研鑽資料no.75(2021年11月)

11月の学び

はじめに

責任者:

日に日に秋が深まり日増しに寒さが身にしみるようになってまいりましたが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。前回の研鑽資料アップから2週間余りが経ちました。その間に衆議院選挙が執り行われ、自民党は選挙前の議席を減らしたものの、事実上の「勝利」と言える議席を確保し、11月10日に第2次岸田内閣が発足しております。又、新型コロナウイルスによる感染者の数は減少しており、以前のような日常生活が戻って来たとは未だ言えませんが、感染者数が多かった時と比べ周囲に落ち着きが戻ってきたように感じております。

さて、今回も引き続きメシヤ講座より学びを続けて参りたく思います。それでは、よろしくお願いいたします。

 

「メシヤ講座no.170三重(平成27年3月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『観世音菩薩』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

前項までに、観世音についての因縁を、色々な面から説いて来たが、そうなられるまでの根本と言えば全く素尊(すさのをのみこと)の暴圧が原因であった事は、すでに述べた通りである。ところが伊都能売神(いづのめのかみ)去り給いし後の日本は、どうなったかというと、その弟神であったのが、彼の天照天皇であって、この天皇は惜しくも、何の理由もなく俄かに崩御され給うたので、止むなくその皇后を立てて、御位に即(つ)かせられたのが彼の女性である天照天皇であった。

今もなお天照大御神(あまてらすおおみかみ)が日の神でありながら女神として祀られているのは、そういう訳なのである。また以前私はかいた事があるが、素尊は日本の統治権を得んとして余りに焦り、目的のために手段を択ばず式で、力の政治を行った結果、人心は紊れ、収拾すべからざるに至ったので、ここに父君である伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の御勘気に触れ、譴責(けんせき)の止むなき事になった。というのは素尊は、本来朝鮮系統の神でもあったからである。しかもその後悔悟の情なく、依然たる有様なので、最後の手段として日本を追放される事になったのである。この時の事を『古事記』にはこう出ている。素盞嗚尊(すさのをのみこと)の素行(そこう)や悪政に対し、伊邪那岐尊の御尤(とが)めを蒙り、神遣(かむやらい)にやらわれたとあり、その行先は黄泉(よみ)の国であるが、黄泉の国には母神である伊邪那美尊(いざなみのみこと)が在(ましま)すので、罪の赦されるまで母神の許にいて、暫くの間謹慎すべく思って、出発の前、天に在す姉神天照大御神に暇(いとま)乞いをせんとしたのである。この事を『古事記』にはこう書いてある。素盞嗚尊はたちまち山川響動(どよも)し、天に昇らんとしたところ、それを知った天照大神は大いに驚き、さては弟素尊は、自分を攻めに来たのではないかと疑心暗鬼を抱いていたところへ、素尊は天に上り、天照大神に面会されたところ、どうも姉神の様子が普通でないので、これを見てとった素尊は、姉神は私を疑われているようであるが、自分の肚は何らの邪念はない。この通り潔白であるから、今その証しを御眼にかけると言い、素尊は剣を抜き天(あめ)の真奈井(まない)に水を注ぐや、たちまち三女神が生れた。すなわち市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)、田霧姫命(たぎりひめのみこと)である。すると天照大神は、では自分の清い心も見せようと申され、胸に掛けた曲玉(まがたま)を外し、同じく水に注ぎ揺らがしたところ五男神が生まれた。すなわち天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野樟日命(くまぬのくすひのみこと)である。もちろんこれは比喩であって、実際はその時、素尊は三人の息女、天照大神は五人の重臣を呼んだのである。というのはこの時両神は、右の五男三女を証人として、一の誓約(うけい)をされようとしたからで、その誓約とは近江の琵琶湖一名志賀ノ湖(うみ)、また右の天の真奈井もそうであって、この湖水を中心として、東の方を天照大神、西の方を素盞嗚尊が領(うしは)ぐという約束をしたのである。つまり今日で言う平和条約である。これによってともかく一時小康を得たが、その後素尊は相変らず謹慎の色が見えないので、ここに本当の追放となったのである。この時の事を八洲河原の誓約(うけひ)と言われているが、今日でも琵琶湖の東岸に八州河原という村があるのは、この地点であったのであろう。

