研鑽資料no.134(2024年5月)

5月の学び

はじめに

責任者:

ゴールデンウイークに入りました。皆様はこの連休をどのようにお過ごしでしょうか。さて、来る5月5日は、「主之大御神様」の御神体が御出現された大変意義深くおめでたい日です。メシヤ様そして楳木先生との御因縁によりこの場で学びを続けている私達には、メシヤ様の「御教えと御浄霊」、又楳木先生が残された「メシヤ講座」を後世に伝えていくという務めがあるのだということを5月5日を前にして再認識しております。それでは引き続き、「文明の創造」より学んで参りたく思います。

 

「メシヤ講座no.171浜松(平成27年4月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『彌勒三会』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

仏教に於ては、昔から彌勒三会の言葉があるが、此事は今日迄神秘の幕に閉され、全然判らなかったのであるから、今度私は之を明かにしてみようと思う。抑々彌勒三会とは、読んで字の如く三身の彌勒が、一度に会われる意味であって、三身の彌勒とは言う迄もなく釈迦、阿彌陀、観音である。そうして釈迦は報身の彌勒であり、阿彌陀は法身の彌勒であり、観音は応身の彌勒となっている。又釈迦は地の彌勒であり、阿彌陀は月の彌勒であり、観音は日の彌勒である。

度々言う通り、右の三聖者は本当の順序からいえば日月地、火水土のそれであり、五六七でもあるので、此数を合わせると十八になる。此十八の数に就て、大本教の御筆先に斯うかいてある。「今迄は天が六、中界が六、地が六でありたものが、天から一厘の御魂が地に降られたので、天は五となり、地は七となりたのであるぞよ」と。然し此意味は最も深奥なる神の経綸であって、此一厘の御魂こそポチであり、麻邇の玉であり、如意宝珠であり、之によって五六七の御代が生れるのである。

又三六九をミロクとも云われるが、此事は最後の天国篇に詳説するつもりであるから略すが、兎に角十八の数こそ、最も重要なるものであって、之を文字によって解釈してみると、十は経緯の棒の結んだ形であり、又神の表徴でもあり、完全の形でもある。

又、八は開く形であり、無数の意味でもあって、昔から仏教に於ても、十八の数をよく用いている。浅草の観音堂も、善光寺も十八間四面であり、毎月の参詣日も十八日であり、十八を倍にすれば三十六でミロクである。除夜の鐘は百八つ打ち、数珠の数も百八個あり、百八煩悩などとも言われるが、此場合の百は十が十で百となるので、之等をみても悉くミロクの意味が含まれている。

茲で伊都能売の意味を解釈してみるが、伊都能売とは数でいえば五と三である。即ち五はイヅ、火で、三はミで水であるから、カミ、神であり、又火と水、イヅとミヅであり、イヅノメ、伊都能売である。そうして火と水の密合が光であるから、文字もそうなっている。即ち光の文字は、火の字の真中へ横棒を一本入れてある。横棒は水であるから、実によく出来ている。之によってみても、文字は神が造られた事が分るであろう。処が光だけでは火と水であるから、二つの力で、今一つの力である地が加わらなければならない。という訳で光が肉体を透るとすると、肉体は土であるから三位一体の力が出る。浄霊も此意味を考えればよく分る筈である。

話は戻るが、曩に述べた処の、釈迦、阿彌陀は印度人種と言ったが、之は只観音との対照の為であって、根本からいえば、ヤハリ日本の神で、只霊体だけ渡られたのである。其霊とは即ち釈迦は稚姫君命であり、阿彌陀は神素盡鳴尊である。従ってそれ迄の印度に於ける大自在天を主としていた民族こそ、真正の印度人種である事も知らねばならない。

次に面白い事をかいてみるが、観音は仏教から生れたのであるから、仏教は生みの親であり、其仏教の開祖である釈迦は、親の親という事になる。すると其釈迦を生んだ伊都能売神は、つまり又親で先祖という訳になる。そうして其神が観世音となるのだから、此点からみても仏とは神の化身である事が分るであろう。そうして釈迦は地であるから生みの働きをするし、阿彌陀は月であり女であるから、ヤハリ観音の母といってもいい。つまり地も月も日を生む意味になるという訳で、宇宙の実相もそうである。

