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御教え『救いの力』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

左の御蔭話にょつても分る如く、本教の素晴しい治病奇蹟は、いくら話をしてもこれを読ませても、疑いが先に立って信ずる事は出来ない程に、既成宗教や現代医学の説に捉われ切っている人を見ては、余りに可哀想でしかない。全く恐るべきは今日の社会である。そうして悉くの宗教は、自分の宗教こそ最高のものという独善観念が強く、他宗は悉く邪教と思い込ませているので、これも無理はないが、その信者は気の毒なものである。それというのも本教程驚異的御利益のある宗教は、今迄になかったから信じ難いであろうが、何れは世界的に知れ渡るに決っているから、その時こそ本教の救いの力が分り渇仰するようになるのは勿論である。

 

御蔭話 東京都M.M.(昭和二八年一月一七日)

明主様、謹みて感謝の御報告をさせて戴きます。昭和ニー.年八月連日のうだる様な暑さに倦怠感は愈々強く、まさか結核と診断され様とは夢想だにせず、医師の門を叩いて初診を求めたところ、すぐ勤めを止めて安静療養生活に入る様にと申し渡された時の驚きと悲しみは今以て忘れる事が出来ません。以来二五年四月までの約二年半の通院療養生活は医師の言う通りの安静を第一とし、栄養、注射、薬剤等の固め療法に専心、又、複雑な作業療法等によって漸く医師ょり全治したと申し渡されて喜んだものの、日常生活は少しも無理がきかす、睡眠時間は八時間以上厳守、疲労感の一歩手前で仕事の手を休めて安静を、又健康診断をいつもうけるょぅにと、風邪は絶対にひかない様に等の注意に全く身動きも出来ない窮屈な生活でございました。再発の危険性に常に戦き、まる廳で毀れ物でも扱う様に始終心は不安で・ 少しも思い切って働驚く事が出来ず・どんどん思う存分働いている人がとても羨ま雌しくてなりませんでしたo 従って恢復したのだと言う・ そこ甥に真の溢るる喜悦は無く、心の中には何か-抹のW淋しい影が去りませんでした。それ程にビクビクし大切にして居りました体も衰弱療法で一時固めの現代医学では、そのまま長続きする筈がなく、普通の家事労働にさえも耐えられず到頭昨年四月再発、その当時はあれ程医師の言う通り実行して居たのに、何故再発したのであろうか?まるで廃人同様の我が身を思うとつくづく情なく絶望のどん底に突落された我が身の運命の苛酷を嘆いて病床に呻吟して居りました。再発の事とて再び医学に頼っても完全治癒するとは到底考えられず、今直ぐにでも素晴しい新薬でも発見されない限りとても再起不可能なのだと思いますと自分の肉体的苦痛にも増して、親姉妹等に与える苦悩に胸は張り裂けんばかり、自らこの生命を絶って早くサッパリしたいと何度思ったか知れませんでした。しかし神の深い御意志によって生かされて居るのだと思いますと、それは罪悪であり、最大の罪を犯す事はとても恐ろしく誘惑と戦い乍ら一人悩み続けて居たのでございました。療養所にでも入れば規則正しい療養生活と、同病愛に浸って少しでも精神的苦痛が和げられるであろうと思い、両親に相談お願いして居りましたところへ突然0管長様のお嬢様より『栄光』新聞数部戴いたのでございます。丁度八月二日でした。ああ神は罪深き私をも未だ見捨て給わず、この身に御光の御手を差伸べられ給うたのでございます。しかしその当時593は誠に申訳ない事でございますが、キリスト教以外の宗教は総て迷信邪教であると全然頭から馬鹿にし、その様な宗教に柳かでも心引かれる事は悪魔の誘惑に負ける事であり、又手を触れる事さえキリストに対し深い罪を犯す恐ろしい事と信じて居りましたので、お送り下さった『栄光』新聞にも目もくれず、一週間程放りっぱなしで見向きも致しませんでした。それにも拘らず、神は何処までも未だ私を見捨て給いませんでした。或る日何かしら不思議な力に導かれる様にして『栄光』新聞を手に取りました。