研鑽資料no.70(2021年9月)

9月の学び

はじめに

責任者:

学びを始める前に、11日頃から日本各地で続いた大雨により被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。皆様のお住まいの地域は大丈夫でしたでしょうか。

コロナ禍にあり開催を危ぶまれたオリンピックは、静かに始まり私達の心に熱い感動を残し8月8日に無事閉会しました。24日にはパラリンピックが始まり、新しい感動を私達に与えてくれることと思います。

8月に入ってからの短い期間を振り返ってみると、天候についてもそうですが世界(私達の身の回りを含め)では、思いもつかないような事が次々と起きているのだと改めて感じております。

さて、引き続き「文明の創造、宗教篇」から私達はコツコツと学びを進めていきたく思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.164三重(平成26年9月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『精神病と癲癇』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

霊的病気のうち最も王座を占めているものとしては、精神病と癲癇(てんかん)であろう。まず精神病から書いてみるが、これこそ全然霊的病気であって肉体に関係のない事は、健康者であっても、この病気にかかるに見て明らかである。この病気は誰も知るごとく、普通人間としての精神状態を失い、意識がめちゃくちゃになってしまうが、その状態も人によって千差万別であり、一人でも色々に変化するどころか、一日の中でも、いや一時間の間でも、その変化は目まぐるしいほどである。

この病気に対しては、医学でも相当以前から研究に研究を重ねているが、今もって分からないので、治療効果においても、何ら進歩は見られない。ただ施設や患者に対する諸種の対策が、相当進歩したに過ぎないのである。何しろ生命には別状ないとしても、家族的にはずいぶん人手が要るので、実に始末の悪い病気である以上、どうしても病院へ入れなければならない事になるが、現在公共的の方は収容力も足りないし、そうかといって私設病院では金がかかるという訳で、全く悲惨そのものである。近来精神病や癲癇を治すべく、頭脳の手術を行うが、これは全然無効果のようである。何しろ医学は唯物科学であるから、手術に目をつけるのも無理はないが、この病気は肉体との関係ははなはだ薄く、目に見えざる霊の作用が主であるから、霊的に治すより仕様がないのである。それをこれから詳しく書いてみよう。

右のごとく霊的病気であり、これこそ憑霊が原因なのである。その場合憑霊の位置は前頭部に限られているもので、なぜ前頭部に霊が憑るかと言うと、その部の霊が希薄になるからで、つまり局部的脳貧血である。この脳貧血の原因といえばさきに述べたごとく、首の周りに毒素が集留し易く、それが両延髄及び淋巴腺付近に固結するので、その固結が血管を圧迫するため、頭脳へ送流される血液が減るからである。

ここで、なぜ霊が憑依するかの理由であるが、それを説く前に霊界なるものを充分知っておく必要がある。元来霊界とは現象界、空気界の外にある第三次元の世界であって、つまり空気よりも一層非物質的であるので、今日まで無とされていた世界である。従ってこの霊界は現在までは一部の人を除く外、一般人にはほとんど信じられていなかったのである。というのは唯物科学がそこまでを把握するほど、進歩していなかったからである。しかし事実は物象界空気界よりも、一層重要なる、いわば万有の根源的力の世界であって、地上一切はこの力によって生成化育されているのである。別言すればこの世界は表が物象界で、裏が霊界と言ってもいいので、人間で言えば肉体は物象界に属し、心は霊界に属しているのである。この理によって人間も動物も、死と共に肉体は現界に遺棄され、霊は霊界に帰属する。つまり人間の死は体は滅して、霊だけが永遠に残されるのである。そうして霊界の生存者となったあらゆる動物の内、狐、狸、龍神(蛇)等が生きてる人間の霊に憑依する。というのは前述のごとく人間の霊の頭脳の一部分が希薄になっているからで、もし充実していれば、決して憑り得ないのである。これを詳しく言えば、例えば霊が充実して十であるところへ、一だけ欠ければ九となるから一だけ憑れる。それが二となり三となり、半数の五以上となると、それだけ憑霊の方が勝って、人霊の方が負けるから憑霊の自由になる。これが精神病の真の原因である。

