11月に向けての学び
はじめに
責任者:
先月までのあの暑さが嘘のように過ごし易くなりました。季節の変わり目は体調を崩しやすくなったりします。そういう時は“Take it easy”のんびりと出来る時間を作って体を休めていただきたいと思います。
さて、先月の学びを通して私個人としましては、漠然としていた『伊都能売』ということに対して認識が深まりました。そして、メシヤ教の進めようとしている「世界メシヤ教復興事業」に対する認識と、それを実行させていただくメシヤ教信徒としての自覚が強くなりました。皆さんはいかがだったでしょうか。
先月の学びの続きになりますが、以下のように楳木代表が「世界救世(メシヤ)教」復興事業を開始されようと御思いになられた経緯と、復興事業を行おうとする際の趣旨を書き記しておられますので、メシヤ教のホームページより抜粋させていただきました。
「メシヤ講座・特選集no.71(平成18年12月分)」より抜粋:
(前文割愛)
「世界救世(メシヤ)教 復興事業」を開始
楳木代表
私は、7年前にメシヤ教の御神業を始めるに当たり、「世界救世(メシヤ)教復興運動」として展開する予定でした。しかし、『まず本来の宗教活動の見本を提示するように』という神様のご指示があり、教団紛争の真相を暴露する書籍の出版計画等を中止いたしました。そして、ゼロから布教活動に取り組んでまいりました。
全くのゼロからのスタートでしたので、あるサイトからは「個人レベルの活動のよう・・」と軽視され、前所属教団からは「ママゴト的活動」と揶揄されましたが、草創期の追体験をさせられた感懐を持っています。
また、わずか数人の方々でしたが私の取り組みを支持してくださいました。その方々には、前教団から非難中傷を受けるなどの大変なご苦労をお掛けいたしました。しかし、七年が経ち、数霊学の通り準備が成り、活動の基盤が整いました。時期の到来と共に「運動」から「事業」化することに相成りました。
平成19年早々から、これまでのメシヤ教としての御神業に加え、「世界救世(メシヤ)教 復興事業」として取り組みを開始いたします。
何故この事業が急浮上して来たか、と不思議に感ずる方もいらっしゃるかと思います。実は、ここ数ヶ月間にメシヤ様を教祖と仰ぐ教団でありながらも、本来のメシヤ様の愛に包まれることなく、「信仰地獄」に陥り苦しんでいる方がたくさんいらして、その方々へお会いしました。「何ということか!」という衝撃を受けるほどの様相でした。
その方々の救済へ取り組みつつ、「何故このようなことが頻発するのであろうか」という疑問が胸を突き上げてきました。もとより現・世界救世(きゅうせい)教の現状は「いづのめ」のブログで知られるように悲惨な状態です。
神様からこれほど偉大な御力を賜わり、これほど真理に透徹した御教えを賜わりながら、その任を果たし切れていないことは非常に残念なことです。同時に、人類にとって多大な損失であります。
先ほど来指摘したような時代の実相に対して、教団としての「教・論・律」を提示する取り組みを怠ってきたツケのように思われてなりません。(しかし、これは善意に解釈した上での話です。)
やはり、『開教の辞』で述べられた『悪のトドメ』に対する阻止策・防御策であろうと考えることが妥当であると思われます。メシヤ様ご自身でさえ、「ご法難」、「ご法難の再発防止という名目下での御神業への制約」、「ご法難の後遺症による短命化」と、上手に邪魔され続けました。まして人間おやであります。
その結果、本来の在り方から逆行することを強いられたのです。
行使できる力が強いだけに道を踏み誤る危険性も多い、ということは御教えに説かれている通りです。ここは厳として、「宗教の使命」を果たす働きかけをせねばなりません。もっとも、全ご論文、問答形式の全御教え、全詩歌集を持たぬ教団があることも確かなので、著作権の消滅した今は共有化を図らねばならないということも必要ではあります。
何故なら教団紛争があったからこそ、私もそれら全てを手にすることができたからです。この点だけ、唯一「教団紛争は浄化であった」と受け止めることができます。浄化の後は必ず良くなる訳ですから、大いに改善してゆかねばなりません。