又古くからの伝説にある支那の聖王母であるが、聖王母は月の神の化身であって、其庭にある桃の木から、三千年目に一度桃の実が生り、之を貴重な宝として、天の大神様に献上するという事や、印度の伝説にある三千年目に転輪菩薩が生れ、其菩薩が現われるや万民は救われ、此世は天国楽土となるという意味も、今度の事の予言といってもよかろう。そうして右の転輪菩薩とは観音の別の御名、転輪王の事であろうし、又天理教の親様である天理王の尊も、右に関連がないとは言えないと思うのである。

又阿彌陀は月光菩薩とも言われ、観音は大日如来でもあって、つまり両尊者は月と日で、夫婦という意味にもなる。此事は日本の各地の仏閣によく表われている。即ち観音の祀ってある処必ず大仏があるが、大仏は阿彌陀であるからである。そうして観音は堂宇の中に祀られて御姿は小さく、大仏は外に鎮座されて大きいのは、観音は日本内地の仏であり、阿彌陀は外地の仏という訳であろう。又観世音は黄金の一寸八分の本体が本当であり、阿彌陀は鍍金仏、又は金箔の木像で、大きいのをよいとされているにみても、凡ては分るであろう。

 

『彌勒三会』とは

楳木先生:

今、拝読させていただいている仏教に関する内容は、いよいよ佳境に入ってきたというところであります。本日は、『彌勒三会』の意味をメシヤ様が詳説してくださっています。まず『今日迄神秘の幕に閉され、全然判らなかったのであるから、今度私は之を明かにしてみようと思ふ』 ということで、この『彌勒三会』とは釈迦、阿彌陀、観音というその3つの彌勒が会われるということである、と解説してくださっています。今までわからなかったことがこのようにしてわかっていくということであります。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎今まで意味の解らなかった『彌勒三会』とは釈迦、阿彌陀、観音というその3つの彌勒が会われるということである、とメシヤ様は解説してくださっているのだということ。

・今までわからなかったことが前記のようにしてわかっていくのだということ。

 

「メシヤ講座no.171浜松(平成27年4月分)」より抜粋つづき:

『一厘の御魂』

楳木先生:

それからその彌勒の順序ということもその次に書かれておりますけれども、後ろから2行目に

『此十八の数に就て、大本教の御筆先に斯う書いてある 「今迄は天が六、中界が六、地が六でありたものが、天から一厘の御魂が地に降られたので、天は五となり、地は七となりたのであるぞよ」と。然し此意味は最も深奥なる神の経綸であって、此一厘の御魂こそポチであり、麻邇の玉であり、如意宝珠であり、之によって五六七の御代が生れるのである。』 ということであります。『最も深奥なる神の経綸』と書かれておりますから、『神の経綸』というものはこういうものであるというふうに、まずはしっかり認識して『神の経綸』のことについては心に留めておいていただきたいと思います。

それから『一厘の御魂』このポチがメシヤ様の腹中に宿られて、メシヤ様は我々に絶対力を授けてくださるようになったのだということです。

それと同時にポチが御神体の『チョン』になってきます。宇宙の中の地球を救うために降りてこられたのがメシヤ様でありますので、そのチョンであるというふうに理解しておいていただきたいと思います。

宇宙というのは、いつもお話しますように、科学的には光の速度で拡がっていると理解されていますので、「宇宙」と言った瞬間に“宇宙のことを言ったことにはならない”くらいに、大きく拡がり続けています。宇宙というのは光の速度で拡がっているので、だいたい1秒間に地球を7回半回るスピードで拡がっています。だから今でも拡がり続けているのです。

それ程大きいものなので、私達が「宇宙」と言っても宇宙を捉えたことにはならない。それくらい宇宙は大きな存在です。その中からメシヤ様は地上に降りられたので、大変有難いわけです。

今日も祝詞を奏上したわけですが、この祝詞は7回半折ります。これは7回半折るというきまりになっています。それは光の速度が地球を1秒間に7回半回るので、祝詞も7回半折るということに…。

そういうふうに科学的にわからない時代から、祝詞はそのように折り曲げるというきまりがあります。ですから神様が定めたことなのです。それを、後で科学的にわかっていくということが言えるのではないかと思います。

私達が日々御神体にお祈りをさせていただいたり、こうして月次祭にお参りさせていただいたりするときには、そうしたことを認識するために、『此一厘の御魂こそがポチであり、麻邇の玉であり、如意宝珠であり、之によって五六七の御代が生れる』というところを認識していただけると有難いと思います。

そして『十八』という数の意味も御説明してくださっています。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は、『此十八の数に就て、大本教の御筆先に斯う書いてある 「今迄は天が六、中界が六、地が六でありたものが、天から一厘の御魂が地に降られたので、天は五となり、地は七となりたのであるぞよ」と。然し此意味は最も深奥なる神の経綸であって、此一厘の御魂こそポチであり、麻邇の玉であり、如意宝珠であり、之によって五六七の御代が生れるのである。』 と仰っているのだということ。

