研鑽資料no.112(2023年6月)

6月に向けての学び

はじめに

責任者:

照りつける日差しにも夏の気配が感じられるようになりました。皆様におかれましては、お変わりなくお過ごしでしょうか。今月は、19日(金)、20日(土)、21日(日)の日程で、G7広島サミットが開催されました。「日本が議長を務める今年のG7サミットでは、武力侵略も核兵器による脅しも国際秩序の転覆の試みも断固として拒否するというG7の意思を歴史に残る重みを持って示したい。」と岸田総理は御述べになられております。今回の被爆地広島でのG7開催が、世界の恒久平和に結びつくことを心から願っております。

さて、それでは引き続き「文明の創造」より学びを続けて参りたく思います。よろしくお願い致します。

 

「メシヤ講座no.148浜松(平成25年5月分)」より抜粋:

<今月の御教え>

『肝臓、胆嚢、膀胱の結石』

「文明の創造、科学篇」昭和27(1952)年

医診でよく言われる肝臓病というのは、実は誤りで、肝臓そのものには異常がないので、ただ肝臓の外部に薬毒が固結しておるのを間違えたものである。しかしもちろんその毒結が肝臓を圧迫しているので、苦痛であるのみか、これが黄疸の原因ともなるから、始末が悪いのである。

もちろん右のごとく毒結によって、肝臓を圧迫する以上、肝臓の裏にある胆嚢も圧迫されるから、胆嚢の中にある胆汁が滲出し全身に廻る。それが黄疸である。ところが黄疸は皮膚の変色ばかりの病ではなく、胃の活動をも阻害させる。というのは胆汁は胃の消化を助けるため、絶えず輸胆管を通じて、胃に送流しているにかかわらず、右によって胆汁の供給が減るからである。ゆえにこの病気を本当に治すには、原因である肝臓外部の毒結を溶解し、排除させるより外に方法はないが、医療ではそれが不可能であるから、一時的緩和法によって、小康を得るより手段はないのである。

ここで、結石についてかいてみるが、最も多いのは胆嚢結石であって、これは胆嚢の中へ石が出来るので、その石が胆汁と共に胃に向かって流入せんとする際、輸胆管通過が困難なのでそれが堪えられない激痛となるのである。従って医師も特に治療困難な病気としている。近来細い針金様の機械を作り、咽喉から胃を通して、捕捉し出すという事を聞いているが余り効果はないようである。ところが石の小さい場合、通過下降し、腎臓にまで流入するので、腎臓内の尿素が付着し、段々大きくなってゆき、ここに腎臓結石となるのである。そうして困る事には、結石は腎臓活動のため、腎臓壁に触れて疵が出来る。そこへ尿が沁みるから痛みと共に出血するので、これを医診は腎臓結核というのである。しかも結石は漸次育ってゆき、余り大きくなると致命的となり、医療は手術によって片一方の病腎を剔出(てきしゅつ)するのであるが、その時分は非常に固い石となっており、これを細工して指環やカフスボタン等に作られたものを見た事があるが、すこぶる光沢があって宝石に見紛うばかりである。また小さい内膀胱に流入し、腎臓におけると同様育ってゆく、これが膀胱結石である。ところが最も困る事には、その石が膀胱の入口へ痞(つか)える事がある。それをうまく通過しても今度は尿道口に痞える。両方とも尿の排泄を止めるから、尿は漸次下腹部に溜り腫れるので、医師はブージーを挿入するが、これも尿道口だけの閉塞なら奏効するが、膀胱口の方は仲々困難なので、ついに生命に関わる事となるのである。

ここで、最初の胆嚢結石の原因を書いてみるが、これはさきに述べたごとく、腎臓から滲出する薬毒が、漸次上部に移行する際、胆嚢の裏面から胆嚢内へ滲透するので、その毒素と胆汁と化合して石となるのである。従って、これを治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活発にさせ、余剰尿を作らないようにする事で、それより外に方法はないのである。従って本浄霊法によれば、割合簡単に石は分解され、砂のごとくなって、尿と共に排泄されるので、短期間に全治するのである。

 

肝臓の役割

楳木先生:

いよいよ今月は腎臓のところから、『肝臓、胆嚢(たんのう)、膀胱の結石』というところへ移ってきましたが、皆さん方は自分の肝臓は何のために、何をしてくれているかというのをだいたい承知していますかね?まあ○○さんが一番得意としていることですが・・・。」

