研鑽資料no.125(2024年1月)

令和6年1月に向けての学び

はじめに

責任者:

師走も半ばを過ぎ、なにかと気ぜわしくなってまいりましたが、皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。年末年始の準備にお忙しくなさっていることと思いますが、引き続き「文明の創造」より学んで参りたく思います。よろしくお願い致します

 

「メシヤ講座no.161浜松(平成26年6月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『最後の審判』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

私はこれまで、現代医学の誤謬と、真の医学の在り方とを、微に入り細に亘って、徹底的にかいて来たので、大体分ったであろうが、しかしこれだけでは全部ではない。というのは今まで説いて来たものは、体的すなわち唯物面の方を主としたのであるから、いわば半分である。従って残りの半分の面が、根本的に分らなければ、真の医学としての全部は分らないのである。

もっとも今まで説いた中にも、霊の実在と霊の本質と、霊の作用影響等は相当かいたつもりであるが、それは病気そのものについての直接的解説であって、これから説くところのものは人体の内面である霊に関する一切である。従って宗教とは離れられない霊に関する以上、結局は宗教にまで発展し、神霊の本体にまで及ぶのである。

しかしこの所説が最後に到って、宗教とはなるが、既成宗教のそれのごとき、信仰一点張りの独善的のものではない。言うまでもなく経文、聖書、御筆先のごとき、神秘的幽幻な説き方ではない。飽くまで論理的、実証的であって、むしろ科学的、哲学的といってもいい程のものであるから、現代人といえどもこれを精読すれば、理解し共鳴しない訳はあるまい。換言すれば今日まで何人も説き得なかったところの、高遠にして人間が触るる事を恐れていた、深い微妙なる謎の本体とも言うべきものであって、これを徹底的に開明するのである。というのは現在までの世界は宗教的、形而上的のほとんどは神秘の幕に閉され、その実体が明らかにされなかったからで、それがため神というものの本質は分り得ないため、神の実在等も一部の人を除いては、信ずる者がほとんどなかったのである。その結果唯物科学が絶対的信仰の的となり、ついに真理ならざるものを真理と錯覚してしまい、物の正邪の区別さえ分らなくなり、せっかく苦心して成し遂げた人類の幸福に役立つところの、発見発明といえども邪神に利用され、本来の目的とは反対に不幸を生むべき道具にされてしまったのである。その結果病気の氾濫となり、経済的苦悩を生み、戦争の原因を作ったのであるから、こうみてくると、この苦難に充ちた世界人類を救おうとするには、何よりもまずおかしな言い方だが本当の真理を開明し、世界人類特に文化民族の知識人に、自覚させなければならないのである。これが真文明を生むべき根本要素であって、これ以外決してないことを私は断言するのである。この意味において、私はまず医学の誤謬から明白にすべく、真理の鏡に照らして、鏡面に映るままの真実をかくのであるから、絶対誤りはないのであって、私としても別段医学に対し、怨恨などある訳はないが、人類救済の必要上、止むを得ないのである。従ってよしんば私がこれを行わないとしても、誰かが神命によって行うのは当然である。というのは再三言う通り、時機の到来と共に、主神(エホバ)の神意の発動は、これ以上の遷延(せんえん)は許されないからであり、最後の審判は目睫(もくしょう)に迫りつつあるからである。そこで神はまず第一番に医学に対し、審判を開始されたのであって、この事がまず私に命ぜられた使命である。というのはさきに述べたごとく人間生命の解決こそ、文明の根本条件であるからである。従ってこの問題を解らせるためには、今日の人間に解し得らるべく、時代即応の説き方でなければならないのである。しかも前人未開の真理であってみれば、なおさらそうでなければならないので、これをもってみてもこの著は、有史以来の偉大なる文献であって、この大任を負わされた私としても、責任の重大なる、到底筆舌に表わす事は出来ないのである。

 

『医学革命』は医学に対して審判を開始する

楳木先生:

