研鑽資料no.136(2024年6月)

6月の学び

はじめに

責任者:

今年の梅雨入りは全国的に遅いということですが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。今月の15日は、「地上天国祭」です。今回は、その「地上天国祭」に因んだ御教えの拝読を学びとさせていただきます。熟読された上で祭典に臨んでいただきたく思います。どうぞよろしくお願い致します。

 

御教え『昼夜転換の事象』

未発表、年代不詳

「明主様御遺稿」昭和38(1963)年6月15日

私が常に言うところの夜の世界が昼の世界に転換したのは、いつであったかを知らせる必要があろう。それは昭和六年六月十五日である。その時私は神命によってある行事に当った。この時の模様をこれから書くのである。

右の昭和六年六月十五日、私にその前日神の啓示があった。それは房州鋸山に在る有名な日本寺へ参詣に行けというのである。

日時は一晩泊り随行者は三十人以上というのである。早速その準備に取掛った。幸い信徒の中に当時日本寺の住職田中常説師という相当有名な禅僧に交情がある者で、万事その者に交渉して貰った。人数も纏(まと)まったので、三十数人を引つれ十四日の朝両国駅を出発した。寺へ着いたのはその晩の九時頃たった。

何しろ割合高い山の中腹にある禅寺であるから、古色蒼然(そうぜん)とし広々とした大きな寺で、常に喧騒裡(けんそうり)にある都会人としては、塵外(じんがい)の仙境に遊ぶ想いがしたことはもちろんである。

翌朝未明、総勢引連れ提灯に道を照らしながら約一時間くらいで頂上へ着いた。幸い天気もよく朝霞の中から房総の海を遥かに眺めた光景は得も言われない程であった。まなかいに有名な彼の日蓮上人が法華教弘通(ぐつう)の大願をたて、南無妙法蓮華経の第一声をあげた清澄山がある。

今や黎明(れいめい)を破って昇らんとする旭光に向って一同祝詞を奏上したが、その言霊(ことたま)は澄みきった朝気(あさけ)をふるわし、爽快極まりないものがあった。間もなく下山の途につき、日本寺の本尊に恭々(うやうや)しく祈願をこめ、昼食、写真撮影等をすませ帰路についたが、これから神秘の数々を語るがそれはこうである。

本堂の前に大きな沙羅双樹一名菩提樹があった。このくらい大きいのは日本ではまず珍らしいとされている。彼の釈尊が苦業したのは、菩提樹下石上ということである。またこの山は乾坤山(けんこんざん)といい、山の中腹から頂上にかけて、身の丈(たけ)三尺くらいの石仏が数百くらいあったであろう。しかも釈迦、阿弥陀、観音をはじめ、達磨、不動、愛染、孔雀等の四王、釈迦の十大弟子、羅漢等々、実にあらゆる仏体を網羅している。

全く日本における仏界の型である。ところが不思議なことには昭和十八年十一月寺から火を発し灰燼(かいじん)に帰したのである。当時の新聞記事によれば再建は絶対不可能であるという。この時私はハッと思ったことは言うまでもなく、仏滅の型でなくて何であろうかという事である(この日本寺院紀行は歌集『山と水』に審(つぶさ)に詠んであるから参照されたい)。それからいよいよ帰りの汽車に乗り、暮れかかる頃両国駅についた。かねて約のあった本所緑町明石某という家に祭典を行うべく私は立ち寄ったのである。これは誰も気づかないもので、ただ私だけが驚喜しただけで、今もって秘中の秘としているが、これらもいずれ時期が来れば発表するつもりである。

