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『狐霊と老婆』

自観叢書第3編、昭和24(1949)年8月25日発行

私が実験した多くの中での傑作を一つ書いてみよう。これは五十余歳の老婆で、狐霊が二、三十匹憑依しており、狐霊は常に種々の方法をもって老婆を苦しめる。それで私の家へ逗留させて霊的治療を施したのである。その間五六ケ月位であったが、この老婆は狐の喋舌(しゃべ)る事が判ると共にまた狐の喋舌るそのままが老婆の口から出るのである。ある日老婆いわく、「先生、狐の奴が“今日はこの婆を殺すからそう思え、今心臓を止めてしまう”というと、私の心臓の下へ入り掻き廻しているので、痛くて息が止まりそうで直に死ぬから、その前に家族に遇いたいから呼んで貰いたい。」と苦しみながら言うので、私も驚いて、急ぎ電話で招び寄せた。老婆の夫君初め五六人の家族が、老婆を取り巻いて、死の直前のごとき愁歎場が現出した。しかるに時間の経つに従い、漸次苦痛は薄らぎ、二三時間後には全く平常通りとなったので、家族も安心して引揚げたという訳でマンマと一杯食わされたのである。その後二三回同様の事があったが、私も懲りて騙されなかった。

ある日の夕方老婆いわく「先生、今朝狐の奴が“今日はこの婆の小便を止めてしまう”といった所、それきり小便が出ない。」というので、私は膀胱の辺りへ霊の放射をした所、間もなく尿が出、平常のごとくになった。またある日老婆いわく、「この頃食事中狐が“モウ飯を食わせない”というと胸の辺りでつかえて、どうしても食物が人らない。」というので私は、「それじゃ私と一緒に喰べなさい。」といって一緒に膳に向かい、共に食事をした所、果して「今狐が食わせないといいます、アヽもう飯が通りません。」という。早速私は飯に霊を入れ、また老婆の食道のあたりへ霊射をすると、すぐに喰べられるようになったがその後はそういう事は無かった。また私が治療を行う時、首の付根、腋の下等を指頭をもって探ると、豆粒大の塊が幾つもあるので、それを一々指頭をあて霊射すると、その一つ一つが狐霊で、その度毎に狐霊は悲鳴を上げ、老婆の口をかりていわく「アッいけねえ、見つかっちゃった。アア苦しい、痛い、助けてくれ 今出る今出る。」というような具合で、一つ一つ出てゆく。その数およそ二三十位はあったであろう。

ある朝早く、私の寝ている部屋の方へ向かって廊下伝いに血相変えて老婆が来るので、家人は私を起こし、注意を与えてくれた。私は飛起きてみると、今しも老婆は異様な眼付をし片手を後へ廻し何か持っているらしく、私にジリジリ迫って来る、私は飛付いて隠している手を握ると煙管を持っているので、「何をするか。」と言うと「先生を殴りに来たんだ。」――という。私は抱えるようにして老婆の部屋へ連れ行き、そこへ坐らせ、前頭部に向かって霊射する。と、前頭部には多くの狐霊がいたとみえ、狐霊等声を揃えて“サァー大変だ大変だみんな逃げろ逃げろ、アア堪らねえ、痛てえ、苦しい”というので、私は可笑しさを堪え、数十分治療すると、平常のごとくなったのである。またある日老婆は私に向かって「先生姜(わたし)には頭がありますか?」と質(き)く、私は頭へ触りながら「この通りチャントあるじゃないか。」というと、老婆は「実は狐の奴が“今日は婆の頭を溶かしてしまう”というので、妾は心配でならないのです。」という。この事以来常に手鏡を持って、映る自分の頭をみつめている。訊ねると、「狐に溶されるのが心配で、鏡が放せない。」という。

「そんな馬鹿な事はない。」と私は何回言っても信じないので困ったのであった。以上のごとき種々の症状はあっても、他は別に変っていない。もちろん精神病者でもない。従って、「貴女は正気の気狂だ。」と私はよく言ってやった。しからばこの原因は何であるかというと、この老婆は前世において女郎屋の主婦のごときもので、多くの若い女を使って稼がしたが、それら若い女の職業が客を騙す狐のごとき事をさせたため、霊界に往って畜生道に墜ち狐霊となったもので、その原因が老婆にあるから怨んだ揚句、老婆に憑依し悩ましつつ復讐を行っている訳である。この意味によって現世における職業、たとえば遊女は狐、芸妓は猫、というように、相応の運命に墜ちるのである。従って人間はどうしても人間としてはずかしからぬ行為をなすべきである。

