御教え『恋愛とは何ぞや』

「天国の福音」昭和22(1947)年2月5日発行

男女間における恋愛なるものは、その原因全く霊作用である事を私は世の青年男女に告げたいのである。それについて二つの例を挙げてみよう。

私は実業に従事していた頃、私の事務所で傭(やと)っていた二十歳位の女子美術学校の生徒があった。私の営業が美術品で、その図案の仕事をさしてあった。名はTという。ある日Tの学友である一人の美しい十八、九のUという女性が訪ねて来た。Tが執務中なので応接室に待たしておいた。私は何気なくそのUなる女を見た時、あまりにも沈みきっているのに何かしら不安な気持がした。私はじっとしていられないのでソットTの部屋へ行き、Uについて質(たず)ねた。最初はなかなか本当の事を言わなかったが、私が根強く訊くので、次のごとき真相を語った。

それはこうである。Tは彼女と相当前から同性愛に陥っていたところ、最近Tの母親に知れ、厳しく戒められ、Uとの関係を打切るか学校を退学するかという所まで押迫って来た。二人はついに相談の結果、今宵を期して情死しようとしたのである。私は驚くと共に、ともかくTを別室へ呼び霊査をしたところ、憑霊が口を切った。それは家鴨(あひる)の霊で、その告白によれば数ケ月前にTに憑依した事、Uには鶯の霊が憑依しており、その鶯が愛らしくて堪らないという――そのためである事が解った。私はこの家鴨の霊を叱責(しっせき)戒(いまし)め、ついに離脱させた。その結果Tは目の覚めたるごとくUを愛する心が消え、単なる友人以上には出でない事になった。しかしそれまでには数回の霊治療を行った事はもちろんである。私はその事によって恋愛関係は霊作用であると共に、一方だけの解決でよい事を知った。

今一つの例としてこういう事があった。某大学生と、談たまたま霊の有無について論じた。彼は自分を霊査してくれ、というので、私は快諾し早速霊査に取掛った。間もなく彼は無我に陥った。これは憑霊が浮いたためである。私は「あなたはどなたです」と訊いた。憑霊

「妾(わたし)は浅草公園の○○という矢場の傭女で○○というものですが、この○○さんは妾は好きですきでならないので、来て貰いたいと思ってもなかなか来てくれないから、憑いたのです。どうか妾の所へ来るように言うて戴きたい」と言うので、私は承知したので、霊は喜んで離脱した。それと同時に覚醒した彼はキョトンと目を瞠っている。私は彼に向かって、

「○○の○○という女を知っているか」と訊くと、彼は喫驚(びっくり)して、

「先生どうしてその女を御存じですか」という。私は「タッタ今、君から聞いた」というと、彼は驚いて「無我の裡(うち)に、飛んでもない事を喋舌(しゃべ)った」と大笑いした事があった。これはもちろん生霊の憑依である。