その翌十六日、午前十時頃当時私は大森八景園にいたが、その隣町大井町に小池某という下駄職人があった。彼は時々来ては信仰談を楽しみにしていたが、その時彼はただならぬ顔付きで言うのは、「大先生、大変です」私「何が大変だ」彼「今朝がた大変な夢を見ました。その夢というのは、私の友達山口某というのが往来で穴を掘っていながら「小池さん、世の中はつまらないものだよ、結局自分で穴を掘って、自分が入るんだよ」と言って淋しい顔をしていた。しかも山口の顔は、お釈迦様の通りである」というので、私は「ははあ、仏滅の暗示だな」と思った。彼いわく「この御屋敷の真中に小さな池がある。その池へ誰かが石を投げた。すると池の水は波紋を描きはじめ、段々大きくなって、ついに世界大となり、その渦の中へ巻き込まれて滅ぶ者は数知れずであった。すると暫くしてその渦巻がすむと、辺りは非常に淋しくなり、所々に観音様の像が立っている」と言うのである。私は「その夢は神様が貴方(あなた)を通じて私にお知らせになったのだから、貴方には何の関係もないじゃないか」というと、彼は納得しそうもない。いわく「否、それが自分に大関係がある。というのは最初池に投じた一石で、それを自分がやらなければならないことに決っている。ところが、それをやると自分の運命はつきるのだ」と言って彼は一種の恐怖感に襲われているようであるから、私はしかるべく慰めて、ともかく帰らしたのである。

それからが神秘極まることが起った。というのは、その日の夕方、妻君から電話が掛って「小池が変だからすぐ来て貰いたい」というので、私は直ちに彼の家へ赴(おもむ)いたところ、彼はいよいよ変だ。彼は「大先生、いよいよ私は世界のピントを合わせなければ世界は大変なことになる。私は世界のピントを合わせるために生れて来たんだ」というので、私も何かしら神秘の謎を見せられたような気がしはじめた。私もいつか厳粛な気持になって来た。そこで私は

「では貴方は、世界を救うためにピントを合わせなければならないとしたらそれもいいだろう。しかし軽はずみなことをしてはいけない」と言って帰宅した。その翌朝彼の妻女から電話がかかり、「今朝早く小池は鈴ケ森の海へはまって死んだ」というので、何もかもすっかり分ったような気がした。実に神秘極まる事件というべきだ。

越えて翌々日十八日、当時私が昵懇(じっこん)にしていた、その頃相当有名であった森鳳声という彫刻師が訪ねて来た。彼は「自分は今非常に尊い木像をつくりたいが、自分ごときが、そんな尊いお姿をつくることはどうであろうかと迷い御意見をききたい」と言うのである。私は「一体そんな御尊像とはどのようなお方か」ときくと、「それは天照大神」と言う。私は「非常に結構だ、ぜひつくりなさい」といったところ、彼は大いに喜んで立ち去り、あらかた出来上ったころぜひ私に「来て見てくれ」というので、私は行って見たところ、中々よく出来ている。彼は「背の模様はどうしたらいいか」ときくので、私は「日を現わす意味で大きく丸の浮彫がいい」と言ったら、彼はなるほどと喜んで、最初から約半年くらいで、等身大の尊像が見事に出来上ったのである。彼は当時大本教信者であったから、その御像を大本教へ寄付したのである。それから間もなく大本教が致命的大法難を受けたのであるから何か関係があるように思われた。

また話は違うが、こういうことがあった。当時大本教の和田堀にあった東京別院というところに、等身大の陶器製の観世音菩薩があったが、どうしたはずみか、首が折れたのである。私は変だと思ったところ、それから間もなく法難が起ったのであった。

前述のごとき小池の夢や、彼の行動を判断してみると彼小池のピントを合わせた時、すなわち黎明と同時であるから昼に転換したことの暗示であることに間違いはない。

また右の木像尊像も不思議であり、日本寺のことといい、明石とは、証しであるから、その時の種々の出来事と符節が合い、考えさせられるものがある。

以上によってみても昭和六年六月十五日こそ、全く夜昼転換の節であることが窺(うかが)われるのである。最後に今一つ書く事がある。それは私が日本寺から帰るや麹町に住んでいた信者の一人が瓦のかけらを持ってきた。よくみると菊の御紋章入りの瓦で、御紋章だけは完全であるが、他はほとんどかけている。その時ハッと思った事は、昔からの諺(ことわざ)に、玉砕瓦全(ぎょくさいがぜん)という言葉がある。それは今日のごとき運命となられた天皇に関する神示であるとしか思われないのである。

 