とすれば精神病の原因は、全く脳貧血であって、その因は固結の圧迫にあるのである。しかし単に貧血だけならまだいいが、延髄部の圧迫による貧血は睡眠不足の原因となるのでこれが恐ろしいのである。何となれば精神病になる初めは、例外なく睡眠不足が何日も続くからである。その理由は本来脳貧血とは体的の症状であるが、霊的に言えばその部の霊が希薄になる事であって、いわば貧霊である。ところがその貧霊部、すなわち霊の量の不足に乗じて、その量だけ彼ら邪霊共は憑依ができるのである。憑依するや人間と異なった彼らの性格は、動物的意欲のまま露骨に振舞う、これがすなわち精神病の症状であって、その動物の割合を言えば、狐霊が八十パーセント、狸霊が十パーセント、残り十パーセントは種々の霊であろう。

右は純精神病を書いたのであるが、ここに誰も気付かない驚くべき事がある。それは現代の人間ことごとくと言いたいほど、軽い精神病にかかっている。もちろんその原因は一般人ことごとくと言いたいほど、頭脳に多少の欠陥があるからで、ごく上等の者でも十パーセントないし二十パーセントは冒されており、普通人はまず三、四十パーセントくらいであろう。ところが四十パーセントまではまだいいが、五十パーセントを越えると大変である。真症の精神病者となるからである。だが憑霊というものは一定していないもので、絶えず動揺している。それは欠陥と相応するからで、その意味は霊の厚薄が絶えず増減しているからである。そうしてこの憑霊にも二種あって、生まれながらにその人に定住的に憑霊している動物霊と、後天的臨時に憑依する霊とがある。今これについて詳しく説明 してみるが、まず人間がこの世に生を受ける場合、さきに述べたごとく、初めポチすなわち魂が宿るが、この魂なるものは神の分霊であって、人間の中心であり、主人公である。これを本守護神といい、次は人間を一生涯不断に守護している霊がある。これを守護霊ともいい、正守護神とも言う。この霊は祖先の霊の中 で霊界においての修行が済み、資格を得た者であって、この中から選抜されて、その人の一生涯の守護の役目を命ぜられる。次が副守護神と言って、これが動物霊である。この霊は動物ではあるが、実は人間生存上必要欠くべからざる役目をしているものである。そこでまず右の三つの守護神について説明してみよう。

