研鑽資料no.130(2024年3月)

3月の学び

はじめに

責任者:

桃の節句も過ぎ、ようやく過ごしやすい気候になってまいりました。皆様におかれましては、お変わりなくお過ごしでしょうか。去る3月3日、結ノ和では「メシヤ降誕本祝典記念大祭」を粛々と執り行いわせていただきました。「メシヤ降誕本祝典記念大祭」とは、平成三十年三月三日に、現界にお出まし下さったメシヤ様を、私達信徒が(人類の代表として)お迎えさせていただいたことを記念する大変おめでたい日であります。その偉大なるメシヤ様の御力を世界の隅々まで伝えていくということを心新たにお誓いさせていただきました。

さてそれでは引き続き、「文明の創造」より学んで参りたく思います。

 

「メシヤ講座no.166浜松(平成26年11月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『霊界に於ける昼夜の転換』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

右の重大事というのは、霊界に於ける昼夜の大転換である。

即ち夜と昼との交替であるというと可笑しな話で、誰しも夜と昼は一日の中にあるではないかというであろう。成程それには違いないが、私のいうのは大宇宙のそれであって、此事を知るとしたら、人智では到底想像もつかない程の大神秘を会得する事が出来、それによって今後の世界の動向も分り、未来の見当も略ぼつくのである。

そうして曩に述べた如く、此世界は物象界、空気界、霊気界の三原素によって構成されており、一日の昼夜とはこの物象界と空気界、つまり人間の五感に触れ、機械で測定出来るものであるに対し、霊気界のそれは全然無と同様で、捉える事が出来ないものであるから、今私の此文を見るとしても、直ちに信じ得る事は困難であろう。私と雖も若し神を知らないとしたら、一般人と同様であろう。只私は此重大なる使命をもつ以上、神と密接不離な関係にあるから確実に知り得るのである。

それによると、霊界に於ても現界に一日の中に昼夜がある如く、十年にも、百年にも、千年、万年にもあるのである。従って其転換毎に、人類世界にも反映するので、それが霊界の方では絶対正確であるにも拘はらず、現界へ移写される場合、幾分の遅差は免れないのである。其事を頭に置いて、長い歴史を見る時、大、中、小種々の歴史的変化をみるのは、其表われである。そこで今私が言わんとする処は、世界の大転換に関する主なる点であって何よりも先ず大転換の時期であるが、それは一九三一年六月十五日から始まっており、一九六一年六月十五日迄の、三十年間で一段落がつく事になってゐる。然し人間の頭脳で考える時、三十年と言えば相当長期間であるが、大宇宙に於ける神の経綸としたら、一瞬の出来事でしかないのである。そうして右の三十年といっても、現界に於ては急激な変化はなく、徐々として進みつつあると共に、右の三十年を挟んで其前後の時を合わせると、六十余年の歳月を費やす事となる。それは準備期と転換後の整理とに時を要するからである。

右の如き其転換の意味は今日迄は夜の世界であったから、謂はば月の支配であったのである。処が愈々昼の世界となるに就て、予て世界の二大聖者として仰がれている釈迦、基督の予言された通りの事態となったのである。そうして先づ仏典によれば釈尊は「吾七十二歳にして見真実になれり」と言われた後、間もない或日、世尊はいつもに似合はず憂欝の色蔽い難い御様子なので、弟子の阿難尊者が憂慮し御訊ねした。『世尊よ、今日は常にない御沈みのように見受けられますが、何か御心配事でも御有りですか』と申した処、釈尊は直に御答えになった事は『儂は今迄終生の業として仏法を創成し、一切衆生を救わんとして大いに努力を続けて来たが、今日大仏陀から意外なる御諭しがあった。それによると或時期に至ると、我仏法は滅すると言う事で、大いに失望したのである』との御言葉であって、それから世尊は斯うも曰はれた『儂は見真実によって分った事だが、今迄説いて来た多くの経文は、少なからず誤りがあるので、今日以後真実を説くから、よく之によって正覚を得られよ』と仰せられたので、此時からの経文こそ仏法の真髄である事は確実で、それが法華経二十八品と、法滅尽経と、弥勒出現成就経である。処が、その事を発見されたのが、彼の日蓮上人であって、上人はこの発見によって他宗教義悉くは見真実以前に説かれたものであるから、真実ではない。独り我法華教こそ仏法の真諦であるとして、他宗ことごとくを否定し、猛然として一大獅子吼をされたのであるから、上人のこの傍若無人的宣言も、無下に非難する事は出来ないのである。

