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御教え『薬毒は戦争より恐ろしい』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

薬毒の恐ろしさは常に日っているが、これを信ずる事は中々困難だとみえて、信者の中にも薬毒にょる病気の苦痛が分らないで、霊的と思う人がよくあるのは困ったものである。そうして邪霊が憑るのも薬毒の溜結している個所に限るので、薬毒を解消すれば悪霊も憑らない訳である。左記の御蔭話は薬毒の如何に恐るべきかが実によく表われているから大いに参考になると思う。ところがこの事を知らない一般人は、高い金を払って毒をのみ病原を作っているのであるから、如何に恐ろしい無知かが分るであろう。いつかも日った通り吾々の方へ来る患者は服薬自殺未遂者といって笑うのである。

 

御蔭話 島根県O.S.(昭和二八年二月二七日)

医薬万能より浄量万能へ

明主様御守護のほど謹んで御礼申し上げます。

顧みますれば一年前の今日この頃は主人が薬毒の再浄化を頂きまして、来る日も来る日も胃痛と吐瀉物の連続にて、只管に明主様をお念じ続けておりました。丁度一ヵ年を経ました今日この頃の健康体を眺めます時、これがあの時の主人か……とつくづく眺めやる思いが致します。自分でも鏡台に向い思わず両頬を撫でて取り戻させて頂いた健康に、只々感涙に咽ぶこの頃でございます。近親者はもとより、近所の人達からも驚異の眼をもって眺められ、本当にあの大病人が薬一服のまずにこんなになられたものと逢う人毎に、よくもまあまあの連発攻めにあっている現在でございます。元の職場に帰りまして早や半ヵ年、一日も職場を休むことなく、時々軽い御浄化は頂きますものの、本当に惹なく明るい毎日を過させて頂いております。私は元派出看護婦をして居りました関係上、初めからこのお道の御教え通りについて行ける自信はありませんでしたが、主人がこの再浄化を頂きます二、三年前(主人は昭和二四年入信し胃潰瘍を救われています)によく子供が御浄化を頂き、その都度御浄霊でよくして頂いている関係上、その頃より御神書は常に拝読させて頂き、医薬万能のこの頑固な元看護婦にも薬毒の恐ろしさを多少なりとも悟らせて頂いて居りましたので、主人のこの度の御浄化にも割合に平静に諸先生の御指導なり、主人の不動の信念なりについて行けたのでございます。一日千秋という言葉がございますが、生命を危険にさらして苦痛に喘ぐ一〇ヵ月(三〇〇日)を希望と感謝の中にあの大浄化の嶮しい大峠を越えさせて頂きましたのは、全くひしひしと胸に、否全身に、明主様の大愛の御心と御力を御恵み頂いたらばこそでございました。頑迷なる医薬万能者は御浄霊万能者になることによって、主人の生命と一家の幸福を頂く事が出来たのでございます。以下薬毒の浄化を思い出すままに記さして戴きます。

 

薬毒には鉄もボロボロ

御浄化の初めは、のたうち廻り果ては息もたえだえになってしまい、うち続く吐瀉物にいよいよ癪せて少し離れていると私を呼ぶことさえ出来ぬ位衰弱いたしました。これが元の私でしたらなんで捨ておきましょうや、すぐ目の色変えて医611者に走りましたことでしょう。吐瀉物は初め一〇回位は洗面器に殆んど一杯位宛、シュッシュッとまるでサイダーの如くブツブツ泡立ち、丁度重曹をそのまま洗面器にほおり込んだ様で流石の私も只唖然たる許りでありましたが、これで以前服用した重曹の浄化であることは一点疑う事は出来ません。この時の吐瀉物の為使用中の鉄製の洗面器は急に、ボロボロに穴があき使えなくなりました。

 