以上は、大体人間誰でもが持っている正規の守護神であるが、第一の本守護神なるものは神の分霊である以上、その本質は良心そのもので、昔からよく言われる人の性は善なりとはこれを指したものである。第二の正守護神は人間が危険に遭遇する場合、それが霊界に先に起こるので、それを知って危難をまぬがれしむるべく努力する。世間よく虫が知らせるとか、その時気が進まなかったなどというのは、正守護神の注意である。また人間が罪を犯そうとするのを犯させまいとする事や、常に悪に引込まれないよう警戒し、正しい人間にさせようとする。それには神仏を信仰させるのが最良の方法として導こうとする。ところが正守護神がどんなに頑張っても、邪神の強いのに遭うと負ける事があるので、そのため不幸を招く結果となるから仲々大変である。そこで正守護神は常に邪神に勝つ力を求めている。それには人間が立派な信仰に入らなければならないという訳で、本教へ導く事が日に月に増えつつあるのである。次の第三の副守護神は動物霊であるから、悪の本来として一刻の休みもなく人間に悪を考えさせ、悪をさせようとする。悪とは帰するところ体的欲望の本尊である。いかなる人間でも金が欲しい、女が欲しい、贅沢をしたい、名誉が欲しい、人に偉く見せたい、賭け事や競争に勝ちたい、出世をしたい、何事も思い通りになりたい、という限りない欲望 がそれからそれへと湧いてくる。そこで昔から信仰によって、この果てしない欲望すなわち煩悩を押えようとして修養する。それがともかく今日まで人類社会は 破滅を免れ得て来たのであるから、大いに感謝すべきである。しかしながら実際上人間がこれらの物質欲がないとしたら、これまた大変である。何となれば肝腎な活動力がなくなってしまうからである。従って何としてもこの点が仲々難しいのである。ではどうすればいいかというと、これは別段困難な事はない。つまり人間は神から与えられた良心を発揮させ獣から受ける悪に勝てばいいのである。といってもそれには自ら限度がある。すなわち善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない。この意味は人という文字を解釈すると実によく分る。それはノは天から降った形で、神の分霊であり、\は地上にいる獣の形である。としたらノが上の方から押えており、\はノを支えている形である。であるから人とはノと\との間になるから、人間の文字もよく当てはまっている。すなわち人間は善と悪とを両有している。天性で幾分でも善が勝っていれば間違いないのである。従って人間は向上すれば神となり、下落すれば獣となるので、この理によって人間の限りなき欲望も、ある程度で制御する事ができるので、これが真理であるとしたら、限度を越えれば人ではなくなり、Xの形となる。すなわちバッテンであるから抹消の意味であり、亡びるのである。右の理によってどうしても人間本来のあり方は、悪を制御するだけの力をもたねば安心ができないのであるが、それには力がいる。その力こそ神から与えられるべきものであるから、信仰が必要となる。さすればいかなる世にあっても、何ら不安なく、永遠の幸福者となり得るのである。

以上説いたごとき真理を、霊界の修行中知った正守護神は、極力子孫を正善に導こうとする。ところが副守護神の方はその反対であるから、極力妨害し、悪に導こうとして、心の中で常に争闘している。これは誰でも経験するところであろうが、そればかりではない。こういう事も知る必要がある。それは人間一人一人異った性格と技能をもっている。これは神が世界を構成する上においてそうされ給うのであって、これを補佐し、天性を充分発揮させるよう正守護神は、神の命を奉じて専心努力しているのである。この手段として正守護神は、まず第一にその人間の魂を磨くべく、非常な苦痛を与えるが、これは向上のための修行である。これもその人の使命によって、大中小それぞれちがう。例えば使命の大きい者ほど、苦難も大きいから、むしろ喜ぶべきで、私などもそうである。また運命の転換という事は、神から仕事を換える命が正守護神に下るからである。そうして神にも階級があり、人間界と同様御役の種別もあるので、人間に命ずる場合も、それ相応の神によるのである。この意味によって人間界の構成を書いてみるが、分り易くいえば人類を緯(よこ)にみれば千差万別、それぞれ能力が違うが、経(たて)にみれば上中下の差別だけである。その証拠には一民族を支配するとか、一国、一地方等の支配者は、それに相応する能力を与えられており、最高の地位に昇る人は、世界でも数人に過ぎないが、下に下るにしたがい段々数が多くなる。最下級になるほど多数である事実はそういう意味であって、神は経綸上一切過不足なく、適切巧妙に配置され按配される。その深遠微妙なる御神意は、到底人間の窺い知るを得ないのである。またこれを鉱物にたとえてみると一層よく判る。最高のダイヤモンドからプラチナ、金、銀、銅、鉛、鉄というように、最高ほど産額が少なく、最低の鉄に至っては、最も多産であるにみても明らかである。この現実が分っただけでも人類社会の真相は認識されるであろう。この理によって階級闘争が、いかに間違っているかが分るはずである。

