2月に向けての学び
はじめに
責任者:
ちょっと前に正月を迎えたばかりのように感じていましたが、時間の経つのは早いものですね。今年も節分と立春の時季を迎えようとしております。私達、メシヤ様の信徒にとりまして「節分と立春」は、重要な神事になります。参拝に臨まれる前に、資料「節分と立春について」と資料「国常立尊様について」を拝読されると「節分、立春」の意義が今まで以上に深く理解できると思います。又、節分に「神言」祝詞を奏上される前に、資料「『神言』の手引き」の拝読もお勧めいたします。是非、ご一読下さい。
それでは、今回も引き続き「文明の創造」より学ばせていただきます。よろしくお願い致します。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」
<今月の御教え>
『無機質界』
「文明の創造、科学篇」 昭和27(1952)年
ここで、いよいよ細菌発生の原理とその順序をかいてみるが、そもそも細菌という有機物は、現在最も進歩した原〔電〕子顕微鏡でも、六万倍までしか見えないとされており、これが現在までの限度ではあるが、無論極点ではない。いずれの日か顕微鏡の発達は、超微生物までをも捕捉出来るようになる事は予想されるが、問題はただその時期である。まず現在の程度から推しても、ずっと先の事と見ねばなるまい。
そうして科学の現在であるが、唯物的に見れば最早その極点にまで達しており、次の世界であるところの無機質界の一歩手前まで来ていて、大きな壁に突き当っているという状態にあるという事だ。従ってその壁を突き破ってしまえばいいのであるが、実はそれが容易ではない。ところがたとえ壁を突き破り得てもその先が問題である。というのはその先こそ唯物科学では到底捕捉する事の出来ない、言わば無に等しい世界であるからである。
それについては、彼の湯川博士の中間子論であるが、もちろん同博士は、理論物理学専攻の学者であるから、最初理論によって中間子の存在を発表したところ、たまたま他の学者が宇宙線を写真に撮影しようとした際、中間子である幾つかの素粒子が乾板(かんぱん)に印影されたので、ここに博士の理論は、実験的に確認された訳である。つまり実験物理学によって裏付けされたので、ノーベル賞獲得となったので、これは普(あまね)く知られている通りである。ところが私の唱える説も理論神霊学であると共に、この応用によって素晴らしい治病の効果を挙げているのであるから、実験神霊学としての立派な裏付けも完成しているのである。としたら科学的に言ってもいかに大なる発見であるかが分るであろう。
これを一層判り易く言えば、唯物科学の到達し得たところの極致点が、現在の原子科学であるとしたら、その次の存在であるところの世界、すなわち私の唱える無機質界が明らかにされたのであるから、科学上から言っても実に画期的一大進歩と言えよう。そうしてこの世界こそさきに述べたごとく、科学と神霊との繋りの存在であって、今ここに説くところのこの文は、つまり科学界と神霊界との中間にある空白を充填した訳である。実にこの空白こそ今日まで科学者も、哲学者も、宗教家も知らんとして知り得なかったところの、神秘的謎の世界であったのである。もちろん以前から知識人の誰もが心の奥深く内在していたところの、真理探求の的そのものが、いよいよここに暴かれたのであって、長い間の理想の夢が実現されたのである。しかし文化の進歩は、いつの日かはこの神秘境にまで到達されなければならない事は、誰も予想していたに違いないが、多くの人達は無論科学の進歩によるとしか想っていなかった事も肯けるが、意外にもその予想は裏切られ、私という宗教家によって発見されたのである。けれども単に捉えただけでは何らの意味もなさないが、要はそれを活用し、普く人類の福祉に役立たせてこそ、初めて大なる意義を生ずるのであるが、この事も期待に外れず、病患の九十パーセント以上は完全に治癒されると共に、人間寿齢の延長までも可能となったのである。
以上のごとく、この大発見によって、人類に与える恩恵は、到底言葉や文字で表わす事は出来得まい。従ってこの事が世界人類に普く知れ渡った暁、現代文明は一大転換を捲き起し、人類史上空前の一新紀元を画(かく)する事となろう。ここに到っては最早科学も宗教もない、否、科学でもあり、宗教でもあり、いまだ人類の経験にも、想像にも無かったところの、真の文明時代出現となるのであろう事は、断言して憚らないのである。さていよいよ無機質界と物質界との関係に移るとしよう。
科学の進歩と神霊学
楳木先生:
今日、拝読していただいたところは、昭和二十七年の御論文です。で、このときには顕微鏡が6万倍ですけれども、現在は何万倍ですか?