ゲンノショウコを六カ月吐く

重曹の浄化に引続きコーヒー状のものを毎日吐き続けました。それは以前半年間毎日のんだ「ゲンノショウコ」でありました。然もそれを吐く時の身を削られる様な苦しさ、これが半年間続きました。アア何と薬毒の恐ろしさよ!!今思い出しても身の毛がよだつ様であります。半年間服用したとはいえまさか半年間吐くとは思えず、後では苦しまぎれに毎日の様に、先生にまだ吐かねばならないでしょうか、まだ薬毒があるでしょうかとお問いしました。その都度先生は「そうあせらんと気長に吐きなさい。吐いた丈は薬毒が減って行くんだし又あるだけのものは吐かねばならないんだ。それにその薬は私がのましたんじゃあない、あなたがのんだものでしょう……」とお笑いになり、尚色々と力をつけて下さいました。今考えますとその量でも計っておけば参考になるものをと惜しいことをしたと思いますが、その時は只御浄霊と心配と家事に一生懸命でありました。吐き出したものは千差万別で、或る時は癌腫の溶けたものではなかろうかと思われるヌラを吐き、その中へイチゴの種の様なものが無数にあるものを何日も吐いたかと思うと、又肉踵の溶けた様なものや、又三日も前に食べた食物の残渣やでありました。菜ッ葉の繊維は必ず吐きました。しかも胃からばかりでなく鼻からも又唾液の中にも薬毒が排泄したのには驚きました。

 

アスピリンの浄化

或る時鼻汁を乾かして見ますとアスピリン状に白い粉々になり、然も結晶状に光っていますのでなめて見ますと酢い様な味が「アスピリン」と少しも変らぬ様に思えました。又唾液はとても粘って粘って始末のつかぬ様なものが執拗に出ました。尿は白い粕の様なものが何日間も続いて出たこともありました。少し快方に向ってからでしたが吐瀉物に血の固りの様なものや血の糸の様なものも漏っていました。医者にそんなものを見せたらどう言うでしょう。そして昔の私でした612らどうしていたでしょう。一寸黒便が出てもすぐ出血しているのだから絶対安静にしていなくてはとか、絶食とか、流動食とか、それはそれはうるさいことでありますのに、お道の有難さ、これとは反対にこんな血の固りが出る度に又吐く度に主人の胃の中が清浄に、そして健康になっていくと思えば洗面器を替える手も軽く只感謝で一杯であります。血であろうと何であろうと決して必要なものは出ず、いらないもののみ出るとの御教えを固く胸に抱きしめて介抱させて頂きました。便にも白いノロノロしたものが無数に付着して排泄いたしました。医学上では粘液便と言って腸の病気に外ならないのであります。病気を悪化作用と考える時、本当に身も世もあらぬ思いがするに反し、浄化作用と思えばかくも安心していられるとは、御教えの有難さに謝する言葉もありません。この長い御浄化中には医者にかかっていれば危篤の電報を何べんか打っていることでありましょうし、それのみか当然生世界救世教奇蹟集命も無くなっていたでありましょう。相当重態の日が続きましたけれども、明主様にお纏りしている身には、そんなに重態と考えたり生死の心配を致しませんでしたけれど、他の人々にはとても重態に見えましたものか、兄弟中で万一の時の相談もしてあったそうであります。今にして思えばみんな尊い思い出の一つ一つでありますけれども、その時は、誰も一生懸命でありまして信仰に入らして貰ったものと、そうでないものとの対立は真にいやなものでありました。それをこうして無事に乗り越えさせて頂きました有難さ、これ偏に明王様の御神徳に外ならず、又たゆまざる諸先生方のお導きに対し心から御礼申し上げる次第であります。この上は夫婦が力を合わせ只管御神業に励まさして頂き、明主様の御恩の千万分の一なりともお返しさせて頂く考えでございます。

明主様誠に有難うございました。謹んで御礼申し上げさせて頂きます。何卒今後とも御守護賜わります様伏して御願申し上げます。

御教え『医療ナンセンス』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

左の御蔭話は、医療を施す程悪化するので、これを止めて浄霊一方にしたところ、忽ち快癒したという実にハッキリした実例である。ところが滑稽なのは、それを内緒にしていたので、医師は医療で治ったものと錯覚してしまい、その時の医療の方法を学界に発表するといって得々としていたそうであるから、これをありのまま発表するのはチト御気の毒に思うが、人類救済の為としたら止むを得ないのである。

 

御蔭話 徳島県H.Y.(昭和二七年九月一日)