『開教の辞』で示された課題である『各般に渉って漸次組織形態は固より、活動の形式も新しく生れるのは勿論である。』、『(御神体や御守りなど)時期の推移に従って漸次発表する段取りとなる』、『全世界を救はなければならない。とすれば世界的に拡充する必要がある。世界救世(メシヤ)教の名に因る所以である。』について、私は7年の歳月を掛けて検証を重ね、確信を得ました。
それに基づいて平成19年の御神業を推進させていただくために、「事業化」の話が加わったのです。」
御心を受け継ぎ、実行しようと決意する人々と手を携えて
楳木代表
『観音講座』の第一講座『主神の御目的と天地経綸の真相』では冒頭に次のように述べられています。
『是(こ)れから説く事は世界の大秘密である。それを愈々(いよいよ)暴露するのであります。今迄は夜の世界であった。それ故諸々(もろもろ)の穢(きたな)い事が匿(かく)れて居(お)ったのであるが、観音様が此の世に現れた為に霊的に日が出た事になり、愈々秘していたことが眼に見えて来た。其(その)見えて来た儘(まま)をお知らせするのであり、それで今迄の迷いを去り、不安を除き去るのであります。』(御教え『主神の御目的と天地経綸の真相』全文へ)
メシヤ様は最高位のご神格の下に絶対力を行使すると共に、そのご生涯を懸けられて『大秘密を暴露する』ことに努められました。そのご生涯には凄まじさを感じますが、特に『判らんお経を唱えられて、有り難いなぞとは一種の変態心理だと思う』とまで述べられているところは、圧巻でさえあります。
その御心を受け継ぎ、実行しようと決意する人々と手を携えて「世界救世(メシヤ)教復興事業」を展開してまいります。それが本当の意味の『超宗教』的活動に繋がる道です。」
(以下は、「メシヤ講座」より抜粋)
「世界救世(メシヤ)教」復興事業 趣意書
1.昭和25年2月4日に開教された「世界救世(メシヤ)教」を復興し、派生した教団を統合し包括被包括の関係を構築し、人々がメシヤ様の恩恵に普遍的に浴することのできる体制をつくる。
1)教典の編纂を執り行ない、御教えの共有化を計る。
2)「開教の辞」で示された内容を具現化する。
3)具体的救済事業を推進する。
2.メシヤ様を教祖と仰ぐ教団が起こす問題への対策を進める。
1)反社会的行動について是正を促す。
2)反社会的行動の犠牲となり、被害者となった人々を具体的に救済する。
3)全教団の情報交換を促進すると共に、本来の宗教活動の在り方を提言する。
3.自然農法の普及を図り、人々の食の安全に寄与する。
1)自然農法実施者の育成(農業者へ本来の自然農法を指導する)。
2)自然農法の普及(消費者へ本来の自然農法を指導する)。
3)生産・流通・販売のシステムを確立しつつ、進捗と共に各教団へ生涯を捧げた人々に寝食の場を生産地で提供する。
宗教組織(教団)とは運営のためにあるのではなく、教えを垂れた教祖の恩恵に与るためにあります。
また、救いを求めた人々に寄り添うためにあります。
そして、お互いに学び合い、それぞれの霊性を高め、人格を磨くためにあります。
さらには、学びが血肉となり知人や周囲に感化を与え、周りの人々が幸せになることへと繋がり、地上天国建設が実現して行くために宗教組織はあるのです。
責任者:
楳木代表は、メシヤ教を開教するにあたり神様から『まず本来の宗教活動の見本を提示するように』と御指示をいただかれました。そして7年の歳月を掛けて自ら検証を重ねられ「メシヤ様の御心を受け継いでいくということ」とはどういうことなのかということに対する確信を得られました。そういう中で私達に示された「宗教活動の見本としての具体的な取り組み」が趣意書の1~3の内容です。
そして私達がその取り組みをして行く上に於いて、“メシヤ様の御心を受け継ぐ”という想い(想念)を持ち取り組んで貰いたいと、綴られたのが上記の黒字の部分だということではないでしょうか。
次に、趣意書の意を踏まえ『開教の辞』を拝読いただきたいと思います。
御教え『世界救世教の誕生に就て 開教の辞』:
