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御教え『病気と他力』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

本教浄霊を受ける場合、初めから疑ぐり抜く人が多い事は、言うまでもないが、只掌を翳した位で、病気が治るなんて、そんな馬鹿な事があって堪るもんかと思うので、一人として初めから治るなどとは思わない。偶々本当に治ったなどと話をすると、それは時期が来たからだ、そんな事で治る位なら、医者も薬も要らないじゃないかというのは、決まり文句である。だから実際体験したものでなくては判りょうがないのであるから、出来るだけ御蔭話を見せる事で、普通人なら一読成程と思う筈である。左記の報告は最もょくそれを裏書している一つの例である。

 

御蔭話 槐安生(E.K.) (昭和二六年七月一七日)

某月某日

「この子を一寸預かって下さい」と隣りの内儀さんが、五藤つになる女の子を置いて行った。又いつもの伝だぜ・ 私は家奇内と顔を見合せて笑った。今まで泣いていたらしく、涙と洩で顔に綿が出来ている。「おなかが痛いの」と訊くと「ウン、浄霊して」と言う。今までにも二、三度浄霊して頭痛や腹痛を治したので、病気というと「お隣りの小母さん浄霊して」と来るのだ、子どもは素直だが、親は体裁と負惜しみから、浄霊の良いのを百も承知してい乍ら、浄霊してくれと言う替りに、この子を一寸預かって下さい、と言って置いてゆく。そして浄霊が終った頃を見計らって、「どうも有難う」と子供を受取りに来るのだ。

余り見え透いたやり方に、腹を立てる事もあるが、子供に罪は無い、と考え直しては神様にお願してお浄めをする。三〇分程経った頃、いつもの様にお世話様と子供を連れに来た。

おなかに虫がいるらしいから、もう一度連れて来て下さい、と言うと、そのせいで愚図愚図泣いていたのね、すぐ虫下しを買って来ましょう、と当て付けがましい言い方をしながら帰って行った。この隣りの夫婦位ひねくれた奴も珍らしい。家内の脚の悪くなった事、神様に治して戴いた事など、見て知っていながら、治る時期が来た、と言って認めようとはしない。そのくせ、子供の病気の時は子供を預かってくれ、と連れてくる。決してお浄めして下さいとは言わない。家へ来ても光明如来様の御軸には目が向けられず、必ず視線をそらす。神様の話にふれると話を外へそらせて仕舞う。出産を間近に控えた時、痔が悪くなって、夜も睡れない痛みに苦しんだ揚句、病院へ行って手術して買ったが、その夜もそれ以上の激痛に油汗を流した事があった。化膿し切らない内に切ったせいであろう。この時は、おまじないをして下さい、と言って来たので浄霊すると、二時間程して膿が沢山出て、その夜は心地よく熟睡出来た、と礼を言った。お守りを戴いて御守護を願ったら、と勧めると「今度ねー」と曖昧な返事で逃げて仕舞う。商売は上手で阿漕な金儲けもしているらしいが、守銭奴で近所中の憎まれ者になっている。往来で子供が転んでも誰も起してくれる者がない。近所の子供は勿論一緒に遊んでくれないので、私の家へばかり遊びに来る。使用人の交通事故や災難で思わぬ処へ金が出てゆく、それで尚更、金が惜しい欲しいの気持が嵩むのだろう。信仰すれば、金が家から逃げない、と教えてやるとその手で隔す気か、と言う。私達が救世教の信者になってから、家の中が明るく、生活も安定して来たのも気に喰わないらしい。この人達には私も全く匙を投げた。一生涯のうち、何時かは神に纏る心持ちになる時もあろう。

