御教え『薬毒の恐ろしさ』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

薬毒の恐ろしさは、常にいう事であるが、左の実例はそれが極めてよく表われているので、この文を添えたのである。ところが多くの人処か、お医者迄が、反対な考えで薬をのむ程よいとして用いるのであるから、実に恐ろしい世の中である。従って本教が若し現われないとしたら、この世の中の人はいつまで経っても地獄の苦しみに喘いでいるのであるから、これだけにみても本数の救いの如何に大したものであるかが分るであろう。

 

御蔭話 福岡県N.S.(昭和二六年一一月一日)

私は今まで通りであれば後一年と生命のなかった体を今度明主様の御力でお救い戴いた者でございます。

幼少の頃より膀胱カタル、腎臓炎、盲腸炎、肺炎、中耳炎、関節炎等とあらゆる病気にかかって居た私でございます。そして三年程前から急に食欲がなくなり、日に一杯の御飯さえ頂けなくなりました。家の者はいろいろと心配して何かと心づけてくれましたが、全然効果がありませんでした。遂に昨年の六月より、肋膜炎との診断を受け、病床に臥す身となりました。初めはさほどではなかったらしい症状が、昨年五月の末には医師も首をひねる程になりました。今から考えますと薬毒の為に衰弱したのだという事が分りますが、当時はこれ丈治療しているのにどうして快方に向わないものだろうかと口には出さなくても心では日夜煩悶しておりました。食事は依然として少しもほしくなく、まるで砂をかむようで、只注射と薬に明け暮れておりました。母も私の事の心配や過労で血圧が高くなり、不眠症になって薬よ鍼よといろいろの手当を致しておりました。

丁度その頃、御近所にYさんと言うとても重病の方が元気になられ、母が驚いて尋ねに行きますと、この有難い光明如来様のお救いを戴かれたとの御話でございました。それでかねてお勧め下さっていたMさんの御紹介で座談会に参りました時、ただ一回の御浄霊でとても良く眠るようになり、それより母は毎日教会にお参りするようになりました。それから母の症状が日一日とぐんぐんと良くなってまいりました。でも私は一種の精神作用だとばかり思っており母がどんなにすすめてもいつもせせら笑っておりました。今から考えると誠に勿体なくて、ほんとに相済まない事でございます。母は七月一四日に入信いたし、それからは一層私にすすめるのでした。『栄光』新聞や『地上天国』を枕元にもって来たり、『神示の健康法』の御神書をお借りしてきたりしましたが、私は手にも取りませんでした。母が余りすすめますので御浄霊をいやいやながら半ば嘲笑的な気持で一〇日程母より頂きました。母がどんなに言っても私はその間消化薬と栄養剤はどうしてもはなせなかったのです。すると肩がこり腹部が張ったりして益々悪くなっていると思い、御浄化の事を信じられなかった私はとうとう途中でやめて仕舞いました。

下剤をかけ、その後は薬をあびる程のみました。それから一週間程たった八月九日の晩に六回程真っ白な泡粒の様なものを吐きました。今考えますとそれは大量の薬毒だったのでございます。信じてお受けしたのではなく、半ば強制されたその上に薬をのみながら御浄霊をいただいた私でも、神様は公平に毒を出して下さいましたのでございます。ほんとに有難い事でございます。母はすぐ御浄化だと気づき、私に御浄霊をしてくれたのでございます。六回程吐いてくたくたになり、身動きもできなかった私が御浄霊ですっかり気分が良くなると共に心の中には、いつしか御浄霊を御受けしようという気持が出て参りました。翌一〇日の朝は御飯の味が少し出て二杯程いただきました。一一日に初めて母につれられて教会にお参りし、先生(男性?)から御浄霊を頂きましたが、その時に「大丈夫すっかり良くなって元気になりますよ」との御言葉に真暗であった私の心の中に一筋の光明と安心感が出て参りました。殊に胃は握飯をはめたように固くふくれ、腸は板をつけたように固り、全く薬毒の為にその働きが出来なくなってる事を悟らせて頂きました。一、二回の御浄霊で御飯も今までになくおいしく人並以上に頂ける様になりました。

そして一年半ぶりに自分で床も上げさせて頂きました。医学迷信にかかっておられる世の人がこの教えに入られる時の心境も私と同じであろうと思います。だんだん御浄霊を続けさせていただいている内に胃も腸も薬毒が溶けて柔らかになり、形まで変って人並の身体の様になって参りました。或る時は高熱が出て全身がむくみ、或る時は教会で二度も卒倒したり、胸が痛み頭がしびれた事がありました。

この間、薬毒を粟粒の様な唾液や牛乳の様な小水として絶えず出させて頂きました。

初め健康にする為に次から次へとのみました薬を神様は広大な御光によりたやすく楽に出して下さいました。今更ながら今の世の人がいかに間違った道に迷って居るかという事を分らせて頂きました。

私も八月二三日にこの有難い御神力を戴き、それ以来感謝の日々を送っております。

今では少々走ってもさして体にこたえないようになり、洗濯や炊事等も人並に働かせて頂き、しみじみと健康の有難さを覚らせていただきました。何のとりえもない罪穢れの多い私を、明主様の偉大な御霊徳で御救いを頂き、これからは迷った道で苦しんでおられる方々に一人でも多くこの有難い御道の事を御伝えさせて頂きたいと思っております。最近も喘息で苦しんでいられた方が御救いを頂き、感謝の中に入信致されました。

以上の事実の前に感激致しました無神論者の父が、早速御参りさせて頂きまして間もなく入信させて戴きました。

誠に何と御礼申し上げてよいか分りません。

明主様有難うございました。

この上は新しく頂いた命を新しい御代の建設に身心共におつかい戴きとうございます。重ねて明王様御礼を申し上げます。誠に有難うございました。