参加者:

いや、そんなに飲まないものですから・・・。(笑い)

楳木先生:

もう答えがわかっているね。まあ、アルコールを分解するということが代表されるように、人体にとっての有害物を解毒していくという作用がありますね。

その他はどうですか?肝臓について他には何か、知識ない?では、そこに人体の本があるから読んでみて。肝臓は何をやってくれているか・・・。」

参加者:

[朗読]

【史上最強カラー図解 プロが教える 人体のすべてがわかる本  浜松大学教授 医学博士 竹内修二監修 ナツメ社 85ページ】より:

<肝臓の働き>

肝臓は、さまざまな栄養素を分解・合成する機能を持っています。

人間の大きなエネルギーとなる炭水化物は、果糖などの単糖に分解されて腸で吸収され、その後肝臓でさらにブドウ糖に分解されて血液中に供給されます。このとき、余ったブドウ糖はグリコーゲンという物質に変換され、エネルギー源として蓄えられます。そのほか、体内で発生する有毒なアンモニアを無毒の尿素に変える解毒作用や、体内の古くなったコレステロールなどを分解し胆汁を作るのも、肝臓の働きのひとつです。

<さまざまな肝臓の働き>

糖質、脂肪、タンパク質、アミノ酸の代謝: 糖質や脂肪、タンパク質、アミノ酸を分解・合成し、エネルギー源として全身に供給します。

グリコーゲンの貯蔵: ブドウ糖をグリコーゲンとして蓄え、必要なときに体内に供給します。

赤血球の分解・胆汁の生産:古くなった血液のヘモグロビンから胆汁の材料となるビリルビンという物質を生成します。

ビタミン、ホルモンの代謝: ビタミンやホルモンを蓄えるとともに、必要なときに体内に供給します。

異物の処理: 体内に取り込まれてしまった有害な物質を無害な物質に変えます。

 

楳木先生:

今の通りのことを肝臓はやってくれているのです。だから大きく言うと、小腸から栄養を吸収して、それを肝臓で全身で使いやすいようにして送るという作業を一つはしてくれているのです。

そして、その送った後の残った栄養分を肝臓に貯蔵するということ、そういう働きを持っているということです。

それから毒素をはじめとして、分解し、尿素に変えたり、様々な、外へ排泄しやすいように解毒したりしてくれているということ、これが、肝臓が毎日やってくれていることです。

みんな毎日ボーっとしてとしていても肝臓はそういったことをちゃんと全部やってくれているのです。こんなありがたいものが、まずは肝臓であるということですね。だから「肝臓よ、いつもありがとう!」と言わなくてはいけないのです。

それから、こういうことからいうと、とりわけ、過去、薬を服んだ人とか、それから治療のために薬を服んでいた場合には、この肝臓を一番よく浄霊をしないといけないということです。我々は腎臓が大事だということを教えられると、もう腎臓ばかり浄霊をしてしまう。しかし、体内の中で大事なところは肝臓が分解したり、いろいろしたりしてくれている訳だから、この肝臓をしっかり浄霊しておかないと、腎臓がいくら働いてくれても、解毒能力がないと、腎臓に尿素を送りだすことができないので、肝臓と腎臓はいわばセットで浄霊をしておかないといけないという訳ですね。だから昔から《肝腎要》と言った訳なのです。肝臓と腎臓が体の中でしっかりと働いていかないと、健康を維持することができないということですね。

だから、過去、大病を患った人とか、大病を患ってメシヤ教に入った人は、この肝臓と腎臓の浄霊をキチンと取り組まないといけないということを、今日、こういう機会にしっかり肚に入れておいていただきたいと思います。」

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎肝臓は(毎日)、

>小腸から吸収した栄養を使いやすいようにして全身に送るという作業をしてくれているのだということ。又、全身に送った後の残った栄養分を肝臓に貯蔵するという働きも持っているのだということ。

>毒素(有害なアンモニア)を分解し尿素に変えたり、様々な(体内に取り込まれてしまった有害な物質を)外へ排泄しやすいように解毒したりしてくれているのだということ。

・肝臓は、上記のように有り難い働きをしてくれているのだということ。

◎過去、薬を服用したことがある人は、肝臓を一番よく浄霊をしないといけないのだということ。

>私達は、腎臓が大事だということを教えられると、腎臓ばかり浄霊をしてしまうが、体の中では肝臓が(有害物質を)分解したり、解毒したりする訳だから、この肝臓をしっかり浄霊しておくのだということ。