『昭和二十二年八月三十日、宗教法人として創立された日本観音教団並びに同二十三年十月三十日同じく創立された日本五六七教会は、今回自発的に解散し、右両会を打って一丸としたる新しき構想の下に、本年二月四日立春の日を期して、標題のごとき宗教法人世界救世(メシヤ)教の創立出現となったのである。
これは、非常に重大な意義があり、もちろん神の深き御旨によるのであって、人間の意図でない事は今更言うまでもない、いつも吾らが唱えるところの、霊界における夜昼転換の時期にいよいよ入ったからである、これも吾らが常に言うところの仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩の御救いの転移進展となるので、一言にして言えば仏滅を意味するのである、従って、観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのはもちろんである、すなわち化身仏であらせられた観世音菩薩はここに仮面を脱いで、御本体である神の御働きとなり給うのである。
以上のごとく霊界が昼となる以上、これが現界に移写するにおいては、夜の文化は当然不用なものは滅び有用な物のみが残る事となるのは当然である、それのみではない、長年月にわたる暗黒時代によって人類の罪穢の少なからず堆積せる以上、それの清掃作用が行われなくてはならない、右の滅ぶべき不用物とはこれを指して言うのである、しかもそれと同時に昼の文化の建設が開始さるるのである、かくのごとき空前絶後の一大転機とは、何を指すのであろうか、全く何千年否何万年以前より決定していた神のプログラムなのである。
また別の言葉を借りて言えば大規模な世界的破壊と創造が行われるのである、嗚呼斯の如(このよう)な重大時期に際会しつつある今、神の大愛はいかなる形に表われるかを知らねばならない、すなわちその具体化としては一切が滅ぶものと生き残るものとのいずれかに決定さるるのである、しかしながら右は止むを得ないとしても神の恩恵は、一人でも多く滅ぶるものを救わせ給わんとして、神の代行者を選び救世の大業を行わせ給うのである、またその使命達成の機関として運用されるのが本教であるから、本教の使命たるや実に大なりというべきである、この意味においていよいよ切迫せる最後の時期に当っての活動こそ刮目すべきものがあろう、その結果吾らの唱導する地上天国こそ最後の目標でなければならないのである。
私は、これまで顧問の名の下に、いわば蔭にあって経綸を行っていたが、ようやく基礎的工作も出来上ったので、ここに表面的活動に移る事となった訳である、端的に言えば、いよいよ本舞台に登場する事となったのである、従って各般にわたって漸次組織形体はもとより、活動の形式も新しく生れるのはもちろんである。
そうして、祝詞にもあるごとく観世音菩薩、光明如来、メシヤ(救世主)、弥勒神等も、御名は異なれど同一の御神霊である以上根本は変るのではない、いわば時期に応じて御神霊の活動範囲が拡充するのであるから、御神体も御守りもある時期まではそのままで差支えない、いまだ種々発表したい事もあるが、時期の推移に従って漸次発表する段取りとなるので、今はこの辺に止めておくのである。
最後に言わなければならない事は、これまでは観世音菩薩の御働きであったから、言わば東洋的であった、しかるに時期切迫のためどうしても一大飛躍によって全人類を救わなければならない、とすれば世界的に拡充する必要がある、世界救世教の名によるゆえんである。
今一つは観世音菩薩は、善悪無差別的の救済であったが、いよいよ地上天国が目前に迫り来った、今日ここに善悪を立別け、善を育て悪を滅しなければならない事になった、いわゆる悪のトドメである、従って救いの力も決定的でなくてはならない、その力こそメシヤの揮わせらるる大神力である。
嗚呼、慶賀すべき時とはなったのである。(『救世』48号、昭和25(1950)年2月4日発行)』
責任者:
ここまで読まれるとお分かりになると思いますが、メシヤ様が『開教の辞』で示された3つの課題に基づいて、私達メシヤ教信徒が「宗教の使命」を果たす為の働きかけ方を具体的に纏められたのが「世界救世(メシヤ)教」復興事業 趣意書ということになるのではないでしょうか。
まとめ
責任者:
気が付けばメシヤ教に御縁を許され既に11年の歳月が流れていました。その年月の中で「趣意書」には幾度とはなく目を通させていただいておりましたが、今回のように「「世界救世(メシヤ)教」復興事業について」から、「趣意書」までを一つの流れとして研鑽したのは初めてでした。皆さんは、如何だったでしょうか。
書かれていた内容を整理することによって、漠然としていた「復興事業」を身近に感じることが出来るようになられたのではないでしょうか。又、復興事業を始めなくてはと思われたその想いの根底には、「他の教団で信仰地獄に苦しまれている人達を救いたい」という想いがあるということです。その想いを引き継ぐ私達は、その事忘れてはいけないし、ましてや私達が地獄的信仰に陥ってはならないと心に刻ませていただきました。これから引き継ぐ上に於いて忘れずに心掛けようと思う御教えがありますので、下記に抜粋させていただきます。
数回に渡って学んできたこれらの内容を、お一人お一人が「こういうことがメシヤ教の芯にあるのだ」と気が付き捉えることができたら幸いです。
最後に、メシヤ様の我々人間に対する慈悲と世界を救うという強い想いをこれらの内容を研鑽資料として纏める過程に於いて受け取らせていただきました。
又、ご自分の長年積み上げて来られた経験と知識を基にした膨大な資料をメシヤ講座に遺して下さった故楳木代表に心から感謝申し上げます。有難うございました。
御教え 『新人たれ』:
『人は常に進歩向上を心掛けねばならない。特に信仰者にしてしかりである。ところが世間宗教や信仰などを口にすると、どうも古臭く思われたり、旧人扱いされたりする。なるほど在来の宗教信者は、そういう傾きがあるのは否めないが、本教信者に限っては全然反対である。否反対たるべく心掛けねばならない。
まず何よりも大自然を見るがいい。大自然においては、一瞬の休みもなく新しく新しくと不断の進歩向上を続けている。見よ、人間の数は年々殖える。地球上の土地も年々開発される。交通機関も、建造物も機械も、一として退嬰(たいえい)するものはない。草も木も天に向かって伸びつつある。一本といえども下を向いているものはない。このように森羅万象ことごとく進歩向上しつつある実態をみて、人間といえどもそれにならうべきが真理である。
この意味において、私といえども去年より今年、今月より来月というように、飽くまで進歩向上心の弛(ゆる)まないよう努めている、といってもただ物質的の事業や職業や地位が向上する、というそれだけでは、根底のない浮遊的のものである。根無し草である。どうしても魂の進歩向上でなくてはならない。要するに人格の向上である。この心掛けを持って一歩ずつ気長に、自己を積み上げてゆくのである。無論焦ってはならない。ほんの僅かずつでもいい。長い歳月によれば必ず立派な人間になる。否、そのように実行せんとする心掛け、それだけでもう既に立派な人間になっている。そのようにすれば、世間からは信用を受け万事巧くゆき幸福者となる事は請合である。
こういう言い方をすると、現代青年などは何だか旧道徳論を聞くようで、陳腐に思うかも知れないが、実は陳腐どころではない。これが出来れば本当の新人である。このような点を規準として私は多くの人を見ると、古臭く見えて仕方がない。何ら進歩がなく、相変らずの考え方や話で、どこにも変り栄えが見出せない。だからこういう人に逢っても少しの興味も湧かない。話し合ってみても世間話以外何物もない。宗教も政治も哲学も、芸術などの匂いすらない。世間の大部分はこういう人がほとんどであるが、それもあえて咎(とが)める気はないが、少なくとも救世教の信者だけは、そういう旧人型は感心しないし、またそういう人は余りないようだ。本教は知らるるごとく、世界の転換期に際し、全人類救いのために、誤れる文化に目醒めさせ、理想的新世界を造るにある以上、飽くまで新人たる事を心掛けねばならない。私がいつもいう二十一世紀的文化人にならなくてはいけないと言うのは、その意味である。(「栄光」73号 昭和25(1950)年10月11日発行)』
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。