今回は『最後の審判』というタイトルですので、非常に重々しい内容ではあるわけです。

そして、ここには書かれておりませんが、この世界的な『最後の審判』が行われるのは、目睫のところまで来ているということで、それが世界的な大掃除がこれから行われるわけですが、そのことは、まずメシヤ教の信者さんから始まるということですので、メシヤ教の信者さんは小さい浄化を繰り返しながら、大峠がきたときに、それを乗り越えるために、今、今日もずいぶんと鼻が出ている人がいますが、こういう形で少しずつ浄まっていっていれば、大峠は乗り越えられるということです。

今、浄化が日々、少しずつ許されている、時々許されているということは将来の大峠を乗り越えるための条件というくらいに受け止めていただいて、多少つらい日があったとしても、それは小さい浄化で、将来の大きな浄化を乗り越えることができるのだというふうに受け止めておいていただきたいと思います。

それと本日拝読させていただいた『最後の審判』というのは、最後の審判の第一歩が医学に対する審判であるということです。

これが本日の御論文の最後のページを見ていただくと、 『最後の審判は目睫に迫りつつある。そこで神は先(ま)づ第一番に医学に対し、審判を開始されたのであって、此事が先づ私に命ぜられた使命である』 ということですので、『最後の審判』の最初は医学に対して審判を開始するということです。

しかしながら、この昭和27年当時の高弟と言われた先生方は数々の奇蹟を許されていたわけですが、医学革命ということについてはいま一歩、実行することがお出来にならなかったところがあります。

それで、今日まで、ずっと延び延びになってきたのですが、今はメシヤ様のお弟子である、あるいはメシヤ様を教祖と仰いでいる教団よりも、外部の専門家の方々が医学に対して警鐘を鳴らし始めているので、“今、社会の方が医学革命を進めようとする時期を迎えている”というように写ります。

しかもその、そういうことが始まった時期は、この『文明の創造』を発刊した2年前から社会的には顕著に写ってきています。

とりわけ、メシヤ講座で時々取り上げさせいただく近藤誠氏や、今年からは宇多川久美子女史が、素晴らしい本を発刊しながら、皆さん方に警鐘を鳴らしてくれていますので、時期的には今、医学革命を進める、そういう時期を迎えているというところであろうかなと思います。

そして、そういう時期を迎えているときに、メシヤ様はこの医学革命というのは、病気ということについては『論理的、実證的に』 進めていく、あるいは『科学的、哲学的』に進めていくということでありますので、『実證的に』ということは御守護報告をもとに進めていくので、今度の地上天国祭では3人の方に報告していただくことになっています。

脳溢血で半身不随だった人が浄霊をいただくようになって社会復帰ができた人が一人。

それから、成人病の数値が非常に悪いということで改善に努めていたのですが、食事療法に努めほとんどの数値がよくなったが、浄霊力伝授をいただいて浄霊に取り組むことによって平均的な数値に全て戻った、と。しかもその数値に戻ったことを官僚たちが知って、その官僚たちにミニ講座ができるというところまで今なっているという人が一人。

それから、去年の9月に肝臓がんと診断され、余命が今年の4月までと宣告された人が、今もって多少の浄化は繰り返していますが、元気にがん症状が一切出ず、肝臓がんになると特有な骨格と色合いになっていきますが、そういうものが一切でないで元気に過ごしております。この方七十代後半の方ですが、この方にも報告していただきますので、そういう実證的な事例をもって、医学革命を進めていくというメシヤ様の方針に沿っていけるような体制をこれから整えていきたいと思います。

前回のメシヤ講座特選集にも載せていますように、医学界がずっと取り組んできたことは、何とか人類の健康に寄与しようという取り組みもあるのですが、やはり医者としての社会的地位を確立するという取り組みと、もう一つは製薬会社と手をむすんで患者を作り上げて製薬会社の顧客をつくっていくという方式をつくりあげて、今の社会的地位を作り上げているという歴史を指摘して、そして、本来人類の健康に寄与しないといけないのですよというところに持っていくようなそういう作業を進めておりますので、皆さん方に一層この御神業を支えていただきながら、世界人類が健康に恵まれていくような、そうしたものを作り上げていきたいというふうに思います。

