研鑽資料no.99(2022年11月)

11月の学び

はじめに

責任者:

朝夕の寒さが身にしみる時節となりました。皆様お変わりなくお過ごしのことと思います。

先日の10月29日夜遅く、韓国ソウルの繁華街イテウォン(梨泰院)では、ハロウィーンを前に訪れていた大勢の若者が密集し、折り重なるようにして倒れる事故が起き156人が死亡、191人が怪我、その内外国人26人が犠牲となり、日本人も2人お亡くなりになられたと報道されております。心よりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、怪我をなさった方々にお見舞い申し上げます。

さて、今回の御教え『結核と精神面』は、医者から「貴方は結核だ」と宣告された時の精神面についてメシヤ様は御説明下さっております。現在に置き換えると「ガンと精神面」ということになるのではないでしょうか。それでは、今回もメシヤ講座から「文明の創造」をより深く学んで参りたく思いますので、よろしくお願い致します。

※責任者より

今回の御教え『結核と精神面』は既に「研鑽資料no. 40(2020年6月分)」にて学んでおりますが、認識を更に深めていくことが出来るよう再度学ばせていただきたく思います。

 

「メシヤ講座no.135浜松(平成24年4月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『結核と精神面』

「文明の創造、科学篇」昭和27(1952)年

結核について、割合関心を持たれていないものに精神面がある。ところが事実これ程重要なものはない。誰も知るごとく一度結核の宣告を受けるや、いかなる者でも精神的に一大衝撃を受け、前途の希望を失い、世の中が真っ暗になってしまう。言わば執行日を定めない死刑の宣告を受けたようなものである。ところがおかしな事にはそれを防ごうとするためか、近来結核は養生次第、手当次第で必ず治るという説を、医局も医師もさかんに宣伝しているが、これをまともに受取るものはほとんどあるまい。なぜなれば実際療養所などに入れられた者で、本当に治って退院する者は幾人もあるまいからである。しかしたまには全治退院する者もないではないが、大部分は退院後再発して再び病院の御厄介になるか、自宅療法かで結局死んでしまうのである。だから何程治ると宣伝しても信じないのは当然であろう。

そのような訳で、結核と聞いただけで、たちまち失望、落胆、食欲は不振となり、元気は喪失する。いずれは死ぬという予感がコビリついて離れないからで実に哀れなものである。私も十七、八才の頃当時有名な入沢博士から結核と断定された事があるのでその心境はよく判る。そういう次第で結核と宣告するのもよくないが、そうかと言って現在の結核療法では、安静やその他の特殊療法の関係上知らさない訳にもゆかないという、ジレンマに陥るのである。そうして近来ツベルクリン注射や、レントゲン写真などによって、健康診断を行う事を万全の策としているが、これは果たして可いか悪いかは疑問である。私はやらない方がいいと思う。なぜなれば現在何らの自覚症状がなく、健康と信じていた者が、一度潜伏結核があると聞かされるや、晴天の霹靂(へきれき)のごとき精神的ショックを受けると共に、それからの安静も手伝い、メキメキ衰弱し、数か月後には吃驚(びっくり)する程憔悴(しょうすい)してしまう。以前剣道四段という筋骨隆々たる猛者(もさ)が健康診断の結果潜伏結核があると言い渡され、しかも安静と来たので、フウフウ言って臥床している状(さま)は、馬鹿馬鹿しくて見ていられない程だ。何しろ少しも自覚症状がないのでじっと寝ている辛さは察して呉れと言うのである。ところが半年くらい経た頃は、頬はゲッソリ落ち、顔色蒼白、一見結核面となってしまった。それから翌年死んだという事を聞いたが、これなどは実に問題であろう。もちろん健康診断など受けなかったら、まだまだピンピンしていたに違いないと思って、私は心が暗くなったのである。