・腎臓がいくら働いてくれても、(肝臓による)解毒能力がないと、腎臓に尿素を送りだすことができないので、肝臓と腎臓はいわばセットで浄霊をしておかないといけないという訳なのだということ。

・昔から《肝腎要》と言ったのは、肝臓と腎臓が体の中でしっかりと働いていかないと、健康を維持することができないからなのだということ。

◎過去、大病を患った人や大病を患ってメシヤ教に入った人は、“肝臓と腎臓の浄霊にキチンと取り組まないといけないのだ”ということをしっかり肚に入れておくのだということ。

 

「メシヤ講座no.148浜松(平成25年5月分)」より抜粋つづき:

胆嚢の役割

楳木先生:

それから次、肝臓から胆汁を作り出して、胆嚢から胆汁が出るという作用が次にあります。

そうすると、子育てをしているときに、白い便が出たことはありませんでしたか?」

参加者:

ありました。

楳木先生:

白い便はどうして出た?」

参加者:

胆汁が出ていないからです。

楳木先生:

胆汁が出ていないからだね。白い便が出た場合には、胆嚢から胆汁が出ていないために白い便になってしまうということですね。」

参加者(子ども):

何? 白い便って?

楳木先生:

君が出たんだよ、白い便が。黄色いウンチではなくて、白いウンチが出た場合には、胆汁が出ていないということです。だからこういう場合には胆嚢、肝臓をよく浄霊するとういうことが必要になってくるのです。

そして我々が消化をしていく上においては、この胆汁というのは大きな役割(脂肪の分解や脂溶性ビタミンの消化する働き)を担ってくれているので、日々こういう機能が順調に働いていてくれているお蔭で、我々は物を食べて、排泄もできるということであります。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎白い便が出た場合には、胆汁が出ていないということなので、胆嚢と肝臓をよく浄霊するとういうことが必要になってくるのだということ。

◎私達が食べ物を消化をしていく上に於いて、胆汁というのは大きな役割(脂肪の分解や脂溶性ビタミンの消化する働き)を担ってくれているのだということ。

>日々、(胆嚢のように胆汁を出すという)機能が順調に働いていてくれているお蔭で、私達は物を食べて、排泄もできるのだということ。

 

「メシヤ講座no.148浜松(平成25年5月分)」より抜粋つづき:

結石について

楳木先生:

それから次には結石のことをメシヤ様は御解説してくださっておりますけれど、皆さん方はメシヤ教に入会して日々の生活をキチンとしないといけないということで、トイレの掃除は怠らないようにしてくれていると思いますけれど、トイレの汚れの原因は何ですか?

例えば今の洋式のトイレで、男の人がおしっこをすると跳ねて床とかに跳ねて汚れますね。これはなんのために汚れるのですか?」

参加者:

尿石?

楳木先生:

そうそう、尿石で汚れるのです。だから我々のおしっこの中には小さい水晶を刻んだような石が入っているのです。尿石というのが。この尿石がへばりついて汚れをつくるのです。だから、跳ねたら男の人はすぐにティッシュペーパーなどで拭いておけばトイレの汚れは起きないのです。

しかし、それが面倒臭いので、拭かないためにトイレが汚れてくるのです。だからこまめに跳ねたら拭いておけば良い訳です。それを面倒臭がらずにしておけば、あまりトイレの掃除は大変な作業ではなくなってくるのです。そのつど拭いておけばね。

この尿石に尿毒とかが付着する、そして化合して石になってくるわけですね。もともと尿の中に含まれている石が化合して膨らんでいく、これが結石なのです。

三重支部の責任者が、今度の三重支部のホームページをアップするときに囲みで入れてくれると思うのですが、入会する前、いわゆる浄霊力を身につける前と後に石が1回ずつできています。(内容は、三重支部ホームページへ「支部長代理の回想録」へ

私も皆さん方に石を見せたことがありますね。それも自己浄霊をしながらするとだいたい5、6時間で砂になって出るのです。砂のようになって出てしまうと、痛みは終わるということですので。まあ痛みが大変厳しいので、なかなか大変なのですが、浄霊をすれば砂状になって出るということでありますので、この浄霊は大変ありがたいので、今度、三重支部がアップしたら一度のぞいて、○○さんの体験を読んでおいていただければありがたいですね。