今、週刊誌等では徹底して、医学的な数値の問題とそれから製薬会社と研究機関の癒着が問われる特集をずっと組んでおります。

そして、今週は新薬が出てくると、必ず病人が生まれる、という。だから新薬ができると、病人が作り上げられていくという、そういう形の特集を組んでいるところもあります。

それはどういうことかというと、数値に当てはめるので、健康診断を受けると病人になっていくので、そこへその新薬を取り入れていくという、そういうことが今日の日本人を覆っている問題であるということが指摘されております。

それからもう一つは、今、資料がないのではっきりと言えないのですが…。

例えば自分の身内が亡くなる、直接自分の親や、連れ合いが亡くなったときに、私達は通常の感情として落ち込みますよね。悲しい思いをします。そしてどなたから「元気を出してね」とか「しっかりしないとね」とか言われても、そういう気持ちにはなかなかなれません。どんなに明るい楽しい話を聞いても、それにのっていくことができないという人がほとんどです。この時に「それはうつだよ」と言われると病名が付いてきます。

しかし、本来肉親が亡くなったときに四十九日の間はもちろん、一周忌を迎えるまでは非常に気持ちが暗い気持ちであるというのは当たり前の感情です。

この人間として当たり前の感情を病気として決めつけていくのが、うつ病の抗うつ病を販売する手法です。テレビの中でも「落ち込んでいる、それはうつ病です。」というような言い方をして、うつ病患者を仕立てていって、抗うつ剤を宣伝、PRしていくということをしておりますので、製薬会社と医学者の一部の良からぬ人たちが新たに病人を作り上げていくということをしておりますので、そうしたことは十分見抜いていかないといけないことであると思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎世界的な『最後の審判』が行われるのは、目睫のところまで来ているのだということ。

>世界的な大掃除(「最後の審判」)はこれから行われるのだが、それはまずメシヤ教の信者さんから始まるのだということ。

≫「最後の審判」による大峠を乗り越えるために、私達は日々(又は時々)浄化を許されているのだと受け止めるのだということ。

◎『最後の審判』の第一歩は、医学に対する審判を開始する(「医学革命」)ということなのだということ。

>医学に対する審判(「医学革命」)は、諸事情により今迄延び延びになってきたのだが、現在はメシヤ様を教祖と仰いでいる教団外部の専門家の方々が医学に対して警鐘を鳴らし始めているのだということ。

≫“今、社会の方が医学革命を進めようとする時期を迎えている”というように目に写るのだということ。

◎メシヤ様は「医学革命」の中でも、病気ということについては『論理的、実證的に』 進めていく、あるいは『科学的、哲学的』に進めていくと仰っているのだということ。

◎「メシヤ講座・特選集no.160(平成26年5月分)」にあるように、医学界は(何とか人類の健康に寄与しようという取り組みもあるのだが)長い間、医者が医者としての社会的地位を確立するという取り組みと、もう一つは医者が製薬会社と手を結び患者を作り上げていくことによって社会的地位を確立するということに取り組んでいるのだということ。

◎新薬が出てくると、病人が作り上げられていくのだということが(週刊誌で)指摘されているのだということ。

>医者は患者を(検査の)数値に当てはめるので、健康診断を受けると(新薬を取り入れたりして)病人になっていくのだということ。

≫上記のようなことが「今日の日本人を覆っている問題である」ということが指摘されているのだということ。

◎例えば、大切な人を失った時に持つ人間として当たり前の感情等を病気として決めつけていくのが、うつ病の抗うつ病を販売する手法なのだということを、私達は十分見抜いていかないといけないのだということ。

 

「メシヤ講座no.161浜松(平成26年6月分)」より抜粋つづき:

日々感謝の生活を

楳木先生:

それから一昨日のニュースでは、出生率が1.43というところまで上がりつつあるという非常にうれしい報告がありました。0.02ポイントアップしているということです。

一方、自殺をする人も少し減り気味になってきております。

しかしながら、自殺をする人の動機、大人の自殺する動機というものは何かということを聞いたことがありますか?