右のような例は今日随分多いであろう。ところがこれについて面白いのは、医学の統計によれば、百人中九十人くらいは一度結核に罹って治った痕跡があるというのである。この事も解剖によって判ったという話で、医家は知っているはずである。してみればむしろ健康診断など行わない方が、結核患者はどのくらい減るか判らないとさえ私は常に思っている事である。しかし医家はいうであろう。結核は伝染しない病気ならとにかく、伝染病だから結核菌をもっている以上、はなはだ危険だから、それを防ぐために早く発見しなければならないし、また早期発見が治療上効果があるからと言うであろうが、後者については詳しく説いたから略すが、前者の伝染について書いてみるが、これがまた大変な誤りで、結核菌は絶対感染しないことを保証する。私がこれを唱えると当局はよく目を光らせるが、これは結核の根本がまだ判っていないからである。以前こういう事があった、戦時中私は海軍省から頼まれて、飛行隊に結核患者が多いから、解決して貰いたいと申し込んで来たので、まず部下を霞ヶ浦の航空隊へ差遣した。そこで結核は感染しないと言ったところ、これを聞いた軍医はカンカンに怒って、そんなものを軍へ入れたら今に軍全体に結核が蔓延すると言って、たちまち御払箱になってしまった事がある。

私がこういう説を唱えるのは、絶対的確信があるからである。何よりも私の信者数万中に結核感染者など、何年経っても一人も出ないという事実と、今一つは実験のため、以前私の家庭には結核患者の一人や二人は、いつも必ず宿泊させていた。その頃私の子供男女合わせて五、六才から二十才くらいまで六人おり、十数年続けてみたが、一人も感染するどころか、今もって六人共に希に見る健康体である。もちろんその間結核患者と起居を共にし、消毒その他の方法も全然行わず、普通人と同様に扱ったのである。今一つの例を挙げてみるが、数年前これは四十才くらいの未亡人、夫の死後結核のため、親戚知人も感染を恐れて寄せつけないので、進退きわまっているのを知った私は、可愛想と思い引取って、今も私の家で働かせているが、もちろん一人の感染者がないばかりか、この頃はほとんど普通人と同様の健康体になってよく働いている。もっともたとえ感染しても簡単に治るから、私の家庭にいる者は、何ら結核などに関心を持たないのである。

以上のごとくであるから、吾々の方では結核は伝染しないものと安心しているので、この点だけでも一般人に比べて、いかに幸福であるが判るであろう。ところが世の中ではこの感染を恐れるため、到るところ悲劇を生み、常に戦々兢々としている。夫婦、親子、兄弟でも近寄って話も出来ず、食器も寝具も別扱いで、除け者同様である。しかし医学を信ずるとしたら、そうするより外致し方ないであろう。以前こういう面白い事があった。某農村の事であるがある農家に十六、七の娘がいた。彼女は結核と宣告されたので、一軒の離れ家を作って貰い、一人ボッチで住んでいたが、その離れ家は往来に面しているため、その前を通る村人等は、口を覆うて駈足で通るという話を、私は本人から直接聞いて大笑いした事がある。なるほど空気伝染といわれれば、それも無理はないが、実に悲喜劇である。だから私の部下や信者は数十万あるからその中の一万でも二万でも纏(まと)めて一度に試験してみたら面白いと思うのである。

右についてなお詳しく説明してみるが、まず家庭内に結核患者がある場合、他の者はいつ感染するか判らないという心配が、コビリついて離れない。だからたまたま風邪など引くと、さてはいよいよ自分にもうつったんじゃないかと思うし、また常に風邪を引かないようにと用心に用心をするが、運悪くちょっと風邪でも引くと、慌てて医者に走り薬に頼るというわけで、精神的恐怖感に加えて薬毒や浄化停止によって、結核を作る事になるという訳で、今もって伝染説が持続されているのである。今一つは霊的原因でもあるが、これは親子兄弟等の近親者や、親しい友人、男女関係者などある場合、右の死者の霊が憑依してその通りの症状を呈する事がある。これがちょうど感染したように見えるのである。憑霊問題については後に詳説するから、それを充分読めば良く判るはずである。また近来小学児童に集団結核が出たといってしばしば報ぜられるが、この場合教師を検診すると、一人や二人の開放性結核患者が必ずいる。するとこの患者が感染の元であるといって大騒ぎをするが、これなども実をいえば現在どこの学校の教師でも、厳密に検診すれば、二人や三人の結核患者のない学校はまずあるまい。それらをよく考え合してみる時、感染説というものが、いかに確実性の乏しい事を知るであろう。