 

『化人形』

自観叢書第3編、昭和24(1949)年8月25日発行

以前私が扱った化人形という面白い話がある。ある時私の友人が来ての話に、「化ける人形があって困っているから解決して貰いたい。」と言うのである。私も好奇心に駈られともかく行く事にした。その当時私は東京に住み霊的研究熱に燃えていた時なので、早速友人と同行して赴いた。所は深川の某所で、その家の二階の一室に通された。見ると正面に等身大の阿亀(おかめ)の人形が立っている。実に見事な作で余程の名人が作ったものらしい。年代は徳川中期らしく十二単衣を着、片手に中啓(ちゅうけい)を翳した舞姿である。家人の話では、

「連日夜中の、世間が寝静った頃になると、中啓の骨の間からニタニタと笑う顔が透けて見えるかと思うと歩き初め、その家の主人の寝所に来、腹の上に馬乗りになって首を締めるのである。そのような訳で転々と持主が代る。」――というような話を聞き私の興味は頂点に達した。早速阿亀の前に端座瞑目して祝詞を奏上し神助を乞い、人形に憑依せる霊が自分に憑依するよう祈願した。すると忽ち私に憑依したらしく、急に私は悲哀感に襲われ落涙しそうである。直ちにその家を辞し家に帰り、翌朝例のM夫人を招いた。直ちに昨夜より私に憑依せる人形の霊に

「前にいる婦人に憑り、化ける理由や目的を語れ」といったので、早速霊は霊媒に憑依したその語るところは左のごときものである。

「自分は約四十年前、京都の某女郎屋の女郎であったが、その家の主人と恋仲となり、それが妻女に知れたため、大いに立腹した妻女は自分を虐(いじ)め始めた。それだけならいいが、ついには当の主人までが自分に対し迫害をするようになったので、口惜しさの余り投身自殺したのである。人形は客から貰ったもので、非常に愛玩していたので、一旦地獄で修行していたが我慢しきれず、怨みを晴らそうとして地獄から抜け出し以前の女郎屋へ行ってみると、主人夫婦はすでに死亡していたので、その怨恨を晴らす由もなく、その代わりとして縁もゆかりもない人形の持主になる主人を苦しめ怨みを晴らそうとした。」――というのである。これは現界人が聞くと不思議に思うが、常識からいえば怨みを晴らすべき相手がいなければそれで諦めるべきで、他人に怨みを持って行くという事は理屈に合わない話だが、このように霊の性格は現界人とちがう事を、私はしばしば経験したのである。というのは霊が一旦何らかに執着心を起すと、それを思い反す事がなく、一本調子に進む癖がある。話は続く、

「自分の本名は荒井サクといい、生前京都の妻恋稲荷の熱心な信者であったが、自分は怨みを晴すについて狐の助力を懇請(こんせい)したところ、その稲荷の弟狐とその情婦である女狐との二狐霊が協力する事を誓い、援助する事になったので、人形の化けたのは右の狐霊の仕業である事が判った。

いつも荒井サクの霊が憑る前、M夫人の眼には見えるのである。夫人が、

“今サクさんが来ましたよ”というので

「どんな姿か?」ときくと

“鼈甲(べっこう)の簪(かんざし)を沢山頭に挿し、うちかけを着て隣へ座りました。”という。またこういう事もあった。私は霊友に右の話をしたところ「自分も一度霊査してみたい」と云うので、十人位の人を集め心霊研究会のような会をした。その時右の友人がM夫人に対し霊査法を行ないながら、侮辱するような事を言ったので狐霊は立腹し、いわく、「へン馬鹿にしなさんな、これでも妾(わたし)は元京都の祇園で、何々屋の何子といった売れっ子の姐さんでしたからね、その時の妾の粋な姿をお目にかけよう」と言いながらいきなり立って棲(つま)をとり、娜(しな)を作りながら座敷中あちらこちらと歩くのである。私は「モウよい、解ったから座りなさい」と言って座らせ、覚醒さした。M夫人に質(き)けば「何にも知らなかった」と言う。覚醒するや私に対(むか)って「今ここに狐が二匹おりますが、先生に見えますか」というので、私は「見えないが、どんな狐か?」と訊くと、「一方は黄色で一方は白で本当の狐位の大きさで、ここに座っている」というかと思うと「アレ狐は今人形の中へ入りました」というので「人形のどこか」と訊くと、「腹の中央にキチンと座って、こっちを見て笑っている」と言うのである。私は実に霊の作用なるものは不思議極まるものと、つくづく思った。