神の裁きに間に合うかどうか、ただそれだけが気がかりである。

御教え『専門家よこの事実を何と見るか』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

本教の驚異的治病奇蹟は、『栄光』新聞一枚見ただけでも、一度で分る筈だが、そうもゆかないのは、如何に医学迷信が沁み込んでいるかという事である。左の御蔭話はキリストの奇蹟と何等変りはない程のもので、この記事を見て、第三者は何と思うであろうか聞きたいものである。日本脳炎が治っても一生不具になるという事実は、医学でも盛んに唱えられている事で、誰も知っているところであるが、吾々の方はそんな事は可笑しい位である。このすばらしい本教浄霊の治病効果を知っても、尚遠くから眺めて膿暗逡巡している人は、先ず神経麻痺症と日われても、否とはいえまい。以上のょぅに随分思い切ったかき方で、癪に障る人もあるかも知れないが、吾々の方は理屈や観念ではない。生きた事実の報告であるからどうにもならないのである。

 

御蔭話 静岡県S.T.(昭和二七一二月一七日)

この世に生ける屍となり果てた、吾子Y(六歳)が、偉大な騎明主様の御力に起死回生的の御救いを賜わりました事につき世まして、明主様の御前にひれ伏し、御礼の御言葉を申し述べせて頂きます。

次女Yは昨年八月三〇日、世にも恐ろしい日本脳炎となりました。昨日までは、あれ程元気でおりました吾子の、余りに変り果てた姿に気も狂わん許りでございました。高熱と間断なく痙攣がつづき、連日連夜氷冷に或いはリンゲル、マイシンとうち続けました。果ては医師を替えて、脊髄の水を数回とり、その時の苦しむ様は見るに耐えない惨酷な姿でございました。こうしてあらゆる手を尽くしましたが、結局一命鞘はとりとめたものの、廃人同様処か、漸く生命を支えているに過ぎない有様で勿論頭脳の働きは全然なく、全身不随、クラゲと同様、「Y」「Y」と呼んでも何一つ答えて呉れず、幾度悲しみの涙に咽んだ事でございましょう。せめても頭だけでも良くして頂きたいと切ない願いでございました。

一〇月二一日でございました。ふと或人から「若しか救世教の御浄霊で治して頂けるかもしれないから、一度御願いなされたら」と勧められ、早速近所にお住まいの信者様、0様宅に御伺いし、事の次第をお話いたし「是非御救いして下さい」と篤と御願い致しました。夕方○様がおいで下さいましたが、余りの哀れな姿に、0様も愕然となされた様でございました。早速手をかざし御浄霊を始められました。如何様になるかと、主人はじめ一同じっと見守りました。一〇分二〇分!!!と見る見る間に、汗が顔一面に滲みでて参りました。暑いからと蒲団をはがしてあげると「アツイ」と一言言いました。続いて「ネ、ネンネ、ネーカーチャン」と言い、「ネコ、ネコ、ネコ!!こと言い始めました。鳴呼何たる奇蹟でございましょうか。五〇日振りに聞く吾子の声、止めどなく涙が流れでて参りました。キリストの奇蹟を今目の前に、しかも吾子の上に垂れさせ給いし大神様の御慈悲に、何度も有難うございますと頭を下げる許りでございました。明る日は聡一日中歌を歌い続けました。こうして御浄霊して頂く度に快くして頂き、一週間日頃には智能の働きは殆んど元通りとなり、二週間目頃には寝返りもできる様にならせて頂きました。三週間目頃には言う事が出来る様にならせて頂き、四週間目には大小便が気づく様にならせて頂ました。そして=月二二日はじめて歩く事ができた時の嬉しさは、何と申し上げてょいかわかりません。御浄霊満一カ月、こうして短時日の間に、すっかり快くして頂きました。遊びたわむれる吾子の姿を見るにつけ、誰の目にも元通りになるとは信ぜられず、明日の生命さえ危いと思われていたにもかかわらず、夢の様な御救いを賜わり、唯々感謝の気持で一杯でございます。

明主様洵に有難うございました。早速教修を受けさせて頂き、御救い頂いた御礼に、一人でも多くの方々を御救いさせて頂き、御恩の万分の一に御報い申し上げたいと存じて居ります。