ここで昔から、人口に膾灸〔炙〕(かいしゃ)されている竜宮の乙姫という女神の事を書かねばならないが、これについては、少し遡って書く必要がある。それは伊邪那岐、伊邪那美尊から生れた五柱の男女の兄弟がある。すなわち長男は伊都能売天皇、次男が天照天皇、三男が神素盞嗚尊、長女が稚姫君命(わかひめぎみのみこと)、二女が初稚姫命である。そこで伊邪那岐尊は、最初伊都能売尊に日本を統治させ次で天照天皇次で天照皇后の順序にされたのであるが、素盞嗚尊には最初から朝鮮を統治させたのである。そうして素尊の妻神とされたのが、もちろん朝鮮で出生された姫神であって、この姫神が弟の妻神となった、言わば弟姫であるから、これを詰めて音(乙)姫と呼ばれたのであるが、昔から乙米姫とも言われたが、これは未婚の時に朝鮮名の中に、米の字が入っていたからであろう。

右のごとく、弟姫すなわち音姫は、夫(つま)神が流浪の旅に上られたので、それからは孤独の生活となったのはもちろんで、まもなく故郷の朝鮮へ帰り、壮麗な城廓を築き、宮殿内に多くの侍女を侍(はべ)らせ、空閨を守っていたのである。ところがその頃信州地方の生れである太郎なる若者が、漁が好きなので、常に北陸辺りの海岸から海へ出ていた。するとある時大暴海(おおあらし)に遭い、辛うじて朝鮮海岸に漂着して救われたが、当時としては日本人も珍しがられていた事とて、ついに男禁制の王城内にまで招ぜらるるに至ったのも無理はない。ところが当時女王格である音姫様は、寂寥(せきりょう)に堪えなかったからでもあろうが、とにかく御目通りを許されたところ、太郎という若者が、世にも稀なる美貌の持主であったから堪らない。一目見るより恋慕(れんぼ)の情堪えやらず、ついに何かの名目で、城内に滞在させる事となった。

そのような訳で、太郎に対する愛情は益々熱烈を加え、日夜離さず御傍に侍らせるという訳で、この事がいつか人民の耳に入り、ようやく非難の声喧(やかま)しくなったので、ここに絶ち難き愛着を絶つ事となり、素晴しい宝物を箱に納め、土産物として太郎に遣り帰国さした。これが彼の有名な玉手箱である。またこれを開けると白髪になるなどという伝説は、誰かの作り事であろうし、また浦島という姓は、朝鮮は日本の裏になっているからで、後世の作者がそういう姓を付けたのであろう。

そうして音姫が朝鮮の女王格であった時代は、日本も支那も圧倒されてしまい、印度以東は朝鮮の勢力範囲といってもいいくらいであった。もちろんそれは素盞嗚尊が、一時飛ぶ鳥も落す程の勢いであったからでもあり、その上音姫という女神は男勝りの女傑であったからでもある。ちょうどその頃印度の経綸を終えた観自在菩薩は、帰国しようとして南支方面にまで来たところ、まだ日本は危険の空気を孕(はら)んでいる事が分ったので、しばらくその地に滞在する事となったので、その時からが観世音の御名となったのである。という訳はつまり印度滞在中は、自在天の世を客観していたので観自在といい、今度は音姫の世を静観する事となったので、観世音と名付けられたのである。すなわち観世音を逆に読めば、音姫の世を観るという意味になる。そうしておいて菩薩は、南支那地方民に教えを垂れ給うたところ、何しろ徳高き菩薩の事とて、四隣の民草は親を慕うがごとく追々寄り集う有様で、この時から観音信仰はついに支那全土にまで行き渡ったのである。ところが御年も重ね給い、これまでで経綸もほぼ成し遂げられた事とて、ついにこの土地で終焉(しゅうえん)され給うたのである。そうして今日といえども支那全土すなわち満州、蒙古、西蔵(チベット)辺に到るまで観音信仰のみは、依然として衰えを見せないのは深い理由のある事であって、これもおいおい説くが、ここで遺憾な事は、南支地方に観音の遺跡がありそうなものだが、全然無いのは、全くその地方が幾度となく、兵火に見舞われ、地上にあるあらゆるものが消滅した結果でまた止むを得ないのである。