御教え『夜昼転換』

「天国の福音」昭和22(1947)年2月5日

私は約二十数年間にわたって治療した患者は無慮数万人に上ったであろう。

その体験から得た結論は一言にしていえば「病気の原因は薬剤である」という事である。あらゆる病患の原因を探求すればする程、ことごとく薬剤ならざるはないのである。もし人類がこれに目覚めない限り、いつかは滅亡に至るべき事は一点の疑う余地はない。かくのごとく恐るべき薬剤を救世主のごとく信頼し、随喜し、しらずしらずの間に弱体化し、生命を短縮させるというのであるから「愚かなる者よ汝の名は文化人なり」と言うもあえて過言ではあるまい。戦争も飢餓も、薬剤に比ぶれは物の数ではない。かくいう私の言葉は余りに極端であるかも知れない。しかし私はそうはおもわない。ただ私がはっきり知った事実ありのまま、いささかの誇張もなくのべたまでである。そうして私が最も不思議に思う事は世界において最高度の文明国といわれる国がこの事にいまだ気の付かない事である。原子爆弾の原理は発見し得ても医学の誤謬は発見し得られない事である。戦争犯罪者とは誤れる国家主義によって他国を侵略し他民族を殺戮したところの許すべからざる徒輩である事はいうまでもないが、彼等の罪悪はある一定期間だけであって、その野望は遂に打ち砕かれるに到る事は吾々が現に今みつつあるところである。しかるに医学のそれは数千年前からの持続的罪悪であるが、その事に気付かないばかりかかえって医学とは聖なる職業であり仁術でさえありと思惟する観念に重大性がある。またこうも言えると思う。それは人知の発達程度が医学の誤謬を発見するまでには至っていない事である。しかしながらこれには理由がある。それは次に説く事によって読者は諒解するであろう。

霊界と現界との関係については前項に説いたごとく、現界のあらゆる事象は霊界の移写であるとして、ここに霊界においては、最近に至って一大転換の起こりつつある事で、それを知る事によってのみすべては判明するのである。

本来天地間あらゆる森羅万象は、さきに説いたごとく、霊界と現界との両面の活動によって生成し化育し、破壊し創造しつつ、限りなき発展を遂げつつあるのであるが、これを大観すれば無限大なる宇宙であると共に、無限微の集合体である所の物質界でもある。それが極まりなき転変によって、停止する所なき文化の進歩発展がある。そうして心を潜めこれを静かにかんがうる時、宇宙意志すなわち神の目的とその意図を感知しない訳にはゆかないであろう。そうして一切に陰陽明暗あり、夜昼の区別がある。また春夏秋冬の変化や万有の盛衰を見る時、人生にもよく当てはまるのである。また総てにわたって大中小の差別あり、これを時に当てはめる時、すなわち一日に昼夜の別あるごとく、実は一年にも十年にも百年、千年、万年にも昼夜の別があるのである。しかしながらこれは霊界での事象で、現界においては一日の昼夜のみ知り得るに過ぎないのである。

この理によって、今や霊界においては何千年目か何万年目かに当然来たるべき、昼夜の切り替え時が来たのである。これは重要事であって、この事を知らない限り本医術の原理は分かり得ないのである。と共にこれを知る事によって、本医術はもとより世界の将来をも見通す事が可能となり、ここに安心立命を得らるるのである。しからば、霊界におけるこの何千年目かの昼夜の切り換えが現界にいかに反映しつつあるかを説示してみよう。

右の意味によって、霊界における世界は今日まで夜であった。夜の世界は現界と同様暗くして、定期的に月光を見るのみである。もちろん水素が多く、月が光を隠せば星光のみとなりそれが曇れば真の暗黒となる。これが移写せる現界の事象にみても明らかである。すなわち今日までの世界、国々の治乱興亡の跡や、戦争と平和の交互に続く様相等は、ちょうど月が盈(み)ちては虧(か)けるごとくである。しかるに天運循環して今まさに昼に転換せんとし、ちょうどその黎明期に相応するのである。

そうして、霊界における夜昼転換の結果として、人類が未だ経験せざる驚くべく、おそるべく、喜ぶべき一大変化が起こる事である。しかもその端緒はすでに表れ始めている。まずそれを説明してみよう。

