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『本医術の施法』

本医術は、腎臓医術であるという事は、曩に説いた通りである。従而、施術の場合、頭脳、首、肩を治療し次に患者を俯卧(うつぶ)させ、左右の腎臓部を掌と手指を以て、毒素の多少を探査するのである。今日の日本人で、此腎臓部に毒素溜結のない者は一人もないといってもいいのである。そうして此毒素は有痛と無痛とあるが、無痛が多いのである。そうして最も重要なる個所としては、脊柱と末端の肋骨との中間即ち三角形を描けば、その中心点にあたる所及その下方である。その部が柔軟で手指で圧して凹む位ならば良いのであるが、そういう人は恐らくないのであって、大抵の人は広範囲に固結しており、甚だしきは反対に隆起している人さえあるのである。それは勿論、余剰尿の固結であるが、それが上方に向って脊柱の両側に移行しており、特に肩胛骨と脊柱との間に多量の固結があるものである。此固結は、胃に関係があるので、特に溶解すれば胃の活動を促し、食欲は増進するのである。従而、胃癌の患者に対しては、此固結溶解によって好結果があるのである。又、腎臓部より下方に向って腰骨部まで毒結は移行しており、特に腰骨に接触して毒結のある場合、多くは脚部に異状があるもので、之を溶解すれば、よく治癒するのである。

右の如くであるから、先ず腎臓部の治療を第一とし、背部より肩胛骨部を第二とし、その他は第三の順位にすれば良いのである。又一般に、右側腎臓部の毒結が多いのであるが、左側のそれも重要である。 但し、盲腸炎の原因は右側の萎縮腎である。

そうして、腎臓部の毒結を溶解するに於て溶解毒素は腎臓内に浸潤し、尿と共に排泄されるのである。蛋白とは此溶解毒素であるから、此際尿中には、多少の蛋白がある事は勿論である。従而、腎臓部の毒素溶解するだけは、体内のあらゆる病患は、平均的自家浄化作用の発生によって、能く治癒するのである。又、腎臓部の毒素溶解は、他の局部の毒結溶解が容易となる事は驚くべき程である。

又、腎臓の完全なる活動は、全身的浄化力が頗る旺盛となる事である。 故に私は、人間は腎臓さえ健康になれば、凡ゆる疾患は治癒すると共に、心身共に、健全となり、幸福と長寿を得るのであるから、実に不可能とさえ想われたる人類の理想が、茲に現実化したと言っても いいであろう。

故に、此腎臓医術の発見こそ、人類史上、空前の大発見であると、私は想うのである。 次に、爰に注意すべき事は、化膿性腹膜の患者である。之は、腎臓部のみ治療する時は多くの場合、平均浄化が発生して腹痛及下痢を起す事があるから、斯ういう患者に対しては、腎臓部と共に、腹膜部も治療しなければならないのである。

 

『心臓医術』

腎臓に次いで重要なる機能は、何といっても心臓であろう。従而、本療法によって心臓が健全になった場合、疾患及び全身機能、精神的方面等に対し、如何なる好影響を及ぼすかという事を説いてみよう。

先ず、腎臓の余剰尿が集溜する局所としては、肩胛骨と脊柱との間が多い事は曩に説いた通りであるが、それは丁度心臓の裏面に当る所である。故に、此毒結が心臓を圧迫している為、心臓の活動が妨げられるのは当然である。そうして心臓の活動の強弱は如何なる影響を与えるかというに、曩に説いた如く、人体に於て心臓は火であり、肺臓は水であり胃は土であるという原理によって、それは次の如きものである。

先ず初め、心臓圧迫の毒素を溶解するに於て、心臓の活動が旺盛となり、其結果として火素の吸収が増加するから、水である肺臓の活動が強化されるのは勿論である。丁度水を温める火力が強くなるようなものである。従而、肺臓の活動が旺盛になれば、結核患者の肺臓内に固結している毒素は、溶解排泄が速かとなるので、治癒が促進される訳である。又、肺臓の活動は胃の活動を促進するから、食欲は増進するので、両々相僕って非常な効果を挙げ得るのである。

そればかりではない、ここに見逃す事の出来ない事は、性格的に好変化が表われて来る。元来、心臓なる機能は、熱の本源である関係上、性格的には愛の湧出する機能である。故に、心臓の活動力旺盛は、愛の情動が盛んになる事で、性格が一変する訳である。その例として、肺患者の性格は押並べて愛の熱が淡く、理性の方が勝つという事で、私が幾多の肺患者を扱った経験によっても、争う事の出来ない事実である。それは心臓が弱い時は愛の熱が不足する。その為、水が温くならないという訳である。