 

日本の医者の対応と海外の医者の対応の違い

楳木先生:

前回まで、メシヤ様が感冒に始まり結核を中心にして肺患にについて解説してくださっていますけれども、今回はそのことにあわせて精神的な面も重視すべきである、ということでご説明してくださっています。

これが60年ほど前にこういうことを書かれているのでありますが、実は現在の日本にピッタリ当てはまっている文面があります。

それはどういうふうにあてはまっているかというと、先日4月2日にイギリスから7歳と5歳の子供を連れてお参りにきた人がいたのですが、その人は日本で育って、イギリスで結婚したのですが、やはり子供が小さいとき、まだメシヤ様の教えを知る前は、すぐに病院に連れて行ったそうです。例えば37度くらいの熱が出て咳が続いているときに、医者に連れて行ったところ「このくらいの熱は何ともないし、咳はいくら出ても大丈夫だから学校に行かせなさい」と。これがだいたいイギリスの小児科の先生方の対応だということです。

これはアメリカでもそうですね。日本だけです。37度くらいの熱で薬を出して、そして咳がでていると心配だからと薬を処方してしまう。これが日本の現状です。しかし海外、欧米諸国では、先進国でもそんなに薬をやたらと出すものではないということを、いろいろな話の中でそういうことを伝えてくれました。

そういうことをもとに今、人間ドックがありますが、人間ドックは日本だけです。人間ドックをしている日本の医療に対してアメリカや欧米の人たちはどのようにみているのかというと、“具合が悪くないのに何故病気をさがそうとするのか”という問いかけをしているのです。検査結果の書類が出て、「胸のところがなんだか気になるな」と言われたら、皆さんどのように感じますか?それとか「おなかの下のほうに何かあるな」と言われたら、“おなかのところにガンができているのではないか”という心配が起きてきますね。そうすると「もう一回精密検査をしましょう」ということになって、検査のときには組織をちょっととって、がんセンターに送って、その結果がでるまで、みんな不安いっぱいですね。これが、今、日本人が陥っている、過度な、神経質な病気に対する心配だということです。

しかし、モノのわかっている人ほど、例えば大学教授とかは、大学に勤めている間は健康診断や人間ドックを定期的に受けないといけないけれど、退職と同時に一切健康診断を受けないという人たちが今、増えています。ですから、メシヤ様の考え方に60年経ってみんな近づきつつあるということです。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎前回まで、メシヤ様は感冒に始まり結核を中心にして肺患にについて解説して下さっていましたが、今回の御教えではそれらのことに合わせて‶精神的な面も重視すべきである”ということについて説明して下さっているのだということ。

○欧米諸国(先進国)では、日本のようにやたらと薬を処方しないのだということ。

○「人間ドック」という名の検査をしているのは、日本だけなのだということ。

◎現在の日本人は、病気に対して過度に神経質になっているのだということ。

 

「メシヤ講座no.135浜松(平成24年4月分)」より抜粋つづき:

高齢者のガンの治療

楳木先生:

それから先月お話しましたように、ガンになった場合、とりわけ高齢になってガンになった場合には、ガンを治療した場合、たとえば手術をするとか抗がん剤治療をするとか、そういう治療を受けた場合と、全く治療を受けないで余生を過ごした場合の生存率を調べていくと、全く一緒だということです。

だから、こういうことがわかっている場合は、ガンになった場合、医療的措置を一切受けないほうが安楽に暮らせるということですね。治療を受けると、手術の前後の苦しみが一つと、それから抗がん剤を入れられた場合は、髪の毛は抜けるは、嘔吐はして食欲はでないは、非常に苦しみ続けて最期を迎えないといけないということです。その点、歳をとってガンになった場合は、ある説によると昔はほとんど寿命というのはガンで死んでいったということがいわれています。

