研鑽資料no.128(2024年2月)

2月の学び

はじめに

責任者:

梅の蕾もようやくほころび、春の気配が感じられる頃となりました。皆様におかれましてはお変わりなくお過ごしでしょうか。結ノ和におきましては毎年恒例の節分、立春祭(2月3日、4日)を粛々と執り行わせていただきました。そして、心新たに「世界中の人々が、メシヤ様へ直に繋がり、その偉大で深淵なる御力を賜ることができるように努めて参ります。」とお祈りさせていただきました。

それでは、今回も引き続き「文明の創造」より学んで参りたく思います。

 

「メシヤ講座no.164浜松(平成26年9月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『霊的病気、 精神病と癲癇』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

霊的病気のうち最も王座を占めているものとしては、精神病と癲癇(てんかん)であろう。まず精神病から書いてみるが、これこそ全然霊的病気であって肉体に関係のない事は、健康者であっても、この病気にかかるに見て明らかである。この病気は誰も知るごとく、普通人間としての精神状態を失い、意識がめちゃくちゃになってしまうが、その状態も人によって千差万別であり、一人でも色々に変化するどころか、一日の中でも、いや一時間の間でも、その変化は目まぐるしいほどである。

この病気に対しては、医学でも相当以前から研究に研究を重ねているが、今もって分からないので、治療効果においても、何ら進歩は見られない。ただ施設や患者に対する諸種の対策が、相当進歩したに過ぎないのである。何しろ生命には別状ないとしても、家族的にはずいぶん人手が要るので、実に始末の悪い病気である以上、どうしても病院へ入れなければならない事になるが、現在公共的の方は収容力も足りないし、そうかといって私設病院では金がかかるという訳で、全く悲惨そのものである。近来精神病や癲癇を治すべく、頭脳の手術を行うが、これは全然無効果のようである。何しろ医学は唯物科学であるから、手術に目をつけるのも無理はないが、この病気は肉体との関係ははなはだ薄く、目に見えざる霊の作用が主であるから、霊的に治すより仕様がないのである。それをこれから詳しく書いてみよう。

右のごとく霊的病気であり、これこそ憑霊が原因なのである。その場合憑霊の位置は前頭部に限られているもので、なぜ前頭部に霊が憑るかと言うと、その部の霊が希薄になるからで、つまり局部的脳貧血である。この脳貧血の原因といえばさきに述べたごとく、首の周りに毒素が集留し易く、それが両延髄及び淋巴腺 付近に固結するので、その固結が血管を圧迫するため、頭脳へ送流される血液が減るからである。

ここで、なぜ霊が憑依するかの理由であるが、それを説く前に霊界なるものを充分知っておく必要がある。元来霊界とは現象界、空気界の外にある第三次元の世界であって、つまり空気よりも一層非物質的であるので、今日まで無とされていた世界である。従ってこの霊界は現在までは一部の人を除く外、一般人にはほとんど信じられていなかったのである。というのは唯物科学がそこまでを把握するほど、進歩していなかったからである。しかし事実は物象界空気界よりも、一層重要なる、いわば万有の根源的力の世界であって、地上一切はこの力によって生成化育されているのである。別言すればこの世界は表が物象界で、裏が霊界と言ってもいいので、人間で言えば肉体は物象界に属し、心は霊界に属しているのである。この理によって人間も動物も、死と共に肉体は現界に遺棄され、霊は霊界に帰属する。つまり人間の死は体は滅して、霊だけが永遠に残されるのである。そうして霊界の生存者となったあらゆる動物の内、狐、狸、龍神(蛇)等が生きてる人間の霊に憑依する。というのは前述のごとく人間の霊の頭脳の一部分が希薄になっているからで、もし充実していれば、決して憑り得ないのである。これを詳しく言えば、例えば霊が充実して十であるところへ、一だけ欠ければ九となるから一だけ憑れる。それが二となり三となり、半数の五以上となると、それだけ憑霊の方が勝って、人霊の方が負けるから憑霊の自由になる。これが精神病の真の原因である。