此意味に於て、此心臓医術によれば、肺結核の治癒は促進され、罹病者は減少するのであるから、結核問題解決に効果のある事は贅言を要しないのである。

『西洋医学の野蛮性』

昭和十七年六月三十日付の手紙が、大阪市で開業している私の弟子(婦人)から来たのであった。その 手紙の原文のまま左に書いてみる。

「前略、一つ面白いニュースを申上げます。近日京都より軍医が治療の見学に来るという話が出来ております。それは丁度一ヶ月前、二十七歳の兵隊さんが京都より参りました。戦傷兵です。戦車が折り重なり十四、五人即死、其時脊髄を打たれて九死に一生を得て赤十字病院へ入院し、今後一ケ年間絶対安静を言渡された者です。首の付根より脊髄へかけ丁度掌一杯だけ位熱がありました。それと左手指三本に力が入らず手拭もしぼれないのです。それだけですのに脊髄炎になったかどう かを試験するのに、脊髄の最下端より漿液をとり試験されたのです。其時の痛みと苦しみは大変なもので、頭の中で戦車がガラガラガラッと転廻するようなスサマじい音がして痛いの痛いの余りの苦しさによして下さいと言ったら、軍医に言下に死ぬぞと叱りつけられ、実に苦しい思いをしました。だのに試験の結果は何ともないとの事。次に今度は所もあろうに頭蓋骨に錐で穴を開けて再び漿液をとり試験するというたのが、私方に来る三日前です。生きた心地もなく私方に参りました。 当人の父親は戦地にあり大佐です。治療面にして半分熱はなくなり、三日目に完全に熱は解消しました。頭の痛みも消えて左手全部小さくなっていて爪さえが伸びなくなっていたのが伸びてきて、以前の如く右手と同様に力も出るようになりました。一週間で殆んど苦痛は消えました。一ヶ月目には元の勤務に立直る事が出来ました。再び人間として兵隊の勤務は出来ない為、兵役免除となりしたので、元の務をしたいと申しております。一ヶ年絶対安静の重患が、京都から西宮まで通う て、そして元々通りの体となり、勤務が出来るなんて、只々不思議でならんと申しております。これを軍医に話しましたのです。軍医が申しますに「知らんぞ、責任は持たんぞ」と、「併し不思議な事があるものだな、ほんとに良くなっている。何ともないがどうも変テコだ、僅か一ヶ月位で治る病気じゃなかった筈だが、兎に角一度連れて行ってくれ、話を聞かせてもらいたい。承諾を得てきてくれ」との事でした。私の考えでは、内出血し、それに発熱したものと思います。それを大層な事をして苦しめたものです。」

右の如き実例は無数にあるのであるが、之を採りあげたという事は、国家の為生命を賭して第一線に活躍した尊い勇士が、その余りにも惨しい苦痛を与えられ、而もその苦痛が無益であり、今や頭脳にまで穿孔されようとしたという事実に胸を打たれたからである。斯の如き大苦痛を与えてまで査べるという事は、軍医は決して悪意はないのであるが、全く西洋医学に於ける診断が幼稚であるためと残虐性のためである事が、あまりにも明白である。そうして軍医は、脊髄及び脳にまで穿孔して診査しようとしたのであるが、私の弟子なら一分間の診断で脊髄炎の有無は判るのである。而も、脊髄炎でなかった事は、局所だけの治療で簡単に全治したのにみても明かである。然るに、治癒までに一ヶ年を要し、絶対安静でなくてはならないというのであるが一ヶ年後、果して治癒するや否や頗る疑問であろう。

此事実を検討してみる時、医学に於ける診断の低劣と野蛮的である事は否めないと共に右の如き災禍を蒙りながら、泣寝入に終らざるを得ない不幸なる人々が、如何に多いかを想像する時、私は天を仰いで長大息をするのみである。

『科学と迷信』

抑々、私の創成した此日本医術なるものは機械や薬剤等の如き物質を一切用いずただ手指の技術を以て凡有る疾患を治癒するのである。手指の技術とは、実は人間特有の霊気を、手指に集注放射させるのであって、即ち霊を以て霊を治すという原理から出発しているのである。従而、非物質である処の霊の作用であるから、人間の眼にも見えず、手にも触れないので、現代人の如く唯物的先入観念に支配されている以上、非科学的に思われ易いのである。然し乍ら一度施術するや、実に驚くべき治病力を発揮するので、初めて見た眼には、其不可思議に驚歎せざるを得ないのである。然るに其根本原理を知るに於て馴かの不思議もなく科学的解説を為し得るのである。

真の科学とは、勿論真理の具現であり、真理の具現とは、些かの迷信も先入観念も潜在意識も混ずる事を許されない――事実そのものでなければならない。此意味に於て、私の治病法こそは実際に病気が治るのである。根本的に全く再発の憂のないまでに治るのである以上、私は科学であるというのである。