>ここに 『最も深奥なる神の経綸』と書かれているので、『神の経綸』というものはこういうものであるというふうに、しっかり認識して『神の経綸』のことについては心に留めておくのだということ。

◎『一厘の御魂』の「ポチ」がメシヤ様の腹中に宿られて、メシヤ様は私達に絶対力を授けてくださるようになったのだということ。

>そして、それと同時に「ポチ(『一厘の御魂』の「ポチ」)が御神体(『主之大御神様』の御神体)の「チョン」になってくるのだということ。

≫宇宙の中の地球を救うために降りてこられたのがメシヤ様でなので、その「チョン」はメシヤ様であるというふうに理解するのだということ。

◎宇宙というのは、科学的には光の速度で拡がっていると理解されているが、「宇宙」と言った瞬間に“宇宙のことを言ったことにはならない”くらいに、大きく拡がり続けているのだということ。

>宇宙というのは光の速度で拡がっているので、1秒間に地球を約7回半回るスピードで拡がっているので、私達が「宇宙」と言っても宇宙を捉えたことにはならないぐらい宇宙は大きな存在なのだということ。

≫メシヤ様は、その大きな存在である宇宙の中から地上に降りられたので、大変有難のだということ。

◎祝詞は7回半折るというきまりになっているのだということ。それは光の速度が地球を1秒間に7回半回るので、祝詞も7回半折るということに繋がっているのだということ。

>宇宙というのは光の速度で拡がっている(1秒間に地球を約7回半回るスピードで拡がっている)のだということを科学的にわからない時代から、祝詞は7回半折り曲げるというきまりがあるので、神様が定めたことなのだと言えるのだということ。

◎上記のようなことを認識するためには、『此一厘の御魂こそがポチであり、麻邇の玉であり、如意宝珠であり、之によって五六七の御代が生れる』というところを認識して御神体に参拝するのだということ。

 

「メシヤ講座no.171浜松(平成27年4月分)」より抜粋つづき:

三位一体の力がでる浄霊

楳木先生:

次に(書籍「文明の創造」の)335ページの1行目に 『茲で伊都能売の意味を解説してみるが、伊都能売とは数でいえば五と三である。即ち五はイヅ、火で、三は水であるから、カミ、神であり、又火と水、イヅとミヅであり、イヅノメ、伊都能売である。そうして火と水の蜜合が光であるから、文字もそうなってゐる。即ち光の文字は、火の字の真中へ横棒を一本入れてある。横棒は水であるから、実によくできている』 手のひらでも良いですし、紙でも良いですから、【火】という字を書いて、真ん中に【横棒】を入れてください。そうすると、これが【光】という字になっていきますので、これは【火】と【水】のことなのだと。【光】とは。それが蜜合されると【光】になっていくのだということをメシヤ様はこのように教えてくださっておりますので、これを参考にしていただきたいと思います。それから以前にも、昔のメシヤ講座でも話したことがあるのですが、【木】という字がありますね。この【木】という字は、もともとは枝を書いて、根が張っているというのが、もともとの【木】という文字でした。ではどうして今のような【木】になったのかという話をしたことがありますが、覚えている人はいますか?(笑い)みんな下を向いてしまった。(笑い)

これは、中国で初めてこの字を神様から教えられたのですが、だんだんと人間とは何か?とか人間が立派になっていくということはどういうことか、上に立つ者達はどういうことを心掛けていかなければいけないかという、そういったことをずっと求められたときに、実は【木】というものは、見えている枝とか、それから今日は珍しい桜が活けられておりますが、この花の美しさ自体は素晴らしいのですが、それよりも「見えない根っこの方が大事なのだ」と。それと一緒に人間も上っ面よりも根っこが一番大事なのだ、ということを示されています。

ですから、見えないところを一番しっかりしないといけないということで、この【木】は根を強調するためにこのような字になったのだということであります。文字ひとつひとつが、神様が人間に教えてくれたとともに、人間が神様の意図を求めつつ、“どういうものを大事にして生きていかなければならないのか”ということを、この漢字でわかるように、そのように漢字というものは進化してきたのであります。