それなら私は、狐霊とサクの霊とを分離し狐霊は古巣へ帰らせ、サクを極楽へ救うべく努力しついに成功したのであるが、その期間中の参考になる点をかいてみよう。ある時M夫人を前にして私は小声で、「サクさん御憑りを願います。」というとM夫人は合掌した手がピリリッと慄えたが、これは霊の憑依した印である。種々の問答の後覚醒するやM夫人いわく、「サクさんが今日来た時は襠裳(うちかけ)を着、鼈甲の簪を沢山髪に飾り、花魁姿でよく見えた。」というのである。またこういう事があった。私がサクと問答していると言葉が野卑になり態度もちがうので、

「誰か」と訊くと“自分は狐だ”という。私は「お前は用がないから引込んで、サクさんと入れ替れ。」というと、今度はサクの霊になるという具合で、人間と狐と交互に憑依するのである。そうこうするうち狐は“京都へ帰る”と言い出し狐の要求をを快く満たしてやったので、ついに満足して帰った。サクの霊は私の家の仏壇に祀り、今でもそのまま祀ってある。かくして化人形問題は解決したのである。

次に前項広吉の霊が憑いて病気になった娘は一旦は快くなったが、一年位経てついに死亡したのであった。死後一ヶ月位経った時不思議な事が起こった。それは右の娘の兄に当る者で非常に大酒呑みがあったが、ある一日部屋に座していると、数尺先に朦朧として紫の煙のごときものが徐々として下降するのが見えた。するとその紫煙上に人間のごときものが立っている。よく見ると死んだ妹が十二単衣のごときものを着し、美々しき装いをなし、その崇高き風貌は絵に書いた天人のごとくである。と思うかとみれば娘は口を開き、「私は兄さんに酒を廃めて貰いたい事をお願いに来た。」というのである。語り終わるや徐々として上昇し消えたという事である。そのような事がその後一回あり、次いで三回目の時であった。その時は例のごとく紫雲が下降し、その上に朱塗りの楷〔階〕(きざはし)が見え、その橋を静かに渡って来た妹は、「今日は最後に禁酒を奨めるために来たので、神様の御許しは今回限りである。」といい、それ限りそういう事はなかった。

この兄は、平常から信仰心などは更になく、もちろん霊的知識などは皆無という人物であったから、潜在意識などありようはずはないから、確実性があり、霊的資料として大いに価値があると思うのである。

因みに右の娘は全く天国に救われたのはもちろんで、私は信仰生活に入って間もない頃であったから、年若き肺病の娘などを短時日に天国へ救う事が出来たという事実に対し、神の恩恵の厚きに感謝したのである。

『広吉の霊』

自観叢書第3編、昭和24(1949)年8月25日発行

私は霊的研究と治病の実験を併(あわ)せ行なおうとした最初の頃である。それは十九歳になる肺患三期の娘を治療した。二回の治療でいささか効果が見え第三回目の時であった。私が治療にかかると、側に見ていた娘の母親であるM夫人(五十歳位)が突然起上って、中腰になり、その形相物凄く、今特に私に掴みかからん気勢を示し「貴様は……貴様はよくも俺が殺そうとした娘をもう一息という所へ横合から出て助けやがったな。俺は腹が立って堪らねえから貴様をヒドイ目に合わしてやる」というのである。もちろん男の声色で私は吃驚(びっくり)した。私は「一体あなたは誰です。まあまあ落着いて下さい」と宥(なだ)めたところ、彼は不精不精に座りいわく、

彼「俺は広吉という者だ」

私「いったいあなたはこの肉体とどういう関係があるのです?」

彼「俺はこの家の四代前の先祖の弟で広吉というものだ」

私「では、あなたは何がためにこの娘に憑いて取殺そうとしたのですか?」

彼「俺は家出をして死んだ無縁のものだが誰もかまってくれない。だから祀って貰いたいと今までこの家の奴等に気を付かせようと病気にしたり種々の事をするが一人も気の付く奴がない。癪(しゃく)に触って堪らないからこの娘を殺すのだ。そうしたら気がつくだろう」