御教え『無信仰者のカンカン兜を脱ぐ』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

浄霊は疑っても治るという事は、本教の特色であるが、左記御蔭話をかいた人は、カンカンの中のカンカン虫のような人であるが、神様からこれでもかこれでもかとやられて、到頭否応なしに往生させられた記録であるから、微笑み乍ら読んだ訳である。これ等は小さな個人的の例であるが、追々時節が進むに従って何千何万の集団でも、造作なく頭を下げさせるのだから、その神力の偉大さは想像もつかないのである。最後は世界中の人が残らず、手を合わせ るようになるのは勿論だから、今からその時を楽しみに待っていればいいのである。

 

御蔭話 岐阜県K.T.(昭和二七年一一月二六日)

「貴方等二人のように、いつもいつもお医者様や薬屋の御奉公ばかりして居らずに光明如来様にお繩りしなさい。私の子宮筋腫も手術もせずお蔭を戴いたのですよ。どんな病気でもお蔭を戴けるからね」

「私はね、どんな有難い光明如来様か神様か知らないがね。そんなことは信じられないよ。義姉さんはね、それは神経だよ。この世に神様なんかあるもんですか。私はね、戦争で外地へ行って身をもって体験したんだよ。それに私はね、人に押付けられる事は気に入らんからね」

「まあ何でもいい、浄霊をしてあげるよ」

「やるなら勝手にしたがいいさ……」

「どう、何か感じて」

「何ともないね。馬鹿らしいこと止めたがよいよ…」

この様な問答とも口喧嘩ともつかぬ言い合いの対手は青葉も繁る五月の頃子宮筋腫の為手術の直前、奇しくも光明如来様に教われその上持病の頭痛も癒されお守様を拝受、歓喜絶頂にある義姉(妻の姉)のMさんでした。

でも私は全然無神論者ではなく朝晩のお勤めはしており、この世に生を享くる者は何か大きなものに頼らねばならぬ。小さな弱い人間の力だけでは何事も出来ないものとして居りましたのに彼の大戦の結果、従来の考えが根底から震えさせられたのでした。この身心ともに受けた私の胸に、どうして義姉の言葉が信じられょう。併し余り熱心に勧める義姉の言葉に、「よし、そんなに浄霊がしたかったら勝手にやるがいいさ」というわけで御浄霊を受けかけたのですが御浄霊の最中でも、やるせない義姉の言葉に対しても、時折に喧嘩腰です。姉の言葉なんかてんで聞こうとしません。

「頭が痛くても腹が痛くても注射一本で治るんだから、私は野戦に居る時病院付もして居りました関係上、一寸した病気位自分で注射一本で家族の者でも治して居るんだから、手をかざして病気が治るなんて馬鹿らしくて」という工合です。

「今まで、注射一本で治るといっても治っていない証拠に、いつもいつも注射をしたり、薬をのんだりしているんじゃない。貴方は知らずに居るけれど、今までのんだ薬や注射薬は薬毒となって貴方等の体の中に残っているんだよ。これはね、浄霊でその毒をとかしてきれいな体にして頂けるんだよ。今にその毒がとげて出るょうになるよ」……併し不思議不思議、浄霊の回を重ねるに従い気分も軽くなり何だか調子もょい様です。薬を使って居た時とは勝手が違う様です。

「こんな馬鹿なことが」と思っても事実の前には何とも仕様がない。いつかしら自分から進んで家内と一緒に御浄霊を頂くのが楽しみになって来るのがどう仕様もないのです。そして色々の救世教の刊行物をむさぼり読む様になったのです。

妻は一年程前から腰痛を訴えて居りましたがその都度医者の注射にて楽になって居りましたが、こんどは義姉の言う通りになってしまったので、会長先生に御浄霊をお願いすると二、三日後から御浄化を頂き以後姉さんの御浄霊を頂きつつもあまりにもわからず屋の私の毒舌は遂に姉を怒らしめ?御浄霊をして呉れないようになって仕舞いました。

その頃内心頗る御浄霊をして頂きたいのだが心と口が一致せず自分乍ら割り切れない気持で自分から頼むことは嫌いだし、止むなくそれとなしに姉の家へ行っても義姉は知らん顔をしている(姉には私の気持はよく解っていたそうですが……)。

