研鑽資料no.77(2021年12月)

12月の学び

はじめに

責任者:

早いもので師走を迎えましたが、皆様にはつつがなくお過ごしのことと存じます。

コロナも嘘のように落ち着いていますので、最近は控えていた外出も気兼ねせず出来るようになりました。そして、気忙しいながらもこの一年を振り返っております。

さて、今回も引き続き「文明の創造」より学びを続けさせていただきますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.172三重(平成27年5月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『仏教における大乗小乗』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

元来仏教は、小乗が本来である事は、以前私はかいた事があるが、小乗である仏教の中にも、大乗と小乗のある事を知っておかねばならないのである。之を判り易く言えば、小乗は自力本位であり、大乗は他力本位であると思えばいい。そうして仏教中禅宗と日蓮宗は小乗であって、其他は悉く大乗である事で、茲では先ず小乗から解説してみるが、之は自力であるから、どこ迄も難行苦行を修行の第一義としている。というのは此考え方は、其根本が姿羅門宗から出ている為である。殊に彼の禅宗に至っては、最も此行り方が濃厚に表われている。

曩にも詳しく説いた如く、釈尊によって主唱された仏教精神は、婆羅門式難行苦行は誤りであるとし、それに代るに経文を唱える事によって、悟りを得るという言わば経文宗教ともいうべきもので、或期間印度全体を風擁した事は人の知る処であるが、其勢いに対してもそれに従う事なく、依然として婆羅門宗を奉ずる一団があった。勿論信念は頗る固く、相変らず禁欲的難行苦行の道を歩み続けて来たのは勿論で、其信仰の的としては彼の達磨であった。そうして達磨思想の真髄としては、苦行の外に学問であって、此両道によって悟道に入るべく、錬磨研鑽したのである。

処が釈尊入滅後数十年を経てから、婆羅門宗の行者の中に、傑出した一人物が現われた。之が彼の有名な維摩居士である。此維摩こそ禅宗の開祖であって、此本流が彼の臨済禅である。処が彼は業成るや、印度を捨てて支郡内地に移り、布教の為各地を巡跡し、最後に至って有名な五台山に登って道場を開き、道教の祖となったのである。其様な訳であるから本当からいえば、禅宗は仏教から出たものではなく、日本に入ってから仏教化したものであろうし、そうしなければ布教上にも困難があったからでもあろう。

此意味に於て禅宗の寺院も修行法も、僧侶の日常生活等も他宗とは大いに異っているにみても分るのである。彼の禅宗のみに行われる坐禅の行も、 開祖の達磨の修行に則ったものであるのは言う迄もない。又問答を修行の第一義としているが、之も他の仏教とは異つたもので、学問から生れたからに違いない。それらに就ても肯かれる事は、支那日本に於ける古来からの禅僧である。彼等の中、学高き者は漢詩の如きものを作るが、之には禅の悟りを含めたような、言わば漢詩禅ともいうべき詩文を作り、旺んに書いたらしい。

今日之等の書や大字など相当残っているが、好事家から非常に珍重され、価格も高いが、静かに観ると実に脱俗的匂いは人の心に迫り、よく筆者の人格を表わしていて、実に頭の下る思いがする。其中でも有名な彼の『碧巌録』の作者圓悟禅師の如きは支那随一とされている。

日本に於ける禅宗の開祖は、京都大徳寺の開山大燈国師であるが、此人も当時から傑出した僧で、其文といい書体といい、先ず日本一と言ってよかろう。次は鎌倉円覚寺の開祖無学禅師であるが、私は此人の書は殊に好きである。此様に見て来ると、禅宗の高僧は僧侶よりも寧ろ宗教学者といった方がいい位である。そうして今日日本の禅宗は曹洞宗、臨済宗、黄檗宗の三派となっているが、黄檗宗は微々たるもので、之は支那の方が旺んだという事である。禅宗の方は此位にしておいて、次は日蓮宗をかいてみよう。