私「しかしあなたは地獄から出て来たのでしょう」

彼「そうだ俺は永く地獄にいたが、もう地獄は嫌になったから、祀ってもらいたいのだ」

私「しかし、あなたはこの娘を取殺したら、今までよりもモッと酷い地獄へ落ちるが承知ですか?」

と言ったところ、彼はやや驚いて、

彼「それは本当か?」

私「本当どころか、私は神様の仕事をしているものだ、嘘は決していえない。またあなたを必ず祀って上げる」

と種々説得したところ、彼も漸(ようや)く納得し共に協力して娘の病気を治す事になった。彼の挙動及び言語は、江戸ッ子的で気持の好い男であった。幕末頃の市井(しせい)の一町人であろう。そうしてM夫人は神憑り中無我で、いささかの自己意識もない。実に理想的霊媒であった。その後娘の病気は順調に治癒に向かいつつあったが、ある日突然M夫人が訪ねて来た。

「私は二、三日前から何か霊が憑ったような気がしますから、一度調べてもらいたい。」というので、早速私は霊査法を行った。まず夫人が端座瞑目するや、私はまず祝詞を奏上した。夫人は無我の状態に陥ったので質(たず)ねた。

私「あなたはどなたです。」

M「こなたは神じゃ。」

私「何神様ですか。」

M「こなたは魔を払う神じゃが名前は言えない」

私は思った。(かねて神にも真物と贋物があるから気を付けなくてはいけないという事を聞いていたから、あるいは贋神かも知れない。騙されてはならない。)――と警戒しつつ質ねた。

私「あなたは何のためにお出になりましたか?」

M「そなたが治している娘は、今魔が狙っているから、その魔を払う事を教えてやる。」

私「それはどうすればよいのですか?」

M「朝夕、艮(うしとら)の方角へ向かって塩を撤き、祝詞を奏上すればよい」

私は他の事をきいたが、それには触れず、「それだけ知らせればよい」と言ってお帰りになった。M夫人は覚醒し、驚いた風で私に聞くのである。

M「先生御覧になりましたか」私は、「何をですか、別に何にも見えませんでした」と言うと、夫人、「初め先生が祝詞をお奏げになると後の方からゴーッと物凄い音がしたかと思うと、いきなり私の脇へお座りになった方がある。見ると非常に大きく座っておられて頭が鴨居まで届き、お顔ははっきりしませんでしたが、黒髪を後へ垂らし、鉢巻をなされており御召物は木の葉を細く編んだもので、それが五色の色にキラキラ光りとても美しく見えたのです。間もなく私に御憑りになったかと思うと、何にも分らなくなりました」との事で私はこれは本当の神様に違いないと思い、その後査べた所、国常立尊という神様である事が判った。

その事があってから二、三日後、M夫人はまた訪ねて来た。「また何が憑りそうな気がしますから、御査べ願いたい。」と言うので早速霊査に取かかると今度は前とは全然異(ちが)う。私は、「何者か」と訊くと、「小田原道了権現の眷族である」と言うので、「何のために憑ったのか?」と訊くと、“お詫びをしたい”と言うのである。「それは、どういう訳か?」「実はこの婦人は道了権現の信者であるが、今度娘が荒神様の御力で助けられたので腹が立ち、邪魔してやろうと思った。所がそれを見顕(あら)わされて申訳がない。」と言うのである。そう言い終るや夫人は横様に倒れた。瞑目のまま、呼吸せわしく唸っておったが、五分位で眼を瞠(ひら)き、「アア驚いた。最初黒い物が、私の身体に入ったかと思うと、また誰かが来て最初の黒い物を鞭のような物で打擲(ちょうちゃく)すると、黒い物は逃げて行った。」というので、私は――「二、三日前の神様の警告された魔というのはこれだな。」とおもった。それから娘の病気は日一日と快くなり、遂に全快したのである。そこで私も広吉の霊を祀ってやった。これより先ある時広吉の霊が夫人に憑っていわく、「自分はお蔭様で近頃は地獄の上の方にいるようになり大きに楽になった」と言って厚く礼をのべ、次いで「お願がある。」といい「それは毎朝私の家の台所の流しの隅へ御飯を三粒、お猪口(ちょこ)にでも入れていただきたい。」というのでその理由を訊くと、彼は、「霊界では一日飯粒三つで充分である。また自分は台所より先へは未だ行けない地位にある。」と言う。