之に就て、法華経二十八品の意味を解釈してみるが、此経文の二十五番目にある観音普門品こそ、大神秘が蔵されてゐるのである。というのは法華経とは法の華であって、最後に法の華を咲かせなければならない。其場所と人とが日本であり、日蓮上人であるから、上人が法華経を翳して、いかなる受難にも屈せず、一途に日本国中に法華経を宣布されたのも、この強い信念があったからである。元来仏法は曩に説いたごとく月の教えであり、陰であり、女性である。釈尊が「吾は変性女子なり」と曰はれたのも其意味であろう。又上人は前例のない型破り的の行り方であった。彼が修業成って、最初故郷である安房の清澄山上に於て、東方日の出に向かって、妙法蓮華経の五文字を高らかに奉唱され、其時を契機として愈々法華経の弘通に取掛ったという有名な話も、それ迄仏教各派の悉くは、南無阿弥陀仏の六文字の法名を唱えたので、之にも意味がある。すなわち五は日の数であり、六は月の数であるからである。それまでは人も知る如く日本に於ける仏教といえば陰性であったものが、一度日蓮宗が生まるるや、極端に陽性を発揮し、太鼓を叩き花を飾り、声高らかに経文を唱える等、何から何まで陽気一点張りである。全く仏華を咲かせたのである。また世間同宗を以って一代法華と言ったのも、花は咲くが散るから、一時は好いが長くは続かないという訳であろう。

今一つの神秘がある。それは法華経二十八品の数である。二十八の数は、月の二十八宿を表わしたもので、其二十五番目に普門品があるのは、二十五の数は五五、二十五で、五は日であり、出づるであるから、日の出の意味である。つまり月の仏界に日が生まれた表徴である。即ち此時既に夜の最奥霊界には、ほのぼのと黎明の光が射し初めたのである。そうして面白い事には、外の仏教は全部西から生まれたに対し、独り日蓮宗のみは東から出てゐる。而も安房の清澄山こそ、日本に於ける最も東の端で、この地点こそ大神秘が包蔵されてゐる事は、私が以前書いた自観叢書奇蹟物語中に概説してあるから参照されたい。つまり此地が霊界二次元における昼の世界の初発点であるのである。

次に日本に於て、何故仏法の花を咲かせなければならないかといふと、そこにも深い密意が秘(ひそ)んでいる。すなわち花が咲かなければ実が生らないからで、其実というのが実相世界であって、此実の種が如意輪観音の御働きでもある。私がいつもいう如く、観世音は日の彌勒であり、阿弥陀が月の彌勒であり、釈迦が地の彌勒であり、此三人の仏陀が三尊の彌陀である。とすれば阿彌陀と釈迦は、夜の世界の期間の御役であったに対し、観音は昼の世界にならんとする、其境目に観音力を揮わせ給ふのである。此経綸こそ昔印度に於て仏法発祥の時己に誓約されたものである。

本教が、最初日本観音教団として出発したのも、私が観音を描き御神体として拝ました事も、私に始終観音の霊身が附き添はれて居られた事も右の因縁に外ならないのである。ところが釈迦、阿彌陀は如来であったので、観世音の菩薩の御名に囚われ、宗旨によっては、阿彌陀や釈迦より観音の方が下位とされてゐたのも、右の因縁を知れば誤ってゐる事が分るであろう。処が其後御位が上られ、光明如来となられたので、現在は光明如来の御働きである事は信者はよく知ってゐる通りである。

 

昼夜の転換を知ることは、大神秘を会得することである

楳木先生:

本日拝読するところから、かなり深いところを学ばせていただくので、皆さん方もいろいろなことが興味深くわかるのではないのかなと思います。

最初のページ(書籍「文明の創造」305ページ)の3行目に 『成程それには違ひはないが、私のいふのは大宇宙のそれであって、此(この)事を知るとしたら、人智では到底想像もつかない程の大神秘を会得する事が出来、それによって今後の世界の動向も分り、未来の見当も略(ほ)ぼつくのである。』というふうに書かれております。

ですから、この『夜昼転換』、『昼夜の転換』、こういうことを知るということは、大宇宙のそれで、大神秘を会得するということでありますので…。

ここで一番古い信者さんは、〇〇さんですかね?」

参加者:

一応…。勉強はしていませんが…。

楳木先生:

もう大神秘を会得できたかね?」

参加者:

…。

楳木先生:

残念ながら、世界救世(きゅうせい)教時代、皆さん方にこの大神秘を会得する道をご提示できなかったので、それで、それまで会得できない場合が・・・。

しかし、メシヤ教で、メシヤ講座をとおして、だいぶ会得してきたと思うので、「会得しつつあります」とこれからは答えてください。

それから世界の動向、今、世の中で起きていることとか、これからどうなっていくのかということもほぼ見当がつくということですので、メシヤ様の教えに基づいて世の中の動きを見たり、人類の歴史を見たりしていくと、だいたい理解、これはどういうことで起きているのかということが、今後だいたい理解できるように、そこまでしっかり勉強していただければ大変ありがたいと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は「『霊界に於ける昼夜の転換(『夜昼転換』『昼夜の転換』)』を知るということは、大宇宙の夜と昼との交替を知るということで、大神秘を会得するということ」だと御教えくださっているのだということ。

◎もし私達が「大神秘を会得できましたか?」と尋ねられたら、メシヤ講座をとおして、だいぶ会得してきたと思うので、「会得しつつあります」とこれからは答えていくのだということ。

>メシヤ様は『大神秘を会得する事によって今後の世界の動向も分り、未来の見当も略ぼつくのである。」と仰っているので、私達はメシヤ様の教えに基づいて世の中の動きを見たり、人類の歴史を見たりして、これはどういうことで起きているのかということがだいたい理解できるように、そこまでしっかり勉強していくのだということ。

 

「メシヤ講座no.166浜松(平成26年11月分)」より抜粋つづき:

歴史と現在の日本

楳木先生:

それで(書籍「文明の創造」の)306ページの9行目を開けていただきますと、 『それによると、霊界に於いても現界に一日の中に昼夜がある如く、十年にも、百年にも、千年、万年にもあるのである。』というふうに書かれております。

それでは、それをもって歴史を見たとき、10年の変化はどうであろうか、100年の変化はどうだろうか、あるいは1000年の変化はどうだろうか、万年の変化はどうだろうかということを考えていくと、今、タイムリーに書籍が出ているのですが、岸田一隆という人が出している本(「3つの循環と文明論の科学-人類の未来を大切に思うあなたのためのリベラルアーツ」)では、人類の中には飛躍した時がある、という解説をしています。人類はだいたい3回大飛躍をしているということです。最初に大飛躍したのは、10万年前に新人類が言語、言葉を持つことができて、それが世界に拡がったと、これが人類大飛躍の一番目ではないかと指摘しています。歴史をみていくとまさに人類が言語を持ったのがそのあたりだということです。

それから1万年前に、人類が農業と定住をして、そこから文明が徐々に花開き始めた、これがだいたい1万年前だというふうに説いています。

日本の歴史をみていくと、縄文時代の姿を見ていくと、農業というのは当時の主食は栗でありましたので、栗の栽培をしつつ、それから動物を捕ったり魚を捕ったりして定住を始めました。これは、いつも三内丸山遺跡のことを言いますが、あそこには6500年前から3500年前までの定住の跡が残っています。あそこは手つかずだったために残っているわけで、浜松でも蜆塚とかありますが、やはり初期の建設ラッシュのときに文化財などのそういうところに重きを置かずに建築してしまったために、貴重な資料や遺跡が破壊されたところがあるので、今のところ、日本でわかりやすいのは青森県の三内丸山遺跡だということであります。