昭和二七年四月下旬信者のM氏が参拝され「最近隣家の方ょり頼まれ娘さんの浄霊をしているが捗々しくないので実は本日御相談に参りましたが」と次の如く話をされた。

病人はK町某病院に女中勤務して居られるA、性質温和にして忠実なる勤務振りは医師夫妻のお気に入り、日頃元気な彼女が四月二〇日より発病、幸か不幸か勤務先は医院、然もお気に入りの女中のこと故、早速診断の結果は膀胱炎と腎臓病の併発にて医学上からは相当の重態、家に帰り毎日治療を受ける身となった。通院出来ない日は往診して一日も早く治してやりたい親切から注射もあれこれと現代医学の最高方法をもっての治療にもかかわらず病勢は一進一退、何時治るとも知れざる状態にて親の不安は募るのみ。思い余ってM氏への浄霊依頼となったが、さてお医者の親切も無に出来ず、相変らず往診しては注射をうつと言うのである。浄霊の効果捗々しくない訳は歴然としている。「如何したら?」と問われるから「断りなさい」と言う。「併し先方で医者を断ると言うなら続けなさい」と言ってその日は別れた。それから数日後、M氏が参拝され「治りました」と言われる。氏の語る処によれば、帰宅後早速母親に逢い、医薬に頼るか、浄霊を受けるか、いずれか一方に決めなさいと話すと、それではお医者を断るから浄霊をして頂きたいと頼まれ、一方お医者にはお蔭で大分快くなり後四、五日も養生すれば働けると思いますからと申した処、その後往診されなくなり全く医薬より離れる事が出来ましたが、その日より御浄霊の偉力は発揮され、さしもの重患がなんと四日間の御浄霊で全快し五日目より勤務出来る身となったのであります。驚いたのは某医師、あれだけの重病が斯くも短期間に全快したことは開業以来初めての事であり、医学上の大発見とあって早速使用注射を記録せられ、あれか、これかと奏効薬の研究に没頭して居られる由、その結果を論文として学界に発表する御意志と推察致しますが実に困るのは唯物科学者の頑迷さであります。斯くして幾多の悲劇は生まれるのでありましょう。

「哀れなるものよ汝の名は医学者なり」

現代医学を最高と信じやがて受診するであろう同病患者を思う時、肌に粟を生ずる感がする。無効有害の注射をあれかこれかと無限に注入せられ、尊い人体を迷科学の実験に提供し、あたら生命の短縮を招来する事であろう。無神論者ょ唯物科学者よ、一日も早く本教の扉を叩かれよ。さらば未知の世界は開け、人生のあり方を知り、永遠の生命と真の幸福を獲得せらるる事を誓い、この稿を結ぶ次第であります。

明主様の御神徳を讃え、限りなき御守護を厚く御礼申し上げます。

 

御教え『哀れむべき現代人』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

現代人が病気は医薬で治るものと固く信じて、一生懸命になればなる程益々悪化するに拘らず、これが誤った医療の為などとは夢にも思えず、飽迄医薬に頼るので病気はドンドン悪化し、堪えられない程になっても尚気がつかない有様であるから驚くの外はない。そうなってもまだ目が醒めず、アチラの医師、コチラの病院という風に、依然として多額の療養費を使い乍ら焦りに焦り、躍起となっているその実状を見ては、余りに悲惨で何といっていいか言葉はないのである。そこで考えれば考える程、この医学迷信を一日も早く打破しなければ、人間は余りに可哀想である。左の御蔭話はその事実の見本ともいうべきものであるから、是非読まれたいので、これを読んだら如何な人でも分るであろうが、特にお医者さんが読んだなら、どんな気がするであろうか聞きたいものである。

 

御蔭話 兵庫県K.K.(昭和二七年九月一七日)

明主様、謹んでお救いいただきました御礼と御報告を申し上げます。私が今日現世に在ります事は、不思議というより外無く有難くただ涙するのみでございます。ただただ感謝に胸が一杯でございます。三年前の私はまさに暗黒の道を灯も杖も持たず、何処へ行くとも知れず、不安な心で泣き乍らさまよいつづけていました。この私を大光明如来様の尊き御光をお与え下さいまして、手を取って光明の道へ連れ出していただきました。今日大光明如来様を一心に信仰させていただき、数々の御利益を頂き乍らまだ一度も明主様に御礼も申し上げず、失礼を深く深くお詫び申し上げます。

只今拙文をもかえりみず、筆をとらせていただきました。御恵みに対する万分の一も書き現わせないのが残念でございますが、当時から今日に至るまでを御報告させていただきます。

