研鑽資料no.127(2024年2月)

2月に向けての学び

はじめに

責任者:

1年で最も寒い時期となりました。

今週に入り(1/25日現在)、日本付近の上空には今シーズン最強の寒気が流れ込み、日本海側を中心に降雪が強まり、大雪になっております。皆様の地域ではどのような天候なのでしょうか。そんな大変寒い中ですが、引き続き「文明の創造」より学んで参りたいと思います。

 

「メシヤ講座no.163浜松(平成26年8月分)より抜粋:

<今月の御教え>

『霊的病気、結核と憑霊』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

結核の原因には、憑霊の場合も相当多いのである。というのは事実に於て夫婦の一方が死ぬと、間もなく残りの一方が結核となり死ぬという事がよくある。又兄弟の内誰かが結核で死ぬと、其後次々発病し、症状も前に死んだ者と、殆んど同様である。酷いのになると、五人も六人もの兄弟が次々死ぬ事がある。之等を見ると、どうしても伝染としか思われないので、医学が結核は感染するとしているのも、無理はないのである。

処が斯ういう例は病菌による感染はないとは言えないが、案外少なく憑霊による事の方が、殆んどと言いたい位である。今之を詳しくかいてみるが、普通結核で死に、霊界に往って霊界の住人となるや、霊になっても引続いて結核患者なのであるから、病状も生前と些かの変りはなく苦しむのである。処が病気で死んだ霊は言う迄もなく地獄界に入るのであるから地獄の苦しみが続くので、病苦の外に語る相手もなく、孤独で非常に寂しい為、相手が欲しくなる結果どうしても兄弟の誰かを、自分の傍へ引寄せようとする。そこで憑依すれば、自分と同様結核となって死ぬのは分っているから、そうするのである。何と恐るべきではなかろうか。

又其他にも斯ういうのがある。それは祀り方が悪いとか何か死後要求がある場合、それを頼むべく知らせようとして之はと思う人に憑依する。憑依された者は、勿論結核と同様になるので、普通人はそういう事に気が付かず感染したと思い、医師も又そう言う訳で、散々医療を受け遂に死亡するので、此最もいい例として、斯ういう事があった。

今から二十数年前、私がまだ修行時代の頃、私の妻が風邪を引いた処、間もなく激しい咳嗽(せき)と共に引つきりなしの吐痰である。時々血痰も混るので、どうみても結核症状である。私も普通の結核としても、斯う急に起る筈はない、何か訳があるのだと思って、霊査法を行った。

此霊査法というのは、後に詳しくかくが、それで判った事は、果して約一年程前、二十幾歳の青年で、結核三期という重症なのを治療してやった事があった。慥か一、二週間位で、遂々死んで了つた。其霊が憑つた事がよく分ったので、霊の要求を訊いてみると、生前一人の父親に世話になっていたのだが、非常に貧乏なので、自分が死んでからも、碌々供養もして呉れず、未だに祀られていないので居所がなく、宿無しの為、辛くて仕方がないから、どうか祀って貰いたいというので、私も快く承諾し「今夜は遅いから、明晩祀ってやる。然し君が此肉体に憑いていると、肉体が苦しいから、今私が祝詞を奏げてやる、それが済んだら、直ぐ離れなさい」と言うと彼も承知して、祝詞が済むや離れたので、妻はケロリとして平常通りになって了った。之などは余りハッキリしているので、私も驚いた事がある。

 

心得ておかなくてはいけないこと

楳木先生:

先月に引き続いて、『霊的病気』の中の、さらに『結核と憑霊』というところを拝読させていただきました。この『結核と憑霊』の中で私達が充分心得ておかないといけないことは、(書籍「文明の創造」)281ページの6行目から『処が斯ういう例は病菌による感染はないとは言えないが、案外少なく憑霊による事の方が、殆(ほと)んど言ひたい位である。今之を詳しくかいてみるが、普通結核で死に、霊界に往って霊界の住人となるや、霊になっても引続いて結核患者なのであるから、病状も生前と些(いささ)かの変りはなく苦しむのである。処が病気で死んだ霊は言う迄もなく地獄界に入るのであるから地獄の苦しみ続くので病苦の外(ほか)に語る相手もなく、孤独で非常に寂しい為、相手が欲しくなる結果どうしても兄弟の誰かを、自分の傍(そば)へ引寄せやうとする。』ここのところですね。

結核患者で死んだ人は霊界へ往っても結核の苦しみが続くというのがまず第一と、地獄界に入るので地獄の苦しみが続くというという、これが、私達が深刻に受け止めないといけない霊界生活の実態であろうかと思います。

これを現代人がどうしても勘違いさせられているのが、霊界のことがわからない文学と、それからその文学に基づいて作られた映画ですね。

古い映画になりますが、丹波哲郎の〈大霊界〉という映画がありました。そのときには病気で霊界へ往ってもみんな天国に往っているとか、ひどいのになると自殺しても天国の生活ができるとかいう描写をしていると、そういうものを観た人は勘違いをしていきます。

