5月に向けての学び
はじめに
責任者:
4月とはいえ、初夏を思わせるような陽気が続くこのごろ、皆さんにはお元気でお過ごしでしょうか?
さて、今回も「文明の創造、総篇」から学んで参りますが、今のご時世を見越したような(タイムリーな)学びになっているのではないかと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
メシヤ講座no.123三重(平成23年4月)
<今月の御教え>
『天国建設の順序と悪の追放』
「文明の創造、総篇」昭和27(1952)年
そもそもこの世界を天国化するについては、一つの根本条件がある。それは何かというと、現在大部分の人類が心中深く蔵(かく)されている悪の追放である。それについて不可解な事には、一般人の常識からいっても悪を不可とし、悪に触れる事を避けるのはもちろん、倫理、道徳等を作って悪を戒め、教育もこれを主眼としており、宗教においても善を勧め、悪を排斥している。その他社会いずれの方面を見ても、親が子を、夫は妻を、妻は夫を、主人は部下の悪を咎(とが)め戒めている。法律もまた刑罰をもって悪を犯さぬようにしている等、これ程の努力を払っているにかかわらず、事実世界は善人より悪人の方が多く、厳密に言えば十人中九人までが、大なり小なりの悪人で、善人は一人あるかなしかというのが現実であろう。
しかしながら単に悪人といっても、それには大中小様々な種類がある。例えば一は心からの悪、すなわち意識的に行う悪、二は知らず識らず無意識に行う悪、 三は無智ゆえの悪、四は悪を善と信じて行う悪等である。これらについて簡単に説明してみるとこうであろう。一は論外で説明の要はないが、二は一番多い一般的のものであり、三は民族的には野蛮人、個人的には白痴、狂人、児童等であるから問題とはならないが、四に至っては悪を善と信じて行う以上正々堂々としてしかも熱烈であるから、その害毒も大きい訳である。これについては最後に詳しくかく事として、次に善から見た悪の世界観をかいてみよう。
前記のごとく現在の世界を大観すると、全く悪の世界といってもいい程で、何よりも昔から善人が悪人に苦しめられる例は幾らでも聞くが、悪人が善人に苦しめられる話は聞いた事がない。このように悪人には味方が多く、善人には味方が少ないので、悪人は法網を潜り、堂々世の中を横行濶歩するに反し、善人は小さくなって戦々兢々としているのが社会の姿である。このように弱者である善人は、強者である悪人から常に虐げられ、苦しめられるので、この不合理に反抗して生まれたのが彼の民主主義であるから、これも自然発生のものである。ところが日本においては長い間の封建思想のため、弱肉強食社会が続いて来たのであるが、幸いにも外国の力を借りて、今日のごとく民主主義となったので、自然発生と言うよりも、自然の結果といった方がよかろう。というようにこの一事だけ は、珍らしくも悪に対して善が勝利を得た例である。しかし外国と異って日本は今のところ生温い民主主義で、まだまだ色々な面に封建の滓(かす)が残っていると見るのは私ばかりではあるまい。
ここで悪と文化の関係について書いてみるが、そもそも文化なるものの発生原理はどこにあったかというと、根本は善悪の闘争である。それは古(いにし)え の野蛮未開時代からの歴史を見れば分る通り、最初強者が弱者を苦しめ、自由を奪い、掠奪殺人等ほしいままに振舞う結果、弱者にあってはそれを防止せんとして種々の防禦法を考えた。武器は固より垣を作り、備えをし、交通を便にする等、集団的にも個人的にも、あらゆる工夫を凝らしたのであって、この事がいかに文化を進めるに役立ったかは言うまでもない。それから漸次進んで人智は発達し、文字のごときものも生まれ、集団的契約を結ぶようになった。が、今日の国際条約の嚆矢(こうし)であろう。なお社会的には悪を制圧するに法や罰則を作り、これが条文化したものが今日の法律であろう。ところが現実はそんな生易しい事では、人間から悪を除く事は到底出来なかった。むしろ人智の進むにつれて悪の手段が益々巧妙になるばかりである。というように人類は原始時代から悪の横行とそれを防止する善との闘争は絶える事なく今日に至ったのである。しかしそれによっていかに人智が進み文化が発達したかは知る通りであってそのための犠牲もまた少なくなかったのはまた止むを得ないというべく、とにかく現在までは善悪闘争時代が続いて来たのである。ところがそれら善人の悩みを幾分でも緩和すべく、時々現れたのが彼の宗教的偉人で、その教えの建前としては物欲を制限し、諦観思想を本位とし、従順を諭(おし)えると共に、将来に希望をもたせるべく地上天国、ミロクの世等の理想世界実現を予言したのである。