読んで行く内に明主様が信じられない事を信じようとするのは自己敷隔であり、病気を治して戴く時にも疑うだけ疑ってもょい、信じなくても奇蹟を見せて下さる、という様な数々の御言葉に対し、こんな虫のいい宗教がある筈がない。又その様な偉大な力を持った神様はキリスト以外出来ないと信じて居りましたので、到底信じられず所謂新興宗教らしい事を言うと思うだけでした。お蔭話はいずれも奇蹟ばかりで、万人が万人戴けるものとは思われませんでした。しかし一〇〇〇人に一人か二人位しか戴けそうもないお蔭話に私ももしも一〇〇〇人の中の一人に数えられたならと言う、一纏の頼りない望みをかけ始めて居たところへ、再び0管長様ょりH会長先生を御紹介下さったのでございました。早速会長先生が夜わざわざおいで下さいまして現代医学の誤謬、救世教の真髄等細かにお話し下さいまして、59自分が今まで信奉して居た現代医学に疑いを持ち始め、救世教医学の理論に一つ一つ領けるものを感じたのでした。会長先生御自身一〇年間もの腸結核がこのお道により完全に癒されたその信じられない程のお元気なお姿を目のあたり見せられ、素晴しいお力にただただ驚くばかりでした。先生ょりいとも簡単に「すぐよくなりますよ、お任せなさい。」との自信を持ったそのお言葉には余り簡単過ぎて信じられませんでした。早速に初めて(八月下旬)お浄霊をいただきましたところ、今まで寝たつ切りで入浴すら思う様に出来ずフラフラで、一寸でも起きて居られなかった程の体でしたのに、急に体に力が出て来、その晩は九時頃まで起きて居ても平気で、翌朝も爽やかな気持で起きられ動ける事が出来ましたのには、お浄霊の効果がこんなにも早く現われたのかしらと余りの奇蹟に今まで新興宗教なんて、と言って馬鹿にして居りました誤りを心より考えさせられました。ただただ嬉しくその時の喜悦は何時までも忘れる事が出来ません。二回、三回とお浄霊をしていただきます度に身の廻りの事は楽々と出来る様になり、急速度に元気になって行く私を見ては家族の者達はそれ世界救世教奇蹟集は気分的なものが大いに働いて居るのだ、といって一笑に付し、相手にしないのでございます。しかし私はどうしても気分的と簡単に片付けられず、たしかに体的に変化を感じ、お道の偉大さに驚嘆するばかり、私のお纏りすべき神様はこのお道以外無いと信じ九月中旬、母と共に入信させていただいたのでございました。一〇月初め会長先生と一緒に初めて箱根御参拝、僅か離床一カ月で箱根まで何の疲労感もなく、元気一杯行かせていただく事の出来る体にさせていただきました事は、余りの身の変化に夢の様でございました。現代医学でしたらレントゲンや体温、検痰等にょり半年がかりで作業療法を行ったり、又全治したと言い乍ら再発したりする事を思います時、救われた喜びを一入深く感ずるばかりでございます。御守護にょりまして去年暮と新年の熱海御参拝も無事にさせていただきまして明主様誠に有難うございました。第一回の御浄霊以来五カ月後の今日まで一度も床につく程の苦痛もなく御浄化させていただき、教会に上り、お手伝をさせていただいて居ります。一〇月下旬お屏風観音様御奉斎させて戴きましたところ、早速祖霊の教われました喜びを夢にて知らされ、それにより現界と共に霊界をもお救いいただけるお道の深さをしみじみと感じさせられました。又、その夢により、死後も霊魂不滅を確信出来、祖先に対しては生前と同じ様に尽くすべき事をはっきりと分らせていただきました。又信者の方達総てが結核患者に対しても普通人とは逆に柳も区別したり、恐れたりしないで親しく接して下さる事に、過去に於て常にその様な精神的苦痛を味わって居りました私にとっては実に嬉しく感じました。何年振りかで心も晴々と希望に燃えた新年を迎えさせて戴きました事を心より感謝申し上げる次第でございます。「病気は浄化作用なり」という真理を体得させて下さいました上は、今後如何なる大浄化にも決して迷う事なく只管尊いお道発展の為に邁進致したいと念願致して居ります。明主様今後共罪深き身の誠に畏れ多い事でございますが、何卒お役に立たせて戴きます様心よりお願い申し上げます。