最近では、一度メシヤ講座で紹介した映画「つなぐ」の中でも、やはりそうしたことをきちんと表現していない部分がありましたので、そういうものを観ているとどうしても勘違いが起こしてしまうということがあります。

(後略)

何故こんな話をするのかというと、病気になった場合、薬を服んでそのまま霊界に往くとその病気のまま霊界に往ってしまうので、霊界で非常に苦しい思いをするわけです。しかし浄霊をいただきながら薬をやめて、その後霊界に往くと浄まって霊界に往きますので、地獄にいく必要がなくなってくるのです。

一番ひどいのは自殺をしてしまうと・・・、御教えの中では、今は親から反対されたから2人で死ぬということは滅多にないのですが、昔は両親から反対されるともう結婚できないということで、2人手に手にとって自殺をするというカップル(心中事件)が結構ありました。そういう人たちはどうなると御教えに書いてありましたか?(御教え『霊界の構成』へ)」

参加者:

背中合わせで逆になって…。

楳木先生:

逆になるのは上下関係、手にとって死んだ人は背中がくっついたまま霊界生活をしないといけないので、一方が前にいくと一方は後ろに動かないといけないという、非常に恥ずかしくもあり、不自由な生活を送らないといけないということであります。

大学教授と女学生とか師弟関係などが一緒に死んでしまうと、それは逆さまにくっついてしまうので、なおかつ不便だという、そういう描写があるのですが、それはどういうことかと言うと、自殺の場合は事故死ですので地縛霊にならざるを得ないと。それから自分で自分を殺してしまうので、殺人の罪が加わるので、地獄へ往かないといけない。そういう二重の苦しみが待っているので、自殺は絶対にやってはいけない。

この霊界生活を教えつつ、教育をしていかないと自殺というのは年間3万人前後いらっしゃいますけれど、そうことがなくならないのではないかなと思います。

霊界は非常に厳しいのだということがわかっておかないとなかなかきちんと浄霊で浄まって霊界に往くということができにくいのですが、〇〇教団は薬を服みながら浄霊をいただきなさいというような指導をしていきますので、全く・・・。ここを拝読した場合、人を救うということに繋がっていかないということがありますので、ここのところはよくよく心に置いて拝読していただきたいと思います。

それから次のページ282ページにいきますと、2行目に『又其(その)他にも斯(こ)ういふのがある。それは祀(まつ)り方が悪いとか何か死後要求がある場合。それを頼むべく知らせようとして之はと思ふ人に憑依する』というふうに書かれておりますね。

この憑依するというのは、頼み事がある場合、こういうことが起きてくるのですが、その中の一つのとして例をあげたのは、メシヤ講座の5ページ目になります。(後略)

やはりそういうことがありましたので、そうした先祖の要求がある場合、こういうことが起きるということを心得ていきたいと思います。

それが、後半メシヤ様が『修行時代の頃、私の妻が風邪を引いた処、間もなく激しい咳嗽(せき)と引っきりなしの吐痰(とたん)である』というふうにお書きになっているところであります。

メシヤ様のこの『修行時代』というのは大本教時代のことでありますので、その頃の救いの中心が鎮魂帰神法とおひねりという、今のおひねりはお金を入れるほうですが、その頃は薄い和紙などに「この病、治れ」などと書いて丸めて食べたり飲み込んだりすると良くなるというのがありますけれど、それがその後の御霊紙というものに変わっていきます。それからもう一つは扇子に同じように書いて扇いで良くしたり…。

これは大本教時代に取り組んで、メシヤ様は非常にこれで奇蹟が出ておられていたようですが、これでは万人が救われることができないということで浄霊法を編み出すために10年かかったわけです。御啓示をいただいてから10年かかったのです。そして浄霊法を私達に授けるという方法を編み出されて、それから立教されたわけですので、修行時代のころというのはその頃なので、救いきれなかった青年がいたということです。

その青年が亡くなって、そしてお父さんが祀ってくれないので居場所がないということでこういうことがあったということを教えてくださっています。

そういうことなんだなということを思いながら、拝読をしていただければ良いと思います。」

(後略)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎この『結核と憑霊』の中で先ず第一に私達が心得ておかなければならない(深刻に受け止めなければならない)ことは、結核でお亡くなりになった人は霊界へ往っても結核の苦しみが続く(地獄界に入るので地獄の苦しみが続く)のだということ。

>上記のような霊界での生活を、霊界のことがわからない(わからずに書かれた)文学と、それに基づいて作られた映画(例えば丹波哲郎の「大霊界」等)によって現代人は勘違いさせられているのだということ。