その後暫くして彼は、「梯子(はしご)の下まで行けるようになった」と言った。それはその頃、私の家では二階に神様を祀ってあったからで、その後「神様の次の部屋まで来られるようになった。」と言うので私は、「モウよかろう。」と祀ってやった。それから二、三日経って、私が事務所で仕事をしていると私に憑依したものがある。しかも嬉しくて涙が溢れるような感じなのだ。直ちに人気のない部屋に行き、憑依霊に訊いたところ、広吉の霊であった。彼いわく、

「私は今日御礼に参りました。私がどんなに嬉しいかという事はよくお解りでしょう。」といいまた「別にお願いがある。」と言うのである。

「何か?」と訊くと、

「それは、今度祀って戴いてから実に結構で、いつまでもこのままの境遇でありたいのです。娑婆はモウ凝りごりです。娑婆では稼がなければ食う事が出来ず、苦しみばかり多くて実に嫌です。再び娑婆へ生まれないようどうか神様へお願いして戴きたい。」と言い終って厚く礼を述べ帰った。これらによって察すると死ぬ事は満更悪い事ではなく、霊界往きもまた可なりと言うべきである。そうして霊界においては礼儀が正しく助けた霊は必ず礼に来る。その手段として、人の手を通じて物質で礼をする事もある。よく思いがけない所から欲しいものが来たり貰ったりする事があるがそういう意味である。M夫人は理想的霊媒ですくなからぬ収穫を私に与えたが、こういう事もあった。ある時嬰児の霊が憑った。全く嬰児そのままの泣声を出し、その動作もそうである。私は種々質(たず)ねたが、嬰児の事とて語る事が出来ない。やむを得ず「文字で書け。」と言ったところ、拇指で畳へ平仮名で書いた。それによってみると「生まれるや間もなく簀巻(すまき)にされて川へ放り込まれ溺死し、今日まで無縁になっていたので祭ってくれ。」というので、私が諾(うべな)うと欣(よろこ)んで去った。右の文字は霊界の誰かが、嬰児の手をとって書かしたものであろう。またある時憑依霊へ対し何遍聞いても更に口を切らない。種々の方法をもって漸く知り得たが、それは松の木の霊で、その前日その家の主人が某省官吏でそこの庭にあった松の木の枝を切って持かえり、神様へ供えたのであったが、その松に憑依していた霊で、彼の要求は「人の踏まない地面を掘り、埋めて祝詞を奏げてもらいたい。」というので、その通りにしてやった。

 

『天国と地獄』

自観叢書第3編、昭和24(1949)年8月25日発行

天国はさきに述べたごとく上位の三段階になっており、第一天国、第二天国、第三天国がそれである。第一天国は最高の神々が在(おわ)しまし、世界経綸のため絶えず経綸され給うのである。第二天国は第一天国における神々の補佐として、それぞれの役目を分担され給い、第三天国に至っては多数の神々が与えられたる任務を遂行すべく活動を続けつつあるが、もちろん全世界あらゆる方面にわたっての活動であるからその行動は千差万別である。第三天国の神々は中有界から向上し神格を得たのであるから人間に最も近似しており、エンゼル(天使)ともいわるるのである。

右は神界構成の概略であって、神界は今日まで約三千年間、仏教の存在する期間ははなはだ微々たる存在であった。何となれば神々はほとんど仏と化現され、そうでないのはほとんど龍神となって時を侍っておられたのである。また神々は仏界を背景として救いの業に励(いそ)しみ給うたのでその期間が夜の時代であって昼の時代に転換すると同時に神界は復活するという訳である。

次に、極楽浄土は仏語であって仏界の中に形成されているが、極楽における最高は神界における第二天国に相応し、仏説による都〔兜〕率天がそれである。そこに紫微宮(しびきゅう)があり、七堂伽藍(しちどうがらん)があり、多宝塔が整え立ち、百花爛漫として咲き乱れ、馥郁(ふくいく)たる香気漂い、迦陵頻伽(かりょうびんが)は空に舞い、その中に大きな池があって二六時中蓮の葉がうかんでおり、緑毛の亀は遊嬉(ゆうき)し、その大きさは人間が二人乗れる位で、それに乗った霊の意欲のまま、自動的にどこへでも行けるのであって、何ともいえぬたのしさだという事である。また大伽藍があってその中に多数の仏教信者がおり、もちろん皆剃髪で常に詩歌管絃、舞踊、絵画、彫刻、書道、碁、将棋、等現界におけると同様の娯楽に耽っており、時折説教があってこれが何よりのたのしみという事である。その説教者は各宗の開祖、例えば法然、親鸞、蓮如、伝教、空海、道元、達磨、日蓮等である。そうして右高僧等は時々紫微宮に上り、釈尊に面会され深遠なる教法を受け種々の指示を与えらるるのである。紫微宮のある所は光明眩(まばゆ)く、極楽浄土に救われた霊といえども仰ぎ見るに堪えないそうである。