私の病気は本当に不思議で、他人の目には、何処が悪いかわからず、ただ憂鬱な顔をして寝ている位のものだったのです。医者にみせても「何処も悪くない、神経だ」との事で、私もとりつく島なく、気安めにくれる薬を、そして注射と日々を送っていました。発病しましたのが昭和二四年の夏の或る夜腹痛と幅吐から始まり、その後約二カ月にわたり動悸に悩まされ絶対安静を命ぜられ、身動きも出来ない情ない身体を、来る日も来る日も床の上で過し「何処も悪くない、神経だ」と言う医者に、苦痛があるのに悪くないとはおかしい、その神経を治せぬものかと心はあせりました。とはいうものの医者が唯一のたのみでした。二カ月経つと動悸は治まり絶対安静から解放された私でしたが、それも束の間、その頃から急に後頭部が重く、頭の中に何かつめ込んだような感じになり、来る夜も来る夜も不眠に悩まされ気はあせり、いらいらし、すぐ腹立たしくなり笑を忘れた状態で、したがって家庭は暗く争も多くなり、その頃の苦しさは筆舌には到底及ばないものがありました。主人も心配し、大学病院に行って博士に診察してもらいましたが要を得ず、その後医者を転々とし、結局病名もはっきりいたしませず、神経衰弱だろう位に落着きました。その後転地入院といろいろとし、その間、効きもしない薬をどんどんと注ぎ込んでいました。知らぬこととはいえおろかな私でした。この苦痛からのがれたいという私のあせりの気持に反比例し、病気の方は段々と悪くなる一方でした。頼りにしていた医療もなす術なく最後の医者も見放したのでした。私はふところに多量の薬(以前医者に一粒ずつのめという劇薬らしい物を、服用がいやで持っていたもの一〇粒程)をしのばせ、もはやこの様な苦しい事はたまらない、いつでもこれを一度にのんで死のうと思い又幾度か実行しようと思いましたがやはりいろいろの事を考えるとそれも出来ずに過しました。今考えますと、ああよかったと思います。不眠はだんだんとひどくなり睡眠薬も効かなくなり、悶々として廃人同様の生活でした。勿論仕事は何も出来ず家族の者にはめったに口もきかすにおりました。主人も心配したり気をくさらせたりしてよく辛抱してくれたものと当時の事を思い主人や家族に頭を下げたくなります。その頃から如何なる無神論者の私も何か神様にお縋りしたいという心になっておりました。その時です、神様のお導きと言いましょうか、当地でこのお道を一生懸命信仰なさっているI先生が来て下さって勧めていただき、飛びつく思いで御浄霊というものを受けたいとお願いいたしました。当時の私の気持は神様の有無は問題ではありませんでした。有神無神を論ずるような余裕はありませんでした。その晩御浄霊をしていただきましたら、不思議!眠られました。朝までぐっすり眠らせていただきました。心のどこかに灯を得て、ますますお縦りする気になりました。それからというもの毎日毎日雨の日雪の日風の日も私の家まで来て下さり、御浄霊を一時間から長い時は二時間もして下さいました。眠れる日もあり眠れない日もありましたが、あれ程の不眠がここまで教われたという喜びで一杯でした。しかし頭の工合は依然として悪く、眠れる様にしていただいた御利益も忘れ勝になり、頭の苦しい事のみ思っていろいろと心に曇りを生じておりました。勿体ないことでした。I先生の誠に対しても一生懸命にならなければと思いはげまして光明如来様を念じておりました。この様な私を中教会長のT先生、H支部長のA先生はやさしい気持でいろいろお導き下さいました。医学では治されぬこの病気、どうしてもこのお道で救っていただきたいものと、日夜倍していただいた当時『光』新聞、『地上天国』を床の中で、大切なところは赤線を引いてわからないところがあれば先生に質問し御説明を願ったのでした。その折には解り易く親切にお教え下さったのでした。当時の私、分る事やら分らない事やら、分ったと思えば時を過ぎては又分らなくなり、又教えられして、それはそれは私をお導き下さった先生方の血のにじむ様な苦労を今日思う時、よくもここまでして下さったと涙ぐむのも再三です。二五年の二月六日、私は入信させていただき、一週間の後には主人も入信し、ひたすら御守護をお願い致しておりました。三月の春季大祭に主人が明主様の御面会を許されました。そして三月=日に光明如来様をお祀りさせていただきました。四月の御面会日には私が許していただき、フラフラする頭も、不思議に支え易く、初めての御面会をさせていただきました。以後今日まで度々の御面会を許していただき、身に余る光栄と、勿体なく存じております。この年の一〇月項までは頭の苦痛は変りなかったょぅに思いましたが、夜眠れなかったのが眠れるようにしていただいたというのは偽らざる事実でした。秋もたけなわの頃より家事がほんの少し出来ました。この時から私もいよいよ救われる段階に入れていただいたなあとうれしくて仕方がありませんでした。二六年のお正月も前年と反対に笑いのうちに迎えたのでした。そして三月の春季大祭には熱海におまいりさせていただき、毎月の各所の月並祭にも殆んど欠席した事なく、重い頭をかかえての修業をさせていただきました。幾人かの人も御浄霊させていただき兎に角一生懸命でした。