然るに、西洋医学の療法に於ては、其理論と形式に於て、実に治癒するが如くみゆるに拘わらず、病気は更に治癒しない。又西洋医学の衛生や健康法は、洵に巧妙精緻を極めているが、それを実行すると難も健康は増進しないのである。見よ、文化民族の体位は低下し、衰亡の運命を示唆しているではないか。人類が医学に要望するその期待と、余りに隔絶している事である。此意味に於て西洋医学は現代に 於ける一種の迷信と謂えない事はなかろう。

現代人は、口を開けば迷信の恐るべき事を言う。そうして、迷信は宗教や伝統の中にのみあるように思っているが、何ぞ知らん、最も進歩せりと思っている科学の部面に於ても迷信の在る事を知らねばならないのである。それは、真実ならざるものを真実と思惟し、何世紀にも亙って、漸次的に人間の常識とまでになって了つた事実である。

そうして、世間よく、信ずるから治るというが、それは観念の援助によって効果を強めるという訳である。然るに、私の医術に限ってそんな事は微塵もない。治療を受ける病者が柳かも信じなくても可い。否大いに疑いつつ施術を受けても、其効果は同一である。之に就て好適例を書いてみよう。

之は、有名な元国務大臣を二度までされた某大官の夫人で、永年の痛疾が私の治療によって短期間に全快したのであるから、此治療に対し絶大の信頼をおかれるようになった。然るに、その御子息である帝大出の現在某会社員である御仁が偶々風邪に罹り、一月余り医療を受けたが更に治癒しないのみか、漸次悪化の傾向さえ見えるので、母であられる右の夫人が頼めて私の治療を受けられたのであった。私が最初診査してみると、医師は乾性肋膜の診断であるが、私は、それは誤診で、私の診る所では肋間神経痛であると言った。然るに、其御子息は非常に立腹され、自分が信頼する日本有数の大家の診断に対し誤診であるとは怪しからぬ。そんな先生の治療は断じて受けないというのである。然るに夫人は医療では治らない。私の療法によらなければ絶対治らないとなし極力奨めるのであったが、御子息は平素は 大の親孝行であるに拘わらず此時は不思議にも、外の事なら親に逆らう意志はないが、今回の病気に対しては、私の治療を受ける事は如何にしても気が向かないという理由で、頑として承知されなかった。それで夫人は考慮の結果夫君に応援を求め、両親協同で口説いたので、流石の御子息も畢に一週間だけ私の治療を受ける事を承諾する事になったのであるが、面白い事には条件をつけるというのである。その条件というのは、病気に関する事は一切言わないで欲しいという事であったが、私はそれを承諾し、其代り一週間の間、医師の診察は差閊えないが、薬剤を使用しないという事の条件を私の方でも提出し、承諾されたのであった。其様な訳で御本人は私の治療を疑う所か、それ以上で、寧ろ反抗的気分で受療したのであった。然し私は反って面白いと思ったのである。何となれば反抗的気分で受療する事と、病気に関する事は言わないという事は、前者は観念的分子の入りようがないという事と、後者は、言語による病気治癒の暗示が出来得ないという訳であるからである。

然るに、病状はといえば、毎日発作的に発熱四十度以上に昂り、猛烈な悪寒と滝の如き盗汗があり、咳嗽が激しいので衰弱日に加わるのであるから、主治医及び応援の某大家とは非常に心配し、相談の結果入院を勧めるのであった。然るに幸か不幸か、選択した病院の病室が満員で、直ちに入院する事が出 来ないので、室が空き次第という事になった。其時が丁度四日目位の時であって、後三日で予定の一週間となるのであるから、夫人も私も気が気ではない。夫人が日うには、「現在のような状態で入院したら、先ず生命は覚束ないと思うし、それかといって、部屋が空いた通知が来れば、直に入院させない訳にはゆかないから、満員を幸い、通知の来ない内に是非共平熱にして欲しい」との要求である。是に於て私も夫人の心情を察すると共に又私の治療の偉効を見せなければならない破目となったのである。そ うして四十度以上の発熱は、夜中の二時から三時頃という事であったから、その発熱の状態も見たいので、意を決して一晩宿泊する事となった。それが、五日目の晩であった。然るに、六日目はさしたる変化もなく、病院からの通知もなかった。遂に最後の七日目とはなったが、幸いなるかな、朝の体温は七 度を割って六度人分であるとの報告があったので、私はほっとしたのである。その日は最高七度合で八 度を超えなかったから医師も入院を取止めにしたのである。其後漸次平熱となり、全快したのであった。右は全然迷信的分子の入らないという事の例としては完璧のものと思うのである。之によってみても、本医術は科学である事は疑いないであろう。