極楽の下に浄土があって、そこは阿弥陀如来が主宰されているが、常に釈迦如来と親しく交流し、仏界の経綸について語り合うのである。また観世音菩薩は紫微宮に大光明如来となって主座を占められ、地上天国建設のため釈迦阿弥陀の両如来補佐の下に、現在非常な活動をされ給いつつあるのである。しかしながら救世の必要上最近まで菩薩に降り、阿弥陀如来に首座を譲り給うたのである。

そうして近き将来、仏界の消滅と共に新しく形成さるる神界準備のため、各如来、菩薩、諸天、尊者、大士、上人、龍神、白狐、天狗等々漸次神格に上らせ給いつつ活動を続け、すこぶる多忙を極められつつあるのが現状である。

次は地獄界であるが、これは天国とはおよそ反対で光と熱がなく下位に往く程暗黒無明の度を増すのである。地獄は昔から言われるごとく種々雑多な苦悩の世界で、私はその概略を解説してみよう。

まずおもなる種類を挙げれば針の山、血の池地獄、餓鬼道、畜生道、修羅道、色欲道、焦熱地獄、蛇地獄、蟻地獄、蜂室地獄等々である。

針の山は読んで字のごとく無数の針が林立している山を越えるので、その痛苦は非常なものである。この罪は生前大きな土地や山林を独占し、他人に利用させないためである。

血の池地獄は流産や難産等出産に関する原因によって死んだ霊で、この種の霊を数多く私は救ったが、それはすこぶる簡単で祝詞を三回奉誦し、幽世の大神様に御願する事によって即時血の池から脱出し救われるので、大いに喜ぶのである。血の池地獄の状態を霊に聞いてみるとこうである。その名のごとく広々とした血の池に首の付根まで何年も漬っている。その池の水面ではない血の面に無数の蛆が浮いており、その蛆が絶えず顔面に這上ってくる。払っても祓っても這上ってくるので、その苦しみは我慢が出来ないという事である。この原因は生前無信仰者にして、その心と行に悪の方が多かったためである。

餓鬼道はその名のごとく飢餓状態で、常に食欲を満そうと焦燥している。それ故露店や店先に並んでいる食物の霊を食おうとするが、これは盗み食いになり、一種の罪を犯す事になるので止むなく人間に憑依したり、犬猫等に憑依し食欲を満そうとする。よく病人で驚く程食欲の旺盛なのがあるが、これは右に述べたごとき餓鬼の霊が憑依したのである。また犬猫に憑依した霊は漸次畜生道に堕ちる。その場合人間の霊の方が段々融け込んでゆく。ちょうど良貨が悪貨に駆逐されるように、ついに畜生の霊と同化してしまうのである。この意味において昔から川施餓鬼などを行うがこれは水死霊を供養するためで、水死霊は無縁が多いから供養者がなく、餓鬼道へ堕ちるので、餓鬼霊に食物を与え有難い経文を聞かせるので大きな供養となるのである。

餓鬼道に堕ちる原因は自己のみが贅沢をし他の者の飢餓など顧慮しなかった罪や、食物を粗末にした等が原因であるから、人間は一粒の米といえども決して粗末にしてはならないのである。米という字は八十八とかくが、これは八十八回手数がかかるという意味で、それを考えれば決して粗末には出来ないのである。私も食後茶を呑む時茶碗の底に一粒も残さないように心掛けている。彼のキリスト教徒が食事の際合掌黙礼するが、これは実によい習慣である。もちろん食物に感謝の意味で、人間は食物の恩恵を忘れてはならないのである。