五月に大光明如来様をお迎えさせていただきましてからは家庭の方も段々と明るくなりました。かくして一昨年の夏も無事に過ぎた頃より頭一面吹出物の御浄化をいただき、三カ月にわたって膿を出していただいたのでした。それからは又いっそう楽になり、今まで少しも手を出さなかった家事も、事を欠かさずにさせていただいております。今でも後頭部の御浄化はつづいておりますが、私の罪けがれと、生まれてから入信するまでに浴びた薬毒というものは大したもので、これも致し方なく御浄霊によって時期を待つのみでございます。

きっと晴々とした軽い頭にしていただける日も近いと本当にたのしみでございます。

かくて罪多い私もこのお道によって教われました。明主様の御写真にむかつておさえ切れぬ涙にひたるこの気持も救われた者の知る心境でございましょう。私は毎月の『地上天国』、新聞によりまして、どれだけ力づけられ、そして信念を強められた事でございましょう。信仰は辛抱ということが大切であり、大光明如来様の絶対の御力を信じ幾歳月かかろうとも時を待つという大切さを身をもって教えていただきました。

ありがとうございました。神様に与えられたこの身この魂を、御神業に世の為に人の為に御役にたてさせていただきたく謹んでお願い申し上げます。

この拙文では思いの万分の一も書き現わせなかったと存じますがこれをもちまして御利益いただきました御礼と御報告の筆をおかせていただきます。

明主様有難うございました。今後共変らぬ御導きと御守護をお願い申し上げます。

御教え『薬毒の恐ろしさ』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

薬毒の恐ろしい事は、常に耳にタコが出来る程言っているが、左の御蔭話は余りにハッキリしているので、この文を添えたのである。この患者などは最初健康であって、只歯槽膿漏だけであったので、気長に放っておけば治ってしまうものを、知らぬ事とはいい乍ら、医師の言うままにしており、色々の薬で次から次へと新しく病気を作られ、苦しみつつもそれに気が付かず、遂には二進も三進もゆかなくなってしまい、本教に助けられたからいいようなものの、若し本教を知らなかったなら、苦しみ乍ら彼の世行となったであろう事を考えると何といっていいか言葉はない。ところがこれに無智である現代人は、アノ薬、コノ薬、ヤレ素晴しい新薬が出たなどといって、喜んで用いるのであるから、これを見る吾々は肌に栗を生ずるのである。従って一日も早く医薬の迷盲を晴らさせるべく、神に祈りつつ日夜奮闘努力しているのである。

 

御蔭話 静岡県I.K.(昭和二七年一○月六日)

生命程尊きものは世にあらじひたに縋りて齢延ばさむ

命さへ危ふき程の病きも癒えて恵みに浸る嬉しさ (御讃歌)

至って健康に恵まれ、病気で寝込むような日は一日もなかつた父でございましたが、時折、歯槽膿漏に悩まされました為、当時、化膿止めとして盛んに売り出されて居りましたジセブタールや、アルバジル等を服用致しましたところ、強健を誇って居りました胃腸に変調を来し、空腹時に胃痛を覚える、所謂、胃酸過多症状を起して参りました。その為、トモサン、ノルモザン等種々胃の薬を連続服用し始めましたところ、執拗な下痢が始まりました。そこで今度は下痢止めによく効くと申される「げんのしょうこ」を服用致しました。

それまでは、食物に殆んど好き嫌いもなく何でも美味しく戴けた父が、非常に食事がむずかしくなり、又食欲もぐんと減り、顔色衰え、以前の元気さは消え失せてしまいました。

既に私は明主様の尊い「健康への真理」を、御教え戴いて居りましたので、父の辿って居ります経路が正に御教え通りにて、薬毒の為、折角の健康体がどんどん傷めつけられ、やがては命を縮めてしまう恐ろしい結果がありありとわかりますので、必死になって服薬をとめ、最高の治癒法たる御浄霊を勧め、絶対神の御救いに御纏り申し上げ、健康をとり戻されますよう、入信させて戴くように勧めましたが、最初の内は唯物教育に邪魔されてなかなか理解されず、もはや父は救われぬか・-・と悲嘆にくれましたが、血涙を絞って頼みます私の真心が神様に通じましたか、遂に父も御守様を戴き、最高神との霊線を繋いで戴き現代医学の誤り、薬毒の害等にも気付かせて戴きまして、ほっと…安心致しました。