ここで前に戻って、再び精神病の説明に移るが、これは別な面であるから、そのつもりで読まれたいが、世間非常に偉い人でも時により迷ったり、間違った考えや、道に外れた行為をする事がよくある。アレ程の人が、こんな事をするとは腑に落ちないとか、あんな失敗するなどは意外だなどという事がある。また歴史上からみても、大英雄がつまらない一婦人の色香に迷い、千仞(せんじん)の功を一気に欠くような事も往々あるが、これはどういう訳かというと、前に述べたごとく、平常十か二十パーセント以内の欠陥なら無事だが、成功して思い通りになると慢心と我欲のため、頭脳の欠陥が増えるので、それに乗じて力のある動物霊が憑依したり、副守護神が頭へ上って、ノサバリ始めるので、三十以上にまで押し拡がり、智慧も暗くなるので、良いと思ってした事が反対になり、大失敗するので、英雄などによくある例で、右のごとくどんなに偉い人でも信仰がない場合、動物霊すなわち悪霊が憑依するや、それが最善の手段のように思わせるが、 実に巧妙な邪智は、到底看破できないのである。それがため遂に大失敗をするのであるから、実に恐るべきものである。そうして特に心得べき事は、その手段方法が私利私欲が目的であればあるほど、失敗は大きくなるに反し、天下公共のためというような利他愛のためとすれば、失敗してもある程度で喰い止り、ふたた び立上る事ができるのである。何となれば前者は神の御守護がないが、後者は御守護があるからである。

そうして霊界においては、無数の悪霊が百鬼夜行的に横行しているので、隙さえあればたちまち憑依し、瞞し、迷わせ、悪を行わせ、不幸に陥し入れるので、これが彼らの本能であるから、少しの油断もできないのである。ところがこれに対抗して飽くまでそうさせまいとする擁護者が正守護神であるから、正守護神には大いに力を得させなければならないのであって、それには立派な信仰へ入り、神の力を恵まれるべきである。

次は癲癇(てんかん)であるが、これは精神病と似て非なるものであって、この病気はことごとく死霊の憑依である。何よりも癲癇の発作が起るや、人間死の刹那の状態を表わす。例えば水死した霊が憑かると泡を吹き、もがき苦しむし、また水癲癇といって、水を見ただけで発作が起るのは、あやまって水へ落ちたり、突落されたりした霊でその刹那の恐怖が残っているからである。また火癲癇というのもあるが、これも火に焼かれた霊であり、その他獣や蛇、種々の虫を見ただけで恐怖し、発作するのはその物のために死んだのである。またこういうのがある。人込みへゆくと発作が起るが、これは人込みで踏み潰されて死んだ霊であり、汽車電車に乗るのを恐れたり、誰かが背後に近寄ると恐れる人なども同様である。以前こういう変ったのがあった。それは一人での留守居は、恐ろしくて我慢ができず、門の外へ出て人の帰るまでたたずんで待っているというので、これも前世一人で家にいた際、急病などで死んだその恐怖のためである。まだ色々あるが、以上によって考えればだいたい判るであろう。

ここでついでだから、真症小児麻痺について書いてみるが、これは脳溢血で死んだ祖父母の霊がほとんどである。この原因は脳溢血で急死した霊で、生前無信仰で霊界あるを信じていないため霊界へ往っても死を意識せず、生きていると思っているが、肝腎な肉体がないので、遮二無二に肉体を求めるが、その場合他人に憑く事はできない霊界の規則であるから、自分の霊統の者を求める。もちろん霊統は霊線で繋がれており、子供は憑依し易いので、多くは孫を目がけて憑依する。その場合数日間発熱があり、痴呆症や半身不随となる。ちょうど中風そのままであるのは、右の原因によるからである。

 

楳木先生:

本日は霊的病気の中の『精神病と癲癇(てんかん)』の項目でしたが、これは『精神病と癲癇(てんかん)』ということのみではなくて人間の存在あるいは信仰を持つことの尊さをメシヤ様はここで御解説してくださっておられますので、私たちの信仰生活の中では非常に大切なところです。長いですが根気よく毎日拝読していただいて腹に入れていただきたいと思います。