遂に、こらえ切れず妻から頼んで買って妻と共に御浄霊を税頂ける様になり、先ず私が入信の栄を得ました。この様にして八月三一日夜から妻は腹痛激しく、翌日二二日会長先生に御浄霊を頂きました処二三日午前三時頃大浄化を頂き、驚いて義姉及び信者Hさん御夫婦、Yさん等に夜中ながら、御浄霊をお願いすると同時に産婆さんに来て貰いましたが、(申し後れて居りましたが妻は子宮外妊娠だったのです)

「これは医者にかからねば駄目だ」と産婆さんは言うのです。義姉さんは、

「医者にかかるか、光明如来様にお縦りするのかどちらだ、腹をきめなさい……」

「光明如来様にお纏り申します。早く楽にして下さい」、と心の奥からお願い申し上げ、早速義姉から失礼も顧みず電話で会長先生にお願い申しました処、幸いにもA先生が代理としてお越し下され、御親切な御浄霊を頂き楽にさせて頂きました。この嬉しさは口にも筆にも表わせない極致でした。

A先生の御指示にょり、昨年流産した子供の位牌を作り再度御出張して戴いたA先生にお祚りをして戴きました処、胎盤様の物が出まして又々楽にして戴いたのですが夜中から又激痛を訴えまして、急に下半身が冷くなり目もぼんやりとしてこれが最後かと驚き且うろたえましたが

山よりも高く海ょりも深かりぬ救ひの神の深き恵は

御讃歌そのまま、この世の者でないと思われた妻も、重なる偉大なる御神力の下、四日目に胎盤も出て以後順調な御浄化を戴きまして、やっと夫婦共に心から感謝の生活に入ることが出来まして、妻もお守様を拝受致すことになりました。

私共の如き神様に対して我乍ら空恐ろしき言動をなせる罪深き者にまでも深きお恵を垂れさせまする大慈大悲の明主様、光明如来様有難うございました。無明より醒めた私達夫婦

讃へても称へ尽せぬ大御幸筆も言葉も表はす由なき

力なき身にしあれども道の為尽させ給へ伊都能売神

この上は御教示にある如く、地上天国建設の為、微力乍ら専心御奉仕させて頂くことをお誓い申し上げます。

御教え『浄霊と医学との比較』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

これに就いてはいつも言っている事で、今更かく必要はないが、左の御蔭話は余りにそれがハッキリしているので、この文をかかざるを得ないのである。ところが薮で考えなければならない事は、医学より浄霊の方が勝っているという事ょりも、医療が如何に恐ろしいものであるかを言いたいのである。ではこの様な飛んでもない医療を、誰も気付

かないどころか、反って信頼して命まで任せるというのであるから、不思議と思うより外はない。ではこの理由をかいてみよう。

それは浄霊という本当に病気の治る方法が発見された為、真実が分ったのであるが、若しそうでないとしたら、医療で悪化したとは思えず、遂にこれ程医師が一生懸命にやっても悪化するのは、病気が悪性だからと患者は思うし、医師もそう説明するのであろうから、何と恐ろしい世の中ではないかと思う。

 

御蔭話 静岡県S.F.(昭和二七年一〇月一六日)

明主様数知れぬ御守護有難うございます。この度私が御浄霊させて頂いたH(39)さんの御浄化と御守護の一端を御報告申し上げさして頂きます。

六月一○日頃でしたか、Hさんが休んでいると聞きました。日頃から丈夫そうに見えても時々頭が痛いとよく休まれ、その度毎にペニシリンをうっていた様です。それでお救いして上げたいと思って早速伺いました。

「Hさん、どんな?」と声をかけますと薄眼を開けて「同じ様で困ったよ」との事、長く眼を開けていると座敷がグルグル廻る様に見えるそうです。氷袋を取って額に手を当ててみますと永の様に冷たいのに、氷が利かなくて困るとこぼし藤蒲団は三枚もかけて寒い寒いと言って居りましたo その日は瓣御浄霊を致しても何の感じも持たな様でしたが・「氷を取艇る様にしないともっと眼が廻る様になり・ 起きられませんか撚ら」とお話しましたo「医者は最初肺炎といだそうだが今は胸だそうだ。こんなに衰弱したし、どうせ長い事はないよ」と元気な時には無鉄砲な人もうって変った言葉です。