まあそういうことから、最後のページの後ろから5行目に『従而(したがって)、之を治すには根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活潑(かっぱつ)にさせ、余剰尿を作らないやうにする事で、それより外に方法はないのである。従って本浄霊法によれば、割合簡単に石は分解され、砂の如くなって、尿と共に排泄されるので、短期間に全治するのである。』 ということは、今のように浄霊をいただけば、短時間でといっても5、6時間ですが、5、6時間我慢すればおしっこで出てしまうということです。しかも浄霊をいただくと、転げまわるような痛みがだいぶ和らいで、しかも砂状になって行きますので、この浄霊は大変ありがたいのです。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎私達の尿の中には、「尿石」という小さい水晶を刻んだような石が入っていて、この尿石に尿毒とかが付着し、そして化合して石(結石)になってくるのだということ。

◎結石を治すには、『根本である背面腎臓部の毒結を溶解し、腎臓を活潑(かっぱつ)にさせ、余剰尿を作らないようにすることで』、浄霊をいただけば、短時間(5、6時間)我慢すればおしっこで出てしまうのだということ。

・浄霊をいただくことによって、転げまわるような痛みがだいぶ和らいで、しかも(結石が)砂状になり出ていくので、浄霊(をいただけるということ)は大変有り難いことなのだということ。

 

「メシヤ講座no.148浜松(平成25年5月分)」より抜粋つづき:

神様からいただいた使命を遂行するための浄霊

楳木先生:

しかし、他の支部でも皆さんに少し注意をしたのですが、○○教団とかの経験を受けて浄霊をしていると、固結を探して、そして溶かそう、溶かそうという浄霊をしていきますので、いつも健康状態ではなくて、浄化気味の体になってしまいます。

メシヤ様は今日、拝読していただいた「祈りの栞に寄せて」の『人間とは』というところを拝読してください。」

参加者:

[拝読]

『人間とは』

「栄光」237号、御教え『御神意を覚れ』へ

『本来、人間というものは、神様の御目的たる理想世界を造る役目で生まれたものである以上、その御目的に叶うようにすれば、いつも無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である。

そうして神は一人ひとりそれぞれの使命を与え、特徴を与え、特徴を持たせ、生き変わり、死に変わり、理想目的に向かって前進せしめつつあるのである。』

楳木先生:

ありがとうございます。

この『不滅の真理』を忘れてはいけないのです。『不滅の真理』を忘れると、いくら浄霊を手にしてもおかしな方向へ行ってしまいます。

『不滅の真理』とは、神様からいただいた使命を毎日、日々実践するということが大事になります。

ですから男性であれば、自分の与えられた職場で、精一杯その仕事に取り組んで、世の中のため、人のために、その仕事を通して貢献するということが、神様から与えられた使命を遂行することであります。ですので、これをすれば『無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である』ということでありますので、これをするために浄霊があるのです。

浄霊はただ単に溶かすためだけにあるのではなくて、神様からいただいた使命を遂行させるために浄霊があるので、日ごろ、特に具合が悪くなくて、働ける状態の時には溶かすような浄霊をしなくて良いのです。

しかし、どうしても解毒ということを勉強していくと、溶かそうということが前面に出てきて、人間の使命ということを忘れてしまうので、おかしな信仰を形成してしまうのです。これが今、○○教団の人たちが陥っているところです。

どこまでも主神様がこの地球を作られて、この地球上に地上天国を建設するということで人間は生まれてきている訳ですので、自分の分担する場所を明確に覚って、そのことに全面的に取り組んでいくということが、人間の果すべき役割なのです。

このことを疎かにすると、なかなかうまくいかないということが起きてきます。

このことは外で働いていなくても、主婦業というのは、例えば仮に悪い例ですが、主婦に交通事故で怪我をさせて、全然動けなくなった時の主婦への補償額というのは、1回話したことがありますが、全快して主婦業に専念できるようになるまでの間、月にいくら払わなくてはいけないか、と・・・。

専業主婦を寝たきりにさせた場合、月々いくら払わないといけないかというと、だいぶ今、デフレが進んでいるので、少し下っているのですが、まあ、前後したとしても、約20万は払わないといけないのです。ですから専業主婦の労働価値というものは、だいたい20から25万くらいの価値には見られるのです。ですから、朝起きてから掃除、洗濯、炊事と、一日家のことを全部すると、だいたい最低20万の仕事をしているということです。