併しそれまでに服用して仕舞いました薬毒は、明主様より「ジセプタール、アルバジル、げんのしょうこ等の服用は自殺行為で、これをあまり多量に服用してある場合は、生命も請合われぬ」と御教え戴いてございますので、少しも油断が出来ませず、毎日御浄霊に努めました。案の定、服用致しました薬毒が次から次から執拗に溶けては苦しめ、遂に昨秋は大浄化となり、茶褐色泥状のものを幅吐致し食欲は皆無となり、胃腸の痛みに昼夜うめき通し、看護に当った私もふらふらになってしまいました。

盛んに吐気を催し、水を飲んでもガブガブと吐いてしまい、遂に絶体絶命の窮地に追い込まれてしまいました。併し、この時には父も母も皆御浄霊に勝る治療法は他に無い事を確信致して居りましたので、少しの迷いも出ず、一服の薬も一本の注射も致さず、教会から先生方にも御浄霊の応援を御願い致しまして、只管に御纏り申し上げました。

御浄霊は医療等とは比較にならない絶大な御力ではございますが、強い薬毒の浄化ではもはや肉体が保てぬ、とみまして最後の望みをかけまして、明主様に御面会、熱誠こめて御守護を御願い申し上げ、かつ尊き救世主と仰ぎ奉る明王様に我を忘れて御質問申し上げました。矢張り、「最も悪い薬毒服用の為、生命は請合われないが、肩が非常に軟いようだから、もとが強い故峠を越せるかもしれない。手の力を抜いて胃の後と鳩尾をまく御浄霊するように……」と御教え賜わりました。

将来全世界から救世主と仰がれます尊き明王様が、賎が女の悩みにも深く御心を御とどめ下さり、御顔を曇らせられ、いろいろと御指示賜わりました御慈愛溢るる御眼ざし……実に恐れ多く有難き極みにて生涯忘れる事は出来ません。

私は不幸な結婚に破れ、夫無き後、二人の幼児と共に父の世話になって居り、又一人の兄姉弟妹も無い身故に、今父に廃れられたら!!!と子供達の行末も思われまして不安の絶頂にかりたてられ、又若しここで父が死にましたなら、未だ救世教に対する真の認識の無い親戚、知人、近隣の人々からは「大切な親の重病に薬も与えず、医者にもかけず、邪教を盲信して死なせてしまった」と、さぞ非難攻撃されましょうと察せられましたが、如何に非難されましょうとも、最善の方法と、努力を傾け尽くしましての結果なれば、心に悔ゆるところはない筈、未だ霊的知識の無い方には理解して戴けなくとも、ここで、仮令、父が死んでも医療を受けつつ死んだ場合と、御浄霊を充分に受けて帰幽した場合とは比較にならない霊界生活の仕合せさを思います時、誰に何と言われましょうとも、いずれこの御道の真価が世間一般にわかる時期までの辛抱と思えば恐ろしくもなく、ただ最高の御道も、曇り多き我家の為に知人に誤解され、御救いの妨げになりましょうかと同よりも辛い事に存じましたが、何事も大乗道で進まねばと思い返し、父の身を案じつつ、帰途につきました。

途中、父の死骸の前で泣き悲しんで居る母の姿がちらつき、又今日まで、父の庇護の下に世間の波風に当らず育った私が、小さな子供達を抱えて急に荒波の社会に突き落されて、悲境に揉まれる悲惨な姿が浮び、さまざまに暗い思いが襲いかかって参りますのを払い除け払い除け、明主様の御教え中の「執着は非常に御救いの妨げになる。御任せする事によって神力は無限に戴ける」事を自らの心に言い含め、親の命を御救い戴きたい心切なる事は善なれども、あまりにこれに執する事によって反って逆結果を招く事、人の生死は神の御手にあるもの。全力を尽くしたら後はお任せしなくてはならない。と心に繰返し、案じて同道して下さる友に励まされつつ我が家に辿りつけば、思いもかけず、にこやかに出迎えて下さった母より、私が明王様の御面会戴き、御言葉を賜わって居りました時刻より、吐気も治り、お豆腐やお煎餅、卵黄等が戴けたとの事に、「救われた!大峠を越させて戴けた……」と嬉し涙がこみ上げ御神前に鰭伏して御礼申し上げました。その後は薬毒も大変溶けやすい状態になりましたようで、殆んど毎晩のように下痢、幅吐致しました。その悪臭には群易致し、薬毒の恐ろしさを痛感致しました。

