臣を二度までされた某大官の夫人で、永年の痛疾が私の治療によって短期間に全快したのであるから、此治療に対し絶大の信頼をおかれるようになった。然るに、その御子息である帝大出の現在某会社員である御仁が偶々風邪に罹り、一月余り医療を受けたが更に治癒しないのみか、漸次悪化の傾向さえ見えるので、母であられる右の夫人が頼めて私の治療を受けられたのであった。私が最初診査してみると、医師は乾性肋膜の診断であるが、私は、それは誤診で、私の診る所では肋間神経痛であると言った。然るに、其御子息は非常に立腹され、自分が信頼する日本有数の大家の診断に対し誤診であるとは怪しからぬ。そんな先生の治療は断じて受けないというのである。然るに夫人は医療では治らない。私の療法によらなければ絶対治らないとなし極力奨めるのであったが、御子息は平素は 大の親孝行であるに拘わらず此時は不思議にも、外の事なら親に逆らう意志はないが、今回の病気に対しては、私の治療を受ける事は如何にしても気が向かないという理由で、頑として承知されなかった。それで夫人は考慮の結果夫君に応援を求め、両親協同で口説いたので、流石の御子息も畢に一週間だけ私の治療を受ける事を承諾する事になったのであるが、面白い事には条件をつけるというのである。その条件というのは、病気に関する事は一切言わないで欲しいという事であったが、私はそれを承諾し、其代り一週間の間、医師の診察は差閊えないが、薬剤を使用しないという事の条件を私の方でも提出し、承諾されたのであった。其様な訳で御本人は私の治療を疑う所か、それ以上で、寧ろ反抗的気分で受療したのであった。然し私は反って面白いと思ったのである。何となれば反抗的気分で受療する事と、病気に関する事は言わないという事は、前者は観念的分子の入りようがないという事と、後者は、言語による病気治癒の暗示が出来得ないという訳であるからである。

然るに、病状はといえば、毎日発作的に発熱四十度以上に昂り、猛烈な悪寒と滝の如き盗汗があり、咳嗽が激しいので衰弱日に加わるのであるから、主治医及び応援の某大家とは非常に心配し、相談の結果入院を勧めるのであった。然るに幸か不幸か、選択した病院の病室が満員で、直ちに入院する事が出 来ないので、室が空き次第という事になった。其時が丁度四日目位の時であって、後三日で予定の一週間となるのであるから、夫人も私も気が気ではない。夫人が日うには、「現在のような状態で入院したら、先ず生命は覚束ないと思うし、それかといって、部屋が空いた通知が来れば、直に入院させない訳にはゆかないから、満員を幸い、通知の来ない内に是非共平熱にして欲しい」との要求である。是に於て私も夫人の心情を察すると共に又私の治療の偉効を見せなければならない破目となったのである。そ うして四十度以上の発熱は、夜中の二時から三時頃という事であったから、その発熱の状態も見たいので、意を決して一晩宿泊する事となった。それが、五日目の晩であった。然るに、六日目はさしたる変化もなく、病院からの通知もなかった。遂に最後の七日目とはなったが、幸いなるかな、朝の体温は七 度を割って六度人分であるとの報告があったので、私はほっとしたのである。その日は最高七度合で八 度を超えなかったから医師も入院を取止めにしたのである。其後漸次平熱となり、全快したのであった。右は全然迷信的分子の入らないという事の例としては完璧のものと思うのである。之によってみても、本医術は科学である事は疑いないであろう。

そうして、右の患者に就て、私の観る処をかいてみよう。病歴は、最初普通の風邪であって、熱は最高八度前後最低六度合で、それが一週間位続いた後稍々不良となり、最高八度五分最低七度五分位となった。それが二週間程続いた後俄然として四十度以上の高熱になり、咳嗽悪寒等右に述べた如くになったのである。

私が最初診査してみると、病気からいえば八度位が適当であって、高然の出べき筈がないのであるから、四十度以上の高熱は全く下熱剤による反動熱である。故に下熱剤服用をやめれば、反動熱は漸次下降し、病気だけの熱になる訳である。私はその説明を夫人及び御子息に聞かせたのである。 次に、驚くべき事は、五日目位の時、匠師は診断して曰く、最初の乾性肋膜は殆んど全治しているにも拘わらず四十度の高熱が持続するという事は、病気が肺の深部にまで進んだ証拠で、之は容易ならぬ症状であるから、絶対入院しなければならないと夫人に言ったのである。私はそれを聴いて笑って言ったのである。「肺には何等異状はない。もし肺臓に病気が進行したとすれば、呼吸に異状がなければならない。然るに、呼吸は普通であるから、医師の診断は誤診であるから安心されたい」と説明したので、 酪夫人も安堵の胸を撫でたのであった。茲で私は右の事実に対し大問題を包含している事を述べたいのである。

それは、最初単なる風邪であるから、放任しておいても一週間位で全治すべきであるのに、医療は解熱剤によって下熱させようとした、その為に逆に反動熱が発生したのである。而も其高熱に対し、重症の肺患と誤診し、入院させようとするのである。そうして入院後は勿論絶対安静によって胃腸を衰弱させ、下熱剤によって反動熱を持続せしめ、其他注射、湿布等によって浄化作用の停止を行うから、漸次衰弱死に到らしめる事は当然である。今日結核蔓延とそれによる死が此様な誤診誤療による事も抄くないであろう事を想われるのである。

鳴呼、哀れなる仔羊よ、爾等を如何にして救うべきや!