それを外に出てパートで何万か収入を得てきたとしても、極端な話をするとそれはあまり・・・、家で懸命に家を磨くとか、家族のことを考えて料理を作るとか、洗濯をきちんとするとか、そういうことの方が大変価値があるということです。

そういうことでは、時には夫婦で私の仕事量ということで話しておかないといけない内容である訳ですね。それ程家事ということは大切なことでありますので、ただ単に職を持って仕事をしているだけではなくて、家を守るということも大変大きな役割なのだということです。

それから、5月5日は御神体御奉斎を本部にさせていただいた記念日でもあり、新本部をいただいてからもちょうど1年経ちました。で、この1周年記念も併せてやらせていただきましたが、この本部というのは10年間、空いていましたので、誰も住んでいませんでしたので、完璧な掃除は1年くらい掛かりました。

一番大変だったのは、天井の掃き掃除ですね。天井の箒というのは、見たことがありますか?

天井の箒は、棕櫚(しゅろ)でできており、柄が天井に届くくらい伸縮させて、掃くものがあるのです。これで、最初の、第一回目の掃除をしたときには頬被りをしてやったのですが、目にほこりが入ってとても掃除全部はできませんでした。1列をやったら外に出て、ほこりがだいぶ落ちたら、もう1列をするといった具合に。本部の天井は屋久杉を使っているので、これくらいの巾で板が張ってあるので、その巾を掃除して、1列掃除をしては外に出て、また1列掃除をしたら外に出るということを毎月重ねて、約1年でやっとほこりが取れなくなってきました。

これはどういうほこりかというと、屋久杉が板を家にはめて、それが乾燥していくと、端っことかが乾燥していくので、その目のところが一部朽ちたような状態になり、そこへまた10年間のほこりが溜まっていますので、箒で掃くことによって、磨いていくようなかたちになるのです。磨いていくと、段々本来の木の持ち味が出てきますので、だいたい1年間箒で掃くことによって、ほぼほこりが出なくなりました。そういうことが天井とか、一つの掃除にしてもある訳です。

で、今回、松も植えることができたので、だいたい庭も完成してきたなと思うのですけれどね。

我々は毎日、この柱を磨きます。この磨く意味というのは、どういう意味があるのかというと、綺麗にするという意味だけではないのです。

MOA美術館の絵が何故素晴らしいのかというと、歴代の作家が自分の芸術のすべてを注ぎ込んで作ったというのと同時に、高い人格によって作られたから素晴らしいのですが、それを1点、1点メシヤ様が見つめられて、蒐集されたということです。ということは1点1点、入霊されているということです。だから美術品を見るだけで、一段と清々しい気持ちになるのです。

で、家の掃除を、拭き掃除をするということは、この家に入霊するのと同じということであります。だから掃除をしている家は活き活きとしているけれど、掃除が行き届かない家は輝きのない家として存在するのです。

だから我々の掃除ということは、綺麗に磨くということだけではなくて、この家を通して、人が訪ねてきた時には温かい気持ちになるとか、落ち着くとか、そういうことを願って拭き掃除をすることによって、家自体がその役割を担っていくということになる訳です。

だからメシヤ教の信者さんほど、家の掃除をしっかりしなくてはいけないということは、家が天国になっていくための、不可欠な要素であるということです。

それから空き家と人の住んでいる家というのは、外から見たら一目瞭然ですね。

これは綺麗か綺麗でないかという問題ではなくて、やはり人が住んでいる家というのは活き活きしています。しかし住んでいないと、その家は段々朽ちていきます。これは人間の霊気を家が吸うことができないので、家の霊気が段々減っていくということです。

人間が住んでいると人間の霊気を家が吸い込んで、家が活き活きとしてくるのです。それプラス掃除をしていくと、その主とか家族の思いがこの家に入っていくために、その家はより素晴らしい状態になっていくということです。

だから我々は家を建てたとき、ある程度ローンを組んだりしますが、建ててやれやれということになるのですが、実は建ててから家を完成させるという気持ちにならないと、本来の家主とはいえないのです。そういうことと一緒で、私達のそれぞれの役割というものがありますので、この役割を果すことが健康に恵まれていくのだということです。

このことを疎かになっていくと、いくら浄霊をしても良くならないということをある支部で一人の報告者のことを踏まえて、そういうことを話しましたが、参考にしていただきながら、今日は『肝臓・胆嚢・膀胱の結石』というところをメシヤ講座のときにこういう話があったなと思い出しながら、毎日毎日、まずはここのところを拝読していただきたいと思います。

そして他のところも拝読するということを心掛けていただきたいということを最初にお話して、いつものように質疑応答に入りたいと思います。」

参加者:

先ほど楳木代表がおっしゃっていた、痛いところがなくて、自分の役割を行うことができるような健康状態のときに浄霊のしかたはどのようにすれば良いですか?