また一方悪に対しては極力因果の理を説き、速かに悔い改めるべく戒めたのはもちろんで、それがため幾多の苦難に遭い、血の滲むような暴圧に堪えつつ教えを弘通(ぐつう)した事蹟は、涙なくしては読まれないものがある。なるほどこれによって相当の効果は挙げたが、しかし大勢はどうする事も出来なかった。また反対側である無神主義者の方でも学問を作り、唯物的方法をもって悪による災害を防ごうとして努力した。その結果科学は益々進歩し、文化は予期以上の成果を挙げたのである。しかるに一方思わざる障碍が生まれたというのは、右のごとく進歩した科学を悪の方でも利用するようになった事である。
まず戦争を見ても判る通り、兵器は益々進歩すると共に、すべてが大規模になりつつある結果生まれたのが彼の原子爆弾である。これこそ全く夢想だもしなかった恐怖の結晶であるから、この発見を知った誰もは、いよいよ戦争終焉(しゅうえん)の時が来たと喜んだのも束の間、これを悪の方でも利用する危険が生じて来たので、不安はむしろ増大したといってもいい。とはいうものの結局戦争不可能の時代の接近した事も確かであろう。これらを深く考えてみる時結局悪が戦争を作り、悪が戦争を終結させるという奇妙な結果となったのである。こう見てくると、善も悪も全く深遠なる神の経綸に外ならなかった事はよく窺われる。 そうして精神文化の側にある人も、物質文化の側にある人も、心からの悪人は別とし、共に平和幸福なる理想世界を念願しているのは言うまでもないが、ただ問題は果してその実現の可能性がありやという事と、ありとすればその時期である。ところがそれらについての何らの見通しもつかないため、人類の悩みは深くなるばかりである。そこで心ある者は怪疑の雲に閉ざされつつ、突き当たった壁を見詰めているばかりであるし、中には宗教に求める者、哲学でこの謎を解こうとする者などもあるが、大部分は科学の進歩によってのみ達成するものと信じ努力しているが、これも確実な期待は得られそうもないので、行き詰り状態になっている。ところが現実を見れば人類は相変らず病貧争の三大災厄の中に喘ぎ苦しみながら日々を送っている。ところがこれら一切の根本を神示によって知り得た私は、あらゆる文化の誤謬を是正すべく解説するのである。
前記のごとく悪なるものが、人間の不幸を作るとしたら、神はなぜ悪を作られたかという疑問である。しかしこのような不可解極まる難問題は、到底人智では窺い知る由もないから、諦めるより致し方ないとして、宗教は固よりいかなる学問も、今日までこれに触れなかったのであろう。しかし何といってもこれが明らかにならない限り、真の文明は成立されるはずはないのである。そこでこれからその根本義を開示してみるが、実は現在までの世界においては悪の存在が必要であったので、この事こそ今日までの世界の謎でしかなかったのである。そうして悪の中で最も人間の脅威とされていたものは、何といっても生命の問題としての戦争と病気の二大災厄であろう。そこでまず戦争からかいてみるが、戦争が多数の人命を奪い、悲惨極まるものであるのは今更言うまでもないが、この災厄から免れようとして、人間はあらん限りの知能を絞り努力を払って来た事によって、思いもつかない文化の発達は促進されたのである。見よ勝った国でも負けた国でも、戦争後の目覚ましい発展振りはいかなる国でも例外はあるまい。仮にもし最初から戦争がないとしたら、文化は今もって未開のままか、さもなくば僅かの進歩しか見られなかったであろう。そのようにして戦争と平和は糾(あざな)える縄のごとくにして、一歩一歩進んで来たのが現在までの文化の推移である。これがまた社会事情にも人間の運命にも共通しているところに面白味がある。これによってこれをみれば善悪の摩擦相剋(そうこく)こそ、実は進歩の段階である。
こうみてくると、今日までは悪も大きな役割をして来た訳になる。といっても悪の期間は無限ではなく限度がある。それは世界の主宰者たる主神の意図であり、哲学的に言えば絶対者とそうして宇宙意思である。すなわちキリストが予言された世界の終末であり、そうして次に来るべき時代こそ、人類待望の天国世界であり、病貧争絶無の真善美の世界、ミロクの世等名は異なるが意味は一つで、帰するところ善の勝った世界である。このような素晴しい世界を造るとしたら、それ相応の準備が必要である。準備とは精神物質共に、右の世界を形成するに足るだけの条件の揃う事である。ところが神はその順序として物質面を先にされたのである。というのは精神面の方は時を要せず、一挙に引上げられるからで、それに反し物質面の方はそう容易ではない。非常に歳月を要すると共に、そのためには何よりも神の実在を無視させる事である。これによって人間の想念は自然物質面に向く。ここに無神論が生まれたのである。ゆえに無神論こそ実は悪を作るための必要な思想であったのである。かくして悪が生まれ、漸次勢力を得て善を苦しめ争闘を起し、人類をして苦悩のドン底に陥らしめたので、人間は這上ろうとして足掻(あが)くのはもちろん、発奮努力によって苦境から脱れようとした。それが文化発展に拍車を掛けたのであるから、悲惨ではあるが止むを得なかったのである。
