御教え『毒素は頭脳に集中』

「東京日々新聞」昭和28年2月25日  法話 Ⅱ

薬毒の溜る場所は必ず神経を使うところに限られ、上半身、特に頭脳を中心として眼、耳、鼻、口などでここに毒素が集中して一たん頸(くび)の周りに固まる。これをコリといって、ある程度に達すると浄化作用(自然排泄作用)が発生する。この場合、発熱によって毒結は溶けて液体となり、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、熱尿などになって排除される。この状態を普通感冒と名付けている。感冒は、毒素排除の一つの過程だから、少し苦しいかも知れないが、我慢して自然に委(まか)せておけば順調に排泄され、体内は清浄になって治る。これを知らないからこの浄化の苦痛を悪い意味に解釈して考え出したのが医療だ。この医療というものがどんなに間違っているものだか解るだろう。

ところがこの浄化作用は人体の活力が旺盛であればある程、起り易いもので、これを停めるには、人体の活力を弱らせるに限るというわけで、薬を用いたことになる。またよく効く薬とは、中毒を起さない程度に毒を強めたものだといえる。このように薬毒で溶解排除しようとしてかえって毒素を固めてきたから、今の人達が如何に有毒者であり、病気が起り易くなっているかはよく解ると思う。

最近人聞の平均寿命が六十何歳になったといって喜んでいるが、これはおかしい。人間は病気さえなければ、百歳以上は楽に生きられる。百歳以下で死ぬのは病気による不自然死のためで、無病となれば自然死だから当然長生きする。要するに医療は病気をなおすのでなくて、一時的苦痛の緩和手段に外ならない。医療の中で一寸違うのは灸点(きゅうてん)と温熱方法だが、これも一時的な熱の剌激によって、その場所へ毒素を誘導させるので楽にはなるがまた元にもどってしまうから、結局なんにもならない。

ラジウム放射で癌を破壊する方法もあるが、これも癌だけの破壊なら結構だが、実は組織そのものまで破壊してしまうから差引きマイナスだ。つまり現在までの療法は徹頭徹尾固める方法で毒素を溶かして、排除させはしないわけだ。このことは病人が医者の所に行っても、医者は決して「治す」とはいわず、「固める」というのを見ても解る。余談だが、治そうとして高い薬などを使っている人ほど病気がなおらず、その反対に「どうでもいい」と思う病人程、治りがいいという話を、医者からよく聞くが、これはよく解る話だ。昔の諺に「ウヌボレとカサッ気のない者はいない」というのがあるがこのカサッ気は、俗に胎毒といっており、近代医学では遺伝黴毒ということだ。これは薬毒の古くなったもので、一度は排除作用が発生しなくてはならないのだが、この現象を天然痘といっている。昔ジェンナーが種痘というものを発見して、天然痘をまぬがれたが、種痘によって天然痘の毒素が完全に消滅したわけではない。これは単に排除の力を弱まらせただけで毒は依然として体の中に残っている。この残っている毒素がいろいろな病源にもなっている。その順序をいうと、毒は時が経つと、身体のうちのどこかの場所に集まって固まる。

この浄化作用が感冒でありまたいろいろの皮膚病、擬似小児麻燥、脳膜炎でもあるがイギリスや、フランスの国民の健康が衰えたのは、種痘が発見されてからという事実から見ても、人類から天然痘を失くすためには、薬を全部海にでも捨てなくちゃいけないが、こんなことをしても急には効果が現われない。何故(なぜ)かというと、何世紀もの間、薬詰めになってきた人間だから全部治すには、二、三代はかかると見なくてはいけないだろう。