そこを見ていきますと、だんだんとお亡くなりになった人への埋葬の在り方が整えられていったところであったり、集落で会議をもっていたところがあったりということがわかってきています。しかも建築技術がだいぶ進んできたこともわかり、直径1メートルの栗の木の一番底部を腐らないように焼いて、基礎の上に立てて、今でいう火の見櫓(やぐら)みたいなもので3階層の10何メートルある建造物を建てて、そこで海に漁に行って帰らなかった人がいると、松明を焚いて目印を、今でいう灯台のような役割を担っていた場所があり、そういうものが見えてくるので、だんだんと文明とか文化というものが花開き始めた跡がそういうところから見ることができるので、この捉え方は興味深いところです。

それから3回目の大飛躍は、18世紀の産業革命だというふうに言っております。産業革命から私達の生活は非常に便利になってきました。それまでは海でも人力であるいは風で、風力で航海していたものが、蒸気機関ができて、そして蒸気機関によって水を漕いで遠くまで移動することができるようになりました。

それから空も飛べるようになって、日本ではいとかわ2号が打ち上げられると同時に、昨日は海外で彗星に到達した探査機のニュースがありましたが、宇宙に少しずつ出ていくところまで、非常に私達の生活はめまぐるしく変わっています。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は『それ(神と密接不離な関係にあるメシヤ様の見識)によると、霊界に於いても現界に一日の中に昼夜がある如く、十年にも、百年にも、千年、万年にもあるのである。』というふうに仰っているのだということ。

>上記の御教えを基に歴史を見たとき、人類大飛躍(現界に於ける昼夜の癲癇)の一番目は10万年前に人類が言語を持ったということなのだということ。

≫それから二番目の大飛躍は、1万年前に、人類が農業と定住をして、そこから文明が徐々に花開き始めたときなのだということ(今のところ、日本でそのことがわかりやすいのは青森県の三内丸山遺跡なのだということ)。

◎3回目の大飛躍は、18世紀の産業革命のときなのだということ。

>産業革命によって私達の生活は非常に便利になり、現在に至るまでめまぐるしく変化しているのだということ。

 

「メシヤ講座no.166浜松(平成26年11月分)」より抜粋つづき:

一段落をつけるために

楳木先生:

続いて読んでいきますと 『従って其(その)転換毎(ごと)に、人類世界にも反映するので、それが霊界の方では絶対正確であるにも拘(かか)はらず、現界へ移写される場合、幾分の遅差は免(まぬが)れないのである。其(その)事を頭に置いて、長い歴史をみる時、大、中、小種々の歴史的変化をみるのは、其(その)表はれである。そこで今私が言はんとする処は、世界の大転換に関する主なる点であって何よりも先(ま)ず大転換の時期であるが、それは一九三一年六月十五日から始まってをり、一九六一年六月十五日迄の、三十年間で一段落がつく事になってゐる。』 と書かれています。この1931年は皆さん方、ご承知の昭和6年6月15日の『夜昼転換』の神事を房州鋸山でメシヤ様が執り行われたことです。

それから30年間でひと段落つくということになっていますが、実はひと段落つかないで、きております。それはメシヤ様が予定より早く御昇天されてしまったからです。

昨日、新潟でもいろいろ話をしたのですが、メシヤ様が昭和29年の6月15日にメシヤ降誕仮祝典を執り行ったのですが、そのあとすぐメシヤと呼ばないという形に教団はしてしまいました。

それから、昭和25年の5月に御法難が起きたときに、メシヤ様は『もう一切御神業から引く』といったんおっしゃったのですが、そのときに野沢明一氏がメシヤ様のところにお詫びに行って、『明一が詫びたのであればもう一度御神業を再開しよう』ということで御神業が再開され、そのあとすぐに『文明の創造』の原稿を執筆になられ始めたということであります。