とすれば精神病の原因は、全く脳貧血であって、その因は固結の圧迫にあるのである。しかし単に貧血だけならまだいいが、延髄部の圧迫による貧血は睡眠不足の原因となるのでこれが恐ろしいのである。何となれば精神病になる初めは、例外なく睡眠不足が何日も続くからである。その理由は本来脳貧血とは体的の症状であるが、霊的に言えばその部の霊が希薄になる事であって、いわば貧霊である。ところがその貧霊部、すなわち霊の量の不足に乗じて、その量だけ彼ら邪霊共は憑依ができるのである。憑依するや人間と異なった彼らの性格は、動物的意欲のまま露骨に振舞う、これがすなわち精神病の症状であって、その動物の割合を言えば、狐霊が八十パーセント、狸霊が十パーセント、残り十パーセントは種々の霊であろう。

右は純精神病を書いたのであるが、ここに誰も気付かない驚くべき事がある。それは現代の人間ことごとくと言いたいほど、軽い精神病にかかっている。もちろんその原因は一般人ことごとくと言いたいほど、頭脳に多少の欠陥があるからで、ごく上等の者でも十パーセントないし二十パーセントは冒されており、普通人はまず三、四十パーセントくらいであろう。ところが四十パーセントまではまだいいが、五十パーセントを越えると大変である。真症の精神病者となるからである。だが憑霊というものは一定していないもので、絶えず動揺している。それは欠陥と相応するからで、その意味は霊の厚薄が絶えず増減しているからである。そうしてこの憑霊にも二種あって、生まれながらにその人に定住的に憑霊している動物霊と、後天的臨時に憑依する霊とがある。今これについて詳しく説明 してみるが、まず人間がこの世に生を受ける場合、さきに述べたごとく、初めポチすなわち魂が宿るが、この魂なるものは神の分霊であって、人間の中心であり、主人公である。これを本守護神といい、次は人間を一生涯不断に守護している霊がある。これを守護霊ともいい、正守護神とも言う。この霊は祖先の霊の中で霊界においての修行が済み、資格を得た者であって、この中から選抜されて、その人の一生涯の守護の役目を命ぜられる。次が副守護神と言って、これが動物霊である。この霊は動物ではあるが、実は人間生存上必要欠くべからざる役目をしているものである。そこでまず右の三つの守護神について説明してみよう。

以上は、大体人間誰でもが持っている正規の守護神であるが、第一の本守護神なるものは神の分霊である以上、その本質は良心そのもので、昔からよく言われる人の性は善なりとはこれを指したものである。第二の正守護神は人間が危険に遭遇する場合、それが霊界に先に起こるので、それを知って危難をまぬがれしむるべく努力する。世間よく虫が知らせるとか、その時気が進まなかったなどというのは、正守護神の注意である。また人間が罪を犯そうとするのを犯させまいとする事や、常に悪に引込まれないよう警戒し、正しい人間にさせようとする。それには神仏を信仰させるのが最良の方法として導こうとする。ところが正守護神がどんなに頑張っても、邪神の強いのに遭うと負ける事があるので、そのため不幸を招く結果となるから仲々大変である。そこで正守護神は常に邪神に勝つ力を求めている。それには人間が立派な信仰に入らなければならないという訳で、本教へ導く事が日に月に増えつつあるのである。次の第三の副守護神は動物霊であるから、悪の本来として一刻の休みもなく人間に悪を考えさせ、悪をさせようとする。悪とは帰するところ体的欲望の本尊である。いかなる人間でも金が欲しい、女が欲しい、贅沢をしたい、名誉が欲しい、人に偉く見せたい、賭け事や競争に勝ちたい、出世をしたい、何事も思い通りになりたい、という限りない欲望 がそれからそれへと湧いてくる。そこで昔から信仰によって、この果てしない欲望すなわち煩悩を押えようとして修養する。それがともかく今日まで人類社会は破滅を免れ得て来たのであるから、大いに感謝すべきである。しかしながら実際上人間がこれらの物質欲がないとしたら、これまた大変である。何となれば肝腎な活動力がなくなってしまうからである。従って何としてもこの点が仲々難しいのである。ではどうすればいいかというと、これは別段困難な事はない。つまり人間は神から与えられた良心を発揮させ獣から受ける悪に勝てばいいのである。といってもそれには自ら限度がある。すなわち善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない。この意味は人という文字を解釈すると実によく分る。それはノは天から降った形で、神の分霊であり、\は地上にいる獣の形である。としたらノが上の方から押えており、\はノを支えている形である。であるから人とはノと\との間になるから、人間の文字もよく当てはまっている。すなわち人間は善と悪とを両有している。天性で幾分でも善が勝っていれば間違いないのである。従って人間は向上すれば神となり、下落すれば獣となるので、この理によって人間の限りなき欲望も、ある程度で制御する事ができるので、これが真理であるとしたら、限度を越えれば人ではなくなり、Xの形となる。すなわちバッテンであるから 抹消の意味であり、亡びるのである。右の理によってどうしても人間本来のあり方は、悪を制御するだけの力をもたねば安心ができないのであるが、それには力がいる。その力こそ神から与えられるべきものであるから、信仰が必要となる。さすればいかなる世にあっても、何ら不安なく、永遠の幸福者となり得るのである。