もちろん中国で生まれた漢字ですが、日本に入ってきたときに、今、漢字はどのように使っていますか?皆さんは。何を聞いているのだろう?という顔をしていますが。

漢字というのは、音読みと訓読みとがありますね。この音読みと訓読みは日本で生まれた使い方ですね。

しかも、その漢字から平仮名を作り、そしてカタカナを作り、おおよそ外来語はカタカナで表記するというようにして、日本はよそから取り入れたものを日本流にアレンジして、そして素晴らしい文化を築いてきましたので・・・。そういう点からいっても日本の文化というのは非常に素晴らしい、ということが言えるのではないかと思います。

それから引き続き読んでいきますと、『之によってみても、文字は神が造られた事が分るであらう。処が光だけでは火と水であるから、二つの力で、今一つの力である地が加はらなければならない。といふ訳で光が肉体を透るとすると、肉体は土であるから三位一体の力が出る。浄霊も此意味を考へればよく分る筈である』 と。このように、先程は御神体の意味が理解できる文章を学びましたし、今は浄霊力、神様からは火と水の力が自分に流れてきまして、自分の肉体を透って土の力が加わったときに浄霊という、絶対的な救済力になっていくのだということですので、これからも手を合わせて、「ただ今からメシヤ様、浄霊を取り次がせていただきます」とお祈りしたときには、この四行が頭に浮かぶくらいの気持ちで、神様からは火と水の力がスッと自分にきて、それが手のひらに集中されて浄霊という力になっていくのだということをスッと頭に浮かべて浄霊をしていくと、一層浄霊力が強まってくると思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎「光」の文字は、「火」の字の真中へ横棒を一本入れてある(横棒は水である)。

>メシヤ様は「光」は「火」と「水」のことなのであり、「火」と「水」が密合されると「光」になっていくのだと教えて下さっているのだということ。

◎神様から流れて来る「光(「火」と「水」)」の力が自分の肉体を透って土の力が加わったときに浄霊という、絶対的な救済力になっていくのだということ。

>手を合わせて、「ただ今からメシヤ様、浄霊を取り次がせていただきます」とお祈りしている時に、メシヤ様が御教え下さった 『之によってみても、文字は神が造られた事が分るであらう。処が光だけでは火と水であるから、二つの力で、今一つの力である地が加はらなければならない。といふ訳で光が肉体を透るとすると、肉体は土であるから三位一体の力が出る。浄霊も此意味を考へればよく分る筈である』という内容が頭に浮かぶくらいの気持ちで御取次するのだということ。

>神様からは「火と水」の力がスッと自分にきて、それが手のひらに集中されて浄霊という力になっていくのだということをスッと頭に浮かべて浄霊をしていくと、浄霊力が一層強まってくるのだということ。

「メシヤ講座no.171浜松(平成27年4月分)」より抜粋つづき:

浄霊力を弱まらせないために

楳木先生:

しかも自分の体を透っていくわけなので、自分の体が汚れていてはその力が弱まってしまいますので、ですから今後とも自分の体を汚さないように・・・。

汚れるということがどういうことかというと、一つは薬毒で汚れていきます。薬毒を入れると血液が汚れますので、血液が汚れた分、その肉体の各所に固結が生まれてくるので、肉体としては汚れた状態であると。それから今は化学物質が非常に行き渡っていますので、この化学物質がまた血液を汚していきます。化学物質も昭和20年代とは違って、今はいろいろなところに化学物質が入っています。例えばコンビニ等で食品を買おうとすると添加物の入っていない食品は無いくらいです。コンビニで食料を買おうと思っても、安心して買える食べ物はミネラルウオーターくらいしかないという現状を、今、迎えています。

それから若い方がお亡くなりになったときにしばらく経っても体が腐っていないという状態が起きているそうです。それは何故かというと、防腐剤の入った食べ物ばかりを食べているので、体の中に防腐剤が詰まっているために、お亡くなりになっても体が腐っていかないという、それくらい防腐剤が行き渡っているくらいに食べているということであります。非常に恐ろしいことであります。

それから、この前メシヤ教の信者さんのご家族が出産したときに、医者や看護師が話していたことが非常に奇妙なことを話していたそうです。「今日の羊水はシャンプーのにおいがしない」と。そういうことを医者たちが不思議がっていたとのことです。

