御教え『世界統一』

「病貧争絶無の世界を造る観音運動とは何?」昭和10年9月15日

我日本が、将来世界を統治すべき使命のある事は、如何なる点から観ても肯定し得らるるのであるが、その最も特質とすべきものは、万世一系にして、金甌無欠(きんおうむけつ)の皇室を戴く事であり、又、東西両文化を遺憾なく吸収して、綜合調和する、不思議な国民性である。

彼のイブセンが唱えた第三帝国とは、日本の将来を予告したとも言えるのである。然し乍ら、日本の世界統一は、飽迄(あくまで)覇道的、侵略的ではない、全く天地の方則に適(かな)った道義的統一である。万国が屈従するのではない、悦服するのである。

そんな途方もない事が、事実出来るであろうかと、疑ぐるであろう、そして、一体誰がそんな大きな事をするのか、その事業を、運動を、何人の手に依て遂行するのであるか。

日本は本来、世界の祖国である。天地創造の際、最初に胞衣(えな)として造られたる国が、日本である。故に、全世界の雛型である。例えば、我本州は、欧亜(おうあ)大陸に当り、北海道は北米に、台湾は南米に、九州は阿弗利加(アフリカ)に、四国はオーストラリヤに当る等である。其(その)他、山川島嶼(さんせんとうしょ)等、仔細に点検すれば、悉く雛型になっている。

彼(か)の明治の王政維新は、実は日本だけの事件ではなかったのである。之が終(つい)に進展して世界的王政維新になるのである。日本が、日本天皇が、世界を統治遊ばさるる前、先ず、世界の雛型たる日本に、これが現われなくてはならない。何百年、武家が擅(ほしいまま)にしていた政権を奉還し奉り、爰(ここ)に、本然に立還って再び天日暉(かがや)く事になったのが、王政維新であった。斯事(このこと)を今後の世界に、当て嵌めて考えれば、明確に判るであろう。

日本が満州と結び、今や、日支和平工作に迄進み、亜細亜(アジア)の盟主たる偉容を、如実に現わして来た事と、欧羅巴(ヨーロッパ)が日に月に、崩壊作用に向って進みつつある実状を観たら、凡そ判るであろう。

日本天皇陛下が、世界を統治被遊(あそばさ)るるとすれば、その御統一の中心地点は、無論、我東京である。天祖天照皇大御神(あまてらすすめおほみかみ)が、天の時到って、世界統治の大経綸を遂行なさるに就ては、その実行機関と幾万の選ばれたる人がなくてはならない、それは軍人も政治家も産業家も力を協(あわ)せなくてはならない。世界人類を、道義的に救い服(まつ)ろわせるという事は、寔(まこと)に崇高にして、聖なる事業である。それにはどうしてもより宗教家の活動を要する事である。

世界統一は、日本天皇の大御稜威(おおみいづ)に依って成るのだ。

大御稜威(おおみいづ)とは尊い光が八紘(はっこう)に輝く事である。

此御光(おんひかり)をば、全世界に、伝達する人民の活動として、即ち我観音運動が生れたのである。

尊厳にして犯すべからざる、大君(おおきみ)は、雲の上に日月の如くに輝きいますのである。世界統一に就ての御軫念(ごしんねん)は、些(いささ)かも動かせ給わぬ事を仰ぎみるのである。それは、天祖大神の深甚なる経綸と人民の忠節による、舎身的(しゃしんてき)活動によって成るのである。世界統一という、空前なる大業であるから、如何に愛と慈悲を以てするも、偶々(たまたま)不満の国又は民が、些かも無いとは保証し難いであろうから、夫等は、飽迄、人民が責任を負わなければならないのである。