以上によって善悪についての根本義は大体分ったであろうが、いよいよここに悪追放の時が来たので、それは善悪切替の境目であるから、悪にとっては容易ならぬ事態となったのである。右は臆測でも希望でも推理でもない。世界経綸の神のプログラムの現れであるから、信ずると信ぜざるとにかかわらず、右は人類の決定的運命であって、悪の輪止(りんどま)りであり、悪が自由にして来た文化は、一転して善の手に帰する事となり、ここに地上天国樹立の段階に入ったのである。
震災で皆が活力を無くしている
楳木先生:
先月の三重支部での月次祭のときに大震災が起こったわけです。そしてここから東へ向かうごとに段々その震災の酷さがわかるようになってきました。九州へ戻ってみますと、お年寄りの方々が大津波の映像を見る度に気が落ち込んでしまっていました。「どうしてこのようなことが起きるのか」と塞ぎこんで「活力が起きて来ない」と、そのように話していました。これは普通の心理であると思います。酷い惨状の映像を見て落ち込まない人はいないのではないでしょうか。
海外では日本では流せないような、更に酷い映像も流れているようです。また日本全土が震災にあったようなそんなふうに流れているようで、各地のホテルなど海外からのキャンセルが相次ぎ、ガラガラになっていると聞きます。これは日本政府の発信の仕方が悪いと思うのですね。」
思考停止し、正しい判断ができない。これが最後の審判の型
楳木先生:
それでテレビでも毎日毎日同じコマーシャルばかり流れましたね。1,2回は良いのですけども、毎日毎日何度も聞かされると滅入ってしまいます。取り分け子宮頸癌に関する内容は出演者が知識がないこともありますが、気の毒な内容でした。それでコマーシャルを見たくないので、NHKに切り替えるとまた原発のことばかりやっていて、益々滅入ってしまうという精神状態に追い込まれました。被災された方々は総てを無くした状態ですので、言わば、もう放心状態になっておりますし、被災状況を毎日テレビで見ている人達は逆に思考停止状態にさせられています。同じことばかり聞かされて思考が停止してしまっているのです。
津波が起きたことが『最後の審判』ではなくて大津波の映像を目の当たりにして日本人の思考が停止していることが『最後の審判』の型の一つなのです。先ほどの話のように、福島第一原発は欠陥品だと設計者の訴えが週刊誌に出ていましたね。ずーっとアメリカで会社にも政府にも訴えていたようです。にもかかわらず日本政府は対策をせず今日まで来てしまったためにこういう災害が起きていると。
災害が起きたら、すぐにセメントで固めて、そしてそのまわりを鉛で固めてもう一回セメントで固めれば被害は最小でおさまる、という進言があったにも関わらず、総理大臣は自らの知識を過信し、東電は原発を温存しようとしたために、これだけ日本を巻き込んで被害が拡大してしまいました。
その判断ミスというのが『最後の審判』の型である訳です。何が良くて何が悪いかということが判断できなくなってきているということを、今我々が見せられているということが、一方ではあります。
それからもう一つは東北の方々の様子をお聞きしておりますと、「頑張れ」と言われるよりも「耐え忍んでください」と言われた方がしっくりくるそうです。楽天の星野監督が被災地を回った時に「われわれも必死になって戦う。耐え忍んで、乗り越えていきましょう」とメッセージを送っていました。それが被災者の心にスーッと入ってきたという事です。言葉をどのように発して行くかというのが大事であるという事です。
被災地から離れた人の心ない行動こそ『最後の審判』の型
楳木先生:
また、被災地の方々が秩序を守って対応されていることに海外の人達は非常に評価をしております。しかし、一方では被災地から離れた人達がマスコミに踊らされて、付和雷同しています。カップ麺や乾電池などを買い占めてしまっているために店の棚がすっからかんになってしまっています。