そのかわり、ガンになってどんどん体が朽ちていっても、体が枯れていっているということなのだ、と。だから痛みが全くなくて、最期を迎えることができると。ここに治療をすると痛みがでてくるわけです。だからガンになっても歳をとった場合には、一切治療をしないほうが安楽に最期を迎えることができて、大往生をむかえることができるということです。だから変に検診とかをしないほうが、最終的には良いということです。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎高齢者がガンになった時に、

>治療(例えば手術や抗がん剤治療)を受けた場合と、全く治療を受けないで余生を過ごした場合の生存率は(調べていくと)全く一緒なのだということ。

>治療(例えば手術や抗がん剤治療)を受けると、その治療によって苦しまなければならないので、医療的措置を一切受けないほうが安楽に暮らせ大往生を迎えることができるのだということ。

 

「メシヤ講座no.135浜松(平成24年4月分)」より抜粋つづき:

毎日ガンができているけれど、排泄する力が人間には備わっている

楳木先生:

今、医療上、我々の日常生活の中では、我々の体には毎日ガンができています。しかし自分の免疫作用によって、ガンを全部排泄しております。ガンはできているのだけど、いつも排泄しています。

ガンは何故できるのかというと、化学物質が体に入ってくるためにできるわけなので、おおよそ化学物質が体に入ってこない生活をしている人はいません。

今、どんなに気をつけて食事をしていても、外へ出たら車がいっぱい走っていて、その中にはディーゼル車があるので有害物質を吸い込まざるを得ないですね。

それからどんなに気をつけて食事を作ったとしても、必ず添加物が入っています。何等かの形で・・・。それこそ山にこもってですね…。デンデラという映画を観た人います?浅丘ルリ子が主演で倍賞美津子や草笛光子などが出演していて、昔、姥捨山ってあったでしょう。その姥捨山に捨てられた人たちが生き残って、そして自分達で共同生活の環境を作って、いろいろなものを採取して過ごしているといって始まる、そういう物語なのですが、そういう生活をすると、ほぼ化学物質が入らないと思いますが、やはり現代社会の中ではどうしても化学物質が体の中に入ってきます。入ってきた分は、細胞分裂の過程で影響を与えて突然変異性原素というものが添加物に含まれますので、必ず自分の細胞が突然変異をするものがあって、それがガン化するわけです。

しかし、それは自分の免疫作用によって、外に排泄する力が人間には備わっているのです。だからガンは、毎日できているわけなので、段々歳をとってきて、免疫作用が弱ってくるとガンになってくるけれど、そういったときのガンは痛みをほぼ伴わないということです。だから大往生に繋がるということがモノの分かった医者がいつも解説することであります。

で、こうしたことがやっとメシヤ様が昭和27年にこのように書かれたことが現代の科学の発展によってやっとわかり始めたというふうに、今日は見ておいていただければ良いのではないのかなと思います。そのようにとらえておいていただければありがたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎現代の生活では、どうしても化学物質が体の中に入ってくるのだということ。

>化学物質の入ってきた分は(添加物には突然変異性原素というものが含まれるので)、細胞分裂の過程で細胞に影響を与えるのだということ。

>私達の体内には、その化学物質によって突然変異をする細胞が必ずあるので、それがガン化するのだということ。

◎私達の体内では、毎日ガンができているけれど、自分の免疫作用によって排泄する力が備わっているのだということ。

◎昭和27年にメシヤ様が書かれた御教え(「文明の創造」中)の内容が、現代の科学の発展によってやっとわかり始めたのだということ。

 

「メシヤ講座no.135浜松(平成24年4月分)」より抜粋つづき:

昔、結核患者のいる家の前を通るときには…。

楳木先生:

来る途中、年配の方に聞くと、「あの家には結核患者をかくまっているぞ」といった場合には、その家の前を通るときには、口と鼻を押さえて通ったとみんな言っていますが、そんな経験はありますか?」

参加者:

走って通りました。

楳木先生:

走って通ったね。それをメシヤ様は笑っていらっしゃるのです。そんなことはしなくてもいいと。」

参加者:

私の家のすぐ横の家にはひとりだけ結核患者がいましたが、家族で住んでいました。その家の妹は私の家のお風呂に入りにきていました。

楳木先生:

ほう。結核患者の家から。でも全然うつらなかったのだね。」

参加者:

全然うつりませんでした。

楳木先生:

だからこれはメシヤ様の生活もそうで、いつも結核患者が何人か同居していたけれど、結核はうつりませんでした。

○○さんがこどもの頃はそういうことをやっていてもうつらなかったということです。自分にはね。ただしかし、我々の中にも結核のあとが残っていることもあります。それは仮になったとしても、自分の力で治していくことができていたということですね。」

参加者:

今思うと、その人はよく痰をだしていたな・・・。

楳木先生:

患った人ですね。その人は痰つぼを持っていたでしょ?」

参加者:

そこまでは~。

楳木先生:

そこまでは持っていなかった。昔はよく痰つぼっていうのがあったね。だけどやっぱりうつらなかったのだから。メシヤ様の言われたとおりですね。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎昔、結核患者のいる家の前を(村人等が)通るときには、口を覆うて駈足で通るという話を、メシヤ様は本人(結核患者)から直接聞いておられたが、メシヤ様は(結核はうつらないので)そんなことはしなくて良いと仰っているのだということ。

 

「メシヤ講座no.135浜松(平成24年4月分)」より抜粋つづき:

昔、農薬を避けるために口を押さえて走っていた。今は…。

楳木先生:

我々の子供の頃は鼻と口を押さえて走ったことがあります。それはなぜかというと、パラチオンという農薬を覚えているでしょ。今はもう禁止されているから。危険だから。だからそのパラチオンをまいているという田んぼは息を止めて鼻と口を押さえて、吸い込まないようにして走ったことがあります。

だから我々の頃からは農薬とかの方が恐ろしい存在だったのです。結核菌よりも農薬のほうが恐ろしいものであったので、口を押さえて走ったことを覚えています。

△△さんの頃は結核患者がいたら、口を押さえて走り、我々の頃は農薬を恐れて口を押さえて走り、今は化学物質があるところで口を押さえて走らないといけないのです。

だからマンションとかそういうところで・・・新築のマンションで化学物質を使ったマンションに住んでいる場合は、まず誰もいないところに帰って鍵を開けたら、口と鼻を押さえて窓を開けてまわって、それからベランダでまた一呼吸して、もう一回、中の空気を入れ換えないと化学物質だらけということです。

それから、新車を買った場合には3年くらいは新車に乗り込む前に、息を止めて、ドアを開けてエンジンをかけて窓を全部開けて空気を入れ換えて、それから運転をしないといけない、ということになります。

こういうことがですね、マンションの場合はおよそ20年コンクリートが乾くまで時間がかかります。コンクリートが濡れている間は、やはり化学物質をクロスの間からだしてしまうので、濡れているから。それで乾ききってしまうとあまり影響がなくなってきます。

やはり20年くらいはそういうことが心配だと。しかし、木造でこれだけ木があると、木が吸ったり吐いたりしてくれるので、割合良いと。そして、これだけ空間があるので、クロスの場所が少ないために、割合この家はよかったということが言えます。

だから、先月もお話したように、タバコもタバコ自体よりも煙硝剤が化学反応を起こして2000種類の化学物質を発散するから、この煙硝剤が恐ろしいということなので、タバコが悪いというとニコチンとかそういうものが悪いとみんな錯覚しているけれど、まずはタバコ自体を栽培するときに農薬と化学肥料を使うと。それから加工してタバコにしたときに、煙硝剤の付いた紙を入れるので、タバコに含まれる化学部分と煙硝剤によって2000種類の化学物質をこの空気中に発散する、これを吸ってしまうのが一番恐ろしいということです。だからもうできるだけタバコを吸う人は、外に出て吸ってもらう。あるいは台所の大きな換気扇のところで吸ってもらう。換気扇の小さいところは大きい換気扇にかえて・・・。このくらい注意していかないとガンになっていくということです。その点、気をつけておい

ていただきたいと思います。」

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎昔(昭和初期)は結核患者がいたら、口を押さえて走り、昭和中期は農薬を恐れて口を押さえて走り、現代は化学物質があるところで口を押さえて走らないといけない状態なのだということ。

