『主の字』

自観叢書第12篇、昭和25(1949)年1月30日発行

私は常に、順序を正しくせよと言うが、此順序をタッタ一字で表わしたのが、「主」の字である。今此主の字を解剖してみよう。

上中下の横樺三本は天地人、日月地、五六七、神幽現という意味で、それを経の棒が貫き、一番上にヽ(チヨン)、が乗っている。之が正しい順序で、政治でも、経済でも、教育宗教でも、一家庭でも、一切万事此形でゆかなければならないのである。処が、今日まで凡ゆるものは、大抵経緯が別々で、その最も大きなものは、経の東洋思想と、緯の西洋とで、離れ放れであった。処が愈よ時節到来、十字に結ぶ事になったのである。即ち主の字の真中が十の字であり、上下の横棒は天と地である。つまり人間界は天地の中間であるから、人間界が十字に結ばるという訳である。之が地上天国の実相で、即ち十字の形の神の世界である。神という言葉もその意味である。力とは火、ミとは水で、火は経に燃え、水は緯に流れる。之が結んでカミというのである。神御産霊(かむみむすび)、高御産霊(たかみむすび)という通り、神の御働きは結びである。又仏はホトケであり、ホドケル言霊であるから、ホドケている世界を、神が結ぶというのが、今や来らんとする大転換である。キリスト教徒が胸に描く十字架もそれの暗示であり、仏教の卍も同様の意味で只だ「教の卍は、十の字の一つ一つが枉(まが)っている、之は十の字に結ばると共に廻転が始まる」という訳である。以上の意味によって一切は三段階でなければうまくゆかない。上下を真中の十でしっかり結んで、上下の棒を支えている、という事は、中産階級が上層と下層階級を調和させる役という意味にもなる。そうして一番上に首脳者が座って主宰するのであるから、主の形にすれば、何事も破綻なくうまくゆくのである。政治でも、会社経営でも、団体運営でも、理屈は同じで、吾等が常に唱うるミロクの世の姿である。