「Hさんの病気は胸より頭が良くなれぱそれでいいのですよ。いつもの様に大きな気持で早く良くなる様お願いしましょう。私も出来る丈都合して毎日来ます」とお話して帰る途中、その人の奥さんに逢いました。「病人は私が家に居りますと、畑の仕事も間に会わないのに家に居ると言っては怒り、畑に出れば、見て呉れるのが嫌で山に行くと言っては困らせられるので帰るのが嫌だけれど、一人捨て置く事も出来ないし」と涙ぐんで話され、本当にお気の毒の有様でした。私も毎日山から帰ると飛ぶ様にして行きますが、農業は忙しい時で日暮でないと行かれません。一週間も経った頃にはあんなに焦がれて居た氷袋も高い所に吊し上げ、体も温かく顔の悪い色艶もどこやら元気に見えました。

今度は私が行くのを楽しみに待つ様になりました。医者はそれまでは「こんな病気はそう早くは良くならない」と言って居りましたが、大変元気になったのを見て驚いていたそうです。

雨の日に「今日は医者も来て「もうレントゲンを撮る必要もない」と言うので、この分では何でも出来る様な気がする。大好きな餅を一〇箇も食べた」と腕を撫ぜながら大喜びでした。急に無理をしない様にお話し、お別れして途すがら「明王様有難うございました」と何遍も口をついて出てはいい知れぬうれしさがこみ上げて参りました。

その翌日は遠山に行き、今日は遅いし休ませて頂こうと思いましたが、何となく気になりますので近所の人に聞きに行きますと、「午前中はとっても元気で大話をして居たが、昼過ぎ医者が廻って来、少し経つと気分が悪く頭が痛いと唸っている様でした」との事です。「注射をうった様ですか」と聞きますと「注射をして二時間程経って気分が悪くなったと言っていたよ」と聞いた時「そんな事をしたから悪くなったのさ」と思わず口に出てしまいました。昨日はあんなに大喜びで居たのに、それにしてもレントゲンを撮る必要もない、もう大丈夫と太鼓判を捺し乍らどうして注射をうったのか余りの事に掻きむしられる様な気持でした。そうだ。今夜は尊き神の御守護と医者とどちらが有難いか知らせて頂くのがよい、とそんな考えを起しましたが、やっぱり心の中では、「明主様どうかお赦し下さい」とお詫び申し上げて居りました。でも出掛ける気持にはなりません。夜の御挨拶をさせて頂きましても病人の顔ばかり映ります。夕食の膳に向いましても箸をとるのも重く、話もしたくありません。

ああ――この気持、私共では私一人入信して居るばかりで色々の都合でまだ御神体は御奉斎致して居りませんので、御神体代りに朝夕お参りさせて頂いて居ります「日光」の御文字の前で、乱れる心を独り鎮めて居りました。今夜は寝てから起されるかも知れない、と何時かうとうとした頃「今晩は今晩は」と戸を叩く音に眼を覚ますと、まぎれもないその家の奥さんの声でした。「済まないけれど起きて呉れょ、こんなに遅く本当に気の毒だけれどお願いしたい。頭が痛いと大騒ぎで、貴女の所に迎えに行ってくれなければ自分で行くと自転車に乗って出掛けたが転んでしまい、せつなさの余り当り散らして居る」との事です。早速お願い申し上げ来てみれば昨日に変る今日の姿、眼は血走って吊上り、寒い寒いとガタガタ震え、「湯タンポを入れて呉れ」と大騒ぎで手の付け様もございません。善言讃詞を奏げ、頭を御浄霊致しましたが、段々と御浄化は強くなって参ります。とりとめもない事を喋り続けたかと思うと正気に返ったり、そんな事を繰り返し、その内跳ね起きては「頭が空中分解してしまう。体は空に浮んでしまった。早くヨキを持って頭を割ってくれ」と叫びます。「三年前に亡くなった父親が今迎えに来てそこに居る」と指さしして「もう駄目だ」と言いますので、思わず瞳を見合しました。その時ふと『地上天国』の御本をお倍しした事に気がつき、早速表紙の御観音様を床の前にお立てして御守護をお願い申し上げました。仏様にもお参り致し祝詞を奏げさせて頂きますと、明主様のお姿がニコニコお笑い下さいます様に眼前に写ります。「明主様お助け下さい」とお纏り致しますと尚も「面白い」という御様子に見えます。