昔はお金の問題でした。大人が自殺をするというときはたいがい借金で自殺していました。それから子供が自殺をするというのは友達関係とか人間関係で自殺していました。

それに対して、昨年度の自殺の動機の第1位は何かというと、それは健康問題です。健康問題で自分の命を絶つということが起きているという、そういう現実的には大変な報道がなされていました。

それから、医学界では、アルツハイマーの原因であるアミロイドベータという脳内分泌物が増えてくるとアルツハイマーを発症させるようだということが、以前からわかっていたのですが、4日前のアメリカの医学誌に発表された脳内分泌物質のILEIというのが分泌してくるとアルツハイマー病になる原因物質を抑制する作用があるということがわかってきましたので、これは「大きな治療効果を生む創薬ができるのではないか」ということで発表されていました。

しかし、これは脳内から分泌される物質であるので、外から入れる必要はない面もあります。浄霊をしっかりしていただいて、そして、脳内からきちんと分泌されていけばアルツハイマーを防ぐことができるということと、もう一つは脳内からそういう物質が分泌されるためには、昔から言われているように、絶えず明るい毎日を送ると。いつも笑いのある家庭を築いていくということや自分自身も明るい気持ちでいるということとか、仕事とか家庭のこととか子育てのこととか、さまざまなことに対して生き甲斐を見出していく、と・・・。生き甲斐ある人生を歩いていくということが、脳がいつも活性化する材料になっていきます。

そして、最後にはさっきの浄化のときもそうですが、いつも自分の体にうるさいことがあっても、これは将来の大峠を乗り越えるために少しずつ浄化が許されているのだという理がわかっていくと、毎日毎日感謝ができるようになります。

いよいよ梅雨にはいってきましたが、これは稲作には梅雨がないといけないので梅雨が続いていくと今年のお米は良く生育してくれるなーという天候に対する感謝が持てるような自分になっていきます。しかし、今年は冷夏になると言われておりますので、そうすると実がずっと成長していくときに日照不足になる可能性がありますので、日々神様にどうか冷夏ではなく、日照時間が確保できるようにお祈りしていくとか、それから今、偏西風が蛇行しているために北海道では暑くて、南の方が涼しいというような変な現象が起きています。そういうことが起きると、四季折々がずっと変化なく過ごしているということがいかに有難いかということを、例えばテレビで「今日は北海道の遠軽町が36度までいっている。大変だねー」という話で終わってしまうと、これはよくないので、「これは偏西風が蛇行しているのでこういうことが起きているらしい。だからいつも毎年毎年当たり前のように四季が移り変わることがいかに有難いかということがこういうことを通してわかるね」というようなことをいつも家庭とか知人とかと絶えず話題にしながら、感謝の気持ちが湧いてくるようなことをみんなに感化を与えていくような会話をしていく。

それから、そういうものに併せてもっといけば、先月は沖縄に行っていたのですが、沖縄に飛行機に乗っていったとき、10分遅れで飛行機は離陸したのですが、15分早く到着しました。相当強い偏西風が吹いていたということがわかります。

ではその偏西風はなんのためにあるかというと、例えば砂漠の中には植物が一切ないので本来は酸素が不足してきます。アマゾンの密林地帯は酸素が豊富です。これを地球上、まんべんなく酸素が一定量の酸素量にするために、偏西風とか砂漠では砂嵐が起きるのは、酸素を供給するために起きていることなので、これが地球上で人間が、当たり前に呼吸ができるシステムとしてあるのだと。そしてそのシステムを作り上げた御存在が、私達が日々御参りさせていただいている主神様なのだ、と。