◎病気になって薬を服用している人がお亡くなりになると、その病気のまま霊界に往ってしまうので非常に苦しい思いをするのだということ。

>しかし浄霊をいただきながら薬をやめてお亡くなりになる人は、浄まって霊界に往く(地獄にいく必要がなくなってくる)のだということ。

◎御教えを拝読し霊界は非常に厳しいのだということがわかってないと、浄霊できちんと浄まって霊界に往くということができにくいのだということ。

>(上記のような理由で)病気の方への「薬を服みながら浄霊をいただきなさい」というようなアドバイスは、人を救うということに繋がっていかないのだということをよくよく心に置いて拝読するのだということ。

◎亡くなった霊に頼み事がある場合、憑霊ということが起こる場合があるのだということを、私達は心得ておくのだということ。

 

「メシヤ講座no.163浜松(平成26年8月分)」より抜粋つづき:

亡くなった方への慰霊

楳木先生:

今月のメシヤ講座(「メシヤ講座・特選集no.162(平成26年7月分)」へ)を読んでいただいたときに、心していただきたいことは臨床宗教師の育成に評価をしておりますが、臨床宗教師が取り組むことには一切触れておりません。それで例として鹿児島の青年女子の例を書いてあります。〈以後の臨床宗教師の話は割愛させていただきます〉例えば、病院に行くと幽霊がいっぱいいるという話を聞きますね。それは病院で死ぬからです。往生して亡くなった人と、手術中に死んだ人とか薬や薬の量を間違えて亡くなった人とかいますので、そういう事故死的に亡くなった例はほとんどそこに地縛霊になりますので、それで幽霊が多いということです。

それから痛みがきつい場合、モルヒネとかをうっていきますが、自覚症状がなくなりますので、自分が死んでも死んだという自覚がありません。そういう霊は浮遊霊になりますので、死んだ自覚がなく、まだ病院にいるつもりでいつまでたってもふわふわしているので、それが幽霊となって見えるということです。ですから遺族はその場へ行って供養していかないと、期間が短縮されていかないということです。いずれにしても精一杯供養させていただいて、その地縛霊や浮遊霊がずっと期間を短縮されるように、供養していかないといけないということが大事になりますので、ここの臨床宗教師の話では詳しいことは割愛しているというように受け止めて読んでいただきたいと思います。」

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

※ここでは、「メシヤ講座・特選集no.162(平成26年7月分)」中の「臨床宗教師の育成に関して」というところを拝読する上での留意点をお話しされております。下記の点をご理解の上拝読されて下さい。

◎「臨床宗教師の育成に関して」では、臨床宗教師の育成について評価をしていますが、臨床宗教師が取り組まなければならないことには一切触れていないのだということ。

◎例えば病院には沢山の幽霊がいると良く聞くが、

>病院で事故的に(例えば手術中や薬の量を間違えて服用し)お亡くなりになった方のほとんどが地縛霊になるのだということ。

>モルヒネなどの痛み止めを打った状態でお亡くなりになった方は、死んだという自覚がないので浮遊霊になるのだということ。

◎前記のような状態でお亡くなりになられた方の遺族は、その場へ行って(地縛霊や浮遊霊でいる期間を短縮されるように)供養していかないといけないのだということ。

>いずれにしても(その地縛霊や浮遊霊が)地縛霊や浮遊霊でいる期間を短縮されるように精一杯供養していくということが大事になるのだということ。

 

「メシヤ講座no.163浜松(平成26年8月分)」より抜粋つづき:

再び亡くなった人への慰霊

参加者:

モルヒネを使って亡くなったときには、亡くなったときに祝詞をあげれば良いですか?亡くなってしまったら、もう病院には行くこともないですよね?

楳木先生:

それではだめ。やっぱり定期的に行って、七日毎に行くとか、供養に行って、そしてその病室に入ることはできないので、どこかでずっと善言讃詞をあげていかないといけない。

そういうことでしか自覚できないので。亡くなった人は。七日毎四十九日、それから1年祭、2年祭というふうにやはりしてあげないといけない。

参加者:

何年祭までですか?

楳木先生:

そういう人が具体的にいるの?)

参加者:

私の兄弟のお嫁さんです。

楳木先生:

それは身内と言っても兄弟のお嫁さんだから、兄弟がやらないと意味がないから。他の人がやっても。だから兄弟から相談を受けたら「こういうことらしいよ」というようにしていかないと。そうしないと〇〇家の仏壇に入ってもらわないといけないわけだから。そっちの人が中心でやらないと。そこの人が何もわからないのに、やってもね。そういうことの話し合いができるようにしていかないと。

だから肚に入れておいて、そういうことを願いにいろいろ話し合いをしていくと、というふうにしていかないと。自分たちが病院に行ってお参りしたりしてもおかしなことになるから。」

参加者:

父の場合も生きたいという気持ちが強くて、痛さをこらえながら亡くなったので病院で浮遊霊になっているのかな?と

楳木先生:

そういう場合は自分が行ったら良い。お参りしていると、もうこれでしっかりなったなと思えば、それでやめれば良いのです。」

参加者:

そういう気付きというものはあるのですか?