 

『観世音菩薩』を拝読して

楳木先生:

現在私たちはこの『文明の創造』の『宗教改革』の根幹部分をズッと拝読させていただいておりますが、本日拝読の『観世音菩薩』の冒頭『前項迄に、観世音に就(つい)ての因縁を、色々な面から説いて来たが』この色々な面からすると前項までの御教えをもう一度振り返っていただきたいと思います。それで322頁の『伊都能売神』の神様のところを見ていきますと、『処が其(その)頃素盞嗚(すさのお)尊を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売(いずのめ)神の地位を狙って犯さうとしたが、容易に応諾されない為威圧や迫害等から進んで、遂に生命に迄も及んで来たので、急遽(きゅうきょ)御位(みくらい)を棄てられ、変身によって眼を外らし、窃(ひそ)かに日本を脱出し、支那(シナ)を通って印度(インド)へ落ち延び給ふたのである。』

これが実は『三千年来の罪穢れ』の根本でありますので、私たちは日常生活の中で職場であろうが家庭であろうが様々なことで威圧や迫害によって事を治めようとした場合は、『三千年来の罪穢れ』がまだ続いていると判断していかないといけません。それを切り替えていくということが私たちの御神業であるわけです。」

本筋の御神業に臨ませていただこう

楳木先生:

ところが皆様方が以前所属していた○○教団も教団改革に立ち上がったのですけども最後は威圧や迫害によって事を治めようという事を進めてしまったためにまた『三千年来の罪穢れ』の方へ引っ張られてしまったということです。

ですから支部長代理を中心にメシヤ様が本来進められようとした『本筋の御神業』に臨ませていただこう、ということで、三重支部を立ち上げたということです。

ですからこの御教えを拝読させていただければいただくほど「三重支部を立ち上げた理由はここにあるのだ」ということを、いつも私たちが信仰する原点・・・、焦点をここに当てておいていただきたいと思います。

職場や家庭で仮にこういう威圧や迫害が出た時には〝このままではまだ当面『夜の時代』だ″と判断していかないといけませんので、どこからか切り替えていくようにしていただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎私たちは、日常生活(職場や家庭)の中の様々なことを、威圧や迫害によって治めようとした場合には、『三千年来の罪穢れ』がまだ続いているのだと判断し、〝それ(威圧や迫害によって治めること)はしないのだ″と切り替えていくことが私たちの御神業なのだということ。

 

「メシヤ講座no.170三重(平成27年3月分)」より抜粋つづき:

天照天皇様が世に出て『夜昼転換』が行われた

楳木先生:

それを最初に確認させていただいて、もう一度『観世音菩薩』というところへ帰りますが、今日(こんにち)日本人が殆ど認識していないことをメシヤ様が明確に述べてくださっておりますのが、長男が伊都能売神皇(いずのめしんのう)であり、次男が天照天皇であり、三男が神素盞鳴尊(かむすさのおのみこと)であるという関係を、メシヤ様がいろんなところでお話して来られたことを『文明の創造』で明確にお示しくださっておられるということを、しっかり確認させていただきたいと思います。

そして日本人は凡そ天照天皇様の御存在を知りませんので、こうしたことを一つ一つ心を許せる人には話をしながら進めていっていただきたいと思います。

そうしないと『夜昼転換』の意味がさっぱりとわかってきません。『夜昼転換』はこの天照天皇をメシヤ様がお迎えされたことによって行われたわけです。

ここでは、メシヤ様は、天照天皇について『此(この)天皇は惜しくも、何の理由もなく俄(にわ)かに崩御(ほうぎょ)され給ふた』と書かれていますが、崩御された理由というのは明確には書かれておりませんが後ろの方に、『素尊は日本の統治権を得んとして余りに焦り、目的の為に手段を択(えら)ばず式で、力の政治を行った結果、人心は紊(みだ)れ、収拾すべからざるに至った』とお書きになられております。『手段を択ばず』ということは素尊が殺したということが類推できます。