>新築の(化学物質を使った)マンションに住んでいる場合は、(外出中は部屋を閉め切っていて化学物質が充満しているので)帰ったら先ず口と鼻を押さえて窓を開けて回り、中の空気を入れ換えるのだということ。

>マンションの場合、建築に使用されているコンクリート(乾くまで約20年程かかり、濡れている間は化学物質がクロスの間から出て来るので)が乾ききってしまうと化学物質での影響は少なくなくなってくるのだということ。

>新車を買った場合は、(3年間位は)車のドアを開ける前に息を止めて車に乗り込み、エンジンをかけて窓を全開して空気を入れ換え、それから運転をしないといけないのだということ。

◎タバコが悪いというとニコチンとかそういうものが悪いとみんな錯覚しているが、

>先ず、タバコ自体を栽培するときに、農薬と化学肥料を使うのだということ。

>それから、タバコに加工したときに、煙硝剤の付いた紙で巻くので、タバコに含まれる化学物質と紙に付いた煙硝剤によって2000種類の化学物質をこの空気中に発散するのだということ。

>以上の説明で分るように、空気中に発散された化学物質を吸ってしまうことが一番恐ろしいことなので、喫煙者(に)は、‶出来るだけ室外でタバコを吸う(吸って貰う)のだ”ということと、‶もし室内で喫煙する場合は、台所の大きな換気扇(小さい換気扇は大きい物に取り変える)のところで吸う(吸って貰う)のだ”というくらい注意(して貰わなければ)しなければならないのだということ。

 

「メシヤ講座no.135浜松(平成24年4月分)」より抜粋つづき:

(前略)

そう・うつ病の研究結果とメシヤ様の御教え

楳木先生:

(前略)そう・うつ病の場合は、今までは精神的な面を、今回の教えとは別に、精神的な面を重視して、今まで対応をしてきたけれど、実は脳に欠陥がある場合もあるということが最近わかってきています。

で、脳に欠陥があるということはどういうことかというと、だいたい精神の、例えば、非常にハイになってくる場合があります。お酒を飲んだときにえらい陽気になる人もいるし、ドンチャカドンチャカやりたがる人もいますね。これは脳の中の視床下部というところが、非常にハイになるところをコントロールしています。しかし、あまりハイになりすぎるといけないので、前頭葉の奥のところから視床下部に抑制するホルモンが出てきます。そうするとハイになるところを押さえようとして普通の精神状態にしていくわけですけれども、そう・うつ病の場合にはこっちからの分泌物が出にくいとなるということが最近わかってきたということです。

これは脳科学の世界でありますので、これはいわゆる自閉症の病気の原因を研究すると同時に、脳科学の中で随分わかってきたことです。そうすると、この分泌物が出てこないということはどういうことかというと、これは精密な機械で温度を測っていくと、分泌物が出ないということはそこに熱を持たないということですので、脳が機能しないということです。

で、熱を持たないということは、実は血液が充分そこへ供給されていないということであります。

では、なぜ血液がそこへ供給されないのかということは、医学的にはわからない。しかし、私たちはそのことまで聞くと、御教えを拝読しているので、『日本人と精神病(御教えへ)』という御教えを想い出すはずです。首肩が凝っているために、血液を脳におくることが充分にできていないために貧血症状が起きて、それが貧霊現象となっていくのだ、と。

ですからメシヤ様の解説は間違いなかった、と。今脳科学が進んできたからこそ、これが実証されるのだということが一つと。

それからそういうことがわかれば、そう・うつの場合は後ろから脳下垂体を浄霊すると同時に、前頭葉の奥を浄霊しないといけないということがわかってくるわけですね。そして総合的に血液がいかないわけなので、首肩の浄霊をしていくのと、首肩の凝りは腎臓が少し疲れているので、この繋がりを、浄霊をしていけば、そう・うつ病の方々はよくなっていくのだ、と。