以上説いたごとき真理を、霊界の修行中知った正守護神は、極力子孫を正善に導こうとする。ところが副守護神の方はその反対であるから、極力妨害し、悪に導こうとして、心の中で常に争闘している。これは誰でも経験するところであろうが、そればかりではない。こういう事も知る必要がある。それは人間一人一人異った性格と技能をもっている。これは神が世界を構成する上においてそうされ給うのであって、これを補佐し、天性を充分発揮させるよう正守護神は、神の命を奉じて専心努力しているのである。この手段として正守護神は、まず第一にその人間の魂を磨くべく、非常な苦痛を与えるが、これは向上のための修行である。これもその人の使命によって、大中小それぞれちがう。例えば使命の大きい者ほど、苦難も大きいから、むしろ喜ぶべきで、私などもそうである。また運命の転換という事は、神から仕事を換える命が正守護神に下るからである。そうして神にも階級があり、人間界と同様御役の種別もあるので、人間に命ずる場合も、それ相応の神によるのである。この意味によって人間界の構成を書いてみるが、分り易くいえば人類を緯(よこ)にみれば千差万別、それぞれ能力が違うが、経(たて)にみれば上中下の差別だけである。その証拠には一民族を支配するとか、一国、一地方等の支配者は、それに相応する能力を与えられており、最高の地位に昇る人は、世界でも数人に過ぎないが、下に下るにしたがい段々数が多くなる。最下級になるほど多数である事実はそういう意味であって、神は経綸上一切過不足なく、適切巧妙に配置され按配される。その深遠微妙なる御神意は、到底人間の窺い知るを得ないのである。またこれを鉱物にたとえてみると一層よく判る。最高のダイヤモンドからプラチナ、金、銀、銅、鉛、鉄というように、最高ほど産額が少なく、最低の鉄に至っては、最も多産であるにみても明らかである。この現実が分っただけでも人類社会の真相は認識されるであろう。この理によって階級闘争が、いかに間違っているかが分るはずである。

ここで前に戻って、再び精神病の説明に移るが、これは別な面であるから、そのつもりで読まれたいが、世間非常に偉い人でも時により迷ったり、間違った考えや、道に外れた行為をする事がよくある。アレ程の人が、こんな事をするとは腑に落ちないとか、あんな失敗するなどは意外だなどという事がある。また歴史上からみても、大英雄がつまらない一婦人の色香に迷い、千仞(せんじん)の功を一気に欠くような事も往々あるが、これはどういう訳かというと、前に述べたごとく、平常十か二十パーセント以内の欠陥なら無事だが、成功して思い通りになると慢心と我欲のため、頭脳の欠陥が増えるので、それに乗じて力のある動物霊が憑依したり、副守護神が頭へ上って、ノサバリ始めるので、三十以上にまで押し拡がり、智慧も暗くなるので、良いと思ってした事が反対になり、大失敗するので、英雄などによくある例で、右のごとくどんなに偉い人でも信仰がない場合、動物霊すなわち悪霊が憑依するや、それが最善の手段のように思わせるが、 実に巧妙な邪智は、到底看破できないのである。それがため遂に大失敗をするのであるから、実に恐るべきものである。そうして特に心得べき事は、その手段方法が私利私欲が目的であればあるほど、失敗は大きくなるに反し、天下公共のためというような利他愛のためとすれば、失敗してもある程度で喰い止り、ふたた び立上る事ができるのである。何となれば前者は神の御守護がないが、後者は御守護があるからである。