以前「メシヤ講座・特選集」の『神界通信(へ)』の中で書いておりますが、〝素尊が毒殺したのだ″ということを神様から教えられておりますが、メシヤ様はこのようにボカしてお書きになっておられますので、こうしたところもお汲み取りいただきながら拝読していただきたいと思います。

天照天皇様が皇位にお就きになられた期間は短期間でしたので・・・天照天皇様が世の中に出てこられることによって『夜昼転換』が行われたのだというように解釈をさせていただければ良いのではないかな、と思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎伊邪那岐尊と伊邪那美尊の長男が伊都能売神皇(いずのめしんのう)であり、次男が天照天皇であり、三男が神素盞鳴尊(かむすさのおのみこと)なのだが、日本人は凡そ〝天照天皇様の御存在を知らない″ので、こうしたことを私達は心許せる人達に伝えていかなければならないのだということ。

◎『夜昼転換』については、〝天照天皇をメシヤ様がお迎えされたこと(天照天皇様が世の中に出てこられること)によって行われたのだ″というように解釈をさせていただければ良いのだということ。

 

「メシヤ講座no.170三重(平成27年3月分)」より抜粋つづき:

観世音菩薩と観自在菩薩の違い

楳木先生:

話は飛びますが、最終ページの332ページに行きますと伊都能売神皇様が、『印度(インド)滞在中は、自在天の世を客観してゐたので観自在といひ、今度は音姫の世を静観する事となったので、観世音と名付けられたのである。』と書かれておりますので、ここで〝観世音菩薩と観自在菩薩の違いはここにあるのだ″ということを明確に理解させていただくことができるのではないかなと思います。

『菩薩は、南支那(シナ)地方民に教(おしえ)を垂れ給ふた処、何しろ徳高き菩薩の事とて、四隣の民草は親を慕ふが如く追々寄り集ふ有様で、此(この)時から観音信仰は遂に支那(シナ)全土にまで行き渡ったのである。』

これについて、中国人の方で非常に強い観音信仰を持っておられる方がおりますが、〝その理由はここにある″と受け止めておいていただきたいと思います。

『処が御年も重ね給ひ、之迄で経綸も略々(ほぼ)成し遂げられた事とて、遂に此(この)土地で終焉(しゅうえん)され給ふたのである。そうして今日と雖(いえど)も支那(シナ)全土即ち満州、蒙古、西蔵(チベット)辺(あたり)に到る迄観音信仰のみは、依然として衰へを見せないのは深い理由のある事であって、之も追々説くが、茲(ここ)で遺憾な事は、南支地方に観音の遺跡がありそうなものだが、全然無いのは、全く其(その)地方が幾度となく、兵火に見舞はれ、地上にある凡(あら)ゆるものが消滅した結果で亦(また)止むを得ないのである。』

やはりメシヤ様は『遺跡がありそうなものだが』とお書きになられておりますので、本来の「世界救世(メシヤ)教」が復興した後は〝その遺跡を見つけていきたい″という大きな目標を掲げておきたいと思います。(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎伊都能売神皇様は、印度(インド)滞在中は、自在天の世を客観しておられたので「観自在菩薩」といい、次に音姫の世を静観する事となったので、「観世音菩薩」と名付けられたのだということ。

○中国人で非常に強い観音信仰をされている方々がおられますが、その理由は『菩薩は、南支那(シナ)地方民に教(おしえ)を垂れ給ふた処、何しろ徳高き菩薩の事とて、四隣の民草は親を慕ふが如く追々寄り集ふ有様で、此(この)時から観音信仰は遂に支那(シナ)全土にまで行き渡ったのである。』というところにあるのだということ。

 

「メシヤ講座no.170三重(平成27年3月分)」より抜粋つづき:

神様の事は『人間が見て解る様なちょろこい仕組ではない』

受講者:

『三男が神素盞嗚(すさのお)尊、長女が稚姫君(わかひめぎみ)命』となっていまして別の御教えに

『素盞嗚尊は非常に素行悪く、稚姫君尊と姦通した。二号、三号、四号も作ったらしい。

一方乙姫は夫の留守中、男性に飢えていた。そこへ浦島太郎が漂着して、非常に歓待を受けた。素盞嗚尊と稚姫君との間に関係がついて、日本に長くおれなくなり、朝鮮へ帰った。稚姫尊は恋しさに堪えられず、烏となって行って、それで之を祭ったのが丹波元伊勢の近くにある於加良洲明神といふ伝説があるが、之は根拠のない事ではない。』というのがあります。近親相姦になってしまいます。

楳木先生:

次の『彌勒(みろく)三会(さんえ)』では

『釈迦は稚姫(わかひめ)君命であり、阿彌陀(あみだ)は神素盞嗚(かむすさのお)尊である。』

と出てきますので、ですからね、『大本教のお筆先に旨い事が書いてあるんですよ。「人間が見て解る様なちょろこい仕組ではない。神の奥には奥があり、その又奥に奥がある仕組である」(「御講話(昭和27年6月7日分)」へ)』ということなのです。」(後文割愛)

受講者:

『天照大神は、では自分の清い心も見せようと申され、胸に掛けた曲(まが)玉(たま)を外し』とありますが、古事記では八坂の勾玉、五百津美須磨琉(いおつみすまる)と出てきます。

楳木先生:

要するに〝王権のシンボル″ということでしょうね。非常に興味深い内容がどんどん出てきますね。(御教え『病原と浄霊の原理・無機から有機へ』へ)」(後文割愛)

楳木先生:

そうしたことを最初に確認させていただいて質疑応答に入りたいと思います。

質疑応答

受講者:

熊野樟日命(くまぬくすひのみこと)という神様が出てきます。全集でも熊野樟日命(くまぬのくすひのみこと)となっておりますが、『主神様とメシヤ様』では観音講座で登場されるのですがこの時の御神名は熊津樟日尊(くまつくすびのみこと)となっています。

市杵島姫命(いちきしまびめのみこと)でも古事記では別名が狭依毘売命(さよりびめのみこと)と別名を持っていますので神様はお働きによって名前が変わるのだなあと思います。」

受講者:

それから『人口(じんこう)に膾灸(かいしゃ)』とありますが私は意味がわからなかったので調べました。

『「人口」というのは世の中の口とかうわさで、膾炙(かいしゃ)が、「膾(なます)と炙(あぶり肉、直火による焼き肉)はいずれも多くの人が喜んで食べることから、物事が多くの人の間で話題になり、もてはやされること(Wikipedia:ウィキペディア最終更新 2014年12月14日 (日) 07:43)」だそうです。

楳木先生:

人口(ひとくち)に膾炙(かいしゃ)と読んだほうがわかり易いかも知れませんね。」

受講者:

そうですね。

受講者:

伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)様、伊邪那美尊(いざなみのみこと)様が御夫婦で日本をお生みになったということですが、天照大神様は天照天皇様の奥様ということですが、天照大神様はどこから来られた神様なのですか。

楳木先生:

それはわからないね。結婚して日本の神様になったのですが、どこから来たのかはね。それに伊都能売神皇の奥様はどうだったのかはね。書かれていませんね。」

受講者:

伊都能売神皇は古事記では一回登場するだけですからね。独身の神様となっていたのでは?