参加者:
1000万倍。
楳木先生:
1000万倍ということですね。大阪では100万倍といっていたのですから、もっと日々その倍数が広がっているということです。(立体原子顕微鏡では200億倍を超えると言われている。)
メシヤ様は昭和二十七年当時、こういう顕微鏡の倍数にいつも注意を注がれながら、科学の進歩とそれからメシヤ様が御唱えされている神霊学というものを関連付けられつつ進んでおられたということがよくわかると思います。
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は昭和27年当時、(この御教えの冒頭に書かれているように)顕微鏡の倍数にいつも注意を注がれながら、科学の進歩とメシヤ様が御唱えされている神霊学というものを関連付けられつつ進んでおられたのだということ。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」より抜粋:
今までの素粒子とヒッグス粒子の違い
楳木先生:
それから次に湯川博士の中間子論ということがでていますが、この中間子論では『素粒子が乾板に印影されたので』と書かれていますよね。この素粒子と今年7月に発見された素粒子の違いは何かっていうと、わかりますか?
先月のメシヤ講座を持っているよね。そこの一番最初に書いてある囲みを読んでごらん。」
「素粒子はいかに質量を得たか(ヒッグス機構について)
楳木代表:
ビッグバン直後のヒッグス粒子が無い状態では、あらゆる素粒子は光速で動き回れた。しかしビッグバンの1000億分の1秒後の宇宙で「真空の場になにか存在するという期待」(真空期待値)が生じた。その後、一部の素粒子が「そのなにか」に当たり、抵抗を受けて速度が速くなり、物質を構成したと考えられている。この抵抗、動きにくさが「質量」であり、その原因を作っているのがこの「ヒッグス粒子」のせいだとされている。しかし「ヒッグス粒子それ自体」やビッグバン直後に存在したとされる「右巻きニュートリノ」※4はヒッグス機構と関係なく質量を持つことが出来る。(Hatena::Keywardより)《メシヤ講座・特選集 No.138 平成24年7月分》より」
楳木先生:
その説明の後の私の説明の中に、素粒子というものを前は何と捉えていたかというのが書いてあったと思うけれど・・・。見せてごらん。
その次に、「科学の進歩のお蔭で物質界の解明は分子、原子と進み、かつては原子を構成する電子・陽子・中性子が素粒子とされていましたが・・・。 《メシヤ講座・特選集 No.138 平成24年7月分》より」 とありますが、この電子、陽子、中性子とされていたのがという、この部分が、湯川博士の時代のことです。で、つい最近まではこれを素粒子と考えていたのです。ですからメシヤ様の時代から、最近までは電子とかそういうものを素粒子と考えていたのです。しかし、今年確認された17番目の素粒子であるヒッグス粒子はそれらをさらに大きく拡大したときに見える素粒子だというそういうふうにみて、今回は御論文を拝読していただきたいと思います。
それから、この御論文の中では、まだ当時では極致点に達していないので、『先ず現在の程度から推(お)しても、ずっと先の事と見ねばなるまい』とありますが、いわばもう少し先だといわれていたのが、じつは今年だということです。今年17番目のヒッグス粒子を確認できたわけなので、メシヤ様がこの御論文をお書きになったとき、今年のことを書いているのだというふうに受け止めていただきたいと思います。だから、我々はメシヤ様がこの御論文をお書きになって科学的に極致点に達するというその年に、今生きているということの喜びを実は持っておいていただければ大変ありがたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎科学の進歩のお蔭で物質界の解明は分子、原子と進み、かつては原子を構成する電子・陽子・中性子が素粒子とされていたのだということ。
>この電子、陽子、中性子が素粒子とされていたというのが、湯川博士の時代のことであり、つい最近まではこれを素粒子と考えていた(メシヤ様の時代から、最近までは電子とかそういうものを素粒子と考えていた)のだということ。
◎今回の御論文は、平成24年当時に確認された17番目の素粒子であるヒッグス粒子を、電子、陽子、中性子をさらに大きく拡大したときに見える素粒子だというそういうふうにみて、拝読させていただくのだということ。
◎この御論文をお書きになった昭和27年当時では、未だ科学は極致点に達していなかったのだということ。