そうして霊界においては、無数の悪霊が百鬼夜行的に横行しているので、隙さえあればたちまち憑依し、瞞し、迷わせ、悪を行わせ、不幸に陥し入れるので、 これが彼らの本能であるから、少しの油断もできないのである。ところがこれに対抗して飽くまでそうさせまいとする擁護者が正守護神であるから、正守護神には大いに力を得させなければならないのであって、それには立派な信仰へ入り、神の力を恵まれるべきである。

次は癲癇(てんかん)であるが、これは精神病と似て非なるものであって、この病気はことごとく死霊の憑依である。何よりも癲癇の発作が起るや、人間死の刹那の状態を表わす。例えば水死した霊が憑かると泡を吹き、もがき苦しむし、また水癲癇といって、水を見ただけで発作が起るのは、あやまって水へ落ちたり、突落されたりした霊でその刹那の恐怖が残っているからである。また火癲癇というのもあるが、これも火に焼かれた霊であり、その他獣や蛇、種々の虫を見ただけで恐怖し、発作するのはその物のために死んだのである。またこういうのがある。人込みへゆくと発作が起るが、これは人込みで踏み潰されて死んだ霊であり、汽車電車に乗るのを恐れたり、誰かが背後に近寄ると恐れる人なども同様である。以前こういう変ったのがあった。それは一人での留守居は、恐ろしくて我慢ができず、門の外へ出て人の帰るまでたたずんで待っているというので、これも前世一人で家にいた際、急病などで死んだその恐怖のためである。まだ色々あるが、以上によって考えればだいたい判るであろう。

ここでついでだから、真症小児麻痺について書いてみるが、これは脳溢血で死んだ祖父母の霊がほとんどである。この原因は脳溢血で急死した霊で、生前無信仰で霊界あるを信じていないため霊界へ往っても死を意識せず、生きていると思っているが、肝腎な肉体がないので、遮二無二に肉体を求めるが、その場合他人に憑く事はできない霊界の規則であるから、自分の霊統の者を求める。もちろん霊統は霊線で繋がれており、子供は憑依し易いので、多くは孫を目がけて憑依する。その場合数日間発熱があり、痴呆症や半身不随となる。ちょうど中風そのままであるのは、右の原因によるからである。

 

信仰することの意義

楳木先生:

本日は比較的長い御論文でしたけれど、タイトルが『精神病と癲癇』というように書かれているので、そのことばかりに囚われて読むと、せっかくの御論文をしっかり受け止めることができなくなりますので、まずメシヤ様が我々に、ここで御説きくださっていることは、人間の想念界を説明してくださっているのだということがあります。

まず、生まれてくるときに、神様の分霊である魂が入りますが、その人間の使命に応じて役割をきちんと果たしていく、あるいは危難から免れるために、先祖の中で修行を終えて資格を得た人がついて守護してくれます。それと同時に欲望をつかさどる動物霊が副守護神として憑いてくるので、この三位一体的な想念になってくるということでありますので、そのことをまず人間の想念界としては理解しておいていただきたいと思います。

それから先祖が危難から免れてくれる事例としては、このまえ広島で大きな土砂災害がありました。70数人もの方が犠牲になり、まだ行方不明の方が一人、見つかっていませんが、あの助かった人、助からなかった人の事情を聞いていると、直前に両親と暮らしていたけれど独立して違うところに住んだ人もあれば、新婚であそこにわざわざ移り住んでお亡くなりになった人もいます。なかにはお腹の中に7か月の子供がいたとも・・・。こういう現状を見ると、守護している正守護神の力が強かったか、強くなかったかということで運命が分かれていくのではないかなと思います。

こんな話をずっと検証していると、日航機が墜落し、今年も慰霊への登山を遺族の方々がしていましたが、あの中で救われた人の中で一番小さかった人は、秀明の教修を二講まで受けた人らしいのです。それからアテンダントの中で助かった人もいましたが、その人はいつもおばあちゃんから浄霊をいただいていたそうです。ですから、やはり浄霊をいただくとか、御教えの拝読とか、メシヤ様の教えの教修によっていただくということはその人の運命が大きく変わっていくことではないかなと思います。