この地球の中のしくみを知れば知るほど創造主である主神様に対する感謝が沸々と湧いてくるというような話を家族でも話し合いをしながら、感謝の生活が許されていくように。そうした日々を送らせていただくと、アルツハイマーになる暇がありません。そういうことをいつも考えていくと。

そうしたものを知れば知るほど、感謝の心が沸々と湧いてくるような、そういう生活をさせていただきながら、頭の中に分泌するものが絶えず正常に分泌するような、そんな生活をさせていただきたいと思います。

そういう生活をさせていただかないと、今、話題になっているようなASKAのような、彼のように薬物に依存しないといけないというようなことが起きてしまいますので、私達の明るさとか正しい生きがいとか感謝とかそういう生活をさせていただけるように日々心掛けていただきたいと思います。

今回のこの、『最後の審判』という御教えは医学に対する審判から開始するということでありますので、そうしたことを確認させていただきながら、日々拝読をさせていただきたいと思いますので、最初にそういうことを確認させていただきまして、いつものように質疑応答に入りたいと思いますので、宜しくお願いしたいと思います。◇◇さんからどうぞ。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎以前、自殺する時の大人の動機はお金の問題で、子供の場合は友達関係とか人間関係だったのだが、現在(当時)の自殺の動機の第1位は健康問題なのだと報道されているのだということ。

◎アルツハイマーは、

>浄霊をしっかりしていただいて、脳内からきちんと脳内分泌物質が分泌されていけば防ぐことができるのだということ。

≫脳内から脳内分泌物質が分泌されるためには、(下記に示したことを心掛け)絶えず明るい毎日を送るのだということ。

・いつも笑いのある家庭を築いていくのだということ。

・自分自身も明るい気持ちでいるのだということ。

・仕事や家庭、子育てのこと等、さまざまなことに対して生き甲斐を見出し、生き甲斐ある人生を歩んでいくということが、脳がいつも活性化する材料になっていくのだということ。

・創造主である主神様に対する感謝の気持ちを持った日々を送らせていただくのだということ。

 

「メシヤ講座no.161浜松(平成26年6月分)」より抜粋つづき:

体験記1

参加者:

昨年の5月に体調を崩して1ヶ月近く苦しんだ末、体が極度に浮腫んでしまったので、近くの医院で診てもらったのですが、ここでは手に負えないからすぐに大病院へ行ってくださいと言われまして、検査の結果、心不全とのことで即日入院となりました。入院3日目の早朝に突然呼吸困難に陥って人工呼吸器を装着しなければならない状態になり、家族は当直の医師から十数分後には心臓が止まると思いますと言われたそうなんですが、楳木代表からお電話で御指導いただいた緊急時の御浄霊を続けてみたところ、20時間ぐらいしてようやく助かるのではないかと思ったそうです。それから数日間はただ息苦しくて意識が朦朧(もうろう)としていたので全く覚えていないのですが、毎日家族交代で24時間体制で御浄霊を取り次いでくれたそうです。その後、○○さんも何度も病室に来て下さり御浄霊をいただくことができました。ありがとうございました。御浄霊の御蔭で看護士の皆さんが驚くほど回復が早くて、1ヶ月で退院することができました。

退院する時に病院の先生からは利尿剤は命を繋ぐものですから必ず飲んで下さいって言われていたので、最初は言われた通りに服用してたんですがどうしても自分で納得がいかなくって楳木代表にも何回もご相談させていただいたんですが、薬を少しずつ少しずつ本当に体に変調が来ないように自分で調節しながら試してみるしかないと思ったんですね。昨年11月の終わり頃から、とにかく6月の地上天国祭までには薬を止めたいという強い気持ちを持ってメシヤ様にお願いしつつ、体調と相談しながら少しずつ減らしてきました。先月末には退院時に指示された量の6分の1まで減らせていましたが、楳木代表からも利尿剤は早く止めたほうがいいと御指導いただいていましたので、ついに今月の6月1日から全て止めてみることにしました。1週間経ちましたが体調に変化なく、本当にこれは御守護と思って、家族もこんな早くに薬を止められて良かったね、信じられないと話しています。