日蓮宗は勿論小乗仏教であって、難行苦行による自力本位であるから、他宗の如く釈迦や阿弥陀には余り重きを措(お)かないようで、只一途に開祖日蓮上人を中心に拝み、苦行によって自力を強めようと修行するのは人のよく知る処である。即ち之等によってみると此宗は釈尊の仏教を通り越して、婆羅門の流れを汲んだものといってもいい位である。上人が「吾は法華経の行者なり」と言われたが、此行者の言葉も婆羅門から出ているのである。といって上人は釈尊の経文にも大いに重きを置いている。法華経二十八品を同宗の基礎とした事によってみても分るが、言わば上人は精神は姿羅門に従い、形体は釈尊に学んだといってもよかろう。そうして此宗は最も霊憑りを奨励し、修行の第一義としているが、之も仏教的ではなく婆羅門的である。

 

仏教に宗派が生まれた理由

楳木先生:

仏教についてメシヤ様はズーッと御解説してくださいまして、愈々最後に『仏教に於ける大乗小乗』ということで仏教に宗派が生まれた理由をメシヤ様が詳説してくださっているわけであります。

そこでもう一度仏教の成り立ちということを見ていきますと、3000年前に素戔嗚尊が朝鮮半島から押し寄せて来て、当時日本の頂点にいらした伊都能売神皇様の皇位を脅かして・・伊都能売神皇様は毅然としてお断りしておられたのですが、日本人の生命の危機に及んだために急遽御位を天照天皇にお譲りになってインドへ下って行かれました。

そして、インドでお釈迦様がまだ悉達太子と呼ばれていた頃に、補陀洛山(ほだらくさん)で悉達太子に日本の教えを伝えて行ったわけです。

日本の教えが仏教の中に形として残っているのが五輪塔です。五輪塔は「空風火水地」という形で成り立っておりますけども、これは日本語の母音「あいうえお」が源になっているわけです。また、日本の徳目(日本を徳で治めていた手法・・・例えば『道法禮節((御教えへ)』を以て人間修養に取り組むなど)を悉達太子に教えられて、それを受け止めて仏教を2600年余前に作り上げて、それが日本へ逆輸入された形になって日本の定着しております。

それで逆輸入される時に中国を通ってきて儒教を拾ってきておりますので、3000年前の御位牌の形態から現在の御位牌の形態に変わったのです。

インドで修行をされた方たちはいろんな形態で人々を救おうと立ち上がられてそれが日本に入ってきた時に様々な宗派として生まれてきたわけです。

その日本に入ってくる時の様子を本日の『仏教に於ける大乗小乗』としてメシヤ様が御解説してくださっているわけですので、そういう時間の流れを把握して本日のところは拝読していただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は御教え『仏教に於ける大乗小乗』で、仏教が日本に入って来る時の様子を解説下さっているので、さらに仏教が日本に入って来るまでの(仏教の成り立ちからの)時間の流れを把握して(御教え『仏教の起源』『伊都能売神』『観世音菩薩』へ)この御教えを拝読するのだということ。

 

「メシヤ講座no.172三重(平成27年5月分)」より抜粋つづき:

『大乗の善は小乗の悪』『小乗の善は大乗の悪』

楳木先生:

それで冒頭、『元来仏教は、小乗が本来である事は、以前私はかいた事があるが、小乗である仏教の中にも、大乗と小乗のある事を知っておかねばならないのである。』

これは仏教自身(メシヤ様の御解説ではないもの)を読んでいきますと小乗仏教というのは「出家しないと救われない。悟りが開けない。」そういう世界のことを言います。

しかし、大乗仏教では出家しないでも在家で悟りを開いていける。或いは救いがいただけると解釈しておりますので、メシヤ様が御解説してくださっている内容と一般的な大乗小乗とは少し違います。

メシヤ様の捉え方は非常に幅が広くて、例えば太陽系を考えてみますと、太陽系は太陽から熱が放射されるのと同時に太陽風というエネルギーが放射されております。

それで太陽風は地球の空気を剥ぎ取ってしまいます。しかし有難いことに地球には磁場がありますのでその磁場に当たって太陽風は分かれて飛んでいきます。この磁場のない星というのは剥ぎ取られてしまって空気が無くなっているのです。