このことが研究とメシヤ様の御教えをくっつけていくと、我々の対応の仕方になってくるということです。

ですから、これから『文明の創造』をさらに拝読しながら、医学的な研究と、御教えとをくっつけながら、浄霊をさらに効果的にできるようにしていきたいと思います。」(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎「そう・うつ病」の場合、今までは精神的な面を重視して対応をしてきたけれど、実は(精神的な面だけではなく)脳に欠陥がある場合もあるということがわかってきたのだということ。

>前頭葉の奥から視床下部への分泌物が出にくいと「そう・うつ病」になるということがわかってきたのだということ。

>分泌物が出ない(出にくい)ということは、そこ(前頭葉の奥)に熱を持たない(血液が充分に供給されていない)ということなので、脳が機能しないということなのだということ。

>なぜ血液が前頭葉の奥へ供給されないのかということについて、(医学的には分からないのだが)御教え(『日本人と精神病』)を拝読している私達は前記のことまで聞くと、首肩が凝っているために、血液を脳におくることが充分にできていないので貧血症状が起きて、それが貧霊現象となっていくのだと分るのだということ。

◎現在、脳科学が進んで来たからこそ‶メシヤ様の御教えでの解説は間違いなかった”と実証される(た)のだということ。

◎以上のようなことが分かれば、「そう・うつ病」の場合は後ろから脳下垂体を浄霊すると同時に、前頭葉の奥を浄霊するのだということ。

>そして総合的に血液がいかないわけなので、首と肩を浄霊をしていき、首肩の凝りは腎臓が少し疲れているので、この(首、肩、腎臓までの)繋がりを、浄霊をしていけば、「そう・うつ病」の方々はよくなっていくのだということ。

◎医学の研究と御教えをくっつけて考えていくと、私達の「そう・うつ病」に対する対応の仕方は以上のようになるので、これからも(さらに『文明の創造』を拝読し)医学的な研究と、御教えとをくっつけながら、浄霊をさらに効果的にできるようにしていかなければならないのだということ。

 

「メシヤ講座no.135浜松(平成24年4月分)」より抜粋つづき:

信仰心とは

参加者:

悲劇を滅する(御教えへ)』という御論文の中で『見えざる力が見ゆるものを動かすその力こそ、真の信仰の本質である。本教によって現に行なわれつつあるところのものはこれであって、この意味において私は力の宗教というのが本当ではないかと思う。』という部分が印象に残りました。ある方から「信仰心を持ちなさい」と常々言われてきたのですが、信仰心とは何なのでしょうか? 今回のメシヤ講座に出てくる進駐軍の将校の話も信仰心のことと捉えていいのでしょうか?(後略)

楳木先生:

日本自体は自然宗教というのが根底にあります。自然宗教的な考え方。そしてキリスト教は創唱宗教と。大きく分類すると、宗教というのは自然宗教というものと創唱宗教、創唱宗教というのは天地創造の”創”と、それから口偏の唱えるという”唱”の創唱宗教ですが、このキリスト教とかはこちらの部類です。

(前略)日本は自然宗教でずうっときたのはどういうことかというと、縄文時代の遺跡を見ると、ほとんど、人を殺傷する武器は出てきていません。遺跡から。しかし、弥生時代に入ってくると人を殺傷する、殺傷能力のある武器が出てきます。

要するに人とそういう戦いがその頃から始まるのですけれど、その前で、一番わかりやすいのは、青森県の三内丸山遺跡に行くと、その海辺の所に高い、今でいう火の見櫓(やぐら)みたいなのが建っております。

栗の木で直径1メートルぐらいの柱が、9本建っていて、海に漁に行った人が帰ってくる目印と、それから山に入っていった人が、日が落ちるまでに帰ってくる目印として建っているわけです。それはどういうことかというと、縄文時代、三内丸山遺跡は6500年前から3500年ぐらい前の遺跡で、そこに塚がずうっと3000年分溜まっているので非常に調べるのに素晴らしい遺跡なわけです。で、それを見ていくとその頃の人間というのは日が上がっている間しか行動できないし、陸地の場合は歩いて何かを取りに行くとか採取して歩いて帰ってくるためのテリトリーというか、領地がそれだけだったわけです。海の場合は船でザーッと行ってまた夜が暮れるまでに帰ってくると。これが大体自分たちの生活をする上での生活圏だったわけです。