>メシヤ様は『先ず現在の程度から推(お)しても、(科学的に極点に達するのは)ずっと先の事と見ねばなるまい』と仰っているが、今年(平成24年当時)、17番目のヒッグス粒子を確認できたことによって、科学的に極致点に達したのだと受け止めるのだということ。
◎メシヤ様がこの御論文で仰っている、「科学的に極致点に達する」というその年(時代)に、私達は生きているのだという喜びを持っておくのだということ。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」より抜粋:
一新紀元を劃する
楳木先生:
それから最後のほう、後ろから5行目に『現代文明の一大転換を捲き起し、人類史上空前の一新紀元を劃(かく)する事となろう』と。
この『一新紀元』ということが21世紀であるということ。
そして、皆さん方に21世紀になったときに、「おひかり」がなくて、『宗教宗派を超えて浄霊力を授ける』ということを、浜松支部を出発点に始めましたね。これが一新紀元をかくしたということです。○○さんわかりましたか?一新紀元をかくしたのは、「おひかり」がなくても『メシヤ様にお祈りすれば宗教宗派を超えて浄霊力を授けることができる』という、その新世紀を迎えたのだという意義付けをもって生活していただきたいということです。
で、最初にできたのが、この浜松支部なのだというふうに意義付けして進んでいただきたいと思います。今回のところはそういうふうに受け止めていただきたいと思います。
そして、この御論文はどこまでも昭和27年にメシヤ様がお書きになったのだけれども、そのお書きになったことが平成24年によって科学的には極点に達しているのだということです。それから新紀元というのは21世紀になったときに、宗教宗派を超えて浄霊力を授けられるようになったということですので、“これからいよいよ一大転換を迎えていくときを迎えているのだ”というふうに受け止めていただいて、今日のこの『無機質界』というのを毎日1回は読んでいただきたいと思います。そして他のところも読んでいただければありがたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様が仰っている 『一新紀元』ということが、21世紀であるのだということ。
◎メシヤ教は、21世紀に入り、「おひかり」がなくて、「宗教宗派を超えて浄霊力を授ける」ということを始めました。これが「一新紀元をかくした」ということなのだということ。
>私達は、「おひかり」がなくても「メシヤ様にお祈りすれば宗教宗派を超えて浄霊力を授けられる(授かる)ことができるのだ」という、そのような新世紀を迎えたのだという意義付けを持って生活していくのだということ。
◎この御論文は、昭和27年にメシヤ様がお書きになったのだけれども、そのお書きになったこと(内容)が平成24年になって科学的には極点に達しているのだということ。
◎新紀元というのは21世紀になったときに、宗教宗派を超えて浄霊力を授けられる(授かる)ようになったということなので、私達は、‶これからいよいよ一大転換を迎えていくときを迎えているのだ”というふうに受け止めるのだということ。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」より抜粋:
1ヶ月繰り返し御教えを拝読するということ
楳木先生:
昔、世界救世教時代に12歳になってから「おひかり」をいただける時代と、それから、小学校1年生になったら「おひかり」をいただけるという時代がありました。でも、小学校1年生の人に『霊主体従の法則』 や『夜昼転換』の教えとか、話しているとこうやってうなずいて聞くんだけれども、「じゃあ夜昼転換って何?」と聞くとなかなか説明は難しいね。本人に説明してもらうということは。それで「おひかり」をかける条件として先ほど拝読していただいた『世界救世(メシヤ)教 教義』を暗記してもらいました。で、暗記できた人には「おひかり」を御下付しますという取り組みをしたときに、おおよそ1ヶ月くらいかかると、△△くんみたいな子も暗記できるのです。
そうするとみんなの前に立って、『世界救世(メシヤ)教 教義』を『抑々(そもそも)世界の創造主たる主之大御神(エホバ)はこの地上に天国を樹立すべく、太初より経綸(けいりん)を行わせ給いつつある事を吾等は信ずるのである』と小学校1年生の子がスラスラと言えるようになっていくのです。
1ヶ月かかるというのはどういうことかというと、難しい言葉が並んでいると口が回らないので、センテンスを更に分解してフレーズごとに覚えてもらいます。