大阪支部のほうでは、その当時まだ若かった人が、あの飛行機のチケットを買っていて乗る予定だったのですが、当日どうしても乗れない事情が起きたので乗らなかったところ、あのような大惨事が起きてしまったと。命拾いをしたことに感謝するために、成人したあと世界救世(きゅうせい)教の職員になったという人もいるということが話題にのぼりました。やはりこれは正守護神の力が強かったために危難から守ってくれたことであろうかと思います。

しかし実際はあれだけ多くの方々が犠牲になった事故でありますので、救われた喜びだけを語るということもできないために、静かに語りあわれた、そういう事例であります。

やはり私達が信仰させていただくということは、とりわけメシヤ教の場合は、浄霊をいただいて霊の曇りをとるということと、それから体に悪いものを入れないという生活をしつつ幸せになっていくということでありますが、もう一つ信仰をすることの意義が・・・、我々を守護する・・・、先祖の中から神様の命によって我々を守護している正守護神の力をつけていくというためには、信仰は不可欠だということです。

ですから具合の悪い人を浄霊させていただいて、支部に御案内すると、浄霊力をいただいてしっかり浄霊をして元気になっていきましょうという、そういう取り組みもメインなのですが、それと一緒に人間が幸せになっていくためには、信仰をさせていただいて、そして先祖の正守護神に力をつけてもらうしかないのだということを、このようなときにより一層確認するために、本日拝読した御教えを繰り返し拝読していただければ、大変有難いと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎今回学は御論文のタイトル『精神病と癲癇』に囚われて拝読すると、せっかくの御論文の内容をしっかり受け止めることができなくなるのでタイトルに囚われない様にして拝読するのだということ。

>先ずこの御論文でメシヤ様は、下記のように私達に「人間の想念界」を説明してくださっているのだということ。

・私達は生まれてくるときに、神様の分霊である魂(本守護神)が入るのだということ。

・また、その人間の使命に応じて役割をきちんと果たしていく、あるいは危難から免れるために、先祖の中で修行を終えて資格を得た人(正守護神)がついて守護してくださっているのだということ。

・それと同時に、欲望をつかさどる動物霊が副守護神として憑いてくるのだということ。

≫人間の想念界としては(本、正、副守護神による)三位一体的な想念になってくるということを理解しておくのだということ。

◎信仰は、神様の命によって私達を守護している正守護神の力をつけていくためにするという意義があるのだということ。

>正守護神の力をつけていくというためには、信仰は不可欠なのだということ。

 

「メシヤ講座no.164浜松(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

精神病について

楳木先生:

それから次に精神病という、精神障害を受けている方を実際にお救いさせていただこうとする場合には、まず一つは精神病になる過程には睡眠不足になるということがあるので、この睡眠不足になる原因は、両側の延髄のところとリンパ・・・、首・肩をよく浄霊してあげないと、眠れないと回復していくということができないということがありますので、そうしたことを浄霊のときには必ず心掛けていただきたいと思います。

(後略)

それから精神病の場合には動物霊がかかってくるので、異常行動を起こすということです。

この異常行動を起こす動物霊の8割方は狐だということです。あとの1割が狸で、あとの1割が龍神とか蛇とか鳥類とか、様々なものが憑いてくるのですが、おおかたは狐ですので、だからウソをついたり、人をごまかしたり、ということが絶えず精神病の場合にあるというのは、そういうことが原因になっております。そして、本人に浄霊するときには延髄、首肩をしっかり浄霊することと、憑いている霊を浄めて反省させないといけないので、浄霊はその霊に向かってしないといけないということになります。

また、その動物霊の特性に応じて上手に騙していこうとしてきますので、それに騙されない自分を作りながら浄霊していかないといけないので。ただ霊がかりの場合、なかなか対処の仕方が難しいので、そういう人に出会った場合には、こちらに相談しながら取り組んでいただきたいと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎精神病になるまでの過程の一つに睡眠不足になるということがあるので、眠れるようにするには両側の延髄とリンパ腺のところ、首・肩をよく浄霊してあげるのだということ。