だから宗教というものの役割は、必ずどこ以上、どの山より向こうへは行ってはいけないという、そういう掟(おきて)を作ってきたわけです。それはその村人を守るためにそういう掟を作って、それをシャーマンといういわゆる祈祷(きとう)する人達がいつも祈りながらみんなを守っていくのと、実際にみんなを管理する村の長がそういうことを取り仕切っていたわけです。これはどこまでも自分たちの生活を守るためにずうっとやってきたのが延々と続けられてきて、そして、お亡くなりになった人を何歳以上はこちらへ埋める、何歳以下はこちらへ埋めるというような制度をずうっと作ってきながら、古神道という形でだんだん生まれてきたわけです。だから日本の場合はそういう宗教の出方であったわけですね。

ところが、ヨーロッパ辺りは狭い国が土地を争っているために、いつも戦いをしながら領地を取ってかないといけない。領地を取る時に、自分たちの方が正しいのだいうことを持っていかないと戦いはできないために、そこへ宗教が後ろに・・・、我々の守り神はこういう尊い神様なんだということで、その神様を中心に自分たちの神様から選ばれたという選民意識を作り上げながら、宗教というもので自分たちの民族を守ってきたという歴史があるわけですね。そして、その領地を広げていくということをずうっと積み重ねていきました。だからどこまでもそこに働く神様と、それからその神様の教えを取り次いだ教祖という人の教えを中心に宗教というのは出来上がってきたという大きな歴史上ですね、宗教の出来方が日本と海外の場合は違った面があります。

日本は本当に島国なので幸せで領地を取り合う必要が、まあ日本以外と領地を取り合うことは第一次世界大戦までは必要なかったわけですね。途中、豊臣秀吉が朝鮮半島へ出て行ったことはありましたけども、それほどない中でずうっときたために、我々の中に流れてきている信仰というものは自然の有り様とかそういうものを見つめてきて信仰というのを育ててきた部分があるので、教えを実践するという点が非常に弱い面があります。ですから、信仰心を持つといったときには、この教えを実践するというところがこれからの課題だということで、メシヤ様はキリスト教の考え方を大いに取り入れていったわけですね。

まあそういうことがあるので、信仰心とした場合には、そういった我々のお祈りをする神様のことがまずよくわかるということと、次はメシヤ様がお説きになった教えを如何に自分たちが実践するかということで、GHQのいわゆる占領軍の将校の話というのが非常に参考になるということですね。それから、そういうものを証立てるために浄霊の奇蹟というのは非常に、まあ我々に取ってはわかりやすいということですね。

信仰心ということを考えたときには、そういうふうにして理解しておいていただければいいと思うので、また5月のメシヤ講座(「メシヤ講座・特選集no.135(平成24年4月分)」へ)を是非楽しみにしといていただきたいと思います。」(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎私達の信仰は、先ずお祈りをしている神様のことがよくわからなければならないのだということと、次にメシヤ様がお説きになった御教えを如何に自分達が実践するかということなのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回の学びで、私達日本人はいつの日も(病名は異なれど)病気に対して過度に心配する性質を持っている人種なのだということを再認識いたしました。そして、日本におけるコロナ禍に対する対処方もこれに通じるところがあるように感じております。

それから、学びの最後のところで、楳木先生より私達の信仰心に就いて「先ず私達は、お祈りをする神様のことをよくわからなければならない」ということと、「メシヤ様の御教えを、如何に実践するか」ということなのだと御教示いただきました。サラッと仰っておられますが、大変奥が深い御教示だなあと感じております。「祈りの対象である神様を分かる(知る)こと」と「御教えの実践」を心掛けて今月は過ごさせていただきたく思いました。追々と寒くなってまいりますが、温かくしてお過ごしください。

有難うございました。

 

追記:

天国の福音書(重要御論文の再録)」を少しずつアップさせていただいております。私達が必要とする重要な御教えばかりだと思いますので、拝読されて下さい。

 

※責任者より

 

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.135浜松(平成24年4月分)

 

 

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