私がいう昼の世界とは、現界のそれと同じく、まず東天に日輪の光芒が現われるのである。みよ、地球の極東日本――すなわち日の本における一大変革である。この国は今や夜の文化すなわち既成文化崩壊が開始されたのである。見よ重要文化都市の崩壊、産業経済の致命的状態をおもなるものとし、人的には特権や指導階級の全般的没落等々は全くそれがためである。そうして次に来たるもの――それは昼の文化の建設であるが、これらも既に表れかけている。みよ、日本における徹底的武装解除に次いで民主主義の台頭である。この二つの現実は、日本においては建国二千六百年以来洵(まこと)に空前にして予想すら出来得なかったところのものであるがまた世界永遠の平和確立への第一歩でもあろう。本来夜の世界とは闘争、飢餓、病苦に満ちた暗黒時代であるに反し、昼の世界とは平和、豊穣、健康等の具備せる光明時代である。現在の日本――それはよくその転機の様相を表している。

しかしながら、東天に昇り始めた太陽はやがて天心に到るであろう。それは何を意味するか、言うまでもなく、全世界における夜の文化の総崩壊であると共に、昼の文化が呱々(ここ)の声をあげる事である。それはおよそ予想し得られよう。何となれば日本が既に小さくその模型をしめしているからである。しかも、世界の決定的運命は目前に迫りつつある。恐らく何人といえどもこの框(かまち)から免れる事は出来得ない。ただ苦難をして最少限度に止め得る方法のみが残されている。しかしその方法はここに一つある。すなわち本医術の原理を知って、昼の文化建設の事業に加わる事である。

聖書の一節にいわく「あまねく天国の福音を述べ伝えらるベし、しかる後末期到る」と、これは何を指示しているのであろうか、私は信ずる。それはこの私の著述が右の使命をまっとうするであろう事を!

私は本医術の原理を説くに当たって世界の運命にまで説き進めて来たが、これは重要事であるからである。それは本医術の原理発見も、医学の誤謬発見も、その根本は夜昼転換という一点にかかっているからである。

既に説いたごとく、病気の原因は人間霊体の曇りにあり、その曇りを解消する、それが病気治癒の唯一の条件でありとしたら、本医術発見以前の世界にあっては、なぜ発見出来得なかったかという疑問であるが、その理由はこうである。さきに説いたごとく病気治癒の方法に二つある。一は毒素を浄化以前に還元する、すなわち固め療法であり、二は右と反対に毒素を溶解し排除する方法である。既存医学は前者であり、本医術は後者である事も、読者はすでに充分認識されたであろう。

そうして本医術の原理が、人体より放射する一種の不可視的神秘光線でありとしたら、この神秘光線の本質は何であるかというと、それは火素を主とせる一種の人体特有の霊気である。故に施術の場合、火素の多量を要する訳であるが、昼の世界にむかうに従って、霊界における火素は漸次増量する。何となれば、火素放射の根源は太陽であるからである。そうして火素は治病に効果ある以外、今一つの重要事がある。それは霊界における火素の増量は、人体の浄化作用をより促進せしむるという事である。すなわち、霊界の変化は直接霊体に影響する。火素の増量は霊体の曇りに対し、支援的役割ともいうべき浄化力強化となる事である。従って病気は発生しやすくなると共に既存医療の固め療法の効果が薄弱となりついに不可能となる。たとえば夜の世界においては、一旦固めた毒素は再発までに数年を要したものが、漸次短縮され、一年となり、半年となり、三月となり、一ケ月となる、というようになり、ついには固める事は不可能とさえなるのである。これについて最もよき例は彼の種痘である。これは日本についての実例であるが、数十年前は一回の種痘によって一生免疫されるといわれたものが、漸次期間が短縮され十年となり五年となり、最近に至ってその効果は非常に薄弱になった事である。その他種々の病気にしても年々増加の傾向を高めつつある事も、見逃すべからざる事実である。

以上によってみても、漸次夜から昼に転移しつつある事を知るであろう。全く夜の期間における病気治療の方法としては、溶解よりも固めるほうが有利であった。それは毒素溶解に要するだけの火素が不足であったからである。従って次善的方法として固める方法をとるの止むを得なかったのである。それがついに人類社会に対し、短命、病気、飢餓、戦争等の苦悩の原因となった事は、実におそるべき誤謬であった。

以上のごとく夜昼の転換を認めるとして、その時期はいつ頃であろうか。私は最後の転換期はここ数年を出でないとおもう。何となればそれについて好適例がある。それは私の弟子数万人が病気治療に際し、年一年否一カ月ごとに治病の効果が顕著になりつつある事である。すなわちさきに三カ月を要した同程度の病気が、一カ月となり、半カ月となり、十日となり三日となるというように、時の進むに従い短縮されつつある事で、これは異口同音にいずれも唱えている。要するにこれは霊界における火素増量の速度を示していることであり、昼の世界の刻々迫りつつある事を示唆せる証左でなくて何であろう。