>精神病は眠れないと回復していくということができないので、精神病の方をお救いさせていただこうとする場合には、上記を必ず心掛けてお取次ぎをするのだということ。

◎精神病の場合には動物霊が憑ってくるので、異常行動を起こす(絶えずウソをついたり、人をごまかしたりする)のだということ。

>この異常行動を起こす動物霊の8割方は狐で、あとの1割が狸で、そのあとの1割が龍神と蛇、鳥類等、様々なものが憑いてくるが、おおかたは狐なのだということ。

◎精神病の方に浄霊を取り次ぐ場合には、(延髄、首肩をしっかり浄霊することと)憑いている(動物)霊を浄めて反省させないといけないので、浄霊はその霊に向かってしないといけないのだということ。

>その時に、その(憑いている)動物霊の特性に応じて上手に騙そうとしてくるので、それに騙されない自分を作りながら浄霊していかないといけないのだということ。

 

「メシヤ講座no.164浜松(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

癲癇について

楳木先生:

それから次は、癲癇の場合というのは、動物霊ではなく、それぞれ事故死とか不慮のことで起きたという人がかかっていたり、自分の前世であったりしますので、その霊が浄まっていかない限り、自分自身が浄まっていかない限り、治っていきません。浄まるためには、浄霊をいただくと同時に、こういう神様のところに足を運んで、そこで魂に力をいただくということを重ねていっていただきたいと思います。

そして、次に小児麻痺についても書かれていますが、こうしたことは前回までの御教えの中で説明したことと非常に共通していますので、そうしたことを心得ていくためにも、繰り返し繰り返し拝読していただきたいと思います。

さっき、話のあった怒りっぽいとかいうことも、これに沿って浄霊をしていけばだんだんと変わっていきますので。だから自分も怒りっぽい人は自分もよく浄霊してもらいたいと。そしてそのときに副守護神の性格が出てきます。キンキン言うのと、ど太い声で言うのと、いろいろな性格が出てきます。それは副守護神の性格によって怒り方も変わってきますので。だからお父さんが怒っているのではない、それが怒っているのだというくらいに思って、ある程度おおらかに対処していきたいと思いますね。(後略)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎癲癇の場合は、動物霊ではなく、不慮の事故等で亡くなった方が憑かっていたり、自分の前世であったりするので、その霊が浄まっていかない限り治らないのだということ。

>その霊を浄めるためには、浄霊をいただくと同時に神様のおられるところに足を運んで魂に力をいただくということを重ねていくのだということ。

◎怒りっぽい人は、自分でよく浄霊をするのだということ。

>怒っている人を見ると憑いている副守護神の性格が出て来るので、それ(副守護神)が怒っているのだというくらいに思って、ある程度おおらかに対処していくと良いのだということ。

 

「メシヤ講座no.164浜松(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

御守護報告

楳木先生:

そしたら◇◇さん、みんなに御守護報告をしてあげてください。

参加者:

月曜日に食事に行ったときに、4日か5日ぐらい前から腰が痛かったので、店の一番角の席に座ったんですよね。そして食事を終えてから壁に寄りかかっていたんです。そしたら首筋のところがもぞもぞしたので髪の毛が落ちたのかなあと思って触ったら首がチクっとしたんですよね。それで掴んだものを放したら3センチぐらいあったと思うんだけど小さいムカデだったんです。もう帰る時だったので、お店の人が「申し訳ない」って謝ってくれて、「薬をつけてください」って言ってくれたけど「薬はいいです」って断ったんです。そしたら友人が、蜂に刺された時に冷やしたら良くなったから冷やしたらどうかっていうことでお店の人が氷をくれたんですけど、冷やすのはよくないと分かっていたのですが、折角その人が氷をもらってきてくれたから悪いかなと思って、冷やす格好をして冷やさないで浄霊していたのです。刺された後はもうすごく痛くて腫れていて、みんなが「すごく酷くなってきたよ、大丈夫、大丈夫?」って言われるくらいでした。