病人のそばに参りますと、「姉さん今度は身内にも及ばぬお世話になって申訳ない。だけど俺はもう眼がかすんで見えなくなって来た」と申し、そのまま段々呻きながらも眠って行きました。

やがて何時しか東の空も白んで参り、間もなく四時がうちました。奥さんは様子を気づかって私に色々相談致します。終に「医者を呼びに行ってもいいでしょうか」と言うので、私ならばお纏りし得ても致し方なく、「構いませんよ」と言って五時もうち近所の人も見舞に集まって来ますので帰って参りました。

朝のお参りをさせて頂き「このまま続けさせて頂いても宜しいものでしょうか、それとも止めたが良いものでしょうか、どうぞ御教え頂きとうございます」と御願い申し上げますと、又も明主様の御姿が「やって上げなさい」とお手を動かされる様に浮んで参ります。私は只有難くひれ伏して御礼申し上げ、直ぐにも行きたく思いましたが尊き御道の御使を、先方が分らないのにこちらが強いる様な態度があってはと考え昼過ぎ伺いますと、尚昏々と眠って居ります。奥さんは「今朝六時頃医者を迎えに行きましたが、今日は検死で行かれないからとの事、貴女には誠に申訳ないけれどどうかお願いしたい」と申されます。聞いた私は御守護の程に驚きました。

お蔭でそんな御浄化も三日程で、ひどい下痢や汗が沢山出て大変元気になり、そのまま医者は不思議にも来なくなってしまいました。今では軽い御浄化を時々頂きながら何処へでも行ける様になりました。

幸にも医者が来なかった為にお救い頂けた尊き御守護、そして現代医学との違いをはっきりと知らせて頂きました。

それまで分らなかった私の主人も今度はHさんと一緒にお光を頂く様になり、重ねての御守護を厚く御礼申し上げます。明主様誠に有難うございました。

御教え『医学迷信』

「世界救世教奇蹟集」昭和28(1953)年9月10日発行

現代医学が、如何に素晴しい迷信であるかは、吾々にして初めて言い得ると共に、一日も放っておけない重大問題である事を叫びたいのである。ところがこれに輪をかける事実は、唯物医学と吾々の宗教医学とは、テンデ比べものにならない程の異いさで、月とスッポンどころではないにも拘らず、医学の方を真実のものと思い、吾々の方を迷信と見るのだから恐らく斯んな不可解な話はあるまい。全く哀れなる者よ、汝の名は現代文化人と言わざるを得ないのである。左記の例はそれをよく物語っているから、この文を添えたのである。

 

御蔭話 布衣生(E.K.) (昭和二六年一〇月五日)