そうして、右の患者に就て、私の観る処をかいてみよう。病歴は、最初普通の風邪であって、熱は最高八度前後最低六度合で、それが一週間位続いた後稍々不良となり、最高八度五分最低七度五分位となった。それが二週間程続いた後俄然として四十度以上の高熱になり、咳嗽悪寒等右に述べた如くになったのである。

私が最初診査してみると、病気からいえば八度位が適当であって、高然の出べき筈がないのであるから、四十度以上の高熱は全く下熱剤による反動熱である。故に下熱剤服用をやめれば、反動熱は漸次下降し、病気だけの熱になる訳である。私はその説明を夫人及び御子息に聞かせたのである。 次に、驚くべき事は、五日目位の時、匠師は診断して曰く、最初の乾性肋膜は殆んど全治しているにも拘わらず四十度の高熱が持続するという事は、病気が肺の深部にまで進んだ証拠で、之は容易ならぬ症状であるから、絶対入院しなければならないと夫人に言ったのである。私はそれを聴いて笑って言ったのである。「肺には何等異状はない。もし肺臓に病気が進行したとすれば、呼吸に異状がなければならない。然るに、呼吸は普通であるから、医師の診断は誤診であるから安心されたい」と説明したので、 酪夫人も安堵の胸を撫でたのであった。茲で私は右の事実に対し大問題を包含している事を述べたいのである。

それは、最初単なる風邪であるから、放任しておいても一週間位で全治すべきであるのに、医療は解熱剤によって下熱させようとした、その為に逆に反動熱が発生したのである。而も其高熱に対し、重症の肺患と誤診し、入院させようとするのである。そうして入院後は勿論絶対安静によって胃腸を衰弱させ、下熱剤によって反動熱を持続せしめ、其他注射、湿布等によって浄化作用の停止を行うから、漸次衰弱死に到らしめる事は当然である。今日結核蔓延とそれによる死が此様な誤診誤療による事も抄くないであろう事を想われるのである。

鳴呼、哀れなる仔羊よ、爾等を如何にして救うべきや!

 

『宗教と信仰』

本医術を以て宗教的と見たり、信仰的と思ったりする人も偶々あるようである。之に就て私は、宗教でも信仰でもない事を述べようとするのである。

先ず宗教であるが、宗教とは、読んで字の如く、何々宗という一個の団体を作り、教義を樹立し、その教を説き、その教の主旨に従って行動しなければならないのである。又何々如来とか何々菩薩、何の神、何の尊、キリスト又はその宗派の開祖の像を朝夕礼拝しなければならない事になっている。勿論宗教によっては種々の形式や行事等の差別はあるが大観すれば右の如きものであろう。

次に信仰とは文字の通りで一言にして曰えば、私は信用と信頼が、時日を経るに従って漸次強度となり、それが畢に極点に達するに及んで崇敬の念を生じ、信仰という観念にまで育成さるると思うのである。故に此の意味によって考うる時信仰とは神仏に限らず、凡ゆるものに通暁するのである。暁に日の出を拝むのも信仰であり、武士道も科学も一種の信仰である。従而、曩に述べた如く西洋医学と難も、一種の信仰に外ならないであろう。特に医学に於ける信仰は、実に絶対ともいうべきものである。何となれば貴重なる生命を委ね、効果如何に係わらず安心しているにみてもそう言えるであろう。

然るに、以上の如き宗教的分子や信仰的観念が、本医術に於ては異なる事である。それは本医術に於ては宗教的分子は勿論ない。ただ信仰的からいえばないとはいえない。医師から死の宣告を受けた者や、 絶望的な難病が起死回生の喜びを生むという以上、その感激が信仰にまでも及ぶのは当然な帰結であろう。然し、それは効果に対する自然の観念であるから、迷信ではない事である。

茲で私は医家に言いたい事がある。それは医学は兎もすれば、医学以外の療法が効果のあった場合、 必ず信ずるから治ったというのである。然し乍ら、其様な観方には理由がある。それは西洋医学に於ての多くの経験から生れた解釈であろうが、例えていえば、患者の信頼する医家の薬剤は特に効く事である。即ち同一の薬剤であっても、有名な博士の処方は卓越せる効果を挙げ、無名な医家の処方は効果が薄いというような実例が多くある事も医家がよくいう処である。之等は全く観念の作用であって、薬剤そのものの効果ではないという事を立証している。従而、医家が信ずるから治るという既成観念に支配されるのもやむを得ないであろう。

然るに、本医術に限り、再三述べた如く、如何程疑う人と雖も、信ずる人と効果は同一である。その証左として特に幼児は偉効を奏する事である。例えば、医家が最も恐れる彼の疫痢が、医学に於ては治病率は恐らく十パーセント以内であるに対し、本医術に於ては九十パーセント以上というにみても明かである。 私は常に言うのである。「戦争は勝てばいい。病気は治ればいい」――ただそれだけである。