楳木先生:

だから普通に時間のあるときには、前5分後ろ10分くらいの浄霊をさせていただいて、短いときには前2分後ろ3分とかの、そんな浄霊で良いのです。

参加者:

最近、足がむくんでいると感じるようなときには、手のあいているときに自己浄霊をさせてもらえば良いですか?

楳木先生:

そういうことで乗り越えられれば、それで良いし、ちょっと重いなと思った時にはお母さんにお願いしたり、子供にお願いしたりして、少し背面からの浄霊をよくいただく、というように心掛ければ良いね。

参加者:

腎臓の浄霊のやりすぎということはないですか?

楳木先生:

それはないね。相手が嫌々しなければ良い。相手が喜んでやってくれれば、それで良い。

参加者:

子供が生まれた時に、黄疸が出ていると、言われ光線の治療を受けたのですが、今は健康に過ごさせてもらっていますが、何か弊害があるのかなと今回の御教えを拝読して思ったのですが・・・。

楳木代表

そういったいらん心配をしないで、今日はこの御教えを拝読したのだから、黄疸が出たので、肝臓の浄霊をいつも長めにしてあげないといけないと思わなくてはいけないと。そういうことを心掛けていけば良いです。

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎体にある固結を探して、その固結を溶かそう溶かそうという浄霊をしていくと、健康な状態ではなく浄化気味の体になってしまうのだということ。

◎御教えにある『不滅の真理』とは、“神様からいただいた使命を日々実践するということが大事なことなのだ”ということ。

>この“神様からいただいた使命を日々実践することが大事なことなのだ”という『不滅の真理』を忘れると、いくら浄霊を手にしてもおかしな方向へ行ってしまうのだということ。

>(例えば)男性であれば、自分の職場で、与えられた仕事に精一杯取り組んで、世の中のため、人のために、その仕事を通して貢献するということが、神様から与えられた使命を遂行することなのだということなのだということ。

>この(上記の)ようにすれば、『無病息災愉快に働ける。これが不滅の真理である』ということであり、そうするために浄霊があるのだということ。

◎浄霊はただ単に溶かすためだけにあるのではなく、“神様からいただいた使命を遂行させるためにある”ので、日頃(特に具合が悪くなくて)働ける状態の時には、溶かすような浄霊は必要がないのだということ。

>私達は「解毒」ということを勉強していくと、どうしても溶かそうということが前面に出てきて、人間の使命ということを忘れてしまいおかしな信仰を形成してしまうので、そうならないように気を付けなくてはならないのだということ。

◎主神様がこの地球を作られて、この地球上に地上天国を建設するということで人間は生まれてきている訳なので、自分の分担する場所を明確に覚って、そのことに全面的に取り組んでいくということが、人間(私達)の果すべき役割なのだということ。

>上記を疎かにすると、なかなかうまくいかないということが起きて来るのだということ。

◎家の掃除(拭き掃除等)をするということは、「家に入霊するのと同じ」なのだということ。

>掃除をしている家は活き活きとしているけれど、掃除が行き届かない家は輝きのない家として存在するのだということ。

>掃除とは、綺麗に磨くということだけではなくて、例えば人が訪ねてきた時には温かい気持ちになったり、落ち着いたり、そういうことを願って(私達が)家の拭き掃除をすることによって、(家が)家本来の役割を担っていくということになるのだということ。

・掃除とは、家が天国になっていくための不可欠な要素なので、私達メシヤ様の信徒こそ、家の掃除をしっかりしなくてはならないのだということ。

・家は建ててからその家を完成させるという気持ちにならないと、本来の家主とはいえないのだということ。

◎自分の役割を担うことができるような健康状態のときの浄霊は、

>時間に余裕があるときには、前5分後ろ10分くらいの浄霊をさせていただく。

>時間に余裕がないときには、前2分後ろ3分とかの、そんな感じの浄霊で良いのだということ。

○足が浮腫んでいるように感じた時は、

>自己浄霊で乗り切れればそれで良い。

>しかし、ちょっと重いなと感じた時には、家族にお願いしたりして、背面からの浄霊をよくいただくように心掛けるのだということ。

○取次ぎ者が、腎臓への浄霊を喜んで取り次いでくれれば、腎臓への浄霊のやりすぎというのはないのだということ。

◎黄疸が出た場合は、“肝臓への浄霊をいつも長めにしてあげないといけないのだ”ということを心掛けるのだということ。

 

「メシヤ講座no.148浜松(平成25年5月分)」より抜粋つづき:

吐くということ

楳木先生:

それから今日、○○さんが吐いているって言っていたね。何で吐いているの?

