「ご浄霊で金庫開く」

御蔭話 福岡県S.M. (昭和二六年一〇月三〇日)

人生僅か五十年といいますが、五〇年にしろ仮令一〇年にしろ、人の一生の中には「なやみ」がございます。子供には子供としての「なやみ」があり、大人には大人としての「なやみ」がありましょう。この「なやみ」を幾らかでも少くし、その日その日を明朗な気持で過すことが出来る人、これこそ本当に幸福な人と言うべきだと思います。

人は誰しも心配事が生じた時、誰にともなく頼りたくなるものでございます。これは人間の弱さでもあり、こんな時こそ信仰の偉大さをつくづく感ぜられるものでございます。信仰に依って救われる・・・・これは実に綺麗な生き方でもあり、信仰こそ幸福の第一歩を掴み得たと同じだと思います。

もともと私は信仰の道に入るなんて夢にも考えていませんでした。最初すすめられるままに何心なく、何と言いますか、只、漠然とした気持・・・・単なる好奇心、といった軽い気持で入信しました。端的に申しまして、御守護を頂いてみたい・・・・と言った方が正直な言い方かも知れません。暫くは何のこれと言った反映もなく、特筆すべき程の事も起りませんでした。最も時に触れ事に従い、何事にも手を翳してみました。ところが時日の進むに従い、不思議な事ばかり起りました。科学的な固い頭の父の口からも「それは不思議だ」と言う声さえ聞く様になりました。

病気に就いては多くの人々の体験談ですでに立証されてはいますが、お医者、鍼、灸でさえ見放された、長年の母の顔面麻痺神経がいつの間にか恢復し、私自身の急性盲腸炎も手を翳して治り、その他詳細書くまでもなく入信以来、全家族医者にかからなくて済む様になりました。それだけでもその御威光の偉大さを深く感謝していますが、忘れも致しません或る日の出来事です。「奇蹟」これこそ本当の「奇蹟」といえましょう。実に不思議な事が生じたのでございます。

私は郵便局に勤めていますが、私の担当課「保険」に今度新しい金庫が参りました。私は何気なしに鍵を掛けたり、開けたりしているうち、何うした加減か、ふと開かなくなりました。何うしても開きません。さあ大変な事になったと、私は懸命に開けようと努力しましたがやはり開きません。だんだん心配になってきました。近所に居合せた男の局員の人々にも応援を頼みましたが、依然として開きそうにありません。私は愈々心配が深まり、どうしょう・・・・泣き出したくなりました。男の局員も入代り立代り色々と扱ってみましたが矢張り頑として開きません。「仕方がない、壊すより外ないでしょう」と皆さんがいいます。今着いたばかりの金庫を壊すとは・・・・私の責任上もう居ても立ってもいられません。局長さんに詫びょうか?弁償・・・・次々と私の頭は混乱し、その時の気持は何に誓えようもなく、全く生きた心地とてもなく、心配で心配で不甲斐なくも悩みつづけながら走って家に帰りました。その晩は勿論なかなか眠れませんでした。一晩中どうしょうか?・・・・こうしようかと心配し続けて、とうとう夜が明けました。元気もなく沈みながら足どりも鈍く出勤はしたものの、気が気でないので局に着くが早いか、今一度一生懸命開け様と努めてみました。矢張り駄目だ・・・・愈々観念の眼を閉ず、仕方ない、潔く局長さんに詫びよう、そして責任をとろう・・・・と行きかけたとき、さっと心に閃きを感じました。昨日から今が今まで気が付かなかった。

「そうだ!」最後の頼み!手を翳してみよう。そう思った途端、無我夢中で御守護を賜わりますよう・・・・開くように・・・・助けて・・・・と幾度か心に念じつつ、 二分間位も一生懸命手を翳しましたでしょうか。そしてこれでも駄目なら、と心に決して鍵を廻せば、実に不思議、昨日から数人の人々がどうしても開け得なかったこの金庫が、ガチャンという音と共にさっと開いたではありませんか。私は暫く茫然自失今開いたばかりの金庫を眺めるのみでした。

鳴呼何と御威光の偉大なる事でしょう。

有難さは身に沁みとめどもなく感謝の涙は類を伝わりました。そうだ一刻も早く母を安心させ様、私は我が身を忘れ嬉しさの余り飛んで家に着くが早いか「開いた」「開いた」「手を翳して」・・・・と連呼しながら。

遠く遥か東の方に向い、御明主様に手を合わせて感謝暫し止みませんでした。全く浅薄な人智にては神力の偉大さは到底体験者でなくては分らない事を痛感し、今後益々地上天国建設に出来る限りの御用をさして頂きとう存じます。