退院後もいろんなことがありましたけれどそれを乗り越えてこられたのも、メシヤ様からお許しをいただいてこういう状態にさせていただけたという、今はもうただただ感謝しかありません。

(代表)楳木代表はじめ、○○さん、支部の皆さん方にも感謝申し上げます。ありがとうございました。

楳木先生:

はい。ありがとうございました。どうぞ、次。

生き甲斐のある生活

参加者:

先ほどのASKAの薬に関係しているニュースで、友達に誘われてちょっと軽い気持ちでちょっと飲んでみたら止められなくなったとかっていう話があるのですが、それは薬を飲むことに慣れているから常習化してしまうのですか?それとも、うちの子は薬を全然飲ませていませんが、そういう子でも興味があったら友達からもらって、興味を持って服用してしまったとしたら、やっぱり常習してしまう可能性もあるのでしょうか?

楳木先生:

いやだから、ASKAと凡人はレベルが違うから。」

参加者:

違いますよね。でも普通の凡人の人でもやっぱりそういう薬に依存している人はいますよね。そういう人っていうのはどういう・・・刺激が欲しくてそういうふうになっちゃうんですか?

楳木先生:

いや、刺激がないから。」

参加者

毎日の生活で?

楳木先生:

うん。ASKAというのは、まあ我々が若い時から知っているように、ヒット曲をずっと、しかも良い歌をずっと作り続けた歌手なわけですが、ある時期からなかなか曲が、良い曲が出てこなくなった時に…。

良い曲が出来て、そして出来たときの達成感と、それからそれがまたヒットチャートに乗りだした時の、非常に充実感、あるいは歌った時の観客の盛り上がりとかによって、脳内に素晴らしい分泌物がいっぱい出てくるわけですが、しかし、曲を作らなくなってくると分泌物が出にくくなるので、その時に外部からあの時の高揚感というか達成感を得たいがために、そういうものに手を出してしまう。あるいは逆に、これを使用するといい曲が出てくるかもしれないという・・・だから普通の人達にレベルとは遥か違うところで、ああいう薬物に入っていくわけなので、だからああいう人達の話をここへ持ってくると、ちょっとだめになってくるので。」

参加者:

一般の人が、じゃあその薬物に手を染めるっていうのは・・・

楳木先生:

そういうASKAたちのレベルとは違うと思っとかないと。

参加者:

ですよね。

楳木先生:

うん。それは自堕落だから手に出すわけ。」

参加者:

自堕落だから。」

楳木先生:

うん。だから、例えば自分の子供が自堕落になった時に・・・」

参加者:

心配して・・・

楳木先生:

心配しながら、尻叩かないといけない。「あんた何のために生まれてきているのー」って言って。

「私は、あんたがそんな生活するために生んだんじゃないわよ」というふうにして叱り付けないと。「痛い思いして生んだのだから、もっとしっかりしてちょうだい」というふうにして叱っていかないと。」

参加者:

普通に生活している分には・・・

楳木代表

そういうものは入ってこないから。」

参加者:

はい。わかりました。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎例えば(芸能人とかではなく)自分の子供が薬(覚せい剤等)に手を出したりしたときには、その子は自堕落になっているのだから「あんた何のために生まれてきているのー」って言って叱りつけなければならないのだということ。

 

「メシヤ講座no.161浜松(平成26年6月分)」より抜粋つづき:

体験記2

参加者(A):

御守護いただいた・・・○○さんのおばあちゃんが、お姉さんでお話されてちょっと名前が分からなかったのに、御浄霊を御取次ぎされたら名前が分かったって。どのぐらい御浄霊を御取次ぎされたんですか?

参加者(B):

私?