メシヤ様の御存在に対する認識が、残念ながら当時の大幹部と言われた方々がどうしても理解を深めることができなかったために、執行部によって『メシヤ様』の御名を取り下げてしまいましたので、それでここの30年で一段落がつくとありますので、本来昭和36年の6月15日で一段落ついていないといけなかったのですが、メシヤ様が御昇天されてしまったために一段落つかないまま、今日を迎えております。それでメシヤ教の御神業というのはこの一段落をつけるために今、進めております。

一段落をつけるということはどういうことかというと、全世界を救うための準備をするということが一段落です。そのために一つは『祈りの栞』を作り変えて、主神様に真向かう、メシヤ様に真向かう姿勢を整えるということです。今、『祈りの栞』を何度も赤字を入れて作っておりまして、だいたい今月中に校了するべく三重支部にやってもらっています。また三重支部と私が合流して最終的な校了をして作り上げていきたいと思っております。

その中には世界救世(きゅうせい)教ですら、祝詞奏上と御神名奉誦の違いを教えてこなかったわけです。私もメシヤ教を始めた当初は充分実行に移すことができなかったので、祝詞を自分の目で見るというところに達するまで年数が必要でありましたし、奉誦というのは祝詞を見ないで諳(そら)んじて奉唱することを奉誦と言いますので、そうした違いをメシヤ様に御神縁の繋がる人にはきちっと教えて、作法も最低限のことがわかるように写真を載せて、12月23日には皆様にお渡しできるような形で準備を積み重ねております。

それと同時に、今回「メシヤ講座・特選集」に書いてありますように、浄霊の基本等も今年中に整えて、来年は浄霊を伝授するときの本も改訂して作り上げていきたいと思います。『文明の創造』の本ほど厚くはありませんが、これの3分の1くらいの厚さにして、最後のページに一通り読んでわかったら、「浄霊力拝受お願い書」を綴じ込んでおいて、それに書き込んで、支部にもってくるなり、本部へFAXや郵送するなどして浄霊力を拝受できるような体制をとっていきたいと思います。

それから、今の日本の・・・宗教観というものを日本人は充分に正確なものを持ち合わせていない面があります。本来の宗教はいったい何かということを『祈りの栞』に寄せてという中に書いてありますので、それをもう少し外部向けに書き変えてそういうものを合本にした本を来年は出そうとしております(「天国の福音書」続編(三)信仰観 入門と奥座敷)。どなたでも購入して、どのような宗教に所属しようとも信仰生活はこういうことだということがわかるような、そういうものを通して一段落をつける形をとって、そしてそれができて一挙に世界へ布教できる体制をとっていきたいと、今、考えております。

そのような意味で、より一層メシヤ教の御神業を支えていただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は 『従って其(その)転換毎(ごと)に、人類世界にも反映するので、それが霊界の方では絶対正確であるにも拘(かか)はらず、現界へ移写される場合、幾分の遅差は免(まぬが)れないのである。其(その)事を頭に置いて、長い歴史をみる時、大、中、小種々の歴史的変化をみるのは、其(その)表はれである。そこで今私が言はんとする処は、世界の大転換に関する主なる点であって何よりも先(ま)ず大転換の時期であるが、それは一九三一年六月十五日から始まってをり、一九六一年六月十五日迄の、三十年間で一段落がつく事になってゐる。』 と書かれています。

>この1931年とは昭和6年6月15日にメシヤ様が 『夜昼転換』の神事を房州鋸山で執り行われたことを指しているのだということ。

≫「大転換は1931年6月15日から1961年6月15日迄の30年間でひと段落つく」とメシヤ様は仰っているので、本来ならば昭和36年の6月15日で一段落つかないといけなかったのだが、メシヤ様が予定より早く御昇天されてしまったことにより、実はひと段落つかないまま現在(平成26年11月)まできているのだということ。

◎メシヤ教の御神業というのはこの「一段落をつける」ために進めているのだということ。

>全世界を救うための準備をするということが「一段落をつける」ということ。

◎「奉誦」というのは、祝詞を見ないで諳(そら)んじて奉唱することを奉誦と言うのだということ。

 