『抑々(そもそも) 』『世界の』『創造主たる』というふうに覚えてもらうためには母親が一生懸命言わないと覚えないので、おおよそ1ヶ月で覚えたとき、母親も覚えているということになります。
しかしながら、1ヶ月間拝読をするということは丸暗記をするということではなくて、メシヤ様が『無機質界』についてお書きになったことは“だいたいこういうことだなあ”ということが頭に入るのが1ヶ月間繰り返し読むということですね。そういうふうに考えて、毎日ここを読んでから他のところも読んでいくというような生活をこころがけていっていただきたいと思います。
それではそういうことを最初にお願いいたしまして、いつものように質疑応答にうつりたいと思います。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
○1ヶ月間毎日この御論文を拝読をするということは(丸暗記をするということではなくて)、メシヤ様が『無機質界』についてお書きになったことを繰り返し読むことによって、その内容が頭に入ってく
るのだということ。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」より抜粋:
理論神霊学と実験神霊学
楳木先生:
理論神霊学と実験神霊学というのは、実験神霊学は皆さん方が日々浄霊をすることによって、御守護いただいたり変化があったり、性格が明るくなったりだとか、そういう事例が実験神霊学に入ります。
一方では『霊主体従の法則』によって「いろいろな問題は霊界に原因があるので、霊界を浄めてそして問題を解決していくんですよ」という論理が『霊主体従の法則』ですので、この『霊主体従の法則』にそって人々の問題を解決したり、御救いしたりするということが理論神霊学に基づいて行う方に入りますので、ここに書かれているのはそういう内容だということですね、解釈しつつ進んでいっていただければ良いのではないかなと思います。」
(後略)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎私達が日々浄霊をすることによって、御守護いただいたり変化があったり、性格が明るくなったりだとか、そういう事例が「実験神霊学」に入るのだということ。
>私達が、『霊主体従の法則』の論理にそって人々の問題を解決したり、御救いしたりするということが「理論神霊学」に基づいて行う方に入るのだということ。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」より抜粋:
霊憑りについて
参拝者:
霊憑りというのは、自分でわかるものですか?
楳木先生:
具合が悪くなるからね。」
参拝者:
霊がつくというのは、曇りが多いからつくのですか?それとも霊が救ってほしくてついてくるのですか?
楳木先生:
両方あります。で、その上に寝不足のときが多いです。睡眠時間をきちんととっていて、いきいきしているときにはそういう霊はかかりません。寝不足のときとかに、そういう場所を通ると憑りやすいのでね。だから睡眠時間をいつもきちんととって、元気でいればそんなものは何ともありません。それからいつもブーブー怒っていたり、グズグズ言っていたりするとかかりやすいから・・・。」
参拝:
曇りがあるということですか?
楳木先生:
そうそう。曇りをいつも発生させながら生活しているわけだから。そうすると憑りやすいからね。そういう点を、気をつけておいてもらえれば。
参拝者:
子供もそうですか?
楳木先生:
子供はたいしたことはないから。自分が気をつけておけば。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
○霊憑りというのは、(霊が憑って)具合が悪くなるので、自分(憑られた人)でも分るのだということ。
>霊が憑るというのは、その人に曇りが多かったり、又、寝不足のときに救って欲しい霊がいる場所を通ったりすると憑りやすいのだということ。
>それから、いつも(ブーブー)怒っていたり、(グズグズ)愚痴ったりして曇りを発生させながら生活していると、霊は憑りやすいのだということ。
◎前記のような点に気を付けて生活すると、霊は憑り難いのだということ。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」より抜粋:
メシヤ様の夢について
参拝者:
楳木代表の夢にメシヤ様が出てこられたというのは、最近のお話で・・・?
楳木先生:
そうそう。先月です。メシヤ講座を作るときだから。この文章を作り始めるときの初日に出てこられたのですから。」
参拝者:
夢の中で楳木代表が書きとめられたのですか?