 

御教え『効果不感症』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

左の御蔭話は結核に付物の卵大の空洞が、三カ月で縮小したと共に、目方も一貫五〇〇匁増えた奇蹟に、驚いたのは御医者さんで、どうして快くなったかを訊かれたので、救世教で快くなったと説明したところ、只ニヤッと笑っただけでおしまいだというのであるが、いつも乍らこの点実に不可解だと思うのは、この事実こそ医学上からいっても大問題である。然も今日結核問題は日本に於ける最大悩みとされているのは、医者もょく知っている筈である。従って右の事実によってこの大問題解決の糸口を掴み得たとしたら何を措いても直に突き進んで研究すべきではないかと思うが、そういう事は更にないとしたら実に不可解で、頭脳を疑わざるを得ないのである。吾々は斯ういう事を聞くその度毎に医師の良心を疑わざるを得ないと共に、一種の憤激さえ起るのである。これ程の驚くべき奇蹟に対して無感覚で過すとしたら、ロボット同様でしかないと思う。

 

御蔭話 京都府S.T.(昭和二八年一月一七日)

明主様日々数々の御守護謹みて御礼申し上げます。

私は昭和二七年九月三日M共済病院にて健康診断を受けました。レントゲン写真は肺結核の病名となり、右肺に卵大の空洞があり、「あなたの肺は気胸はむずかしいから療養所に入院しなさい」と言われましたが、私はどうしても入院する気持になれず、一〇日程薬をのみましたが、肺病にはまだ確実な薬が無いと以前から聞いて居りましたので止めてしまいました。その後知合いのY様が来られて御浄霊をして戴き、有難いお道のお話を色々と聞かせて頂きました。御浄霊三回目頃、「一度支部にお参りし先生のお話を聞かれてはどうです」と言われ、早速九月下旬、R支部にお参りさせて頂き、G先生に色々と有難いお話を承り、御浄霊も頂きました。「必ず治して戴けます」との支部長先生の御言葉に、御神書も拝読させて頂き、希望がもてる様になりました。支部にお参りさせて頂く度に御浄化の有難い意味、薬毒の恐ろしさ、明王様の偉大なる御霊徳並びに大建設の御経綸等々、御聞きする事総てに驚き、私の前途に光明の道をあたえられた様に思われ、早速一〇月八日入信させて戴き、有難いお守様を謹みて拝受致しました。九日早速御浄化を戴き発熱致しましたが、夜分Y様においで願って御浄霊を戴き、楽に夜も寝ませて頂きました。翌一〇日支部にお参りしG先生の御浄霊を戴きまして頭の重いのもすっかり取って頂きました。翌一〇月一一日には妻も浄化を戴き、三九度余りの熱が出ましたが、Y様に御浄霊を頂き私も御浄霊致しまして熱も段々下り楽にして頂きました。一〇月一五日妻Kも入信の栄を賜わりました。三月三日義妹が遊びに来て居て帰る日突然腹痛を起しましたので、私と妻とで御浄霊をさせて戴き、約二〇分程で痛みはすっかり楽にして戴き、喜んで帰りました。当日私は本籍地に行きました後で、二男○が又熱の御浄化を頂き、四〇度以上になり、Y様に来て頂いて御浄霊を頂き、私達もさせて頂き、三日間でさしもの熱も下らして頂きました。=月三一日御屏風観音様、一二月五日には御神体を御奉斎申し上げ、我が家に明王様の光明が満ち、朝夕に拝浴させて戴ける喜びとなりました。入信後中教会長先生並びに支部長先生の御指導の許に、色々の人達に御浄霊をお取次させて頂き、次々と元気になられた人から喜んでお礼を申されます度、明主様の御偉大なる御神力に感謝申し上げ、一人でも多くこの光栄に御纏りされます様努力致して居ります。尚御神体御奉591斎当日、勤務先に出すべく診断に共済病院にて三カ月振りに受診致しました処、一貫五〇〇匁も体重が増えているのと、レントゲン写真の結果卵大の空洞が小さくなったことに、「何をやっているのか?」と聞きましたので、「救世教で浄霊をして頂いて居る」と申しました。医師は笑って居りましたが、別段強い反対も致しませんでした。今では私も段々気持ょく家族一同元気に日々御守護賜わって送らせて頂いて居救いの力ります。入信日浅き私如き者にも右の如き数知れぬ御守護を賜わり一人でも多く幸福の道に御導きさせて頂く様微力乍ら御協力させて頂きます。何卒今後共御守護賜わりまして、御用に従事させて頂けます様御願い申し上げますと共に、謹みて厚く御礼申し上げます。