楳木先生:

あげていたらわかるでしょ。もうここにいないなと。そしてどうしても行かないと行けないときには、行かないといけないことが起きるから。自分の生活の中で。そういう期間はいってお参りをすれば良いから。

ただ知らないで往っているので、そんなに長い期間はかからないから。御教えを読んでいてそういうことをやったら、知っていてやったから罪が重いのです。しかし知らないでやった人は、罪がそんなに重くないから、何回かすれば罪がすっと救われていく。

だからさっき〇〇教団のことを言ったのは、知っていてやったから罪が一番大きいということです。ですから知らないでやったことは、それほど罪は大きくないのです。」(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎身内にモルヒネを使いながら病院で亡くなった人がいる場合、その場所に(例えば七日毎に行くとか)定期的に行って、(その病室に入ることはできないので)病院のどこかで善言讃詞をあげて供養していかなければならないのだということ。

>モルヒネを使いながら病院で亡くなった人は、(例えば)善言讃詞を聞いたりすることでしか自覚できないので、七日毎四十九日、それから1年祭、2年祭というふうに供養(慰霊)をしてあげなくてはならないのだということ。

 

「メシヤ講座no.163浜松(平成26年8月分)」より抜粋つづき:

パーキンソン病の方への浄霊

参加者:

パーキンソン病の方への浄霊を教えてください。

楳木先生:

症状はかなり進んでいますか?」

参加者:

手の震えがあり、パーキンソン病と診断されたようです。年齢が80代なので、何もできないみたいですが…。

楳木先生:

パーキンソン病というのは脳、神経が関係するので、神経系をよく浄霊してください。震えの出ているところが、症状がでているところなので、手が震えているようならば震えるところと関節、それから関節からさらに脊髄につながって神経が入り込んでいるので、その脊髄をよく浄霊してあげると良いです。それと脊髄の一番上から、脳天から脊髄に光が入っていくような浄霊をしてあげてください。病院には入っているの?」

参加者:

いいえ

楳木先生:

治療は何も受けていないの?」

参加者:

してないと思います。

楳木先生:

そうしたら薬毒はそう入っていないので、そういう浄霊をしていけば進行は止まっていきます。そういう状態になると思うので、そういう浄霊をよくしてあげてください。他に薬は服んでいない?」

参加者:

確認していませんが。

楳木先生:

服んでいるようであれば、その薬が必要かどうかというのを、自分でね、「これは必要ないのではないですか」ということをアドバイスして、何か月服んだのかとか、どのくらい服んだのかということに応じて、肝臓と腎臓も併せて浄霊してあげてください。そういうところをして上げたらいいと思います。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎パーキンソン病の方に浄霊を取り次ぐ時には(脳、神経が関係するので)神経系をよく浄霊するのだということ。

>震えの出ているところは症状がでているところなので、手が震えているようならば震えるところ(手)と関節、それから関節からさらに脊髄につながって神経が入り込んでいるので、その脊髄をよく浄霊してあげると良いのだということ。

>(その場合)脳天から脊髄に光が入っていくような浄霊をしてあげると良いのだということ。

◎服薬をしていないのであれば薬毒は入っていないので、上記のような浄霊をしていけば進行は止まってくるのだということ。

>もし服薬しているようであれば、「この薬は必要ないのではないですか」ということをアドバイスし、どのくらい(時間の長さと量)服薬したのかに応じて、肝臓と腎臓も併せて浄霊してあげるのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の学びで私達は、御教えをしっかり拝読し霊界は非常に厳粛なところなのだということを理解した上で肚に落とし、ちゃんとした浄霊の御取次をしていかなければならないのだということを御教示いただきました。又どのような亡くなり方にしろ、きちんと慰霊(供養)をさせていただくことが大切なのだということも再度確認させていただきました。来月は節分と立春を迎えます。私達、メシヤ様の信徒にとりまして「節分と立春」は、重要な神事になります。毎年繰り返しお伝えしておりますが、参拝に臨まれる前に資料「節分と立春について」と資料「国常立尊様について」を拝読されると「節分、立春」の意義が今まで以上に深く理解できると思います。又、節分に「神言」祝詞を奏上される前に、資料「神言の手引き」の拝読もお勧めいたします。是非、ご一読下さい。寒さ厳しき折柄、体調を崩されませんようご自愛ください。又、積雪で道路が凍っているところもあるかと存じます。お足元にお気をつけてお過ごしください。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.163浜松支部 2014(平成26年8月分)

 

 

印刷はこちらからどうぞ