こうして毎晩のように薬毒を出させて戴くごとに苦痛は軽くなり、食欲も出て参りまして、快方へ快方へと向わせて戴きここに一ヵ年、誰からも「顔色もよく、肥った」と言われるようにならせて戴き、無事にお勤めさせて戴いて、毎日明るく感謝の日を送って居ります。

実にこの間は、薬毒との闘いの如き日々でございました。併し偉大な御力を戴いて居ります故にこそ、如何に痛み苦しみが起きましても、御浄霊致せば必ず治りますので安心してこの大浄化を乗り越す事も出来、深夜と難も医者を呼ぶ騒ぎもせずに落着いて苦痛を除いてあげることの出来る有難さ……もしこの御力を知らなかったら……医者や薬に頼るのみでおろおろして居なければなりませんのに……。しみじみと偉大な御道に入れて戴けた仕合せを感謝致します。又夜中に激痛、幅吐で随分苦しみましても、薬毒を出しました後は非常に工合がよく、翌朝は又お勤めに出かけるという状態で、相当強い浄化を繰返しつつも、その割合に衰弱致しませんで、今更ながら御浄霊の偉大さに一同感嘆致して居ります。そして最も浄化激しく、寝込むような時には何時も休暇中でございましたので、お勤めの方にも差支える事もなく、その為、勤務先では、この父の大病も皆知らない程にて、御守護のほど一同感泣致して居ります。父と同じ様な症状で、手術を受けた方は大概命を無くして居りますし、ラジウムや薬、或は手術等によって、病状が軽減して居ても、真から病原を取除いたのではなく一時的に固め押えられているに過ぎず、根本からの治療ではない為、近き将来さまざまの故障を生じて、以前に増した苦しみにさいなまれねばならない事に気付いて居られぬ御気の毒な方々を思います時、ああ一日も早く世の人々が、健康の真理に目覚められ、何物にも勝る命の宝を護られて、真の幸福を得られますよう祈って居ります。

この御道を知らずば薬毒に蝕まれて、既に無き父の生命、そして一家の柱を失って悲惨な私達になってしまう処を御救い戴いて、これからの父の生命は明主様により継足して戴いたものである事を思います時、限り無き感謝の明け暮れにて一同微力ながらも「病や貧乏、争いの根絶された芸術の香り豊かな美わしき天国」を地上に顕現されます明主様の大聖業の一端に、役立たせて戴けますよう只管努めて居ります。

 

御教え『薬毒の体験』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

薬剤迷信の為、人類が如何に苦悩の窮地に陥っているかは、この事が分って世の中の病人を見れば、思い半ばにすぎるであろう。昔から惚れりゃアバタも笑窪に見えるとの諺の通り、現代人は薬に惚れぬいて有難がっていながら、事実は薬の為恐るべき被害を蒙っていても、柳かも気が付かないのであるから大問題である。然もこの災いに苦しみ乍ら、文明国の有識者はこれを謳歌し、奨励しているのであるから、その無智蒙昧たるや考えれば考える程、不思議である。

左の御蔭話は、薬毒迷信の体験記ともいうべきもので、若しこれを読んでも分らない人があるとすれば、その頭脳こそ形は文化人でも、内容は未開人と少しも変らないと思うのである。

 

御蔭話 香川県S.S.(昭和二七年一二月二三日)