地球は磁場があるために大気が剥ぎ取られないので、私たちはこうして空気を吸うことができるわけです。そういうことを知ると磁場に感謝しなければいけませんね。

惑星にとって太陽風は怖い存在ですので、小乗的に考えると〝悪″になってくるわけです。

しかし、それ(太陽風)が太陽系の一番外まで行きますと・・・銀河系の中心から流れてきている宇宙線というのが来ておりますが、この宇宙線というのは私たちの体を通過した途端に分子に分解されてしまうほどの強力なエネルギーが来ております。これが来てしまいますと地球そのものの生命が全部消えてしまいます。これを太陽風が太陽系の一番外でくい止めているのです。これが〝大乗の善″になるのです。しかし小乗から見ると〝悪″なわけです。

 

こういう関係をメシヤ様は説いてくださっておりますので、『大乗の善は小乗の悪』なんだと、しかし『小乗の善は大乗の悪』なんだということです。そうかと言ってこの太陽風をくい止めるということを仮にした場合は、今度は宇宙線が入って来ますので、我々の存在はなくなってしまいます。

このようにこの世の中は、『大乗の善は小乗の悪』『小乗の善は大乗の悪』という関係で成り立っているということをメシヤ様は他の御教え(御教え『大乗と小乗』へ)で説いておられます。そういうことを一緒に考えながら本日のところを拝読していただくと良いと思います。

こういうことを知っただけでも自分たちの人生観というのは果てしなく大きい、太陽系全体を考えて行くという人生観になっていきます。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎一般的な「大乗小乗」と、メシヤ様が御解説してくださっている内容は少し違うのだということ。

◎メシヤ様の「大乗と小乗」の捉え方は非常に幅が広いのだということ。

◎この世の中は、〝『大乗の善は小乗の悪』『小乗の善は大乗の悪』という関係で成り立っている″ということをメシヤ様は他の御教えで説いておられるので、そういうことを考えながらこの御教えを拝読するのだということ。

 

「メシヤ講座no.172三重(平成27年5月分)」より抜粋つづき:

禅問答について

楳木先生:

我々の人生観を大きく引き上げて幅を広げてくれるのが御教えであると受け止めていただいて、5行目にまず、『先(ま)づ小乗から解説してみるが、之は自力であるから、どこ迄も難行苦行を修行の第一義としてゐる。といふのは此(この)考へ方は、其(その)根本が婆羅門宗から出てゐる為である。殊(こと)に彼(か)の禅宗に至っては、最も此(この)行(や)り方が濃厚に表はれてゐる。』

ということですので、禅宗というのは 禅問答を見ていくとわかりますが、「○○さん、この花瓶を持って何とする」とか言うと何か答えてくれますか。」

受講者:

四角である。

楳木先生:

「四角と見たか、しかし上から見るとまるいのだ。」とかやりながら悟りのようなものが開けてくるということが禅問答の中にあります。わけのわからないことをやっているのですね。ですからメシヤ様は、禅問答はあまりお好きじゃないと思います。

もっと具体的に物事を捉えていって、人の〝悩みも現実的に具体的に救っていかなければいけない″というお考えですのでメシヤ様は婆羅門的な考えはあまりお好きではないように思います。

しかし、その世界で悟りを開こうとしている、書の世界では傑出した美術品・・・、MOA美術館には

「帰雲」(無準師範墨跡 ぶしゅんしばんぼくせき)という大きな横文字があります。

絵の世界では「寒江独釣図」 (かんこうどくちょうず)というのがあります。「水上に篷を設け、仕掛けた四つ手網を、一漁師がじっと見守っている」

あれは悟った姿を描いているのです。悟った姿が凝縮されているので見る人の日頃の生活において〝すばらしいなあ″という人と〝どうしてこんなのが良いのかな″という差が生まれてくるのです。

支部長代理、さっきの資料を皆さんに話してあげて下さい。

『有名な彼(か)の碧巌録の作者圜(えん)悟(ご)禅師の如きは支那(シナ)随一とされてゐる。』

とメシヤ様はスっと書いておられますが碧巌録の中身というのは中々難しいのでどのようなものか調べてくださいました。」

支部長代理:

今回「碧巌録」という書が出て来ましたのでどのような本なのか取り寄せて見ました。一項目だけ紹介させていただきます。

「文殊前三三(もんじゅのぜんさんさん)」という項目です。

読みます。

「垂示に云く、龍蛇(りゅうだ)を定(みきわ)め、玉石を分かち、緇素(くろしろ)を別ち、猶豫(ゆうよ)を決するに、若し是(こ)れ頂門上に眼あり、肘臂(ちゅうひ)下に符あるにあらずんば、往往に当頭に蹉過(すれちが)わん。只だ如今見聞不昧(いまけんもんふまい)、声色(しょうしき)純真ならば、且道(さて)、是れ(これ)皀(くろ)か是れ(これ)白か。 是れ曲か是れ直か。這裡(ここ)に到って作?生(いかに)か辯(べん)ぜん。」

支部長代理:

碧巌録という本は12世紀に編まれた禅の代表的古典で主要な禅師それぞれの全人格が投入された言行の記録百則で、そこにその人ならではの悟境が託されており、それをどう受け止めるかは読む者の力量によります。現代語に解説されていないので難しいですね。

楳木先生:

読んでもらうと何となくわかるでしょう。響いてくるのでね。禅問答の声に対して問うと・・・、そして答える、と。そういうことがこれを口に出して発声してもらうとわかると思います。

禅の世界を今覗いてみましたけども、碧巌録というのはそういうものだということです。これがお坊さんたちの問答集みたいなものですね。読んだ人の悟りで理解が出来る。考えた上で時々読む。悟りが開けるか開けないか・・・ということですね。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎メシヤ様は、〝人の悩みも現実的に具体的に救っていかなければいけない″というお考えなので、禅問答のような婆羅門的な考えはお好きではないのだということ。

 

「メシヤ講座no.172三重(平成27年5月分)」より抜粋つづき:

日蓮上人について

楳木先生:

それでは次に、『日蓮宗は勿論(もちろん)小乗仏教であって、難行苦行による自力本位であるから、他宗の如く釈迦や阿彌陀(あみだ)には余り重きを措(お)かないやうで、只(ただ)一途に開祖日蓮上人を中心に拝み、苦行によって自力を強めようと修行するのは人のよく知る処である。』

これは最近の(昭和27年当時の)日蓮宗を説明してくださっているわけですけども、元々の日蓮宗は、『といって上人は釈尊の経文(きょうもん)にも大いに重きを置いてゐる。法華(ほけ)経二十八品(ぼん)を同宗の基礎とした事によってみても分るが、言はば上人は精神は婆(ば)羅門(らもん)に従ひ、形体は釈尊に学んだといってもよからう。』

ともお説きいただいています。

いつもお話しますように、日蓮上人は、お経を全巻漢文で読んで、すべてを理解した上で日本の仏教を見た時に“お釈迦様の説いた仏教とは違う”ということに気付いて「現在の仏教は本当の仏教ではないので仏教改革をしなければいけない」と決意したのです。

そして、その中身は何かと言いますと・・・、伊都能売神皇様が仏教の祖であるということが根本で、最終的にお釈迦様が悟りを開いて書き直したのが法華(ほけ)経二十八品(ぼん)なんだと、気付いて、伊勢神宮にお参りに行って天津祝詞を奏上して天照大御神様に「これから仏教改革に立ち上がるので、どうぞお導き、御守護を賜りたい」と祈って、それから故郷の千葉で一大獅子吼をされたというのが日蓮宗の成り立ちです。

メシヤ様の御教えを拝読させていただく時には日蓮上人の歩んだ心を見ておいていただきたいと思います。

それから当時の仏教は為政者と癒着しておりますので、「本当の仏教は今の仏教ではない」と日蓮上人に言われると困るので政治を使って日蓮上人の弾圧に踏み切ったわけです。

弾圧されたために日蓮上人は仏教改革を唱えつつも自分が攻撃されたためにその攻撃に対する文言を述べたために日蓮宗になってしまったのです。本来の仏教をやりたかったのですが、攻撃を受けてその攻撃に反論する形で日蓮宗が出来上がってしまったのです。

弟子たちはそのことがわからないのであれほど弾圧したにもかかわらず〝日蓮上人は志を貫いた″ということで、その“志の高さ、信念の強さ、不動の精神力”を信仰していったために現在の日蓮宗が出来上がったという構図です。

この構図がわかっただけでも素晴らしいのです。我々はメシヤ様に導いて頂いているお蔭で、すごい頭脳の持ち主に今変貌を遂げているのです。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎日蓮上人は、お経を全巻漢文で読んで、すべてを理解した上で日本の仏教を見た時に“お釈迦様の説いた仏教とは違う”ということに気付いて「現在の仏教は本当の仏教ではないので仏教改革をしなければいけない」と決意したのだということ。