精神病ということに関して医学界はなかなか対応しきれておりませんので、薬で抑えていきます。取り分け日本の場合は薬漬けにしてしまいますので、非常に不幸な状態になっていきます。精神薄弱児を持つことで悩んでおられる方のお世話に取り組んでおられる人が・・・、○○之光教団に救いを求めて行きましたところ医者を紹介して、医者は精神安定剤や睡眠薬を処方するようになったために、精神障害が加わったそうです。今は薬をやめて浄霊をしっかりするようになって改善に向かっています。

今回のような御教えをしっかり腹に入れて取り組んでおりませんと、救いを求めてきましても救いを行使することができない状態を生んでしまっているのです。

そういう方々のお話を聞きますと、取り分け日本の精神科医は心を改めていただかないといけないと思います。薬に頼りすぎているのです。

それから右側の耳の上の脳のところに亀裂が入っているのですが、そこに電極を当てると自分の体を外から見ることができる。いわゆる幽体離脱ができる。というところまで医学的には戦時中にそこまで行っているのだそうです。

脳の解剖ということに関しては技術的には進んでいるのです。それで脳に部分的に障害があると自閉症のようになったり、特定の分野に優れた能力を発揮するサヴァン症候群のようになったりすることが発見されております。しかし、どういうふうに治療するかということはなかなか難しいものがあります。

その点メシヤ様と御縁をいただいた私たちはこうした症状をお持ちの方々にも十分浄霊によって対処することができますので大変有難いと思います。」

【サヴァン症候群(サヴァンしょうこうぐん、savant syndrome)とは、知的障害や発達障害などのある者のうち、ごく特定の分野に限って、優れた能力を発揮する者の症状を指す。(Wikipedia 最終更新 2014年7月27日 (日) 04:15)】

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎今回の御教えでメシヤ様は、私達の信仰生活の中で最も大切な〝人間の存在あるいは信仰を持つことの尊さ″について御解説下さっていますので、しっかりと拝読し、御解説いただいた内容を肚にいれていくのだということ。

◎精神病ということに関しては、医学界ではなかなか対応しきれず、薬で抑えているのだということ。

○取り分け日本の医学界の場合は、患者を薬漬けにしてしまうので、非常に不幸な状態になっていくのだということ

○メシヤ様と御縁をいただいた私達は、この御教えをしっかり肚に入れて取り組むことにより、「精神病と癲癇」という症状をお持ちの方々にも十分浄霊によって対処することができるので、大変有難いのだということ。

 

「メシヤ講座no.164三重(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

先人の知恵を無視してはいけない

楳木先生:

それから人間とは一体何かということですが、想念の世界について別の御教えでは想念の三位一体ということを御説きくださっておられます(御教え『日本人と精神病』へ)。

本守護神と正守護神と副守護神によって想念が構成されているのです。正守護神は先祖の霊界の修行を終えた人から子孫を守護すべく正守護神として私たちを守ってくださっております(御教え『守護神』へ

例えば土砂崩れなどが近年度々発生しますが、土砂崩れの少し前に引っ越した人もおります。逆に移り住んだ人もおります。正守護神の働きによって助かった人と助からなかった人がおります。広島の場合土砂崩れのあった場所は「蛇落地悪谷」(じゃらくじあしだに)と昔から呼ばれていたそうです。地名から推測すると、昔から蛇が落ちてくるような土砂崩れのある場所だったと思われます。人を住まわせないために悪い地名を付けたのだと思われます。

それが後世土地を切り拓いて行く時に地名を変えてしまったようですが、先人の知恵を無視してはいけないのです(御教え『大崩の龍神 』へ)。

(中文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎人間の想念は、『想念の三位一体(本守護神と正守護神と副守護神)』によって構成されている″のだということ。

○先人は、後世土砂崩れするような危ない場所に人を住まわせないようにする為に、悪い地名を付けたりしているところがあるので、そのような〝先人の知恵を無視してはいけないのだ″ということ。

 

「メシヤ講座no.164三重(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

正守護神に力をつけていただくために、しっかりとした信仰を培おう

楳木先生:

それから日航機墜落の事故がありましたが、世界救世(きゅうせい)教の信者さんであの飛行機に乗る予定だったが乗れなくなって助かった人がいたそうです。

また、入信教習を受けた人や浄霊を受けていた人が助かったそうです。

そういうことを考えますと、浄霊をいただいたり、メシヤ様の教えを学んだりするということで正守護神が力を得ることができて、〝危難から救って行く″ということが出来ると思いますので、私たちの正守護神により一層力をつけていただくために、月次祭を中心にしてしっかりとした信仰を培っていただきたいと思います。

それから信仰の意義についてメシヤ様は正守護神に力をつける為に正しい信仰に子孫が入信して神様から力をいただくことによって正守護神が力をつけてくるという一面と、人間を育てるために使命のある人間ほど正守護神が鍛えるということがあります。

不幸なことに出会ったり、大きな課題にぶつかるということは〝使命が大きいのだ″と受け止めていただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎御教えを学び、浄霊をいただくことで私達の「正守護神」は力を得ることが出来、子孫である私達を〝危難から救って行く″ということが出来るので、「正守護神」により一層力をつけていただくために、私達は月次祭を中心にしてしっかりとした信仰を培っていくのだということ。

◎使命のある人間ほど正守護神が鍛えるということがあるので、不幸なことに出会ったり、大きな課題にぶつかったりするということは〝神様からいただいた使命が大きいのだ″と私達は受け止めさせていただくのだということ。

 

「メシヤ講座no.164三重(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

副守護神の力を抑え込んでいける人間になろう

楳木先生:

次に動物霊が副守護神としてついておりますので、この副守護神が幅をきかせないように、副守護神の力が10%から20%くらいまでにいつも抑え込んでいけるような人間になっておいていただきたいと思います。

副守護神が幅をきかせてきたかどうかの簡単な見分け方としてきちんと挨拶できているかどうかということがあります。

「おはようございます」と挨拶しても相手を真っ直ぐに見ているかどうかということです。よく目の前の人を見ながら斜めの人に挨拶する人がありますが、これが副守護神が幅をきかせてきているのです。軽い精神病になっているのです。

私たちが動物霊に支配されていないかをチェックするには、御神前に三宝を置きますが、真ん中に置いたと思っても後でチェックするとズレている時などです。そのようにチェックして、副守護神が幅をきかせてきた時には御教えを拝読したりして修正していくと良いです。

そうしたところを確認していただいて、今回の御教えは私たちにとって非常に大切なところですので、拝読をしていただきたいと思います。

それから動物霊が憑る時には狐が80%、狸が10%、その他が10%です。八割方狐ですので嘘つきが多いのです。人を騙していくのです。話に辻褄が合ってきませんのでわかると思います。

そして不幸な亡くなり方をした場合の人間が憑かった場合は癲癇になっていくということですので、そういう方に出会った場合はその〝憑かっているものに向かって浄霊をして行く″ということが大切ですので、そういう想念で浄霊をしていただければ、御守護をいただけるのではないかなと思います。

そういったことをメシヤ様は細かく御解説してくださっております。大変ありがたいことですので、繰り返し拝読させていただきたいと思います。

最初にそういったことをお願いさせていただいていつものように質疑応答に入りたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎動物霊が「副守護神」としてついているので、この「副守護神(動物霊)」の力がいつも10%から20%くらいまでに抑え込んでいけるような人間になっておくのだということ。

◎副守護神が幅をきかせてきたかどうかの簡単な見分け方として…〝相手を真っ直ぐに見てきちんと挨拶できない人は、「副守護神(動物霊)」が幅をきかせてきているのだ″ということ。

◎副守護神が幅をきかせてきたことに気が付いた時には、御教えを拝読したりして修正していくと良いのだということ。

○動物霊が憑る時には狐が80%、狸が10%、その他が10%で、八割方狐なのだということ。

◎不幸な亡くなり方(水や火の事故など)をした人間が憑かった場合は、癲癇になっていくのだということ。

○癲癇を持っている人に浄霊をお取次ぎする場合は、その人に〝憑かっているものに向かって浄霊をして行く″ということが大切であり、そういう想念で浄霊をしていくと御守護をいただけるのだということ。