楳木先生:

ですから古事記ではほとんど分からないのです。神々のことを書いた本をいくら読んでも伊都能売神皇様のことはそう出てこないのです。」

受講者:

意味があって隠されていたのでしょうか。

楳木先生:

というより、古事記というのは神武天皇以後に作り上げられた・・言い伝えを纏めたものですので、真実は隠されていると思います。」

受講者:

隠されてはいるけどもメシヤ様が取り上げられた内容は真実として捉えれば良いでしょうか。

『文明の創造』が広がってこそ〝人が救える″

楳木先生:

ここの『文明の創造』で明らかにされたということですね。観音講座の中では皇室の不敬罪に注意して書かれておりますので、真実をぼかして書かれておられるところがおありになります。昭和27年になってそのようなことに気を使わなくて良くなりましたので、このように明確にお書きになられております。ですから後半に行けば行くほど驚くような内容が出てきます。

先日お亡くなりになられましたが、ある教団の元教会長が『文明の創造』を読んでいたそうです。手垢がつくほど読み込んでおられました。メシヤ講座を7年前から読んでおられたそうです。「御神格に基づいてメシヤ様とお呼びすべきだ。」と教団に訴え続けたそうです。

『文明の創造』が出たお陰で取り寄せてしっかりと読んでおられる方がいるということですので・・・書き込みの線と手垢で汚れた『文明の創造』を見た時に〝作ってよかったなあ″と思いました。

そして、『文明の創造』がもっともっと表に出ていかなければ『人を救う』ということにダイレクトに繋(つな)がって行きませんのでいろんな方法を検討しているところです。周囲から様々なアクションがありますので3月3日を起点に布教の体制を周りから作ってきているような感があります。」

受講者:

神界が変わってきたということでしょうか。

楳木先生:

メシヤ様もきっと本祝典を開けなかったのが、小さい形からでもスタート出来ましたので、これを〝年々積み上げている″という噂が広まれば他教団もやり始めることでしょう。それぞれの教団が本祝典の記念行事とか記念大祭とか・・「我が教団こそ本祝典を行うに相応しい」と言ってくれても良いのです。」

受講者:

しかし、それには『メシヤ様』と御尊称申し上げなければいけないことだと思います。

楳木先生:

そうなのです。そういう情報が入ってきたらそのことを確認していってだんだんだんだん認識を広めて行きたいと思います。そうすれば奇蹟が他の教団も増えてくることでしょう。

メシヤ教だけでなく他の教団も奇蹟に溢れて行くようになっていただきたいと思います。

良い形で〝スタートできそうだなあ″と思います。

〝世の中の問題解決の全ては『文明の創造』にある。″というような謳い文句でもっともっと『文明の創造』を普及して行けたら良いと思います。とにかく拝読して目覚める人が増えて行って欲しいと思います。そういう事が順調に行くようにお願いしながら進めさせていただきたいと思います。

それでは本日はこれで終わらせていただきます。」

(以下割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

○熊野樟日命(くまぬくすひのみこと)と熊津樟日尊(くまつくすびのみこと)、市杵島姫命(いちきしまびめのみこと)と狭依毘売命(さよりびめのみこと)のように、神様はお働きによって名前が変わるのだということ。

◎メシヤ様は神々のことを「文明の創造」によって明らかにされたのだということ。

◎「文明の創造」が表に出ていかなければ『人を救う』ということにダイレクトに繋(つな)がって行かないので、〝世の中の問題を解決する為の全ての答えが「文明の創造」にある″のだということを私達はしっかりと認識した上で「文明の創造」の普及に務めるのだということ。

 

編集後記

責任者:

前回と同様、今回の御教えもまたまたタイムリーな御教えだなあと思いながら纏めさせていただきました。特に、今回楳木先生より御教示いただきました〝『三千年来の罪穢れ』がまだ続いているのだと判断できる事柄″に関連して、コロナワクチン(打つ打たない)の問題があるように思いました。それと共に、(このことに関して)世間一般の方々は、マスコミによる視野狭窄の状態に陥っているのではないでしょうか。

今こそ私達メシヤ様の信徒は、〝メシヤ様の教えに基づいて、世の中の状況をきちんと判断し行動出来るような力を育てていかなければならないなぁ″と強く思わせていただきました。そして「文明の創造」を学ぶ者として、この「文明の創造」を通して多くの方々を幸せに導くことができるような自分作りに務めたく思いました。

日増しに冷え込みが増す時節柄、くれぐれもご自愛くださいませ。有難うございました。

 

※責任者より

 

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.170三重(平成27年3月分)

 

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