当事者の方々があれだけ素晴らしい評価を得る姿勢でいるのに、離れた人達がどっしりしていなくて、いろんなものに踊らされて買い占めというようなことを起こしてしまっている。この姿こそが『最後の審判』の型なんだということを良くわかっておいて頂きたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎ 東日本大震災の時のように、テレビなどの報道によって同じことばかり見聞きさせられて、日本人の思考が停止してしまっていることが『最後の審判』の型の一つなのだということ。
○大災害(原発事故など)に対する対処の方法の判断ミスというのも、『最後の審判』の型であるのだということ。
◎被災された方々に対して、どのような言葉を発して行くかということを考えること(言葉を練ること)が大切であるということ。
◎被災地の方々が秩序を守って対応されているのに、被災地から離れた人達がマスコミに踊らされて買占めをしたりして付和雷同している。この(醜い)姿こそが「最後の審判の型」なんだということ。
「メシヤ講座no.123三重(平成23年4月)」より抜粋つづき:
正しい判断力を養うために、御教え拝読に懸命に取り組もう
楳木先生:
そこで、もう一度我々は正しい判断が出来き、何が正しくて何が間違っているのかということを見極めて行ける、そういう目を持って、判断力をもっていかなければいけないんだ、という事です。そのために叡智が必要ですので、再度、御教え拝読に懸命に取り組んで頂きたいと思います。今回の御教えに出ていますが、次の箇所です。
『処が神は其(その)順序として物質面を先にされたのである。といふのは精神面の方は時を要せず、一挙に引上げられるからで、それに反し物質面の方はそう容易ではない。非常に歳月を要すると共に、其(その)為には何よりも神の実在を無視させる事である。』
という事は、ああいう大変な惨状に出会うと、「人間が自然を支配するという事はとんでもないことなんだ」と「自然と共に生きなければいけない」と一瞬にして精神が高まる訳です。
淡路・阪神大震災の直後メシヤ様に御縁を頂かれた人も、「もう15年以上経ちますので心はいつも感謝をしているのだけども、その時の気持ちが薄れてきてしまっている、しかし、こういう大震災が起きると初心を取り戻します。」と、そういう話がありました。(後略)」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎ 私達は、正しい判断が出来き‶何が正しくて何が間違っているのか″ということを見極めて行ける目と判断力を養っていかなければいけないのだということ。
◎その為には、叡智が必要なので、より一層御教え拝読に取り組むのだということ。
◎メシヤ様が、『精神面の方は時を要せず、一挙に引上げられる』と仰っているように、東日本大震災のような震災が起きて大変な惨状に出会うと、一瞬にして精神は高まるのだということ。
「メシヤ講座no.123三重(平成23年4月)」より抜粋つづき:
感謝を生涯忘れず持ち続けること
楳木先生:
こういう精神の動きを見ていますと、人類の中で各宗教の教祖になる人の特性という事を見ておかなければいけません。主宰神というのは、ある日突然教祖になる人に力を授ける訳ですけども、その前提として教祖にいろんな苦労をさせます。
メシヤ様の場合は家庭的なこと(前の奥様とお子様を亡くされる)と、それから事業家としても成功はしますが、新聞事業を志され大借金をされます。また御自身は天才的な頭脳の持ち主であられましたが、体が非常に弱くて婦人病以外の殆どの病気を患っています。
病気をした時にいろんな人から慰められました。それから“何で病気になるんだ”ということをとことん考えて行った時に、『浄化作用の原理』とか『薬毒』ということに気づいていく訳です。そして、こういう病気の時にはこういう慰められ方をされると、「よしもっと」という気持ちになったとか、借金を抱えた時にどのような言葉をかけられたら、「よしなんとか返してもう一度皆を養っていこう」と思えるか、とか、そういう人の言葉というのをいくつもかけられた訳です。
このような言葉が心に響いた、というのを自分の中に持ちます。そして、その持ったことを生涯忘れない人しか教祖にはなれない訳です。ずっと前の、あの時かけられた言葉を、今でも沸々と心に持っている人しか教祖になれない訳です(御教え『人間は想念次第』へ)。
