自観叢書第12篇、昭和25(1949)年1月30日発行
私が解く処の多くの説は、その殆んどが前人未踏のものばかりといってもよかろう。之に就て、良い意味の疑念を起す人が数多くあろうと思うから、その訳を簡単にかいてみる。
私は常に地上天国建設を唱えているが、之は私が考え出したのではない。天の時到って神が私をして実現すべき計画と様相を示すと共に、目的を遂行し得る絶大なる力を与え給うたのである。その力の中、物を識る力の発揮が私の解く説となり、今日迄暗幕に鎖されていた謎や、霧に覆われ臓朧としていたものなどがはっきりと霊覚に映り、其のままをかくのであるから、一切が開明せられる時となったのである。恰度今日迄夜の世界であったから、暗の夜の不可視は勿論であるが、月明と難も、鮮明に物を見得る程ではない。それが現在迄の世界の実相であった。
処が、昭和六年の半頃から黎明期に入ったのである。その時を契期として、漸次太陽は上昇しつつ昼の世界に入った訳で、今や光明世界は来らんとし、地上天国は出現せんとするのである。此意味に於て、凡ゆる謎も秘密も社会悪も、光明に晒される事になった。いわば不透明が透明となり、悪の隠れ場がなくなる時となったのである。
人間の三大苦である病貧争の原因が、悪から発生したとすれば、悪の追放によって病貧争絶無の世界が生れるのは敢て不思議ではない。
そうして右の三大苦の中に主たるものは、勿論人間の病苦である以上、病患の根源と雖も明かとなるのは当然で、茲に病無き世界が実現するのである。
そうして今日迄の宗教を初め、哲学、教育、思想等凡ゆるものは一切に対し或程度以上の解釈は不可能とされ、深奥なる核心に触れる事は出来ないとされた。彼の釈尊は七十二歳にして吾見真実となったと云い、日蓮は五十余歳にして見真実となったと云う事であるが、見真実とは、前述の核心に触れた事を言うのである。それによって明かとなったのが、釈尊に於ては法滅尽と弥勒下生であり、日蓮に於ては六百五十年後浄行菩薩が出現し、義農の世となるという事であった。キリストは見真実の言は発せられなかったが、「天国は近づけり」という事と、「キリスト再臨」の予言は、見真実によらなければ判る筈がないのである。其他昔から見真実でない迄も、それに近い聖者の幾人かは現われた事は想像され得るのである。そうして見真実を判り易くいえば、ピラミッドの頂点の位置に上ったと思えばいい。ピラミッドの高き尖端に立って俯瞰する時、高い程視野が広くなり、多くを見得るのと同様である。
茲で私の事を云わない訳にはゆかないが、私は四十五歳にして見真実になったのである。見真実の境地に入ってみれば、過現未に渉って一切が明かに知り得る。勿論過去の一切の誤りは浮び上って来ると共に、未来の世界も其時の人間の在り方も、判然と見通し得るのである。といって知り得た総てを今は語る訳にはゆかない。何となれば、サタンも提婆もバリサイ人も未だ妨害を続けつつあるからである。故に或範囲だけを発表するの余儀ない訳であるから、今一歩という所で、徹底しない悩みのなきにしも非ずであるが、之も経綸上止むを得ないのである。然し、今迄だけの発表でも前人のそれとは格段の相違のある事は、私の文章を読む限りの人は認識されたであろう。
以上標題の如く、己に神秘の扉は開かれたのである。