畜生道はもちろん人霊が畜生になるので、それはいかなる訳がというと生前その想念や行為が人間放れがし、畜生と同様の行為をするからである。例えば人を騙す職業すなわち醜業婦のごときは狐となり、妾のごとき怠惰にして美衣美食に耽り男子に媚び、安易の生活を送るから猫となり、人の秘密を嗅ぎ出し悪事の材料にする強請(ゆすり)のごときものや、戦争に関するスパイ行為等、自己の利欲のため他人の秘密を嗅ぎ出す人間は犬になるのである。しかし探偵のごとき世のために悪を防止する職業の者は別である。そうして世の中には吝嗇一点張りで金を蓄める事のみ専念する人があるが、これは鼠になるのである。活動を厭い常にブラブラ遊んでいる生活苦のない人などは牛や豚になるので、昔から子供が食後直ちに寝ると牛になると親がたしなめるが、これは一理ある。また気性が荒く乱暴者で人に恐れられる、ヤクザ、ゴロツキ等の輩は虎や狼になる。ただ温和(おとな)しいだけで役に立たない者は兎となり、執着の強い者は蛇となり、自己のためのみに汗して働く者は馬となり、青年であって活気がなく老人のごとく碌な活動もしない者は羊となり、奸智に長けた狡猾な奴は猿となり、情事を好み女でさえあれば矢鱈(やたら)に手を付けたがる奴は鶏となり、向う見ずの猪突主義で反省のない者は猪となり、また横着で途呆けたがり人をくったような奴は狸や狢(むじな)となるのである。

しかし以上のごとく一旦畜生道に堕ちても、修行の結果再生するのである。人間が畜生道に堕ち再び人間に生まれまた畜生道に堕ちるというように繰返しつつある事を仏教では輪廻転生というがそれについて心得なければならない事がある。例えば牛馬などが人間からみると非常な虐待を受けつつ働いているが、この苦行によって罪穢が払拭され、再生の喜びを得るのである。今一つおもしろい事は牛馬は虐待される事に一種の快感を催すので、特に鞭で打たれたがるのである。右のごとく人間と同様の眼で畜生を見るという事は実は的外れの事が多いのである。その他盗賊の防止をする番犬、鼠をとる猫、肉や乳や卵を提供する牛や羊、豚、鶏等も人間に対し重要な役目を果すのであるからそれによって罪穢は消滅するのである。

またおもしろい事には男女間の恋愛であるが、これは鳥獣の霊に大関係のある事で、普通純真な恋愛は鳥霊がすこぶる多く鶯や目白等の小鳥の類から烏、鷺、家鴨(あひる)、孔雀等に至るまであらゆる種類を網羅している。恋愛の場合、この鳥同志が恋愛に陥るのであるから、人間は鳥同志の恋愛の機関として利用されるに過ぎない訳であるから、この場合人間様も少々器量が下る訳である。また狐霊同志の恋愛もすこぶる多いがこれは多くは邪恋である。狸もあるがこれは恋愛より肉欲が主であって世にいう色魔などはこの類である。また龍神の再生である龍女は精神的恋愛は好むが肉の方は淡泊で、むしろ嫌忌する位で、不感症の多くはそれである。従って結婚を嫌い結婚の話に耳を傾けなかったり縁談が纏(まと)まろうとすると一方が病気になったり、または死に到る事さえあるが、これらは龍女の再生または龍神の憑依せるためである。よく世間何々女史といい、独身を通しつつ社会的名声を博す女傑型は龍女が多く、稀には天狗の霊もある。

以上のごとく霊界の構成や霊界生活、各種の霊について大体述べたつもりであるが、以下私の経験談をかいてみよう。

 

『死後の種々相』

自観叢書第3編、昭和24(1949)年8月25日発行

死にも種々あるが、脳溢血や卒中、心臓麻痺、変死等のため、突如として霊界人となる場合があるが、何も知らない世人は病気の苦痛を知らないからむしろ倖せであるなどというが、これらは非常な誤りで実はこの上ない不幸である。それは死の覚悟がないため霊界に往っても自分は死んだとは思わず相変らず生きていると想っている。しかるに自分の肉体がないので、遮二無二肉体を求める。その場合自己に繋っている霊線をたどるのである。霊線は死後といえども血族の繋りがあるから、霊はそれを伝わり人間に憑依しようとするが、憑依せんとする場合衰弱者、産後貧血せる婦人、特に小児には憑依しやすいので多くは小児に憑依する。これが真症小児麻痺の原因であり、また癲癇(てんかん)の原因ともなるので、小児麻痺は脳溢血のごとき症状が多いのはそのためであり、癲癇は死の刹那の症状が表われるのである。例えば泡を吹くのは水死の霊であり、火を見て発作する火癲癇は火傷死であり、その他変死の状態そのままを表わすもので夢遊病者もそうであり、精神病の原因となる事もある。