某月某日

Y文房具店の細君が、肥満した身体を恥ずかしそうにくねらせて、今晩は、と入ってきた、その物腰がいつもと違うので、浄霊に来たな、と唱嵯に思った。

あの……お隣りの子供さんが、もう、すっかり治ったので、その御礼かたがた私もお願いしたいと思って伺いました。お隣りさんが、気持だけで済みませんがと、これを言付けました、と言い、バンの入った袋を差出しだ。そして、一日で痛みが除れ、二日目で腫れが引き元気で学校へ行けるょうになったので、大変喜んでいました。昨日もお医者へ行ったら、もう治ったから来なくてもいい、と言われたそうです。と、昨日、今日と二日来ない中耳炎の女の子の事を話した。その子は小学校の二年生、プールで右耳に水が入って中耳炎になり、一カ月あまり医者に通い、五〇〇円のペニシリン一〇本注射し、処置料一回六〇円ずつかけたが一向に良くならない。この上は手術して骨を削ってみる。それで治るか治らないか、請け合えない。と医者に言われた。女の子で顔に傷が出来ると、嫁にゆく年頃になってから困る。と心配していたが、文房具屋さんから教えて貰ったのでお伺いした。そしてお医者さんが、耳から膿が出れば治るのだがと言い、その上、この子は栄養が足りないと言いました。と付け加え、一○日程まぇにその母親が連れて来たのだった。膿が出れば治る、というのは正しいが、膿の出ないようにする、ペニシリンの注射をうったのは明らかに矛盾している。現代医学の間違いをまざまざと見せられた思いであった。

注射されているので少し永くかかるかも知れない、と思ったので、毎日学校の帰りに寄越しなさい、と言って浄霊した。患部は勿論、後頭部から延髄にかけて酷い固結があり胃も浄化している。学校の授業時間や、宿題が辛い事もこれで解る。栄養不良の原因もここにあるのだ、耳だけでなく、身体全体が良くなりますよ、と説明すると、母親は喜んで、御面倒でも宜敷く御願いします、と言って浄霊する様子を何か頼りないょぅな面持ちで見ていた。結果は三度のお浄めで中耳炎は全治したのだ。それにしても、浄霊しながら医者へも行っていた、と聞かされて唖然とした。母親に薬毒の説明はしたし、耳に入れてあるガーゼを見て、すぐ取って仕舞いなさい、と言ったが、相手がその侭にしているので無理に私の手で取る訳にはゆかない。このガーゼが、毎日、医者で詰め替えていたのに気が付かなかったのは、こっちのミステークだった。急に良くなったので、お医者さんも変だなあ……と言ったそうです。そしてお隣りさんではあの翌日、毎日医者に払っていたお金がいらなくなったから、デパートへ買物に行くと言っていました、と文房具屋の細君はいらぬ事まで喋った。そして神様へのお礼がアンパン一〇個ですか、と私も笑った。それにしても、あの子が良くなってもう来ない、と思うと一寸淋しくなりますね、と家内が言う。一人で来るのが恥ずかしいのか、いつも友達を一緒に連れて来て、玄関の戸を開けるとき、声を揃えて御免下さいと言い、背負鞄と草履袋を置いて私の前ヘチヨコンと坐る。帰りには又声を揃えて左様なら、と挨拶してゆく可愛いい姿が目に浮んだ。

文房具屋の細君は一九貫がピンと撥ねる小便肥り、足腰が重たく息切れがし、月経も滞りがちで頭痛がする。近頃では生きているのが厭になった、と常々言っている人だ。二年前からお道の話をして来たが、そんな莫迦な方法で病気が治るとは思えない、とてんで頭から受けつけない。それでも、近頃の加速度的な肥り方に困って私の事を思い出し、隣りの人を紹介して寄こしたのだった。ところが医者とは段違いに、てんで問題にならない偉効を見て、やっと、自分も浄霊を受575けてみる気持ちになったのだ。今晩は、と入って来た時、愈々とうとう来たな、という複雑な感じがしたのはそういう訳である。

浄霊のことは、話だけでは勿論信じられないであろうが、お蔭話も作り事『栄光』の御蔭話の文体がやや同じようであるせいか)と思う、こういう人たちに浄霊を受けさせるまでが大仕事だ。一度、試みて、初めてここに神様のお力を知るようになるのが、都会人の通弊である。中耳炎の子の母親のように、医者へなら無理苦面しても治療費を払い、無痛で治して下さる神様へは、一銭でも御礼するのが惜しい気持になるのも、今の世の中の人達の共通した考え方である。愈々間近に迫ったという人類の最後の審判の時、我々の救いの業に嘲笑を浴せ、悪口を言った人達も、この文房具屋の細君のように頭を下げて、きまり悪げな様子をして救いを求めに来るのか、と思うと愉快でもあり、憂鬱でもある。