 

御教え『霊界に於ける昼夜の転換』

「文明の創造、宗教篇」昭和27(1952)年

右の重大事というのは、霊界に於ける昼夜の大転換である。

即ち夜と昼との交替であるというと可笑しな話で、誰しも夜と昼は一日の中にあるではないかというであろう。成程それには違いないが、私のいうのは大宇宙のそれであって、此事を知るとしたら、人智では到底想像もつかない程の大神秘を会得する事が出来、それによって今後の世界の動向も分り、未来の見当も略ぼつくのである。

そうして曩に述べた如く、此世界は物象界、空気界、霊気界の三原素によって構成されており、一日の昼夜とはこの物象界と空気界、つまり人間の五感に触れ、機械で測定出来るものであるに対し、霊気界のそれは全然無と同様で、捉える事が出来ないものであるから、今私の此文を見るとしても、直ちに信じ得る事は困難であろう。私と雖も若し神を知らないとしたら、一般人と同様であろう。只私は此重大なる使命をもつ以上、神と密接不離な関係にあるから確実に知り得るのである。

それによると、霊界に於ても現界に一日の中に昼夜がある如く、十年にも、百年にも、千年、万年にもあるのである。従って其転換毎に、人類世界にも反映するので、それが霊界の方では絶対正確であるにも拘はらず、現界へ移写される場合、幾分の遅差は免れないのである。其事を頭に置いて、長い歴史を見る時、大、中、小種々の歴史的変化をみるのは、其表われである。そこで今私が言わんとする処は、世界の大転換に関する主なる点であって何よりも先ず大転換の時期であるが、それは一九三一年六月十五日から始まっており、一九六一年六月十五日迄の、三十年間で一段落がつく事になってゐる。然し人間の頭脳で考える時、三十年と言えば相当長期間であるが、大宇宙に於ける神の経綸としたら、一瞬の出来事でしかないのである。そうして右の三十年といっても、現界に於ては急激な変化はなく、徐々として進みつつあると共に、右の三十年を挟んで其前後の時を合わせると、六十余年の歳月を費やす事となる。それは準備期と転換後の整理とに時を要するからである。

右の如き其転換の意味は今日迄は夜の世界であったから、謂はば月の支配であったのである。処が愈々昼の世界となるに就て、予て世界の二大聖者として仰がれている釈迦、基督の予言された通りの事態となったのである。そうして先づ仏典によれば釈尊は「吾七十二歳にして見真実になれり」と言われた後、間もない或日、世尊はいつもに似合はず憂欝の色蔽い難い御様子なので、弟子の阿難尊者が憂慮し御訊ねした。『世尊よ、今日は常にない御沈みのように見受けられますが、何か御心配事でも御有りですか』と申した処、釈尊は直に御答えになった事は『儂は今迄終生の業として仏法を創成し、一切衆生を救わんとして大いに努力を続けて来たが、今日大仏陀から意外なる御諭しがあった。それによると或時期に至ると、我仏法は滅すると言う事で、大いに失望したのである』との御言葉であって、それから世尊は斯うも曰はれた『儂は見真実によって分った事だが、今迄説いて来た多くの経文は、少なからず誤りがあるので、今日以後真実を説くから、よく之によって正覚を得られよ』と仰せられたので、此時からの経文こそ仏法の真髄である事は確実で、それが法華経二十八品と、法滅尽経と、弥勒出現成就経である。処が、その事を発見されたのが、彼の日蓮上人であって、上人はこの発見によって他宗教義悉くは見真実以前に説かれたものであるから、真実ではない。独り我法華教こそ仏法の真諦であるとして、他宗ことごとくを否定し、猛然として一大獅子吼をされたのであるから、上人のこの傍若無人的宣言も、無下に非難する事は出来ないのである。