帰りの車の中でも1時間ぐらいずっと浄霊しながら家に帰ってきたら、もう痛みは止まり腫れも少し減って、夕方になったらもうほとんど膨らんでいなかったんです。夜になって「ああそうだ、感謝献金をあげないといけないなあ」と思っていたんだけど、もう治ったけど腰のほうがまだ痛かったので「まあ、一緒でいいかなあ」とも思いつつ、お風呂へ入ってしまったので、パジャマでするわけにいけないから「まあ明日にしようかなあ」と思っていたら、もうその夜2時ごろまで眠れなかったんですよね。ちゃんと洋服を替えて感謝献金をあげなければいけないからもうちょっと嫌だなあと思ってしなかったことが夜眠れなかったのかなあと思って、次の日にあげさせていただいたんだけど。だからそういう時に感謝献金は洋服とかそういうの関係なしに感謝の・・・神様におあげするものだから、パジャマのままでいいのかなあと後で思ったんですけど、どんな具合でしょうか?

楳木先生:

それはそれでいいですよ。もう思った時にすぐした方がいい。

参加者:

ああ、そうですか。それだから、もう2時ごろまで寝られなかったんですよ。そのことが頭にあったんですよね。「ああ、あげないと」と思って。それでもパジャマでは失礼だろうなあ、と思って。

楳木先生:

だから何が失礼かっていうことだね。」

参加者:

そうですね。

楳木先生:

うん。あげないといかんと思ったのに、あげない方が失礼だから。

参加者:

ああ、それで眠れなかったのかしら。

楳木先生:

うん。そうそう。それは先祖が怒ったわけだ。正守護神が。

参加者:

ああ、正守護神がね、ちゃんと。浄霊して治してあげたのに、しないっていうことでね。寝てて感謝したことと、そのあげなかったっていうことが悪かったんですね。

楳木先生:

いや、感謝したけれど、感謝を形に表さないと先祖が納得しないわけなので、だから先祖が強い正守護神が付いてくれているということです。

それは自分が大変だったけれど人に真実を教える機会だったので、「いやこういう時は冷やさない方がいいんだよ」ということを教えてあげないといけないというのが一つと、御守護いただいたのにすぐお礼をしなかったというのがね、これが、正守護神が眠らせなかった、この二つが最大の理由なので。まあ、とにかく御守護は非常に良かったのでね。

参加者:

首筋だから毒でも入って頭に上がったら、余計馬鹿な頭が馬鹿になるかもってその時は一瞬思ったんですよね。

楳木先生:

毒でも入ってじゃなくて、毒が入ったのだから。だから痛いので。ムカデは大きくても小さくても痛いから。

参加者:

ああ、そうなんですか。

楳木先生:

小さいのでも毒は一緒だから。入る量が少しだけで大きければ大きいほど量は多いけど、毒の強さは一緒なので。だから痛いのだから。まあ大体これからそういうのに刺されたら1時間ぐらいをめどにして浄霊すれば、大体御守護いただくので。」

参加者:

お蔭様でいつも沢山御守護いただいております。ありがとうございます。

楳木先生:

ええ、本当ですよね。」

参加者:

先ほど楳木代表に浄霊していただいた時に、ここがね、違和感があるっていうかジカジカしておかしかったです。また楳木代表からいただいたから治していただいたんだなあと。

楳木先生:

そこね、治すという考え方よりも曇りがまだあるので・・・

参加者:

あ、曇りがね。

楳木先生:

うん。ムカデは何で来るかっていうと曇りに来るわけなんで、自分の曇りを取らんといかん。

参加者:

いっぱい持ってるんですね。

楳木先生:

うん。だからそこをやっぱり刺されたところはね、よく浄霊していくように心がけてください。

参加者:

はい。そしたらね、月曜日の夜と火曜日とね、結構下痢したんですよね。だからもういっぱい悪いものが出てありがたいなあと思って。

楳木先生:

うん。で、まあその浄霊したので、腰の毒素が下痢で出たんだね。

参加者:

ああ、そうですか。沢山。

楳木先生:

うん。」

(後文割愛)

 

責任者:

ここは御守護報告ですので、各自拝読された上でポイントを押えていただきますようお願いいたします。

 

「メシヤ講座no.164浜松(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

浄霊について

参加者:

今は薬を飲むのをやめたんですが、そうしたら薬毒の固結なんでしょうか、手と足の親指側の骨に沿って大豆ぐらいの大きさで所々に付いてるのが気になっていたので、浄霊を集中してさせていただいたら綺麗に取れるんですけどしばらくするとまた付いてくるんですね。足の方が酷かったのでずーっと御浄霊いただきながらメシヤ様にお願いして、それで自分も努力してほとんど人を頼ることなく自分でと思ってさせていただいたら、その毒の塊だと思うんですが小さくなってきてるんですね。

楳木先生:

なるほど。」

参加者:

もうしばらくしっかりと自己浄霊させていただき、また家族からも御浄霊いただき、支部の方にもお世話になってね、一週間に一回でも御浄霊いただいてることがね、とてもいい経験になったと思って今は本当に喜んでいます。

楳木先生:

そこ、根気良く浄霊してください。そういうふうに分かる範囲で出てくるのが一番ありがたいので。その状態で浄霊をしとくと症状的に出てこないので。何々病とか神経痛とかいう形になっていかないのでね、固結の状態で浄霊しといた方が、非常に。で、それ良く分かるのでありがたいことだと思いますね。

参加者:

とっても嬉しいですね。で、疲れたりすると指先をこう揃えてそこに集中してするっていうこともあるんですけど、それでもいいでしょうか?

楳木先生:

それは指先を揃えなくて、一本だけですれば。大体中指とかそういうのですればいいですから。」

参加者:

はい。ここ何日か夜眠れなかったので、首と肩と延髄側のブクブクしているところを集中して自己浄霊して、中々後ろ側は取れていかないので家族からもしてもらったら、4、5時間続けて眠れるようになったんです。

楳木先生:

ああ、なるほど。」

参加者

今まで自分の努力が足りなくて気づいていなかった多くのことに、薬をやめてからその度ごとにお知らせいただいてるなあ、と思って本当に毎日喜んでおります。

楳木先生:

なるほど。それで眠れないときはですね、こうやって朝晩、寒暖の差が激しくなっているので、足の先とかが夜、冷えたりする場合があるのでね、だから足を温めるように心がけてください。そして後ろ首の延髄周辺を良く浄霊していただければ段々眠れるようになりますから。

参加者:

この足裏もいいでしょうか?

楳木先生:

ええ。」

参加者:

足裏にもやっぱり親指の裏側から土踏まずまでブクブクとしてるんで、それを下から浄霊して取れるんですけれど、また溜まってくるんです。

楳木先生:

そこ溜まりやすいとこなので、そうやって発見したら浄霊するということを重ねていただければと。

参加者:

本当にありがたいです。ありがとうございます。

(後略)

楳木先生:

じゃあ、これで終わらせていただきます。ありがとうございました。」

参加者一同:

ありがとうございました。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎固結している所が分かる状態のときに根気よく浄霊をしておくと、症状的に出てこないのだということ。

>固結の状態で浄霊しておいた方が、何々病とか神経痛とかいう形になっていかないので、一番有難いのだということ。

〇豆粒ぐらいの大きさの(ここでは、手や足の親指側の骨に沿ってある)固結に対して浄霊をする場合、大体中指とか(一本だけ)ですると良いのだということ。

〇眠れないときは、(朝晩、寒暖の差が激しくなってくると)足の先とかが夜、冷えたりする場合があるので足を温めるように心掛け、そして後ろ首の延髄周辺を良く浄霊すれば段々眠れるようになるのだということ。

〇親指の裏側から土踏まずのところは、薬毒が溜まりやすいとこなので、固結を発見したら浄霊するということを重ねていくのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の学びでは、「私達を守護している正守護神の力をつけていくためには、信仰は不可欠なのだ。」という、信仰するということの意義を再認識させていただいたように思います。私達は、浄霊をいただいて霊の曇りをとるということ、出来るだけで体に悪いものを入れないという生活をしつつ幸せになっていくということに努めておりますが、私達を守護してくださっている「正守護神」に力をつけていただき正しい判断をしていく為にも御教えの拝読を日々コツコツと続けていかなければならないのだと思いました。立春を迎えたとはいえ、まだまだ寒さは続きます。どうぞご自愛くださいませ。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.164浜松支部 2014(平成26年9月分)

 

 

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