楳木先生:
夢の中で口述筆記をして、清書しようと思ったのだけど、『まだか』と言われたときに目が覚めたのだから。まあそういう非常に短い夢ではありました(全文は(「メシヤ講座・特選集no.139(平成24年7月分)へ」)。
『時局と霊界』
楳木先生:
それと関連して、この昭和26年の『時局と霊界(御教えへ)』という御論文を拝読させていただくと、『○○龍神』『○○○之尊』と書かれているのが、こちらの『文明の創造』の最後のところ(『基督教と善悪』)の366ページの冒頭に、3行目から『兇党界の親玉夜叉龍神が立てた計画の下、私の兄であった国武彦尊に憑依(ひょうい)した時から発生した』と明らかにされていますので、まだ昭和26年の2月25日の段階ではまだ時期がきていないということでまだ名前を伏せられていますけれど、この27年に『文明の創造』をお書きになったときには時期が来たということでお書きになっているのです。まあそういうふうに繋いで拝読していただけるとわかりやすいのではないかなと思いますね。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎メシヤ様は、
>昭和26年に御執筆なされた『時局と霊界』という御論文中では、『○○龍神』『○○○之尊』と未だ時期が来ていなかったので名前を伏せられていたのだということ。
>昭和27年に『基督教と善悪、(「文明の創造」)』をお書きになったときには時期が来たということで、『兇党界の親玉夜叉龍神が立てた計画の下、私の兄であった国武彦尊に憑依(ひょうい)した時から発生した』と名前を明らかにされているのだということ。
○御教えを拝読する時には、例えば前記のように繋げて拝読すると分かりやすくなるのだということ。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」より抜粋:
『善言讃詞』の『夜叉龍神』の解釈と日常生活
参拝者:
『私の兄』ということですが、この方はどういう方だったのですか?
楳木先生:
メシヤ様の兄だったということです。
そうしていくと、善言讃詞にも『夜叉龍神』がでてきますね、これを今までの解説としては『夜叉』と『龍神』をわけて解説してあります。世界救世(きゅうせい)教を長く信仰している場合は、「善言讃詞の手ほどき」という本がずっと昔に出ていますが。この「善言讃詞の手ほどき」の中には『夜叉』と『龍神』をわけて説明をしているので、『夜叉』の説明と『龍神』の説明をしております。しかし、メシヤ様がここに『夜叉龍神も解脱爲し』というふうにお書きになっているのはどういうことかというふうに善言讃詞も解釈しなおさなければいけないということになります。
そうすると、わかりやすい説明をしますと、ある組織団体がありますよね。小さい団体ではなく大きな団体にいくとその代表に会っても、その組織とはわからないくらい非常に紳士的に対応をしてくれます。しかし、下の小さな団体に行くほど、話しにならないくらい対応が悪いですよね。
そうすると、『夜叉龍神』というのは一番の大元ですので、この『夜叉龍神』はメシヤ様の御出現によって改心したから、『解脱』したわけですね。しかし、その下の眷属は『夜叉龍神』が『解脱』したことはわかりませんので、いまだもって権力を奪うように、いろいろな大きな人間に憑依しながら、問題を起こしたり、画策したりしているのです。そういう状態だということです。ですから、御神体の御前で夕拝をするときに唱える『善言讃詞』とそれから家庭月次祭のときに上げる『善言讃詞』のときには、この『夜叉龍神も解脱為し』ということを言霊界に響かせるということが大事になるわけです。
この言霊界の中では《夜叉龍神は解脱したんだ》ということが行き渡りますので、行き渡ると《トップが解脱したんだ》と眷属わかり始めることが大事なことなので、この御神体の前で『善言讃詞』 を唱えるときには、そういう想念をもって『夜叉龍神も解脱爲し』という言葉を唱えていただきたいと思います。
これがなければ、夜昼転換というものが進んでいかないということです。
そこへいくと、〇〇教団とか〇〇教団の人達は、この天国を作っていくという『善言讃詞』の意味がわからない為に改ざんしてしまっているということです。ここが言わば〈弟子といえども大きな間違いを犯しているということ〉に繋がっていきますので、その下でズーッとやられている人達は非常にお気の毒だということです。
ですから、救ってあげる対象であるということを、こうした勉強を重ねるごとに、より一層そういう気持ちを持って進んでいただければありがたい、というふうに思います。
メシヤ様の御法難の時のことも書かれていますけど、その『夜叉龍神の眷属が私を随分責めた』というふうに書かれていますけどね。メシヤ様は、『トップは改心しても眷属にやられてしまった』 ということが言えるのではないかなと思いますね。
ただしかし、自分自身はその眷属にやられないために、夜叉になってないだろうかというのをいつもチェックしておかなければいけません。家で夜叉になってないかなぁ、と。(笑)ね、ここに眉をよせて「何やってんの!」とか、こうなった時にはもう夜叉の眷属にやられているということなので気をつけておいていただきたいと思いますね。」
参加者:
自分の中にあるということ?