明主様有難うございました。

御教え『白血病など訳なく治る』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

ついこの間各新聞を賑わした六歳の子供の白血病を、輸血で治そうとして、数人の子供が代る代る血液を提供し、血の入替をしたに拘らず、遂に死んでしまったのである。これにょってみても、医学の幼稚さはまく分るであろう。それに引替ぇ左の御蔭話は白血病を一週間で全治さしたのであるから、医療と浄霊とは比べものにならない程の異いさである。これを新聞で見て只唖然とするばかりである。ところでいつも遺憾に思う事は、これ程素晴しい浄霊法であり乍ら、これを知る医師も知らない医師も、一生懸命高価な治療費を払わせ、病人を苦しめた揚句命までもフイにするのであるから、何といっていいか言葉はないのである。若しこれが医学で浄霊と同じ位に治るとしたら、それこそ世界医学界の大問題となるに決っている。故にこれを考えたなら、神様の御骨折こそ実に勿体ないと思わない訳にはゆかないのである。

 

御蔭話 徳島県O.S.(昭和二八年三月六日)

 

明主様日々の御守護戴きまして誠に有難うございます。思えば昭和二七年六月絶大なる神様の御力に依りまして次女M を絶望的立場より御救い戴き感謝の日々を送って居ります。 当時六歳にて四月より幼稚園に通って居りましたMは五月半ば頃より元気が無く、食欲も次第に減退して来ましたが、どうにか学校の方は続けて居りましたが、衰弱の度は次第に増 して辛抱強く行って居た学校も終に行く気力は無くなって参 りました。その頃より夜になると必ず発熱し、特に腹に手を 当ててみると驚く程の高熱で医師を訪れました。医師の間に 経過を話すと「ペニシリン」の注射をして呉れ浣腸薬を与えられました。帰宅後浣腸を致しますと少量の排便を見ました。それで少し気分も良くなり、学校に行くといって聞かないので明る日は学校へ行かせましたが、帰宅した時には顔色は余 程悪く、大変元気はありません。その夜から又発熱して苦しみますので腹に手をやって見ますと四〇度以上の熱でした。 朝になると熱は下りますが、晩の熱の為に顔色も大変悪く、 唇の色は生きた人間の色とは思われません程でした。食物も 色々と変えてみましたが、食欲は減退する一方です。