「メシヤ講座no.166浜松(平成26年11月分)」より抜粋つづき:

釈尊と日蓮上人

楳木先生:

次に308ページの釈尊の見真実に達した話が出ていますが、『儂は見真実によって分った事がだが、今迄説いて来た多くの経文は、少からず誤りがあるので、今日以後真実を説くから、よく之によって正覚を得られよ』 と仰せられたので、此時からの経文こそ仏法の真髄である事は確実で、それが法華経二十八品と、法滅尽経と、弥勒出現成就経である。処が、其事を発見されたのが彼の日蓮上人であって、上人は此発見によって・・・「他宗教義悉くは見真実以前に説かれたものであるから、真実ではない」と言って、一大獅子吼となったのです。このことを、お釈迦様が見真実に達してわかったことを日蓮上人が発見したからこそ、『夜昼転換』の黎明期を迎えたということです。

日蓮上人が中国に行って、万巻全部のお経を読んでこのことがわかったので、今の日本は真実ではないということで、この仏教を本来の在り方に改革をしていかないといけないと決心を固め、伊勢神宮にお参りに行っています。そして伊勢神宮で天津祝詞を奏上して、日本の神様に力をいただくべくお願いをして、それからふるさとの千葉へ帰って一大獅子吼ということになったのです。

ですから日蓮宗のお坊さんはみんな天津祝詞を奏上することができるのです。しかし、この天津祝詞の奏上の意味がわかっているお坊さんとわかっていないお坊さんがいるので、日蓮宗のお寺にはところによっては稲荷を祀っていて天津祝詞を奏上しています。本来、天津祝詞は伊勢神宮に行くときに唱えるために、日蓮宗のお坊さんは天津祝詞を覚えておかないといけないのですが、この日蓮と同じようにすべてのお経を読んだお坊さんがいないので、なかなかそこまで達することができない状態である、とういうことを私達はメシヤ様から教えていただいているので日蓮宗に対する見識も持っておいていただければ大変ありがたいと思います。

それから次に、ずっと拝読して最後のところまでいって312ページの1行目から 『此三人の仏陀が三尊の彌陀である。とすれば阿彌陀と釈迦は、夜の世界の期間の御役であったに対し、観音は昼の世界にならんとする、其境目に観音力を揮はせ給ふのである。此経綸こそ昔印度に於て、仏法発祥の時已に誓約されたものである』 この『仏法発祥の時已に誓約された』ということが大事なことですので、これをよくご記憶しておいていただきたいと思います。

この発祥の時に既に誓約された内容が、もう一度308ページに返っていただいて、6行目に 『儂(わし)は今迄終生の業として仏法を創成し、一切衆生を救はんとして大いに努力を続けて来たが、今日大仏陀から意外なる御諭しがあった。それによると或時期に至ると、我仏法は滅すると言う事で、大いに失望したのである』 この仏滅の意味はほとんど日本人には今、分かっていません。大安と仏滅ぐらいの差でみんな認識している程度で仏滅が一番悪いというぐらいに思っておりますので、ほぼこの意味はわかっておりません。

それでは『今日大仏陀から意外なる御諭しがあった』というこの大仏陀は誰ですか? ○○さん。大仏陀とは?」

参加者:

伊都能売神皇(いづのめしんのう)。

楳木先生:

そう。だから伊都能売神皇が仏教の祖であるということを日蓮上人が知ったので、それで『夜昼転換』の黎明期を迎えたのです。

しかもこの時、仏滅が来るということをこの時から約束されているということ。これが既に誓約されたということです。誓約されていた内容というのは“仏の華が咲いた後、仏滅が来る”ということですので、今が仏滅に入りつつあるということです。

だから仏滅が一番いいということになってくるわけです。だから仏滅が一番めでたい日だというふうに考えるのはここから来ているわけです。そういうことの認識を持っておいていただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎釈尊が見真実に達した後に書かれた経文こそ仏法の真髄である事は確実なのだということ。