今、ほとんどの人の羊水はシャンプーくさいということです。コマーシャルに影響を受けて、髪をフワッとしたときに香りが良いとか。あれは全部化学物質が体の中に入っていきますので・・・。そして女性の場合は素早く子宮に行ってしまいますので、子宮の羊水がシャンプーくさくなってしまうということが起きていますので、今はまことに恐ろしい世の中になってしまっています。ですから戦後生まれの人たちは、高度成長期と同時に、添加物と化学物質がだんだんと増えてくる中で、出産をしたり、誕生したりしてきているので、そうしたものの影響を受けています。そういうことで汚されているので、できるだけ自分の生活の中から添加物の入っていない食べ物を食べていく。それから農薬や化学肥料を使っていない野菜、穀物を食していくことを心がけていただきたいと思います。

その点、肉というものはなかなかそこまで完全な肉というものを探すのが難しいのですが、鹿とか猪くらいは割とそういうものの影響を受けていないので、知り合いの中に「鹿肉があるぞ」という人がいたら、耳に入ったときにすぐに買いに行って、買えるだけ買って冷凍しておけば使えます。「猪を獲ったぞ」という話を聞いたらすぐに肉を分けてもらって、そういうものを使っていくようにしていただきたいと思います。

それから日本海と太平洋側で獲れた魚のうち、中国や韓国に近いところの海洋で獲れた魚というのは注意していかないといけません。中国はあれだけ汚染物を川にどんどん流していますので、その近郊というのは汚れています。

今、おばけくらげというものが見つかりますね。化学物質の影響で肥大してしまっていることが起きていますので、魚をみたときに、まず養殖魚は絶対に食べてはいけませんが。養殖魚をどうして食べてはいけないのかと言うと、今、どこの水族館だったかな?マグロや鰹が大量に死んでしまったというところ。ニュースでやっていたでしょ。(葛飾臨海海水水族館)

鰹は相当回遊して、育っていきますので、養殖という網に囲んで成長させると泳げないので、精神病になっていく。まあイライラしていくので、安定剤を入れていきます。

それと早く成長させるために、成長ホルモンを入れていくので、成長ホルモンと安定剤を入れていくと、人間でいう胃潰瘍のようになってしまうので、胃潰瘍を防ぐ抗生物質を入れていきます・・・ものすごい薬を入れた状態で養殖されていくので、見た目はよくても、これほど恐ろしい食品はないわけなのです。まず養殖は全部排除していくと。

それからその次に産地を見ていくと、これは非常に問題発言になるのですが、やはりまだ福島近郊ではあれだけ汚染された水が垂れ流し状態ですので、やはり魚自体もまだまだ汚染されている状態でありますし、その海流がどのように流れているかということで、今、台湾からは千葉県産のものも輸入禁止という措置をとっていますが、様々な情報を集めながら汚染されたものを輸入しない方向で動いているということを、我々はニュースを見ながら「いやらしいね」とかいうような言い方だけではなくて、やはり危険な食物というものはできるだけ自分の生活の中から排除していくということを考えていかないといけないのではないかな、と思います。

そのように食べ物に気を付けていくのと同時に、我々の精神面ですね。

言霊が最近の若い人の言葉遣いとかいろいろあるのですが、ローマ時代から「今の若い者はなっていない」と言っていたわけなので、人類の歴史上、いつも若い者の言い方というのは、不適切というか、相応しい言葉ではないものがたくさん含まれているのです。その中から良い言葉遣いと、良くない言葉遣いとを選別しながら言葉を練っていくということを心がけて、それで魂を汚さないようにしていきたいと思います。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎神様からの「光」は、自分の体を透っていくわけなので、自分の体が汚れていては浄霊力が弱まってしうので、自分の体を汚さないようにしなければならないのだということ。

>汚れるということがどういうことかというと、

・一つは薬毒で汚れていくのだということ。

>薬毒を入れると血液が汚れるので、血液が汚れた分、その肉体の各所に固結が生まれてくるので、肉体としては汚れた状態であるのだということ。

・又、今は化学物質が非常に行き渡っているので、この化学物質がまた血液を汚すのだということ。

◎現代人(戦後生まれの人達)は、高度成長期と同時に、添加物と化学物質がだんだんと増えてくる中で、出産をしたり、誕生したりしてきているので、薬毒や化学物質等の影響を受け、汚されているのだということ。

>だから、できるだけ添加物の入っていない食べ物や農薬や化学肥料を使っていない野菜、穀物を食していくことを心がけるのだということ。

◎精神面(言霊という点)では、最近の若い人の言葉遣いの中には、相応しい言葉ではないものが沢山含まれているので、その中から良い言葉遣いと、良くない言葉遣いとを選別しながら言葉を練っていくということを私達は心がけて、魂を汚さないようにしていくのだということ。

 

「メシヤ講座no.171浜松(平成27年4月分)」より抜粋つづき:

お釈迦様、阿彌陀様について

楳木先生:

それでは次に(書籍「文明の創造」の)335ページの後ろから3行目、引き続いて読みますが、『話は戻るが、曩(さき)に述べた処の、釈迦、阿彌陀は印度人種と言ったが、之は只観音との対照の為であって、根本からいへば、ヤハリ日本の神で、只霊体だけ渡られたのである。其霊とは即ち釈迦は稚姫君命(わかひめぎみのみこと)であり、阿彌陀は神素戔嗚尊である。従ってそれ迄のインドに於ける大自在天を主としてゐた民族こそ、真正の印度人種である事も知らねばならない。』 ですからこの前の前の項でお釈迦様と阿彌陀様は印度人であり、観音様のもとである伊都能売神皇様は日本人であるということを対比して学びましたが、今度は霊体でお釈迦様がお母様の腹に宿ったときに、稚姫君命様が宿られたということですね。中に入ったということです。阿彌陀様も受胎したときに、神素戔嗚尊が宿られたのだと。

それでは神素戔嗚尊はキリスト教も作ったのではないかということからすると、これは分身霊となったのだ、と。この分身するときになぜそのようにして阿彌陀様に入ったのかというと、これは前に学んだところの、素戔嗚尊が朝鮮半島から日本へ武力で押し寄せてきて、そして伊都能売神皇様の皇位を奪ったと同時に、皇位を譲られた天照天皇を殺害してしまったということで伊弉諾尊様のご勘気に触れてしまいました。ご勘気に触れて追放になったときに遣われたのが、中国から宮崎県の高千穂に移り住んでいた瓊瓊杵尊様のお孫様が遣われて、討伐に出て素戔嗚尊の一行を全部征伐して、その御方が神武天皇になったということです。

ですからメシヤ様が昭和元年からずっと教えらえた内容を紙に書いた便箋を全部焼き捨てたというのは、この現在の皇室が中国人だということを明らかにしてしまうと、その当時は不敬罪に問われるということで全部焼いてしまわれたということであります。そうしたことも私達はこの『文明の創造』を拝読することによって、本当に隠された真相というのを知ることができるので大変ありがたいと思います。

討伐されて御魂は、伊弉諾尊様に対してはやはり名誉挽回をしないといけないので、それで御魂が阿彌陀様に入ったということです。そして一方はイエスキリストに付いたということです。

そしてキリスト教と阿彌陀様というのは仏教の中で日本に入ってきた時には、浄土真宗と真宗の御本尊でありますので、仏教の各派の中では一番大きい組織を作って、そして世界ではキリスト教という、どれぐらいキリスト教の信者がいると言ったかちょっとはっきり覚えてないですが、相当な数のキリスト教圏を作り上げてきました。

ですからこのキリスト教というのはそういう素盞鳴尊の影響を受けているので非常に闘争心が強いわけなので、十字軍というのを初期の頃は作ったわけです。

そして十字軍がアラビア方面に行って、そして向こうの物を全部奪ってきたのが今の大英博物館です。大英博物館に展示されているものは全て戦利品でありますので、その戦利品の中にアラビア人が使っていた数学とかがあるわけですよ。その数学があまりにも素晴らしいので、現在で私達が使っている数字はアラビア数字ですよね。だから、何故アラビア数字を今数学は使っているかというと、元々はアラビア人が非常に素晴らしい数学を打ち立てていて、キリスト教社会を驚愕させた。そういうことが根っこになっている、と・・・。

そして、それが根っこになっているので、キリスト教圏はそれを挽回しようということで現在の学問体系を作り上げてきました。ですから、現在の学問体系を作り上げてきたので今の学問が嫌いだという人は頭が悪いということではないわけなのです。

嫌いだというのは、そういう魂の根っこが、キリスト教圏が、そういう形で今の学問体系を作ったというのを知っているので、少し嫌いになっているわけなのです。人間は嫌いになると頭が働かないので、それで成績が上がらないわけで・・・。だから好きなものは成績が上がっていくでしょう?皆さん方も。趣味の世界では相当集中力ができるわけなので、そういうことにこだわらない人が現在の学問体系をスッと受け入れて成績優秀になっていくということで、まあ、非常にややこしい話なのですがね。

だから一概に、「あんた頭悪いね」とか、「頭良いね」とか、いうふうに一概に言えるものでもないのだということを我々は腹に置いて人を見ていかないと、“三千年間の流れの中でこの人はどういうお役のある人か”“どういう役目を神様からいただいたのか”ということがわからないので・・・、このメシヤ様が教えてくださったことをしっかり自分の腹に入れて、生活をさせていただければいいのではないかなあ、と思います。」