之に就て、法華経二十八品の意味を解釈してみるが、此経文の二十五番目にある観音普門品こそ、大神秘が蔵されてゐるのである。というのは法華経とは法の華であって、最後に法の華を咲かせなければならない。其場所と人とが日本であり、日蓮上人であるから、上人が法華経を翳して、いかなる受難にも屈せず、一途に日本国中に法華経を宣布されたのも、この強い信念があったからである。元来仏法は曩に説いたごとく月の教えであり、陰であり、女性である。釈尊が「吾は変性女子なり」と曰はれたのも其意味であろう。又上人は前例のない型破り的の行り方であった。彼が修業成って、最初故郷である安房の清澄山上に於て、東方日の出に向かって、妙法蓮華経の五文字を高らかに奉唱され、其時を契機として愈々法華経の弘通に取掛ったという有名な話も、それ迄仏教各派の悉くは、南無阿弥陀仏の六文字の法名を唱えたので、之にも意味がある。すなわち五は日の数であり、六は月の数であるからである。それまでは人も知る如く日本に於ける仏教といえば陰性であったものが、一度日蓮宗が生まるるや、極端に陽性を発揮し、太鼓を叩き花を飾り、声高らかに経文を唱える等、何から何まで陽気一点張りである。全く仏華を咲かせたのである。また世間同宗を以って一代法華と言ったのも、花は咲くが散るから、一時は好いが長くは続かないという訳であろう。

今一つの神秘がある。それは法華経二十八品の数である。二十八の数は、月の二十八宿を表わしたもので、其二十五番目に普門品があるのは、二十五の数は五五、二十五で、五は日であり、出づるであるから、日の出の意味である。つまり月の仏界に日が生まれた表徴である。即ち此時既に夜の最奥霊界には、ほのぼのと黎明の光が射し初めたのである。そうして面白い事には、外の仏教は全部西から生まれたに対し、独り日蓮宗のみは東から出てゐる。而も安房の清澄山こそ、日本に於ける最も東の端で、この地点こそ大神秘が包蔵されてゐる事は、私が以前書いた自観叢書奇蹟物語中に概説してあるから参照されたい。つまり此地が霊界二次元における昼の世界の初発点であるのである。

次に日本に於て、何故仏法の花を咲かせなければならないかといふと、そこにも深い密意が秘(ひそ)んでいる。すなわち花が咲かなければ実が生らないからで、其実というのが実相世界であって、此実の種が如意輪観音の御働きでもある。私がいつもいう如く、観世音は日の彌勒であり、阿弥陀が月の彌勒であり、釈迦が地の彌勒であり、此三人の仏陀が三尊の彌陀である。とすれば阿彌陀と釈迦は、夜の世界の期間の御役であったに対し、観音は昼の世界にならんとする、其境目に観音力を揮わせ給ふのである。此経綸こそ昔印度に於て仏法発祥の時己に誓約されたものである。

本教が、最初日本観音教団として出発したのも、私が観音を描き御神体として拝ました事も、私に始終観音の霊身が附き添はれて居られた事も右の因縁に外ならないのである。ところが釈迦、阿彌陀は如来であったので、観世音の菩薩の御名に囚われ、宗旨によっては、阿彌陀や釈迦より観音の方が下位とされてゐたのも、右の因縁を知れば誤ってゐる事が分るであろう。処が其後御位が上られ、光明如来となられたので、現在は光明如来の御働きである事は信者はよく知ってゐる通りである。

 

※最後の審判に関する御教えを纏めましたので下記より拝読下さい。

「資料『最後の審判』に関する御教え」

 

編集後記

責任者:

先月は「太陽フレア(太陽の表面に於ける爆発現象)」の影響で日本でも低緯度オーロラが観測されたということが話題になっておりました。これは、太陽の活動が活発になり黒点の数が増えているということです。そして火素が増量していることの現れだと思います。今回は、火素が増えると強い浄化が起こるのだということ等を御教えから学びました。“強い浄化が起こる”ということは、より一層の浄霊の御取次(と自己浄霊)をしていかなければならないのだということですね。

「継続は力なり」ということわざの如く、私達は「文明の創造」を学び続けております。来る「地上天国祭」を前にして、メシヤ様が「新文明世界の設計書ともいうべきもの」だと仰っている「文明の創造」を学び続けていることの重要性と有難さをひしひしと感じでいる次第です。梅雨入り前です。体調を崩されませぬようご自愛くださいませ。有難うございました。

 

※責任者より

引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。

 

 

印刷はこちらからどうぞ