>それが法華経二十八品と、法滅尽経と、弥勒出現成就経なのだということ。

◎「釈尊が見真実に達した後に書かれた経文こそ仏法の真髄である」という事を発見されたのが日蓮上人であって、上人は此発見によって・・・「他宗教義悉くは見真実以前に説かれたものであるから、真実ではない」と言って、一大獅子吼となったのだということ。

>お釈迦様が見真実に達してわかったこと(今迄説いて来た多くの経文は、少からず誤りがあるということ)を日蓮上人が発見したからこそ、『夜昼転換』の黎明期を迎えたとのだということ。

≫上記の内容は、日蓮上人が中国に行って、万巻全部の経文を読んでわかったことなのだということ。

 

「メシヤ講座no.166浜松(平成26年11月分)」より抜粋つづき:

メシヤ教の取り組み

楳木先生:

それから、この312ページの最後から3行目に 『処が其後御位が上られ、光明如来となられたので、現在は光明如来の御働きである事は信者は知ってゐる通りである』 とありますが、ここで大事なのは、『御位が上られ』という表現です。

最終的に御位が上がられたのが昭和29年の6月15日に『メシヤ様』という御位に上がられました。この時から、メシヤ様は『浄霊をする時、もう御守りはいらない』とおっしゃったのです。

それは最高最貴の御存在に上がられたので『儂(わし)に報告をすれば浄霊力はみんな授かる』というふうにおっしゃったのですが、そのほぼ2ヶ月後に、執行部によって『メシヤ様』という御位を無きものにしてしまいました。そのため御守りを通して浄霊力を授けることを継続してしまいました。

そして、しかも翌年の昭和30年の3月3日に「メシヤ降誕本祝典」を執り行おうとメシヤ様は御計画されていたのですが、御昇天になられたので実施できませんでした。

この御昇天になった原因は御法難時の取り調べによる脳貧血の後遺症で、そのために亡くなられていますので、弟子達の誠の無さで御法難が起きて、それが原因で御昇天になったかたちです。正に弟子の誠の無さがメシヤ様の命を縮めてしまって、「メシヤ降誕本祝典」を執り行うことができなかったということです。

(後文割愛)

それではいつものように、質疑応答に入りたいと思いますのでよろしくお願いします。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は 『処が其後御位が上られ、光明如来となられたので、現在は光明如来の御働きである事は信者は知ってゐる通りである』 と仰っていますが、ここで大事なのは、『御位が上られ』という表現なのだということ。

>最終的に御位が上がられたのが昭和29年の6月15日で 『メシヤ様』という御位に上がられた(この時から、メシヤ様は『浄霊をする時、もう御守りはいらない』と仰った)のだということ。

・最高最貴の(メシヤという)御存在に御位が上がられたので『儂(わし)に報告をすれば浄霊力はみんな授かる』 というふうに仰ったのだが、そのほぼ2ヶ月後に、執行部によって『メシヤ様』という御位を無きものにしてしまい、そのため御守りを通して浄霊力を授けることを継続してしまったのだということ。

≫そして、翌年の昭和30年の3月3日に「メシヤ降誕本祝典」を執り行おうとメシヤ様は御計画されていたのだが、御昇天になられたので実施できなかったのだということ。

・この御昇天になった原因は、弟子達の誠の無さで御法難が起きて、その御法難時の取り調べによる脳貧血の後遺症が原因で御昇天になったのだということ。

・正に弟子の誠の無さがメシヤ様の命を縮めてしまって、「メシヤ降誕本祝典」を執り行うことができなかったのだということ。

 

「メシヤ講座no.166浜松(平成26年11月分)」より抜粋つづき:

弘法大師について

楳木先生:

「日蓮上人のことは分かったけど弘法大師はどうでしょうか」という質問もあったけど、弘法大師のことはあんまり興味が無い? あんまり気にならない?」

参加者:

気になります。よくわからない・・・

参加者:

空海?

楳木先生:

空海上人。」

参加者:

あの、四国の八十八箇所の?