ですからユダヤ教がなぜ今日まで6千年間ずーっと続いているかと言うと、何千年前のことを昨日のことのように、親が子に話して聞かせるのです。神様の奇蹟とか人間が神様に頂いた恩恵ということを、昨日のことのように語り続けているのです。これが信仰を永続的に続けてきたことである訳です。
ですから、我々が一歩でもメシヤ様に近づこうとした時に、まず、“感謝”とか“尊いことだ”と思ったことを絶対忘れない人間になっていこう、と心掛けることが肝腎です。そういう人間になってこそ天国建設の側に立って、地上天国に住する人間になれるのだ、という事を一つ整理をしておいて頂きたいと思います。被災地以外の人はそのように思って頂きたいのです。
被災地の人達は総て無くしてしまいましたのでね。言い方は悪いですけども精神的に浄まった状態にあります。しかし、離れた人達というのは何か手助けしたいけども、しかし、自分も生活があるので、様々なことを考えてしまいます。被災地の方々は命は助かった訳ですから一歩一歩生きて行くと言う事を考えます。いろんなことを整理する訳です。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎主宰神から教祖になる力を授けられた人の特性として、御自分が大変だった時にかけられた尊い、慰めの言葉などに対する感謝の気持ちを忘れずに持ち続ける事ができる、ということがあるのだということ。
◎ 私達が一歩でもメシヤ様に近づこうとした時に、先ず「感謝」とか「尊いことだ」と思ったことを
〝絶対忘れない人間になっていこう″と心掛けることが肝腎であり、そういう人間になってこそ天国建設の側に立って〝「地上天国」に住する人間になれる″のだということ。
「メシヤ講座no.123三重(平成23年4月)」より抜粋つづき:
備えを怠るな
楳木先生:
この地方の人達は東海沖、東南海沖、南海沖地震が起きた時にどのような対応をすべきかという事を考えておかなければいけません。支援をしつつ我々の家庭はどうか、この地域はどこへ逃げたら良いのか、という事を具体的に皆で話し合いをしておかなければいけません。
自分の所だけでなく、周辺の人達に1週間分位は食料を提供できるような、そんな備えをしておかねばいけません。水と食料の備蓄ですね。東海沖は特に備えが必要です。ひょっとしたら1年以内に起きる可能性もありますのでね。まあこれが5年、10年先になれば我々にとっては有り難いことですけれど。ですがプレートが連動して動く可能性がありますので、すぐ来ても大丈夫なように備えを怠らないようにしてください。人間が備えをすれば自然界も変わるかもしれないのでね。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎ 東海、近畿地方の人達は、いつ地震が起きても対応できるように、地震に対して備えておく必要があるのだということ。
「メシヤ講座no.123三重(平成23年4月)」より抜粋つづき:
生温(なまぬる)い民主々義から脱却しよう
楳木先生:
メシヤ講座の中から確認したいことがあれば質問して下さい。
2ページめに『併(しか)し外国と異って日本は今の処生温(なまぬる)い民主々義で、まだまだ色々な面に封建の滓(かす)が残ってゐると見るのは私ばかりではあるまい。』とあります。
メシヤ様も民主主義がまだまだ『封建の滓(かす)が残っている』と御認識されていたということですね。ですからメシヤ様の本来の御心としては、メシヤ様の弟子が本来の民主主義にして行かないといけないのです。それが教団自体が民主主義から乖離(かいり)してしまったという訳なのでね。○○教団は・・民主主義ではないね。○○さんどうですか。」
受講者:
良くわかりません。
布教師は下位上達で御教えに沿った指導を行うべき
楳木先生:
要するに、下の人達の意見が上の人達に通っていくのかどうかということです。メシヤ様の御教えを教団運営をしている人達がさっぱりわかっていない、という事なのです。それが実態だという事を、こういう御教えを拝読しながら見抜いていかないと、地上天国を建設していくことはできないのです。
こういうことを拝読しながら、自分に確認していって頂きたいと思います。下位上達でなければいけないという事と、御教えに沿った御取次ができていかなければいけません。そうすると、この御教えと照らして行くとやはり『生温い民主主義』なのですね、「信者の為」とか言いますけども。実態はそういうものではない、という事を、この「文明の創造」を拝読しながら気付かされる訳です。
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様の本来の御心は、メシヤ様の弟子(である私達)が本来の(下の人達の意見が上の人達に通っていく)民主主義にして行かなければならないのだと思われているのだということ。
