「御神体から発光」

御蔭話 東京都Y.T. (昭和二五年九月一三日)

生来病弱であった私はふとした事からA支部のN先生に御浄霊を頂き、只今では見違える位に健康になり引続きS中教会本部にお世話になり、微力乍らも御神業に励んで居ります。私の家では全部御教修も頂き、この夏は大光明如来様をお祀りさせて頂きました。数日前私用にて家に帰って見ますと母が驚いた面持にて私に申しますには――四、五日前、御神前に善言讃詞を奉唱致しましておもむろに面を上げますと、大光明如来様の御文字より星の様な何とも言えない光がパッパッと飛び出て見えますので、早速その事を家中の者に話しますと、私の甥(一〇歳、教修を頂いて居ります)が「それなら少し以前に三回ばかり見た」と申しますのでどういうのかとききますと、或る夜、大光明如来様にお上げした品物をお下げに参りました処、お軸全体から星が降って来る様に見え、二度目は大光明如来様の「光明」の御文字が金色に光って見え、御軸の周囲を雀位の大きさの綺麗な小鳥が飛び廻って居たとの事、三度目は矢張りお供えしたものを下げに行きましてフトお軸の上を見ましたら、大光明如来様の「大」の御文字の所に一尺位の大きさの御姿をはっきり拝する事が出来たと申します。お姿の事は子供の事とて充分説明が出来ませんようなので、母が『奇蹟物語』の最初にお写りになって居られる千手観音様を見せました処、丁度同じお姿との事で、然も蓮華台は金色に光り輝いて居り、その廻り全体がまぶしい許りのお光が一杯で、余りの事に恐ろしくなって皆居る所へ逃げて来たと申すのでございます。私の家にこの様な有難い奇蹟のありました事を聞きまして私は唯胸が一杯になるような感激を覚えました。明主様が日頃申されます事が一々間違いのない事実である事を、今更乍らに分らせて頂きました。ともすれば弱り勝ちな私達を励まして下さるこの様な奇蹟の数々に私は愈々お道への信念を強く持ち、光明世界建設への一途な努力を致さねばならないものと痛感致す次第でございます。