 

「メシヤ講座no.164三重(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

『善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない』

受講者:

『つまり人間は神から与へられた良心を発揮させ獣から受ける悪に勝てばいいのである。といってもそれには自(おのずか)ら限度がある。即ち善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない。』とありますが、善悪決着をつけられないのでしょうか。(御教え『若しもこの世界から“悪”がなくなったら』へ

楳木先生:

人間の中にある闘争心とかは戦争とかに使わないで、〝スポーツで消化していくのが、地上天国になった時の姿だ″と御教えくださっておられます。

それで、人間は解脱(げだつ)してしまいますと、活動力が無くなりますので、仙人みたいになってしまいます。これでは人間活動はできないのです。それから動物的な事がなくなってきますと物を食べなくなりますので、生命を維持することができなくなります。霞(かすみ)を食べられるようになっていれば別ですが。

また、〝ああいうことをやってみたい″〝ああいうふうになりたい″という意欲がなくなってしまいます。そして子孫も繁栄できなくなってしまいます。ですからいつの時代になってもそういう欲望だけは必要だということです御教え『解脱』へ)。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は『善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない』と仰られているのだということ。

◎いつの時代になっても〝ああいうことをやってみたい″〝ああいうふうになりたい″という意欲や欲望だけは必要なのだということ。そういう意欲がなくなると、子孫繁栄が出来なくたってしまうのだということ。

 

「メシヤ講座no.164三重(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

天の数歌と『夜昼転換』の歴史観

楳木先生

それからもう一つは、『天国の福音書(二)』では歴史観をまとめようと思っていますが、そうした時に『夜昼転換』の御教えが中心になってきます(御教え『夜昼転換』、『霊界に於ける昼夜の転換』へ)。

『夜昼転換』というと波のように『夜昼転換』があるように教修を受けたりしますと、『昼の時代』から『夜の時代』になった時に夜というと逆戻りしたようなイメージを植えつけられてしまっています。

それで最近一番わかりやすいのでは、と思っていることは、『天の数歌』を唱える時に低く出て「ひとー ふたー みー よー いつ むゆ なな やー ここのたりやー」と段々上がって行きます。これを『昼の時代』になっていくと考えた時に、次にまた1オクターブ上げるような感じで、「ここのたりやー」の高さから「ひとー ふたー みー よー いつ むゆ なな やー ここのたりやー」と唱えて行きます。そういうように時代を捉えていかないと、三千年前に『夜の時代』になった時に悲惨な戦争とかがありますので、悪くなったように錯覚してしまいます。しかし物質的には発展しているのです。ですから物質的には進み続けているのです。その中で精神的に退化したというよりも欲望が大きくなったというふうに受け止めていきませんと『夜昼転換』の捉え方が間違ってしまうところがあると思います。

時代がズーッと進んできているのです。その中で植物の種類や生き物の種類も無限大に広がってきています。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎『夜昼転換』についての教修を受けた時に、波のように『夜昼転換』があるように捉えてしまうと、『昼の時代』から『夜の時代』になった時に、〝「夜」というと逆戻りしたようなイメージを植えつけられてしまいがちだが、『夜昼転換』は『天の数歌』を唱える時のように段々と上がって行く感じで捉えると間違った捉え方にはならないのだということ。

 

「メシヤ講座no.164三重(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

天国においても意欲は必要である。

楳木先生:

およそ、38億年前に生命が誕生して単細胞から始まったものが段々複雑化してきて、それが陸上部と水中部に分かれました。これだけ人間が発展しましたが水中部のものはまだ把握しきれていないところがあります。それを〝海底で探してみよう″という意欲は・・これは意欲という点においては悪の部分に属するわけです。しかし、これがないとすべてのものを発見することができません。