 

責任者:

◎お釈迦様は、稚姫君命様の霊体が宿られ、阿彌陀様には神素戔嗚尊の霊体が宿られたのだということ(根本から言えばどちらも日本の神様なのだということ)。

※このあと御教示いただいたことの要点は各自で纏めて下さい。

 

「メシヤ講座no.171浜松(平成27年4月分)」より抜粋つづき:

メシヤ様の本筋の御神業を進めるということ

楳木先生:

そして、いよいよ最後になってきますけれども、(書籍「文明の創造」の)336頁の後ろから三行目に 『又古くからの伝説にある支那の聖王母であるが、聖王母は月の神の化身であって、其庭にある桃の木から、三千年目に一度桃の実が生り、之を貴重な宝として、天の大神様に献上するといふ事や、印度の伝説にある三千年目に転輪菩薩が生れ、其菩薩が現はれるや万民は救はれ、此世は天国楽土となるといふ意味も、今度の事の予言といってもよからう。』 ということですから、今メシヤ様の本筋の御神業を進めるということでメシヤ教は今進めようとしていますが、これはこの三千年目に一度実る桃の実のこととか、転輪菩薩が現れると万民が救われて天国楽土ができるという、そういうことをしようとして今私たちは進み始めているのだというふうに受け止めていただけると、大変ありがたいと思います。ですから今度の事というのは、実は一つはメシヤ様がこの『文明の創造』を書いているということです。その『文明の創造』を書く中で本日の、『彌勒三会』をお書きになったすぐ後にこういうことを述べております。

『西洋文明は悪の文化です。ところが、悪の文化は必要なんです。物質文化は神を否定しなければ発達しないんですからね。ですから、いままでは西洋文明で良いんです。だが、それではどうしてもいけない。結ばなければならない。中(ちゅう)の文明ですね。いま私が書いている『文明の創造』それが根本なのです。いままでの文明はどっちかに偏っている。つまり、左翼と右翼ですね。どっちもいけない。左翼にあらず右翼にあらず、左翼であり右翼であり、その中心を結んだそれが本当のものです。『文明の創造』はその結んだものですね。』 というふうに書かれておりますので、この『文明の創造』を通してですね、御神業を進められようとされたのだということを深く受け止めていただきたいと思います。

やはりこの『文明の創造』という本は本当にありがたい本だなあ、と思わせていただくと同時に、「この本をより一層普及していかないといけない」と思わせていただきました。

そして最後に、観音様と大仏のことについて触れられておりますので、これから仏閣などを訪ねていった時には、大仏があるのは、これは日本外地の仏を象徴しているのだと。そして観音様は日本内地の仏を表しているのだというふうに受け止めていただいて、仏閣を訪ねる時にはそうしたことも思い浮かべながら訪ねていただければありがたいと思います。

最初にそうしたことを確認させていただいて、いつものように質疑応答に移りたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。この御教えの中身とそれから今月のメシヤ講座・特選集の中からでもいいですし、日頃疑問に思っていることでもいいですので、何でもお尋ねいただきたいと思います。

特にないですか?」

参加者:

特にないですかって。質問。

楳木先生:

今日のところで何か質問とかあれば。」

参加者:

あ、はい。この本ですか?

楳木先生:

うん。この本でもプリントでもどっちでもいいです。」

 

責任者:

※ここまでで御教示いただいたことの要点は各自で纏めて下さい。

◎『又古くからの伝説にある支那の聖王母であるが、聖王母は月の神の化身であって、其庭にある桃の木から、三千年目に一度桃の実が生り、之を貴重な宝として、天の大神様に献上するといふ事や、印度の伝説にある三千年目に転輪菩薩が生れ、其菩薩が現はれるや万民は救はれ、此世は天国楽土となるといふ意味も、今度の事の予言といってもよからう。』 とメシヤ様は仰っているのだということ。

・メシヤ教は、前記の「三千年目に一度実る桃の実のこととか、転輪菩薩が現れると万民が救われて天国楽土ができる」という、そういうことをしようとして進み始めたのだというふうに受け止めるのだということ。