参加者(A):

お姉さんのところに、この前行かれて。

参加者(A):

東京のおばちゃんにね、どのくらいやったかって、浄霊を。浄霊、どのくらいやったって。

参加者(B):

東京に浄霊?

参加者(A):

おばちゃんにやったらね、最初わからなかったじゃん。

参加者(B):

うん。

参加者(A):

そしたらさあ、だんだんね、ばあばがわかってきたじゃん。

参加者(B):

だんだん分かってきてね、行ったばっかでもうこんななって誰だか分からなかったのにね、もう九十四になるの。そんで何か、こっちだかがねえ、(りゅうかん?)だかで手術しただって、2年ぐらい前に。それで治ってね、今度は右肩のこっちねえ、ものすごく膨らんでとんがってこぶみたくねえ、なってねえ、赤くとんがってたった。それでねえ、誰だかも分からんのに知らんかって(聞き取れず)私だにーちゅってねえ、姉ちゃーんつってねえ、抱きしめてねえ、それから浄霊ついてってねえ、居るうちほとんどやっててやった。

楳木先生:

あー、そう。」

参加者(B):

そしたらねえ、顔色もうんと変わってねえ、いろいろ話してねえ、しまいにゃ分かってねえ、あんたいくつになるっていうもんで、あれ私、(聞き取れず)で八十八だって言ったら、もうそんなんなったっつって言ってね。

楳木先生:

あー、そう。んー。」

参加者(B):

そんで、もう帰るって言ったらねえ、どこへ行くのって言うもんで、もううちへ帰るって言ったらねえ、行かんでもいいっつってる。

楳木先生:

んー。」

参加者(B):

それでねえ、食べるものはねえ、ちゃんとしてやっても食べないもんでねえ、息子がねえ、いろいろこう口へ入れてやるの。そうするとねえ、食べてねえ、食はあるって。口へ入れてやると食べるって。

楳木先生:

うん。入院してるの?家にいるの?」

参加者(B):

家にいます。週三日、デイサービス行ってる。

参加者(B):

それでねえ、置いてもらえるように頼んでもねえ、番がねえ、九十番ぐらいだって。それだもんで家でみてくれる、息子んね、ほとんど。

楳木先生:

んー。」

参加者(B):

それだもんでね、二階から降りる時はねえ、抱いたりねえ、おぶったりしてねえ。

楳木先生:

それで何日間行ってたの?」

参加者(B):

私ら?

参加者(B):

すぐ、すぐ。その日に帰ってきた。

楳木先生:

ああ、その日に帰ってきた。それじゃあ、まあ・・・」

参加者(B):

4時間ぐらいしか居なかったから。

楳木先生:

じゃ、4時間、浄霊してやったぐらいか。

参加者(B):

ほとんどやってたったね。

楳木先生:

ほとんどね。

参加者(B):

そうしたらねえ、顔色もねえ、もとのあれみんな顔色よくなって、にこにこ笑って話もできる、変わったねーつってみんな喜んでねえ。

楳木先生:

あー、それは良かったねえ。」

(後文割愛)

 

編集後記

責任者:

この冬はコロナに変わりインフルエンザが大流行していると聞いております。インフルエンザに罹患した時には高熱が出たり頭が痛かったりして大変つらい思いをいたしますが、御教え(『今流行のインフルエンザ』)にありますように、メシヤ様はインフルエンザについて『わが神医学からみれば単なる浄化作用で、非常に結構であるとみるべきである』と仰っております。又、私達が許されている日々の浄化も楳木先生より「最後の審判」による大峠を乗り越えるためのものだと御教示いただきました。浄化は本当に有難いことなのだと深く頷いております。今年の学びはこれで終わりですが、より深い感謝の気持ちを持って主神様、メシヤ様に真向かえるような学びを来年も皆様と共に続けさせていただきたく思います。今年も余日わずかとなりました。皆様お揃いで良い年をお迎えくださいますよう、心からお祈り申し上げます。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.161浜松支部 2014(平成26年6月分)

 

 

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