◎ メシヤ様の御教えを学んでいる私達は、御教えに沿った御取次ができなければ、「地上天国」を建設することは出来ないのだということ。
「メシヤ講座no.123三重(平成23年4月)」より抜粋つづき:
それぞれの役割の中で地上天国建設活動を行おう
楳木先生:
ですからメシヤ様は『薬毒論』を説いていますが、人々の努力を否定している訳ではありませんので、薬理学をやってくれたお蔭で腎臓の仕組みとかがより詳しくわかってきたのですから、薬理学の研究が進めば進むほど浄霊の大切さがわかってくる訳です。これを対立させてしまうとわからなくなってしまうのです。
だからこそ、総ては主神様がおつくりになられたのだと言う事を理解しなければいけないのです。それぞれ役割があってきたのですから、その役割の中から地上天国に必要なものだけを抽出して天国建設活動をしてゆけばよいのです。そして、それを我々は、現在『文明の創造』を通して理解していこうとしているのだ、という考え方を持って置いて頂ければ素晴らしいと思います。
ですから、それぞれの専門分野の最先端を学んでいけば人体の仕組みがわかってきます。そうすると薬を使ってはいけないのだ、という事がわかってくるのです。それが世の中の最先端の流れなのです。
という事を教団の指導者はわかって行かなければいけないところを、「病気の方は薬に任せて魂を浄霊で浄める」という、メシヤ様と全く異なった考えに走ってしまっているのです。
それが「神を180度ネジ曲げている」という事なのです。 そういう事がわかった我々から世の中の人に伝えて行かなければいけません。
若い人がわかって行けば、世の中ぐーっと変わって行きますよ。今回『文明の創造』の校正作業をされてわかったと思いますが、腎臓の仕組みを詳しくお説きになっておられるでしょう。60年前にね、こんな素晴らしことを説かれている教祖は他にはいないのですよ。医師でもいませんよ。
ですから、メシヤ様が60年前に説かれたことを現在の薬理学や病理学がやっと実証してくれている時代なんだ、というふうに捉えて行くと良いと思います。ぜひみなさんの周囲の人達にメシヤ様のお考えを伝えて行ってください。」
(後略)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎ メシヤ様は『薬毒論』を説いておられますが、人々の努力(例えば薬理学など)を否定している訳ではないのだということ。
○「薬理学」をやってくれたお蔭で腎臓の仕組みとかがより詳しくわかってきたのですから、薬理学の研究が進めば進むほど浄霊の大切さがわかってくる訳なのだということ。
○『薬毒論』と「薬理学」を対立させてしまうと(浄霊の大切さが)わからなくなってしまうのだということ。
◎〝総ては主神様がおつくりになられたのだ″という事や、〝神様がお造りになられた夫々に役割があって今まで進んで来のだ″ということ。そして、その役割の中から地上天国に必要なものだけを抽出して天国建設活動をしてゆけばよいのだということを、私達は今、「文明の創造」の拝読を通して理解していこうとしているのだということ。
○夫々の専門分野の最先端を学んでいけば、(人体の仕組みがわかってくるので)〝なぜ薬を使ってはいけないのか″という事がわかってくるのだということ。
◎メシヤ様が60(71)年前に説かれたことを、〝現在の薬理学や病理学がやっと実証してくれている時代なんだ″というふうに捉えて行くと良いのだということ。
◎私達は、メシヤ様の御考え(御教え)を周囲にいる人達に〝伝えていかなければならないのだ″ということ。
編集後記
責任者:
報道によって、コロナの次は戦争の話ばかりを見聞きさせられ、今私達は‶「最後の審判」の一つの型である″思考が停止し、正しい判断ができない状態に陥ってしまっているのではないでしょうか。
この戦争をきっかけにして、急激に世界が変わろうとしています。そして私達の魂も覚醒させられつつあるように思います。そういう今だからこそ私達は(叡智をいただき正しい判断が出来るようになる為にも)、『20世紀のバイブルである』と仰っている、この「文明の創造」の内容をしっかりと理解した上で、世界に広めていかなければならないのだと、資料を纏め終え改めて強く感じております。
もう直ぐゴールデンウイークですね。どうぞ、よい連休をお過ごしください!有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。