>ですから『今度の事』ということの一つは、メシヤ様がこの「文明の創造」をお書きになられたということなのだということ。

◎『彌勒三会』をお書きになったすぐ後にメシヤ様は、『西洋文明は悪の文化です。ところが、悪の文化は必要なんです。物質文化は神を否定しなければ発達しないんですからね。ですから、いままでは西洋文明で良いんです。だが、それではどうしてもいけない。結ばなければならない。中(ちゅう)の文明ですね。いま私が書いている「文明の創造」それが根本なのです。いままでの文明はどっちかに偏っている。つまり、左翼と右翼ですね。どっちもいけない。左翼にあらず右翼にあらず、左翼であり右翼であり、その中心を結んだそれが本当のものです。「文明の創造」はその結んだものですね。(「弥勒三会」のあとの御教えへ)』 というふうに仰っているのだということ。

>メシヤ様は、この「文明の創造」を通して御神業を進められようとされたのだということを深く受け止めるのだということ。

≫「文明の創造」という本は本当に有難い本なので、より一層普及していかないといけないのだということ。

◎私達が仏閣などを訪ねる時には、大仏があるのは日本外地の仏を象徴しているのであり、観音様は日本内地の仏を表しているのだというふうに受け止めて尋ねていくと良いのだということ。

 

「メシヤ講座no.171浜松(平成27年4月分)」より抜粋つづき:

十八という数字

参加者:

この本で「十八」の縁起が良い理由というか・・・私も「八」っていう文字が昔から何故か好きだったんですけど、ラッキーナンバーも「八」なんですけど、何かその「八」っていうのにピーンと来て、「十八」が、そもそも縁起が良かった原因が何かがちょっと気になりますね。

楳木先生:

今日ここを読んでみて大分わかったでしょ?「十」というのは縦横結ぶので、完成するという意味があるし、神様に通じるというのが「十」という文字なのだと。「八」は末広がりとかいうので広がっていくという、そういう働きが「八」にはあるのだと、いうふうにここに説明してくださっているので、まあそういうことから「十八」という数字は縁起が良いと思われてきた最大の理由だと思うね。

それから、さっき富士山が見える、見えないという話を随分したけれども、富士山の形がまた「八」のように見えるから、だから富士山そのものの形が見ただけでやっぱり気持ちがいいという理由でもあるわけね。

それから今度「十」が十個集まると百になって、これが「もも」というふうに・・・「百」は「もも」と読むので…。「桃」というのは今日も拝読したように三千年に一度桃の実がなるという特殊な桃の木があって、それが三千年に一度実るとこの世の中は天国になっていくとかいうふうに昔からの言い伝えがあるので、何故桃がいいのかというと「十」の完成したものがまた十個集まると更に完成していくので、それを「もも」と読ませて桃というのは非常に完成されたものなのだと、まあそういうふうに段々と理解を深めていただけると・・・。」

参加者:

そうなんですね、はい。難しいことっていうのは中々理解が遅いんですけど、段々と後から「ああ、そうだったんだ」と理解するのはよくあるんで、まあそうやって分かってくと思うんですけど。

楳木先生:

だから何回も繰り返し読んでくと、まあここに集まっている人達は1ヶ月にいっぺんこの一項目ずつ読んでいるので、30回は読んで集まってきてもらっているわけ。

今日から。今日読んだところは毎日毎日読んでもらっているので、「ああ、あの時のメシヤ講座であんなことを言っていたなあ」と思いながら読んでいくと、段々それが自分の中にスーッと入ってくるようになるので。

まあ、そういうふうにして読んでいただけると理解が一層深まってくるのではないかなあと。」(後文割愛)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎「十」というのは縦横結ぶので、完成するという意味があり、神様に通じるというのが「十」という文字なのだということ。又、「八」は末広がりとかいうので広がっていくという、そういう働きが「八」にはあるのだということ。だから、「十八」という数字は縁起が良いと思われてきたのだということ。

>又、「十」が十個集まると百になり、「百」は「もも」と読む。「十」の完成したものがまた十個集まると更に完成していくので、それを「もも(百)」と読ませたのだということ。桃(もも)というのは非常に完成されたものだから良いことなのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回は、5月5日の、「主之大御神様御神体御出現記念大祭」前の本当にタイムリーな学びになりました。結ノ和は、メシヤ様と楳木先生との御因縁によって「主之大御神様」の御神体をお許しいただいております。その御神体の持つ意味を改めてより深く認識できたことに感謝いたします。これからもメシヤ様の御神格を認識した上で浄霊をお取次ぎさせていただき、コツコツとその御存在をお伝えすると共に「文明の創造」の普及に努めて参りたく思います。風薫る5月、お健やかな日々をお過ごしください。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.171浜松支部 2015(平成27年4月分)

 

 

印刷はこちらからどうぞ