◎日蓮上人は、〝最終的にお釈迦様が悟りを開いて書き直したのが法華(ほけ)経二十八品(ぼん)なんだ″と気が付き、伊勢神宮にお参りに行き天津祝詞を奏上し、それから故郷の千葉で一大獅子吼をされたというのが日蓮宗の成り立ちなのだということ。

◎御教えを拝読させていただく時には、日蓮上人の歩まれた心を見て拝読するのだということ。

 

「メシヤ講座no.172三重(平成27年5月分)」より抜粋つづき:

宗教家は60歳からが現役だ

楳木先生:

出張の合間に出身高校の還暦の同窓会がありました。42年ぶりに初めて出席しました。

久しぶりに話を聞きますと皆退職した人ばかりなのです。それで私に「何をやっているのか。」と聞かれましたので「メシヤ教をやっているのだ」と「俺達はリタイヤしたのにまだ現役なのか」と言いますので「宗教の世界は60歳からが勝負だ。60歳からでないと干支を一回りしていないのでこの世の中に起きてくることを全部見たことにならないし、人の生き様とか価値観を全部掌握出来ているわけではないので、60歳から宗教家というのはやっと力を発揮できるのだ。だから60歳からが現役なんだ。」とみんなに言ったのですが、反応はまちまちだったですね。一人だけ書籍を送って欲しいというので『文明の創造』と『主神様とメシヤ様』を送って出張に出ました。

(後文割愛)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎干支を一回りした60歳から、宗教家というのはやっと力を発揮できるのだ(60歳からが現役なのだ)ということ。

 

「メシヤ講座no.172三重(平成27年5月分)」より抜粋つづき:

萩の地の重要性

受講者:

「神素戔嗚尊と瓊瓊杵尊が10万の兵を率いて上陸したとき一緒に萩に上がったのだ」と本部御神体御奉斎記念大祭でお聞きしましたが、素戔嗚尊は出雲から朝鮮へ行ったのにまた戻ってきて出雲へ行ったのですか。

楳木先生:

朝鮮から瓊瓊杵尊と若い素戔嗚尊とが萩から上陸して片方は高千穂へ入って片方は出雲へ鎮まったのです。そこから素戔嗚尊が伊都能売神皇様の位を奪おうとして先に動いたのです。

最終的に東征に出たのは瓊瓊杵尊の孫だからね。その間は高千穂でズーッと潜んでいたのです。」

受講者:

当時伊都能売神皇様がおられたのはどの当たりなのでしょうか。

楳木先生:

大体は富士山の東側あたりだと推測されると言われています。

また箱根が3000年ぶりに活動していますね。箱根山は何十万年前に富士山と一緒に出来たのですが、箱根山は今の外輪山より上が吹っ飛んで爆発で・・そして外輪山が出来上がってその中心が神山です。こういう成り立ちを何十万年前からしているのです。

ですから富士山と神山は兄弟の山らしいです。距離も近いので箱根が活動し始めたということは富士山の噴火が近いのではないかとみな、警戒しているのです。」

受講者:

450年前はこの当たりは東海湖でそれが琵琶湖になったとの新説が発表されました。

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎当時伊都能売神皇様がおられたのは、富士山の東側あたりだと推測されると言われているのだということ。

 

編集後記

責任者:

『仏教の起源』『伊都能売神』『観世音菩薩』そして、今回の『仏教に於ける大乗小乗』と学んで参りりました。御教示いただいていますように、日蓮上人は本来の仏教(正しい教え)を広めようと「仏教改革」を推し進められました。そして、メシヤ様は「宗教改革」と「医学革命」を行われ、その方法を私達に御教え下さっております。新文明の設計書である「文明の創造」の学びを通じ、私達は自己研鑽を積み上げおりますが、締め括りの月にあたり、この1年の学びを振り返り、〝自分の中に於ける「宗教の改革」と「医学の革命」は行われているのか″を確認して頂けたら有難いなあと思います。

冬将軍に負けないよう、どうぞご自愛ください。有難うございました。

 

※責任者より

 

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.172三重(平成27年5月分)

 

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