楳木先生:
そう。だって自分がカカカッときたとき、そこにフッと乗っかってくるわけだから。シメシメと思って。そして言わんでもいいことを言っちゃうでしょ。」
参加者:
じゃあ、それはもうやられちゃっている…
楳木先生:
うん。もうそれはやられている。その時は。だから言わんでもいいことを言った時は「しまった」と思ってもうすぐ口を押さえてやらないと、それが憑依したままになってしまうから。」
参加者:
押さえると止まるんですか?
楳木先生:
そりゃ、あっ、こいつはもうこれ以上できないなと思うから、スッと抜けちゃう。」
参加者:
そのままにしているからいけないんですか?
楳木先生
そのまま言い続けると、「よしよし、しめたしめた、よしよし」って言って今度は太鼓を叩きだすから。ダンチャラ、ワイワイやらして、もう家の中で怒りまくるようになってきて、そうするともう乗っかっちゃっているわけだ、その人に。だからその時にこれはマズイと思って口を押さえると、あ~ここはダメだなと思ってヒューッと逃げていっちゃうから家庭が治まっていく。それにやられると家庭がひっちゃかめっちゃかになっていく。」
参加者:
□□、笑ってるら。
楳木先生:
はははははは。」
参加者:
一部当たるとこもあるんだけど。
楳木先生:
はははははは。一部ね。」
参加者:
あ~、止まらなくなるのは乗っちゃっているんですか…
楳木先生:
そりゃそうよ。普通の理性があれば、“あっ、これ以上言っちゃいかんな”ってすぐ理性が働く。
参加者:
働くはずなんですけど止まらないんです。
楳木先生:
だから、言い続けるってことはもうフーッと引っかかっちゃってくるわけ。そうすると音楽なんか鳴らしちゃってね。それに踊らされながら、「ピースカ、プースカ」言い出す。」
参加者:
わかりました。口を押さえてみます。
楳木先生:
そういうことを知っただけでも、もうそういうのにやられなくなくから。」
参加者:
あっ、知っただけでも?
楳木先生:
うん。」
参加者:
じゃあ、忘れそうな時には、子供とかにお母さんとちょっと…
楳木先生:
だったら、これを毎日読めばいいよ。」
参加者:
あっ、読めばいいんですね。
楳木先生:
ああ、ああいう話しだったなあと思えばすぐ…」
参加者:
はい。
楳木先生:
繰り返しますけど、メシヤ様によって夜叉龍神はキチンと解脱したんだけども、その下の眷属たちがまだ何とかしてこの世の中を滅びさせようとしているので、それに乗っからないように、引っかからないように注意して生活をしていってもらいたいということですね。
だからまあ、家庭の中を揉めさせるというのが邪心界の常套手段です。結束を緩めさせるのはね。みんなで家庭を天国にしていこうという思いを崩していくのが向こうの常套手段なので、揉め事を家庭の中にどんどんどんどん入れてくる。それとあと、中心になる人を不安にさせるというのがありますね。それで何とかして薬を飲ませよう飲ませようとしてくるので、それを飲んでいくとどうしてもまた首筋が凝って憑かりやすくなるので、そういうのがないように自分を守って家庭を守るようにしていかないといけない。だから時々、お母さんが怒ったら、ね、鏡を持って目の前にこう持っていって「夜叉になっていませんか?」って言って。」
はっはっはっはっ。(参加者一同笑い)
参加者:
今の問題が解決しました。ありがとうございました。
(後略)
楳木先生:
(前略)じゃ、その他はいいですか?」
参加者:
『時局と霊界』っていうのは『天国の礎』に載っていますけれども、ここの『最後に私のことを・・・』っていうところは入ってませんですよね。
楳木先生:
うん、そうだね。」
参加者:
すごいありがたいです。こうして繋がるところまで拝読させていただくことができて…。
楳木先生:
でまあ○○さんなどは、前の関係者の人と話す時には、最後の御論文『宗教、哲学、科学の一致(御教えへ)』の中の四つ目の段落のところの 『又宗教であるが、之も御多分に漏れず行詰ってどうにもならない。というのは宗教の本領である奇蹟が、寔に少ない実状である。そこでやむなく理論によって、それを補おうとしたり、種々の社会事業等によって、存在の価値を意義付けようとしている位で』っていうようなところを読んであげて、いま○○○が陥っているのはこういうところですよというふうにして改心を促すようにしてあげるといいと思いますね。まあそういう場面で活用していただきたい御教えですので、これも参考にしながら進んでいただきたいと思います。」
(後文割愛)
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎『夜叉龍神』について、
>○○○○教の「善言讃詞の手ほどき」の中には『夜叉』と『龍神』をわけて説明をしているのだということ。
>メシヤ様は昭和27年に、『基督教と善悪、(「文明の創造」)』中で『兇党界の親玉夜叉龍神』と名前を明らかになさっているので、(善言讃詞に『夜叉龍神も解脱爲し』というふうにお書きになっているのはどういうことかというふうに)善言讃詞も解釈しなおさなければならないのだということ。
◎『夜叉龍神』というのは兇党界の一番の大元なのだということ。
>『夜叉龍神』はメシヤ様の御出現によって改心したから、『解脱』したのだということ。
>『夜叉龍神』の下の眷属は『夜叉龍神』が『解脱』したことをわかって(気付いて)いないので、いまだもって権力を奪うように、いろいろな大きな人間に憑依しながら、問題を起こしたり、画策したりしているのだということ。(今も)そういう(状態が続いている)状態なのだということ。
◎私達が夕拝や家庭月次祭で、御神前にて「善言讃詞」を奏上するときに、この『夜叉龍神も解脱為し』ということを言霊界に響かせるという(想念を持つ)ことが大事なのだということ。
>そのような想念で「善言讃詞」を奏上すると、言霊界の中では「夜叉龍神は解脱したんだ」ということが行き渡るのだということ。
>「夜叉龍神は解脱したんだ」ということが行き渡り、「トップが解脱したんだ」と眷属わかり始めることが大事なことなのだということ。
>私達が御神前で『善言讃詞』 を唱えるときには、‶『夜叉龍神も解脱為し』ということを言霊界に響かせるのだ”という想念をもって『夜叉龍神も解脱爲し』という言葉を唱えるのだということ。
◎この(前記の)ような(地道な)取り組みをしていかなければ、夜昼転換というものは進んでいかないのだということ。
◎御教え『時局と霊界』には、メシヤ様の御法難の時のことを『夜叉龍神の眷属が(憑依して)私を随分責めた』というふうに書かれていますが、メシヤ様は、『トップ(夜叉龍神)は改心しても(夜叉龍神の)眷属にやられてしまった』 ということが言えるのではないかということ。
◎メシヤ様によって夜叉龍神はキチンと解脱したんだけども、その下の眷属たちがまだ何とかしてこの世の中を滅ぼそうとしているので、私達はそれに乗っからないように、引っかからないように注意して生活をしていかなければならないのだということ。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」より抜粋:
キリスト教の聖書
参加者:
最後の方に夜叉龍神がキリスト教の聖書を作らせたっていうこともあるってことですか?その聖書を悪魔が入ってる人間にこうあてると、悪魔が苦しがって出るっていうのをエクソシストの番組で映像でやってたんですけど、それでもやはり効果があるってことで…。
楳木先生:
あれはエクソシストの世界だから。エクソシストは存在しないやろ?」
参加者:
ローマ法王がこれから悪魔の行動が活発になるからエクソシストを増やせって話しだしたみたいですね。エクソシストは存在しないんですか?エクソシストって悪魔払いじゃないんですか?
楳木先生:
エクソシストは実質的に物語として作ったものだから、存在するかどうかっていうのはわからない。で、聖書の中で一番の問題点は〈懺悔をすれば全ての罪が許される〉というところが夜叉龍神が作ったところだと。」
参加者:
懺悔をしても他は違うっていうこと?
楳木先生:
懺悔しても許されるものじゃないでしょ?「ごめんなさい」って言っても中々みんな許さんやろ?