楳木先生:

うん。八十八箇所はどういうとこですか?あれは。」

参加者:

お寺回りだけどわからない。

楳木先生:

何でそういうお寺を作ったかっていうと、空海上人が奇蹟を現したところ。」

参加者:

温泉が出たりとか。

楳木先生:

うん。そうそう。こう独鈷(とっこ)というのでね。「水がありません」と言ったら、こうやって「井戸をここに掘れ」とか、あるいは「ここに池を作れ」とかいうことで満濃池(まんのういけ)とかそういう池を、香川県の場合はそういうのをいっぱい作られたと。で、何故そういう奇蹟を出すことができたかと。どうしても正面に座っているから・・・。」

参加者:

いや困ってしまう。(笑)

楳木先生:

空海上人が奇蹟を出した理由は、観音様にお願いしたから。観音力で全部奇蹟を出していたからね。だから日蓮上人はお釈迦様が見真実に立った後のことまで掌握することができて、そして空海上人はここの最後のページに 『とすれば阿彌陀と釈迦は夜の世界の期間の御役であったに対し、観音は昼の世界にならんとする其境目に観音力を揮はせ給ふのである』 という、このことがわかった人が空海上人だということですね。

だからこの境目に観音力を以て衆生を救うということで取り組みをした人が空海上人だと。まあ、四国でそれを一番顕著に現した人なので、その時の有名な言葉が四国には残っていて「今、四国は地獄だけれども、ここに鉄の橋が架かると天国になる」というふうに予言されているわけ。で今、正式には3本の鉄の橋が架かっている。」

参加者:

ああ、そういう意味ですか。

楳木先生:

だから四国は今、天国になりつつある。まあそんな予言まで残っているのでね。四国というのは、昔は流刑の地であったので、非常に四国の方々は苦労をしていたので、それで空海上人は救っていったわけなので。まあそういうことを考えると日本の歴史というのは、こういう『夜昼転換』という事を通して見ると非常に分かりやすいのではないかな、と。」(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎空海上人(弘法大使)が奇蹟を出すことが出来た理由は、観音様にお願いし観音力を使うことが出来たからなのだということ。

>日蓮上人はお釈迦様が見真実に立った後のことまで掌握することができ、そしてこの御教えにある 『とすれば阿彌陀と釈迦は夜の世界の期間の御役であったに対し、観音は昼の世界にならんとする其境目に観音力を揮はせ給ふのである』 ということがわかった人が空海上人なのだということ。

≫空海上人は、上記のことが分かったので、昼にならんとする境目に観音力を以て衆生を救うということで取り組みをしたのだということ。

◎日本の歴史というのは、御教えにある 『夜昼転換』という事象を通して見ると非常に分かりやすいのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の学びでは、救世教教義にある『抑々(そもそも)、世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は、此(この)地上に天国を樹立すべく、太初より経綸を行わせ給いつつある事を吾等(われら)は信ずるのである、之(これ)に対して人間を神の代行者とされ給うと共に、一切万有は人間の為に造られたものである、故(ゆえ)に今日までの人類史は其為(そのため)の準備工作に外ならない事を信ずるのである、したがって、神はその時代時代に必要なる人間と、必要なる宗教を顕わし給い、それぞれの使命を遂行させ給うのである。』というところを、御論文『霊界に於ける昼夜の転換』によって御教示いただいているのだと思いました。

又、メシヤ様の御昇天により昭和30年3月3日執り行うことが出来なかった「メシヤ降誕本祝典」をメシヤ教は平成30年3月3日に執り行わせていただきました。先日「メシヤ降誕本祝典記念大祭」を執り行わせていただいたばかりだということもありますが、平成の「メシヤ降誕本祝典」に参列することをお許しいただき、その後毎年「メシヤ降誕本祝典記念大祭」を皆様と共に執り行うことが出来ていることに只々感謝申し上げます。木々の芽ぶき時は体調を崩す方が多いと聞き及んでおりますが、春の暖かい日差しのもとお元気でお過ごしください。有り難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.166浜松支部 2014(平成26年11月分)

 

 

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[メシヤ講座no.166浜松支部 2014(平成26年)11月]