家族の者も大変心配して医師に診察して貰いました。医師 も今度は充分念入りに診察しておりましたが、若しかしたら 血の病気かも知れないが、此処では調査の設備が充分で無い からと、ニキロ程離れた町立病院に行く様紹介状を書いて呉 れました。仕方無くその侭町立病院に参りました。そこで検 血、検便、検尿、レントゲンと細密検査の結果、白血病という世の中にも少い病気との事です。この病気は赤血球になるべき血液が白血球に変化して居り、白血球が多過ぎ、赤血球 が意外に少く、尚その差が次第に大きくなって居るとの事で、 手当の方法も今の処では自信を持った方法も無いとの事で、この時許りは医学に対する信頼を失い、絶望的な気持になった事はありません。途方に暮れている折柄、隣家の方より光 明如来様の御話を聞き、困っている折とて一度参拝してみようと早速明けの日「五キロ」程離れたT先生の御宅に伺いま した。御浄霊を戴き、その帰途何時もより元気の出た様に感 じました。そして毎夜決って発熱していたのがその夜から熱 が出なくなりました。その為食欲も次第に増して三日目参拝 の帰りには鼻唄で帰宅致しました。御守護の有難さに感謝しつつ毎日御参拝致しました。一週間後には見違える程の元気 にならせて戴き、尊き御守様を拝受致し、唯今では以前の如く元気に通学して居ります。時々軽い御浄化を戴きましても 御浄霊の御蔭にて良くして戴きますので安心致して居ります。 家族も時々御浄化を戴き乍らも御浄霊の御蔭にて良くして戴 きますので安心致して居ります。二七年九月御屏風観音様を 拝受致しました。この上は絶大なる御聖業の御用をさして戴き地上天国建設の御神意を一人でも多くの人に知って戴きます為、微力乍ら捧げる決心で居ります。

明主様誠に有難うございました。今後共御守護の程を念じつつ乱筆乱文をも省みず御守護御礼申し上げます。

御教え『医学との比較』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

本教浄霊の効果が、医学より幾層倍優れているかは、常にいうところであるが、左記の例はそれを如実に物語っている。何しろ専門家の見地からの、浄霊と医療との比較であるから、ハッキリしており、疑う余地は些かもあるまい。この事実を専門家諸君に是非読んで質いたいと思うのである。

 

御蔭話 大分県N.N.(昭和二六年三月二〇日)

助産婦として取扱った流産の例を二、三報告さして頂きます。

一例 三五歳推定妊娠三カ月にて悪寒発熱悪臭の悪露ある所謂、腐敗性流産の妊婦を頭部及び上半身を五、六分仙腸関節より、子宮に向って約二〇分恥骨縫際上より子宮に向って、約二〇分御浄霊致しました処無熱となり、残片様の物、蚕豆大の物二、三回、小豆大又は米粒大の物数回下りた外、悪霊少量ずつ日一日と減じ五日目には全治致しました。

二例 四〇歳推定妊娠二ヵ月の流産、陣痛起り、月経倍量位の出血をなし、二、三日来不眠症状ある人、第一例と同様の御浄霊一回にて出血半減不眠治り、二回にて完全に止り、その後異常なし。

三例 推定三カ月の妊娠、雨降りの坂道に辷り臀部を突き、それょりガタガタの山道を約二里バスに揺られて帰宅、その夜ょり出血、翌日往診しました処、中程度の出血にて、陣痛頻繁、これも第一例同様の御浄霊にて陣痛は止り、出血普通月経程度になっています。「これ位なれば心配はいらないから明日又参ります。便所位は自由に行って宜しいから」と言って帰り、翌日より大体前同様の御浄霊にて日に日に出血量は減じ、六日目に完全に治りました。

以上の三例に就いて見ましても、今までの医療で行けば大分は掻爬手術をしなければなりません。従って大部分は入院し掻爬の為の麻酔剤の注射、その外防腐剤の注射や内服薬等の手当を致しましょう。そうして全治するまでに普通一週間位は充分かかりましょう。或いは何かの都合で手術せねばならないとすれば、止血剤や防腐剤の注射や内服薬を使用し、氷冷、安静等にて自然を待つとしても、少くとも鶏卵大、蚕豆大等の凝血や胎盤及び残片様の異物が相当量の出血と共に下りるのが普通で、然も一週間位では完全に下りて仕舞わぬのが普通であります。第一例は既に腐敗していたから別とし587て、他は凝血や胎盤様の物等全然なく、然も全体として出血量が極めて少〈経過も早いので、今までの医学的常識から考えると不思議な感じがしますが、この御道から考えてみますと、有害な物は液体化して排泄せられ、有用の物は組織内に還元するものであろうと推察致します。今までの医学的知識から見ますと主な物は未だ残っていて後日出血又は腐敗して母体を害する筈であるのに、その後一ヵ年を過ぎても何事もなく元気で働いて居り、又その日より第二の妊娠をして予定通り安産した人もあります。

以上第一回報告