これが真理になると。やっぱり罪は発生しているから、その罪が許されない。しかも、それが霊界に行った時には、霊界へ行って「ごめんなさい」と言っても中々許されないわけだよね。〈犯した罪は霊界に行ったら厳正に裁かれるんだ〉ということがわかっておかないと、もう「ごめん」って言えばすぐ全て済んじゃうから“何やってもいいんだ”というそういう理論が出来上がってくるから、これでは世の中が天国にはなっていかない、と。
で、そこにいかにもね美しく書き上げたのが、夜叉龍神とかの流れの中でひっくり返ったような心理的な話しを書き込んでいっているのが聖書の一部分にはあるという、そういうふうに解釈していったほうがいいと思うね。キリスト教が悪いとかっていうのではなくて、その根本的な考え方の一つにそういうふうにものの捉え方をしているところがあるんだというところだけはね気をつけておかないといけないということです。
じゃあ、後はいいですか?パーフェクトに覚えました?完璧に・・・。」
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎聖書の中での一番の問題点は、夜叉龍神が作った「懺悔をすれば全ての罪が許される」というところなのだということ。
>「懺悔をすれば全ての罪が許される」ということが真理になると、謝れば全て済むので‶何やってもいいんだ”というそういう理論が出来上がってきて、これでは世の中が天国にはなっていかないのだということ。
◎私達は、‶私達が「犯した罪」は霊界に行ったら厳正に裁かれるんだ”ということがわかっておかないといけないのだということ。
「メシヤ講座no.140浜松(平成24年9月分)」より抜粋:
人間の霊は素粒子で神様の霊は微粒子とは…
参加者:
著述の中で10巻のところで『力(御教えへ)』(栄光 151号)というところの御教えなんですけど、そこのところに人間の霊は素粒子であって神様の霊が微粒子であるというふうなところがあったんですが、それは微粒子ってことは今もこうして光をいただいている時にその微粒子をいただいているっていうふうに捉えたらいいのでしょうか?
楳木先生:
そういうことではなくて、我々が取り次ぐ浄霊の光の細かさ。だから霊の世界よりも細かい世界の光なので、どこまでも浄霊をすると光が入っていくということ。小さい存在だから光が入っていくということ。
だから、この手に指を差し込もうとしても刺さっていかないでしょ?これは同じ細胞同士、同じ組織同士だから入っていかないわけ。しかし、こっちが細くなれば通過していく。だから神様の光の方がより大きさとしては小さいので、どんなところも通過していくというふうに捉えていった方がいいね。
だから浄霊をすると魂の中まで光が入っていくんだ、と。それから原子爆弾が爆発しても、原子の世界の粒子よりも神様の粒子の方が小さいから、今度は逆に食い止めることもできると。威力を発揮すると。この場合は小さいから通り抜けるというのではなくて、そういう働きもできると。だから広島に原爆が落ちた時に、浄霊で随分ね、救われた人達はケロイドが一切残らんで良くなった、と。で、医療にかかった人は残ってしまったというね、差がそういうところに出てくるんだと。(御教え『原爆恐るるに足らず』へ)」(後略)
参加者:
そうなんですか。ありがとうございました。
楳木先生:
それじゃあ、これで終わらせて頂きます。ありがとうございました。」
参加者一同:
ありがとうございました。
責任者:
ここまでで御教示いただいた要点を以下に併記(特に重要だと思われる御教示は◎に)いたします。
◎『神様の霊が微粒子である』とは、我々が取り次ぐ浄霊の光の細かさのことをメシヤ様はおっしゃっているのだということ。
>霊(人間)の世界よりも細かい世界(神様)の光なので、浄霊をするとどこまでも光が入っていくのだということ。
>神様の光の方が大きさとしてはより小さいので、どんなところも(魂の中でも)通過していくというふうに捉えるのだということ。
>又、原子爆弾が爆発しても、原子の世界の粒子よりも神様の粒子の方が小さいから、今度は逆に食い止めることもできのだということ。
編集後記
責任者:
今回は、学びの要点が満載の研鑽資料になりました。その中で特に、日々奏上させていただいております「善言讃詞」の中の「夜叉龍神も解脱為し」の言霊に付きましては、御教示いただきましたように、‶『夜叉龍神も解脱為し』ということを言霊界に響かせるのだ”というように想念を高めてお称えさせていただかなくてはならないと強く感じております。又、今回拝読させていただく全ての御教えは、世界の現状を捉える上に於いてタイムリー且つ重要な御教えだなあと感じ入った次第でございます。立春が近いとはいえ、まだまだ寒い日が続きます。どうぞご自愛くださいませ。有難うございました。
※責任者より
引用したメシヤ様の御教え、「メシヤ講座」は当時の文章をそのまま抜粋させていただいています。下線や太字の表記、()内の表記、御教えの典拠は、責任者が加筆しております。ご了承ください。
引用した「メシヤ講座」全文はこちらからご覧いただけます。