参加者:

最近、いつも気持ち悪いと言っていて、それでご飯を食べると余計に気持ち悪いと言って吐いていました。

楳木先生:

まず戻すということは、だいたい胃に毒素が流れ込んでいるので、胃に毒素が流れ込むときには、後ろ頭をよく浄霊して、胃の後ろを浄霊すれば良いからね。

それは、今、高校に順調に行っているでしょ。頭を使っているから。家にしばらくいたときには、さほど頭を使っていない。けれど、学校に行くようになったら、頭を使うので、そうすると嫌だなと思ったり、面倒だなと思ったりすることもあるけれど、面白いこともあるので、頭を一生懸命使うと溶けて、それが胃に流れ込むので、それで戻すこともあるんだということで、後ろ頭をよく浄霊してください。」

参加者:

面倒臭い、面倒臭いとよく言っています。

楳木先生:

面倒臭いから後ろ頭が浄化するのです。感情だから。面倒臭いのは感情だから。しかし前頭部は一生懸命やらないといけないと思うけれど、面倒臭い方が勝つと後ろ頭の方が浄化するから。だから戻すということは、大変ありがたいのです。後ろ頭の毒素が出るから。だから余計後ろ頭をよく浄霊してください。子供は面倒臭い病っていうのが多いからね。「何々しなさい」と言っても「後で~」と必ず言うでしょ。あれは面倒くさい訳だから。だから後ろ頭が曇っているのです。」

(後文割愛)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎嘔吐するということは、だいたい胃に毒素が流れ込んでいるので、胃に毒素が流れ込むときには、後ろ頭をよく浄霊して、胃の後ろを浄霊すれば良いのだということ。

 

「メシヤ講座no.148浜松(平成25年5月分)」より抜粋つづき:

5月5日に参拝して・・・

(前略)

参加者:

今日のこの「肝臓、胆嚢、膀胱の結石」っていうところの浄霊は、腎臓、その肝臓でしたら肝臓と、下からこういうように浄霊させていただけばということでよろしいですか?

楳木先生:

うん。」

参加者:

はい。ありがとうございます。

楳木先生:

まあ、この最初に書いてある肝臓の周辺に毒素が固結して、肝臓を圧迫して機能的にあまりよくないということを書かれておりますけども、最近では、脂肪肝というのをよく言われますね。肝臓の周りに脂肪が溜まって、それが圧迫するために、肝臓が十分機能が果たせなくなるという。最近ではそういうことを言われているので、メシヤ様の御指摘されていることは、医学的に大変に正確なことを、この昭和27年に御指摘になられているなあということがわかる箇所でもありますね。

みなさん自分の肝臓を時々確認してくださいよ。どんな形をしているかなあとか。(笑) さっきの絵をみんなに見せてあげて。肝臓っていうのはこんな色をしていて、これだけ大きいんだということを。」

参加者:

なんかレバーみたい。(笑)

参加者:

まあそうね。

楳木先生::

レバーそのもの。でっかいですよね。」

参加者:

おっきいよね。ほんとレバーみたい。

楳木先生:

肝臓は大体両手で持たないといかんぐらい大きいですよ。肝臓というのはね。」

(中略)

参加者:

ねえ、ここがね。こんな大きいと思わなかった。

楳木先生:

場所的にはもうちょっと上だけど、浄霊するときには下からすれば・・・。」

(後文割愛)

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎肝臓に浄霊をする場合は、下(右肋骨下部)から(肝臓に向けて)するのだということ。

 

「メシヤ講座no.148浜松(平成25年5月分)」より抜粋つづき:

痛みについて

参加者:

時々頭が痛くなったりする浄化をいただくのですが、すごい割れそうに痛いけど、自分としたらこれは浄化だからこれを乗り越えれば痛みはなくなるし毒素も減ると思って、母に浄霊してもらったり自己浄霊したりしているんですけど、その痛みっていうのが浄化の痛みなのか、祖父が痛みにこらえながら亡くなったっていうのを母から聞いているのですが、亡くなるときの痛みと、浄化で乗り越えられる痛みっていうのは何か違うのですか? 頭が痛いのにもいろんな種類があって、同じくらいの年齢で脳梗塞とかそういうので亡くなるっていうのを新聞とか見ると出ているのですが、自分は浄霊をいただくことができるし、自己浄霊もできるからいいっていう安心感もありますが、とっさの時その痛みによって命が危険なときの痛みと、自分の体がこれから思うようにならなくなるような痛みと、乗り越えれば別に元の生活ができるっていうそういう痛みっていうのは、何か違いっていうのはありますか?

楳木先生:

んーいや、だから最近腰痛、特にご婦人の場合の腰痛の研究が、今、ものすごく進んでいるでしょ? 腰痛は神経の問題だと大概がみんな今まで思ってきていたのだけど、お腹のこの動脈のここの足に分かれるところに動脈瘤(りゅう)ができたり、動脈乖離(かいり)ができたりしても腰の痛みとして出てくるというのが、最近、研究でわかってきています。そうするとおじいちゃんが亡くなった時には、実はここ(お腹)を浄霊すればよかった訳。」

参加者:

じゃあ場所が違うことが・・・。

楳木先生:

場所が違うと中々御守護いただけない。だから私が一番最初20代のときに、いわゆるくも膜下出血の人を御守護いただいたときには、それは大動脈を浄霊すればいいという知識をいただいたので、おへその周りを浄霊していたら良くなったので、頭が。だからそういうことがあるので頭が痛いときには重点的に、片頭痛の場合は大体首肩の凝りなんで・・・。」

参加者:

片頭痛っていう名前はどういう・・・。

(中略)

楳木先生:

全体が痛いんじゃなくて部分的に痛い。それは大体首肩の凝りなので、首肩を、浄霊をしてみると大体良くなるので、それが良くならない場合は他に原因があるかもしれないっていうことで、へそのところを浄霊してみると。へその両側を浄霊してみる。それから反省もしてみないといけない。人の頭を痛めることを喋ってないかと思って。特に家族に向けてね、カリカリ言ってないかとかいうことを反省してみると、その場合は「あ、悪かったなあ」と思うと大体和らいでくるから。だからそういう祖霊とか家族の想いからくる痛みというのは反省すればすぐ良くなってくる。だからそれいく・・・。

参加者:

じゃあ、いろんなパターンがあるんですね・・・。

楳木先生:

頭が痛いって言ってもいろんなパターンがあるから、それに沿って自分を見つめてみるということと、浄霊の場所を試してみると何が原因かっていうのは大体わかってくると。

参加者:

じゃあ、慌てちゃいけないっていうことですよね?

楳木先生:

そうそう。」

(後略)

 

責任者:

ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。

◎浄霊をする場所が違うと中々御守護いただけないので、頭が痛いときには重点的にへその周りを浄霊するのだということ。

◎片頭痛の場合は(部分的に痛いので)大体首肩の凝りなので、首肩を浄霊すると良いのだということ。

・首肩の浄霊で良くならない場合は、へその両側を浄霊してみるのだということ。

・又、「人の頭を痛めることを喋ってないかな(特に家族に向けてね、カリカリ言ってないか)?」と自分の言動を振り返り「あ、悪かったなあ」と反省すると大体痛みは和らいでくる(祖霊とか家族の想いからくる痛みというのは反省すればすぐ良くなってくる)のだということ。

○頭が痛いと言ってもいろんなパターンがあるので、それ(痛む場所)に沿って自分を見つめてみるということと、浄霊する場所を試してみると何が原因なのかということが大体わかってくるのだということ。

 

編集後記

責任者:

今回は、肝臓と胆嚢の働きと結石について学び、肝臓への浄霊も腎臓と共に重要なのだということを再確認できました。又、私達人間が“神様からいただいた使命を日々実践することが大事なことなのだ”ということ(『不滅の真理』)を忘れると、いくら浄霊を取り次ぐことが出来たとしてもおかしな方向へと行ってしまうのだと御教示いただきました。この御教示をメシヤ様の信徒として疎かにせずに、日々過ごして行かなければと思いました。夏へと向かう季節の変わり目ですので、どうぞご自愛くださいませ。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。

メシヤ講座no.148浜松支部 2013(平成25年4月分)

 

 

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