いくら天国が出来ても天国の中身は第一天国、第二天国、第三天国と向上していかないといけませんので、向上していくためにはまだ発見していない部分は〝発見する″という意欲がないといけませんので、そういう点において悪もまだまだ必要なのです。

ですから若い人ほどそういう意欲は膨らませて生活していただきたいと思います。

台湾で日本に活躍の場がなくなった日本の人たちが次世代ディスプレイの開発を行っていますが、名を残そうとか意欲ということは大切なのです。」

(中文割愛)

楳木先生:

『善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない』ということは、将来に関する可能性としてメシヤ様が我々に期待している部分があるのではないかなと思います。

そういうことを考えますと、メシヤ様の教えというのは物凄く大きな教えなのだなと思います。普通の教祖の教えとは中身がまるで違いますね。」

受講者:

善ばかり説いている宗教家と比べて『悪も必要だ』というのは教えが全く異なりますね。

楳木先生:

昔から必要悪という考え方は哲学的にはあったのですが、宗教家は出来るだけ〝必要悪は排除していく″という考え方でやってきましたのでね。

そういうことではメシヤ様のすべての教えとか考え方を包含した御教えというのは素晴らしいなあ、と思います。」

(中文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎天国においても意欲は必要であり、又『善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない』というメシヤ様の教えというのは、物凄く大きな(普通の教祖の教えとは中味がまるで異なった)教えなのだということ。

 

「メシヤ講座no.164三重(平成26年9月分)」より抜粋つづき:

最後の浄化は精神病

受講者:

『浄化が厳しくなるから一日30分は御教えを拝読しなさい』という御教えがありますが、30分拝読しますと浄化というのはどのようになるのでしょうか。

楳木先生:

これはね。浄化というより今回の御教えに当てはめた方が良いと思います。」

受講者:

頭ですか。

楳木先生:

副守護神に支配されなくなるのです。御教えを拝読することによって本守護神は充実してきますので、そうしますと副守護神にのさばらせることなく適度な状態に抑え込む事が出来ますのでね。」

受講者:

それは精神的なことですか。

楳木先生:

そうです。最後の浄化というのは精神病ですから。今は癌とかを大きな浄化だと捉えていますが、最後の浄化というのは精神病です。

何が正しくて何が間違っているのかがわからなくなってくるのです。よく吟味しないと精神病だとわからない人が増えている時代を迎えてきていますので、その時に必要なのが御教え拝読だということです。これから精神戦争が始まってくるわけです。」

(以下割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎『浄化が厳しくなるから一日30分は御教えを拝読しなさい』という御教えがありますが、一日30分御教えを拝読することにより、「本守護神」は充実し「副守護神(動物霊)」に支配されなくなるのだということ。

◎最後の浄化というのは「精神病」で、何が正しくて何が間違っているのかがわからなくなってくるのだということ。

◎よく吟味しないと精神病だとわからない人が増えている時代を迎えているので、その時に〝御教え拝読が必要になって来る″のだということ。

 

編集後記:

責任者:

今回の学びでは楳木先生より御教示いただいておりましたように、メシヤ様の教えを信仰することの尊さを再認識させていただきました。そして、『夜昼転換』の捉え方もここで再び学ぶことによってより一層納得することが出来、肚に落ちたように思います。又、学んだことを意識した上で世界の情勢を見てみますと、メシヤ様が仰っている『最後の浄化』が始まっているように思えてなりません。こういう世の中にいて「副守護神」に振り回されることなく生きていく為には、自分達を守って下さっている「正守護神」の力を強く保って行かなくてはなりません。そうしたことも含め、私達メシヤ様信徒は、日々しっかりと御教えを拝読させていただきその一つ一つを肚に落としていくことが大切なのだと強く思わせていただきました。

8月も残りわずかとなりました。残暑を乗り越え、実り多き秋を皆様が迎えられますようお祈りいたします。有難うございました。

 

※責任者より

 

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.164三重(平成26年9月分)

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