次に変死について知りおくべき事がある。それは他殺自殺等すべて変死者の霊は地縛(じばく)の霊と称し、その死所から暫くの間離脱する事が出来ないのである。普通数間または数十間以内の圏内にいるが、淋しさの余り友を呼びたがる。世間よく鉄道線路などで轢死者が出来た場所、河川に投身者のあったその岸辺、縊死者のあった木の枝等よく後を引くが右の理によるのである。地縛の霊は普通三十年間その場所から離れない事になっているが、遺族の供養次第によっては大いに短縮する事が出来得るから、変死者の霊には特に懇(ねんご)ろなる供養を施すべきである。そうしてすべての死者特に自殺者のごときは霊界に往っても死の刹那の苦悩が持続するため大いに後悔するのである。何となれば霊界は現界の延長であるからである。

この理によって死に際し、いかなる立派な善人であっても苦痛が伴う場合中有界または地獄に往くのである。また生前孤独の人は霊界に往っても孤独であり、不遇の人はやはり不遇である。ただ特に反対の場合もある。それはいかなる事かというと、人を苦しめたり、吝嗇(りんしょく)であったり、道に外れた事をして富豪となった人が霊界に往くや、その罪によって反対の結果になる。すなわち非常な貧困者となるので大いに後悔するのである。これに反し現界にいる時、社会のため人のために財を費やし善徳を積んだ人は霊界に往くや分限者となり、幸福者となるのである。またこういう事もある。現界において表面はいかに立派な人でも、霊界に行って数ケ月ないし一ケ年位経るうちにその人の想念通りの面貌となるのである。なぜなれば霊界は想念の世界で肉体という遮蔽物(しゃへいぶつ)がないから、醜悪なる想念は醜悪なる面貌となり、善徳ある人はその通りの面貌となるのでこれによってみても現界と異なっている事が知らるるのである。全く霊界は偏頗(へんぱ)がなく公平であるかが知られるのである。

以前こういう例があった。その当時私の部下に山田某という青年があった。ある日彼は私に向かって「急に大阪へ行かなければならない事が出来たから暇をくれ」というのである。見ると彼の顔色挙動等普通ではない。私はその理由を質(たず)ねたが、その言語は曖昧不透明である。私は霊的に査(しら)べてみようと思った。その当時私は霊の研究に興味をもちそれに没頭していたからである。まず彼を端座瞑目させて霊査法にかかるや、彼は非常に苦悶の形相を表わしノタ打つのである。私の訊問に応じて霊の答は次のごときものである。「自分は山田の友人の某という者で、大阪の某会社に勤務中、その社の専務が良からぬ者の甘言を信じ自分をクビにしたので、無念遣る方なく悲観の結果服毒自殺したのである。しかるに自分は自殺すれば無に帰すると想っていたところ、無になるどころか死の刹那の苦悩がいつまでも持続しているのであまりの予想外に後悔すると共に、これも専務の奴がもとであるから、復讐すべく山田をして殺害させようと思い、自分が憑依して大阪へ連れて行こうとしたのである」この言葉も苦悶の中から途切れ途切れに語った。なお彼は苦悩を除去してもらいたいと懇願するので、私はその不心得を悟し苦悩の払拭法を行うや、霊は非常に楽になったと喜び厚く謝し、兇行を思い止る事を誓い去ったのである。

右憑霊中山田は無我であったから、自己の喋舌(しゃべ)った事は全然知らなかった。覚醒後私が霊の語ったままを話すと驚くと共に、危険の一歩手前で救われた事を喜んだのであった。

これによってみても人間はいかなる苦悩にあうも、自殺は決して為すべからざるものである事を識るべきである。

特に世人の意外とするところは情死である。死んで天国へ行き蓮の台に乗り、たのしく暮そうなどと思うがこれは大違いである。それを詳しくかいてみよう。

抱き合心中などは霊界へ往くや、霊と霊とが密着して離れないから不便この上なく、しかも他の霊に対し醜態を晒すので後悔する事夥(おびただ)しいのである。また普通の情死者はそのその際の想念と行動によって背と背が密着したり、腹と背が密着したりしてすべての自由を欠き、不便極まりないのである。また生前最も醜悪なる男女関係、世にいう逆様事などした霊は逆さに密着し一方が立てば一方は逆さとなるというように不便と苦痛は想像も出来ない程である。その他人の師表(しひょう)に立つべき僧侶、神官、教育者等の男女の不純関係のごときは、普通人より刑罰の重い事はもちろんである。