思い起せば昭和二二年九月、この世に生を享けてより二〇年余、身体には絶対的自信を持ち、自他共に健康第一人者と して許して来た私にも、突如病魔がおそって来たのです。病気の苦しみを知らなかった私には、言葉には表わし切れない無限の悲しみを感じたのでしたが、でも医者にさえ診て貰えば病名も分るし又薬さえのめば病気は治るものだと信じ切っていた私は、早速最寄りの病院に行き診察を受けましたが、どこが悪いとも分らぬまま薬だけを貰って帰りましたが、これからが私の医療生活の始まりで、今日まで満五ヵ年間殆んど一日として薬を離す事の出来ない人間となったのです。その間一日も早く元気な身体になりたい一心から、あちこちの病院を走り廻り、苦い薬も痛い注射も何のその医師の言われる通りにして参りましたが、よくなって行くどころか反って年一年と調子は悪くなり、身体はやせる一方で、Aの病院では肝臓病だ、Bの病院では慢性胃病だと申される始末に、果してどこが悪いのか見当がつかず、その上医者が治してくれるものと信じて来たものの悪くなる一方なので、頼りなく思い乍らも薬さえのんでいれば又何時かは良くなるだろうと自分で自分を慰め乍ら服薬を続けたものでした。併し他にもよい治療法はと、人に勧められるままに鍼灸療法を始めましたが、最初の内は非常に効果的で気分も或る程度良くなっておりましたが、段々長く続けているうちに効果も薄らぎ、初めの状態に復してしまいました。もうこれまで八万手を尽くして来て良くならないのでは自分は到底助からないのではなかろうかと激しい死の恐怖におそわれ、この世に生きる希望さえも失いかけました。勿論他人の楽しそうな姿を見ては一層の悲しみを感じ、他人と口をきくのさえおっくうで、一寸した事にも腹が立ち易く、唯思うは身体の事ばかりで毎日悩み続けました。

処が昭和二七年六月職場にて救世教の御話をY様より御伺い致しまして、何か胸を打つものを感じましたので、兎に角溺れるものは藁をも掴む気持で教会へ参りまして、T先生より「病気は浄化作用であり、薬は毒で、現代医学は浄化停止療法即ち固め療法である。神の医学は浄霊によりて霊の曇りを取り、体内の毒素を溶かし、体外に排泄させて病気を根本的に治す方法である」等詳しく御話を承りましたが、実は余りにも言われる事が現代医学と反対なので吃驚したのでした。

果してこのまま今直に薬を止められるだろうか、薬を止めれば病気は益々悪くなるに決っている。唯手をあんなに翳しただけで本当に病気が治るものだろうか、あんな事をして病気が治る位なら何も病院も薬もいらないであろうに等と、今思えば甚だ申訳なく勿体ない次第でございましたが、次から次へと疑惑の念が湧いて来ましたが、でも今日まで五ヵ年も医師に付き服薬を続けて少しも良くならず反って悪化する一方なのだから一応薬を止めてみょうと一大決意の下に遂に五ヵ年間の服薬生活から別れを告げたのでございます。

それからというものは食前、食後に何か物足りなさを感じながらも、教会に御参りして毎日御浄霊をお受けする様になりました。処がどうでしょう、薬を止めれば段々と悪くなって行くに決っていると思っていたのに、不思議に日が経つに従って段々と初めの調子より良くなって行くではありませんか。何となく有難さを感じ、一カ月後の七月入信させて頂きましたが、それでも未だ半信半疑で時々心の動揺を生じ、大変苦しんだ事もございましたが、御神書や『地上天国』、『栄光』新聞を読ませて戴いている内に段々お道の真意を科学的に解らせて頂き、今日では非常に安心立命の有難い境地に立たせて頂き、日々の生活にも生甲斐を感じさせられ、全く暗黒の世界より光明の世界へと導かれて参りまして、この讐ぇようもない喜びに明主様に感謝しつつ、この世に私等と同じく現代の医学を絶対的病気治療法と信じ、恐るべき薬毒を体内に注入しつつも一向に良くなるどころか悪化の一路を辿って日夜苦しんでいる多くの人々に一日も早く、一人でも多く、この超科学的神の医学を解って頂きたい気持で一杯です。

若し明主様のこの偉大なる薬毒の御発見がなかったならば、救世教にて今日まで救われた多くの人々も今頃は薬毒の犠牲者となっていたであろうと思う時、薬毒の真理は絶対的なもので、必ずや現代医学を駆逐するだろう事は明らかであり、又そうでなければ地球上の全人類は必ず薬毒の為に全滅をまぬがれぬでありましょう。何と恐ろしい事ではありませんか。この恐るべき現代医学に於ては薬が病気を治すもの也と信じ、私達人間の身体を一種の機械あつかいとなし、油を注ぐ如く薬を与えて平然としているのを思う時、明主様の御神業の偉大さに今更乍ら唯々頭の下るのみでございます。

甚だ拙文で申訳ないのですが、過去の過ちを思い出すままに書き綴りました事を御許し願うと共に、明主様の有難い御教えに心より敬服するものでございます。

明主様御救い下さいまして有難うございました。

 

病きの因は薬にあるを知らす救ひの業の難しきかも

人の作りし医術は科学にあらで神霊の医しの業は科学なりけり(御讃歌)